STAP細胞のパクリでは   



がんばれ小保方晴子さん24

著者 高田敞

 

「Newton」(2015.3・ニュートンプレス)の記事について

(以下{ }内は上記雑誌の記事の引用) 

1 問題

{STAP細胞は「ES細胞の混入」と結論}という見出しで、STAP細胞についての理研の調査委員会が2014年12月26日に発表したSTAP細胞についての調査結果の要約が載っていた。

 それについて考えてみる。

 

2 論じる内容

@ STAP関連細胞とES細胞の関係

A 再現実験について

B 「Newton」の書き方について

 

3 考察

 STAP細胞が存在するか否かは、STAP細胞が再現できるかということと、STAP細胞からできたとされる残された資料が何からできているかの分析で決まる。そこで、「Newton」の記事を検討してみる。

(これは、「Newton」が理研の発表を解釈した記事に対する、私の個人的解釈です)。

 物事の正否については、異なる意見を持った人がいれば、双方から、平等に聞く必要がある。特にこのように、原告側と被告側がある場合は、被告側の意見も聞く必要がある。今回の「Newton」の記事は、理研側(原告側)の意見しか載せていないので、一方的であることは否めないが、小保方氏側の意見は載っていないので、仕方がない。

(1) STAP関連細胞とES細胞の関係

理研の記者会見の発表の「Newton」の記事(下線は筆者が引いた)

ア STAP幹細胞、F1幹細胞の分析

{STAP幹細胞、F1幹細胞ともに、調べた範囲ではいずれの細胞も、かつて若山教授の研究室で作成されたES細胞と非常によく一致するゲノムを持っていることがわかったという。(中略)調査委員会では、STAP幹細胞、F1幹細胞ともにES細胞由来であるとの結論をくだした。(中略)この結論はゆるぎないものだという。}

イ キメラマウスの子、キメラマウスのDNAの分析

{すべての資料において、かつて若山教授の研究室で作成されたES細胞とよく似た特徴が検出された。この為、調査委員会は、論文に掲載されたキメラマウスもES細胞由来である可能性が高いと結論した。}

ウ 胎盤

{調査委員会の桂委員長は12月26日の記者会見で、「論文の実験で光っているのは胎児の血液など胎盤以外のものだった可能性があるという見解を、専門家から聞いている」と述べた。}

考察1 アとイの比較

 アは、{非常によく一致する}から{STAP幹細胞、F1幹細胞ともにES細胞由来であるとの結論をくだした。}そして{この結論はゆるぎないものだという。}と述べている。

イは{よく似た特徴が検出}されたから、{論文に掲載されたキメラマウスもES細胞由来である可能性が高いと結論した。}とある。

 この二つは結論が違う。同じように科学的に解析したのなら、イの場合も、{ES細胞由来であるとの結論をくだした。…この結論はゆるぎないものだという。}という結果が出なくてはならないはずだ。なぜ、イは「可能性」にとどまってしまったのだろう。「可能性」では裁判も科学においても何も決まらない。可能性の中には、違う可能性もあるのだから。すなわち、キメラマウスがSTAP細胞からできている可能性もあるということが残っているのである。

 現在のDNA解析技術で、一致するかしないかを断定できないというのは、不思議なことだ。日本の、科学の中心である、理研の技術はそれくらいのものなのだろうか。幹細胞は完璧に解析できて、キメラマウスの細胞はあやふやにしか解析できない理由を理研は述べなければならないだろうし、それについて、「Newton」は科学誌なのだから疑問を呈さなければならないはずだ。一般雑誌じゃないのだから。科学は疑って見よ、というのが鉄則といわれている。だから、小保方氏の論文も不備が見つかったのだから。それが、下っ端の小娘ならみんなであら探しをするが、権威が言ったことは、すべてフリーパスというのは科学の姿勢ではないと思う。政治やビジネスの世界のやり方ではないだろうか。

考察2 ウ 胎盤、について

(1)論文の書き方

これは論文ではないが、研究報告であるから、{見解}の出典を明示しなければならない。

小保方氏の論文で、コピペと言われたのは、コピー先を明示しなかったからだ。小保方氏をそのことで責めているのに、理研も同じことをしている。

 専門家とはだれか、どの論文かを明示しなければならない。

(2)内容

{「論文の実験で光っているのは胎児の血液など胎盤以外のものだった可能性がある」}

それは可能性である。STAP細胞である可能性も十分あるということだ。

特に、この場合は、素の専門家が胎盤と言われたものを実際に調べたのではなく、憶測の判断である。科学的検証ではないから、このことでは直接何も決めることはできない。

理研はこの意見を本当だというなら、胎盤の細胞を調べて、STAP細胞、あるいは複数の細胞がキメラになっているか、また単一の細胞からできているかを調べる必要がある。単一の細胞からできている場合は、その細胞が、多機能細胞からできたものか通常の細胞からできたものか調べる必要がある。そして、それがES細胞由来のものか、それともSTAP細胞由来のものかをゲノム解析して、その後、初めて結論が出るはずだ。言及がないところを見るとそれはやっていないようだ。

