空いっぱいに蝉時雨11章の6
夜が明けた。たけり狂う波が,今ははっきり見える。
六時。攻撃の時間だ。二人はじっと息を殺している。だが受信機は何も音を立てない。ホノビジョンも何の変化もない。核が爆発すれば,電波の乱れがホノビジョンに現れるはずだ。二人はじっと待つ。デジタルがゆっくりと時を刻んでいく。
「発射したか。」
「発射していたら二十分でけりがつく。」
「なぜ連絡がないんだ。」
「わからん。遅れてるのかもしれん。」
「迷ったか。」
二人は黙る。波が舟を横倒しにして乗り越えていく。二人はただしがみついて耐える。
「だめだ。」
一時間が過ぎたとき,リサが言った。
「いや,まだわからん。一時間といっても,一割の誤差だ。まだ可能性はある。」
「いや,無理だ。」
「俺たちがまだ攻撃されないのはどういうことだ。」
「その気がないだけだ。」
「発見されてないのかもしれないだろ。」
「そんな甘くはないぞ。あいつは。」
二人はまた黙り込む。波は,絶え間なく舟を乗り越えていく。一瞬で蒸発する恐怖がほんの少し薄らいだ。
「呼んでみるか。」
リサが言う。
「何とか言う,救助隊に聞かれるぞ。」
「わかりゃしねえさ。」
リサがマイクを取る。
「ヘンゼル聞こえるか。聞こえたら返事を聞かせてくれ。」
二人はじっと聴き耳を立てる。聞こえるのは,激しい波の音ばかり。
「ヘンゼル,聞こえるか,聞こえたら返事をくれ。」
二人は,何度も呼びかけ続ける。しかし何一つ返事は返ってこない。
「だめか。」
「いや,まだわからん。」
「うるさくてだめだ。ヘッドホーンがあったろ。」
二人は,椅子にしがみつきながら,必死で耳を澄ます。だが何一つ聞こえない。ヘッドホーンの中も雑音ばかりだ。
「おい,これは妨害電波じゃないか。違うか。」
「そうか。何で今まで気が付かなかったんだ。」
「ほかのチャンネルはどうだ。」
シフスは,急いでメーンチャンネルに切り替える。
「入ってる。」
メーンチャンネルは,少しの雑音もなく,誰かのCQがのんびり入っている。
「そうか・妨害電波か。」
「ばれてるということは,攻撃はしたんだ。」
「そうなら,もっと何か兆候があるはずだ。」
「ヘンゼル,聞こえるか。聞こえたら応答願います。こちらグレーテル。どうぞ。」
シフスは呼びかけつづける。
「こちらグレーテル。受信しました。どうぞ。」
何度目かにあっさり応答があった。
「おい。聞こえたか。」
二人は同時に叫ぶ。
「ああ。かすかだが、確かにそうだ。」
「こちらグレーテル。受信した。ヘンジェル聞こえるか。どうぞ。」
「こちらヘンジェル。受信状態は非常に悪いが,何とか聞こえる。」
「なにやってるんだ。こちらは,もう二時間も前から呼びつづけてるんだぞ。」
「そうか。悪い。都合があるだろうからそちらからの連絡を待ってたんだ。」
その気なら誰もが聞くことができる無線などを使っているから,ぼかしぼかし話さなくてはいけない。電話は監視されているだろうから,わざと,子供だましな無線を使ったのだが,効果はなかったようだ。
「状態はどうだい。」
「ああ、あまりよくないね。」
「シャボン玉は飛んだのか。」
「だめだ。自分の位置がわからん。」
「そうか。どうなってんだ。」
「計器がまるで役に立たん。真っ直ぐ来たはずなんだが,まだ海の上だ。位置もまるっきりでたらめだ。」
「そろそろチャンネル空けてくれないか。」
突然、声が割り込んできた。
「あ,悪い。ヘンジェル,2115へ移る。どうぞ。」
「了解。」
「ヘンジェル。聞こえるか。」
「聞こえる。どうしたんだ,原因はわからないのか。」
「わからん。とにかく,ほかの意思で動かされてる感じだ。その上,手ひどい嵐に巻き込まれて,飛んでられない。」
「そうか,こっちもだ。やっと浮いてるだけだ。」
「こっちは浮いてられないかもしれない。シャボン玉が重すぎるみたいだ。後二三回大きな波がくれば,乗せてあるところから機体が折れそうな感じだな。」
「捨てられないのか。」
「捨てていいのならな。」
「捨てて生き延びろよ。」
それっきりだった。何か,ああとかそれに近いことを言ったような気がしたが,それっきり返事がなかった。いくら呼んでもだめだった。もう一度メーンチャンネルに戻って呼んだが,返事はなかった。
舟は,それから五日の間波にもまれつづけた。五日目の夕方,メーンマストに帆があがった。「舟は生きてた。」シフスは,嵐のため朦朧とした頭で思う。
舟は,波の谷間に落ち込むと,身震いして,飛び上がり,波頭を切り裂いた。マストは風にしなり,帆は,鋼鉄のように風をはらむ。
「大丈夫なのか。まだ風は強いぞ。」
「こいつが勝手にやってるんだ。乗り切れると踏んだんだろう。」
その声に安堵の響きがある。
昔は,人が風と闘ったという。今は機械が闘う。
夜半過ぎ,舟は嵐を乗り切った。
「あいつらどうしたか。」
シフスは言う。そしてそのまま眠り込んだ。目が覚めたときは日はもう北のほうにあった。リサを起こす。二人は甲板に出る。
風が冷たく,肩をすくめる。昼近くなのに,太陽は低く暖かみがない。
「どこまで流されたかな。」
「わからん。」
「どうするか。」
「そうな。まずハーグへ行くか。」
「そうな。」
気のない返事をする。行っても無駄だという思いが声に出ている。
「約束だからな。」
「後のことはそれからだ。」
「寒い。中に入ろう。」
キングアーサーは,まだ嵐の名残の風を受けて傾きながら突っ走っていく。
空いっぱいに蝉時雨11章の6終わり