がんばれ小保方晴子さん17
マスコミの対応
著者 高田敞
マスコミは、最初のSTAP細胞の発表は小保方万歳だった。しかし、切り張りがネットに載ったというころから、小保方不正になり、今は小保方は詐欺師だ一辺倒になっている。
それが真実だとマスコミはいうのだろうが、そうだろうか。それについての疑問は今までに書いた。
ようするに、STAP細胞の存在を肯定する論文は小保方氏がネイチャーに提出した。それをネイチャーの世界一流の科学者が認めた。理研も、それを認めて、世界各国に特許の仮申請をしている。論文と特許は違うと訳の分からないことを言っている。論文が不正ならSTAP細胞はない。STAP細胞がなければ高い金を出してSTAP細胞の特許を取ったって何もならない。ないものはないのだから。STAP細胞があるのなら小保方氏に不正をする必要はないのだから論文に不正はない。論文と特許は表裏一体なのだ。そして理研は再生実験を繰り返している。論文を撤回させたのだから、今さら再生実験の必要はないはずだ。全否定したのだから。
理研は不正を叫んで小保方氏を引きずりおろしたのに、STAP細胞はあると信じている。
反対にSTAP細胞がないということは、だれが証明したのか。どこにも何もない。切り貼りや、コピペや、実験ノートの不備は、STAP細胞を否定するものではない。また、理研の審査員の8割がやっていたというのだから普通のことだ。彼らの、実験ノートを調べてみるといい。現実に論文が提出されたとき実験ノートまで調べることはいったいどれくらいあるのだろう。
STAP細胞はES細胞の可能性がある、という発表も、可能性があるというだけで、そうだと断言していない。可能性だけでは否定できない。
例えば、自動車を運転する人は交通事故を起こす可能性がある。あなたは交通事故を起こす可能性がある。あなたは昨日の交通事故を起こした人だ。といわれたとする。どのように反論することができるだろう。自動車を運転する人は交通事故を起こす可能性がある、を否定できない。あなたは交通事故を起こす可能性がある、も否定できない。するとあなたは、交通事故を起こした人になってしまう。可能性、とうのは、一般論だから否定できない。うまい手だ。それでSTAP細胞を否定している。犯人だとするには特定しなければならない。たとえば、事故現場に落ちていたライトの破片があなたの車の壊れたライトに一致した。事故現場にあった防犯カメラの事故の映像の車のナンバーとあなたの車のナンバーは同一だ、と特定しなければならない。STAP細胞も同じだ。STAP細胞はES細胞と同じだと特定しなければならない。そしてその証拠を提出しなければならない。そして、そののち、小保方氏の提出した、STAP細胞を証明する証拠と比べてどちらが正しいか判断しなければならない。どちらが嘘をついているかを調べなくてはならない。
他に、多くのSTAP細胞はES細胞ではない証拠は、論文で、小保方氏が提出している。証拠の量と、質で、小保方氏の方が圧倒している。
ところが、マスコミはSTAP細胞否定の報道しかしていない。なぜなのだろう。少しはSTAP細胞存在の可能性という報道をしてもいいと思うのだが。合理的に考えれば、STAP細胞があるという証拠の方が多いのだから。なぜSTAP細胞はノーベル賞を取る可能性があると、小保方氏を応援しないのだろうか。
褒め言葉がのどに引っかかっている間に悪口は地球を半周する、ということわざがあるという。悪口に同調するのはたやすい。褒め言葉に同調するのは難しい。しかし、マスコミは、真実を報道しなければならない。なにが本当かをもう少し丁寧に客観的に考えて、公平な立場で報道することが必要なのではと思う。みんなが悪く思っている(マスコミがその世論を仕組み作った)ことを褒めると、クレームの嵐になる、売れなくなる、とかいうことを考えてのことではないと思うが、もう少し客観的に判断して報道してもいいのでは。
STAP細胞はノーベル賞をとれる一大発明なのです。近年まれに見る発想と、研究なのです。再生医療の未来を明るく照らす大発明なのです。それを切り貼りだって、実験ノートだって。マスコミは何を見ているのだろう。木を見て森を見ずとか、ことわざにある。それだけならいいのですが。それにかこつけて、本当のことを知らんぷりしている、とか。もちろん陰謀など一つもないと思います。日本の科学の中心の理研が、人を嘘つき呼ばわりして世間から葬り、その人の研究成果を横取りするなどということは絶対ないと思う。ましてマスコミがそれに乗せられるなどということはないでしょうし。
STAP細胞の素晴らしさと、それを発明した小保方氏の素晴らしさが正当に評価される日が来ることを願っています。