(3)意味すること

 {STAP細胞は胎盤にも分化する能力があるという主張だ。ほかの万能細胞は胎盤への分化能力を持っていないため、この点はSTAP細胞の特徴として大きな注目を集めた。}とある。

ES細胞とSTAP細胞の一番の違いである。その重要な問題を理研はなぜ調べなかったのだろうか。これこそ何を置いても真っ先に調べなければならないことのはずだ。それを、誰かが言ってました、ですませている。「誰かが」である。不可思議なことだ。なぜ一番肝心なことを調べていないのだろう。意図的に調査しなかったのだろうか。それとも、内緒にしているのだろうか。遺伝子を調べるくらい、簡単なことのはずだ。警察なんかDNA鑑定なんかあっというまにするみたいなのに。日本の科学の権威の理研ができないわけはないのに。

これは素人や「Newton」には通用するだろう。しかし科学の方法ではない。それとも、不都合なことは無視するということなのか。昔の検察は有罪にするために不都合な証拠は隠したという。今は不都合な証拠も裁判に提出しなければならないとされている。理研はどうなのだろう。理研は、小保方氏を、不正をした人、として世間に告発しているのだから、検事の役割をしている。都合の悪いことは隠し、都合のいいことだけを調べたり、発表したりしていないだろうか。理研のやり方に非常に疑問を感じる。

考察3 まとめ

@ STAP幹細胞、F1幹細胞ともにES細胞由来であるとのことである。

STAP細胞を否定できる

A キメラマウスの子、キメラマウスについても、ES細胞から作れる可能性はあるということだ。

  可能性だから、STAP細胞である可能性もある

B 胎盤以外のものだった可能性がある

 出典不明の伝聞である。実際に検証を行っていない。このことから、科学的には何も証明されていない。STAP細胞を否定できない

@は{この結論はゆるぎない}、Aは{可能性が高い}、Bは{専門家から聞いている}、とES細胞と、STAP細胞の違いが大きくなるほど主張のトーンが下がっている。なぜなのだろう。解析の結果、胎盤はSTAP細胞ではなくノーマルな細胞からできていた、となぜ言えなかったのだろうか。

 これではSTAP細胞を否定することは「科学者としては言えない」と相沢氏がいうのも当然だ。

 理研は、問題が発生した2月から、この発表をするまで、10カ月もかかっている。問題が発生した時点で、科学的な検証を行うべきだったはずだ。少なくとも論文取り下げを勧告する前にしなければならなかったはずだ。なぜそれをしなかったのだろう。DNAが一致するかしないかは、難しい検証ではないはずだ。理研でできないのなら、警察の鑑定団の人に聞けばいいのだから。彼らならDNAが一致するか否かは1日でやってしまうみたいだ。

 半年もかけたゲノム解析で、可能性がある、までしかわからないというのが日本の理研の限界ということのようだ。それでは真実を見極める能力があるのだろうかと、疑われてしまうだろう。

2 A再現実験について

理研の検証実験チームも、小保方氏自身による再現実験も{いずれもSTAP細胞を再現できなかったことが、2014年12月19日に発表された。少なくとも、論文で主張されたようなSTAP細胞は、その存在を証明できなかった。}

考察

これは、STAP細胞がないということの非常に重要な証拠になる。特に、200回も作ったとか、他のチームができないのは特別なレシピがあるからだとか言っていた小保方氏自身が作れなかったのは決定打であろう。

ただ、少しだが問題が残る。この本には書いてないが、理研の発表には以下のことがあると朝日新聞が書いていたことである。

(以下、( )内は朝日新聞からの引用)

(相沢氏は終了後、退席しかけて突然振り返ると、再びマイクを手に報道陣に向かって話しかけた。「今回の検証は、科学のやり方ではない。犯罪者扱いは科学にあってはならない」)相沢氏は実験統括責任者である。

小保方氏のコメント(どのような状況下であっても必ず十分な結果をと思い必死に過ごした3ヶ月でした。予想をはるかに超えた制約の中での作業となり、細かな条件を検討できなかったことが悔やまれますが、与えられた環境の中では魂の限界まで取り組み、今はただ疲れ切り、このような結果にとどまってしまったことに大変困惑しております。)

理研側、小保方側ともに検証に何らかの制約があったということが述べられている。それも、かなりの制約があったことがうかがわれる。検証実験に、内容を否定する側からの制約があったことは、結果に大きな影響があったことと思われる。したがって、この実験で再現できなかったということが、100%STAP細胞がないということの証拠にはならないといえる。

たとえば、ボクシングのチャンピオン戦を考えてみよう。チャンピオン側が、挑戦者の足を縛って戦うことを条件にしたらどうだろう。それで勝ったとして、本当にチャンピオンが強いといえるだろうか。

理研は、なぜ、再現実験に、(科学のやりかたではない)(予想をはるかに超えた制約)を課したのかを説明する必要がある。そしてそれがSTAP細胞の再現にどれくらいの影響を与えたのか科学的に明確にしなければ、科学としての検証実験とはいえない。

これについては、実験統括責任者の相沢慎一特任顧問が(STAP細胞は、存在しなかったのか。相沢氏は答えに窮しながら、「科学者としてはお答えできない。言えることは、再現することはできなかったということだ」と繰り返した。「どう判断するかは、科学の世界に委ねる」と話した。)

とある。統括責任者が、この再現実験ではSTAP細胞が存在するか否かの判断はできないと言っている。

したがって、今回の再現実験で、小保方氏自身が再現できなかったからといって、STAP細胞は存在しないという結論は出ないといえる。

 

3 「Newton」の記事の書き方について

「Newton」では{STAP細胞は「ES細胞の混入」と結論}となっている。直接検証実験を行った実験統括責任者の相沢氏の結論(「科学者としてはお答えできない。」とは完全に異なっている。(どう判断するかは、科学の世界に委ねる)ということで、「Newton」は委ねられた科学の世界としての決論を出したのだろうか。そのときは、実験統括責任者と異なる意見を導いた理由を明示しなければならない。実験当事者の見解と、ただ発表を聞いただけの「Newton」が、見解を変えたのだから、その根拠を示すことは必ず必要である。

その根拠となりそうなことはもちろんある。ところがその根拠がかなり意図的である。

上記の朝日新聞の記事にあることは、ニュートンには載っていない。STAP細胞はないという結論を導く発表のみ書き、不利になる発表は一切書かずに、STAP細胞はないと結論づけている。これは科学の判断ではない。どちらかというと政治的判断だ。科学誌ではない一般週刊誌では科学者が書いているのではないから、そういうこともあるかもしれない。もちろん一般誌でも本当は許されない。先日、朝日新聞が、発言を削除したために、読者が間違った考えを持ったということで、放送倫理規定に触れるとして、注意されている。報道側が、意図的に発言や発表を編集して、報道側の意図する方向に、発表の趣旨を曲げてはならないということだ。

ところが、「Newton」は上に書いたように、STAP細胞はない、という結論を導く発表のみ書き、不利になる発表は一切書いていないのは、STAP細胞はないという結論に導くために意図的に、不利な発表は除外したと考えられる。

「Newton」は科学誌である。科学的方法で記事を書かなくてはならない。すなわち、主張にもっとも不利になる事項こそ真っ先に取り上げて、それについて科学的に検討し、疑問点を明確にしなければならないはずだ。それをしていないばかりか、意図的に、STAP細胞はES細胞であるという結論に有利なことだけを取り上げている。科学誌の書き方としては間違いであると思う。特に、STAP細胞の存在について相沢氏が述べた(科学者としてはお答えできない)ということを無視したのは、変である。その原因が(「今回の検証は、科学のやり方ではない。」や(予想をはるかに超えた制約の中での作業)にあるのか否かを「Newton」は科学的に検証するべきであっただろう。これでは、権威(理研は日本の科学界の権威である)の意向のままに記事を書くという姿勢に思われても仕方がないだろう。まさか、理研に尻尾を振っておけば今後とも雑誌は安泰だということではないだろうが。

この記事は、論文としては、コピペ以上に正しい書き方ではなさそうである。

2015年2月10日に理研は小保方氏などの処分を発表している。以下( )内朝日新聞の記事の引用(昨年1月に英科学誌ネイチャーに発表され、7月に撤回されたSTAP論文では、2度にわたって設置された理研の調査委員会で画像の捏造や改ざんなど小保方氏による計4件の不正が認定された。就業規定では小保方氏は懲戒解雇か諭旨解雇にあたり、堤精史人事部長は「社会的影響の大きさを踏まえて判断した」と説明した。)

これにも、STAP細胞が存在しないのに作ったと嘘をついたということは一切ない。STAP論文の一番重要な点は、STAP細胞が作れたということである。論文の書き方のうまい下手ではない。コピペの問題ではない。ところがここでもSTAP細胞の存在を抜きにして理研は発表している。そして、「社会的影響の大きさを踏まえて判断した」ということである。STAP細胞の有無より、マスコミがどれだけ騒いだか(社会的影響を作った)を重要視している。

この社会的影響の一翼を担っているのが、Newtonの記事である。理研のやりたいことをさきどりするかのように、STAP細胞を否定している。理研は言っていないにもかかわらずである。世間は、理研が言ってもいないのに、STAP細胞がないと思いこんでいる原因である。

これは、かつて、ガリレオを否定したその当時の社会や科学者と同じである。ダーウィンの顔を猿に似せて書いた風刺画の記事と同じである。権威に迎合していると思われても仕方がない。

 

噂話に尾ひれがつくのは世間によくあることだが。これは噂話ではない。「Newton」が意図的に尾ひれをつけたとしたならひどいことだ。本当だと信じたのなら、科学の方法をもう少し勉強する必要がある。