がんばれ小保方晴子さん7

     



 理研再生研 研究不正にいたった経過と背景について発表(朝日新聞6
/13

(以下{ }内は上記新聞の引用)

著者 高田敞

問題

{理化学研究所が設置した外部有識者による改革委員会は12日、研究不正にいたった経緯と背景を分析し、再発防止策を盛り込んだ提言をまとめ、公表した。}

考察

 研究不正にいたった経緯と背景を分析して提言したということが、改革委員会が行ったことである。

 ところが、この提言では、一番肝心な、小保方氏が不正を行ったということの証明がなされていない。小保方氏が不正をしたということを前提としているが、不正があったということはまだ誰もどこででも証明されていない。声高に不正をしたと言っている人たちがいるが、それはその人たちの一方的な意見で、公正な人たちによる公正な裁きによって、不正が認定されたわけではない。したがって不正があったということはまだ確定していない。外部有識者の改革委員会は、不正があったと言っている理研と、不正はしていないという、小保方氏双方の意見を聞き、論文や反論などを検証して、公正な立場で、まず不正があったかどうかから調べるべきではなかったのではないだろうか。

改革委の上げる不正の証拠というのは、およそ3つある

 @映像貼り付け、Aノートの不備、B改革委が指摘している、{理研統合生命科学研究センターの遠藤高帆・上級研究員らが、別の万能細胞(ES細胞)だった疑いを指摘していることがわかった}くらいである。理研側の意見のみである。

 このことが、小保方氏が不正をしたという証拠になるのか検討してみる。

 小保方氏が不正をしたとすると、それはSTAP細胞がない時である。STAP細胞がないのに、あるように見せかけるために不正を行った、ということだ。それを基準に考えてみる。

@映像貼り付け

 小保方氏は、見やすくするためだと言っている。

理研等は、切り張りはルール違反だと言っている。

この二つから、切り張りは不正だといえるだろうか検討してみる。

現実には切り張りは日本の科学者の間では普通に行われていたようだ。理研の調査委員会の5人のうち4人が切り張りをしていたということだ。おそらくこの5人は日本では優秀な科学者であるだろうと思われる。その8割の人が切り張りをしていたのだから、切り張りは、日本の科学者の間では普通のことであったといえる。このほかにも、ノーベル賞科学者の山中氏も切り張りをしていたということだ。調査委員会の8割の人がしていたのに、その人たちが、切り張りは不正だというのはおかしいのじゃないだろうか。自分たちのは良いが小保方氏のだけは不正だというようだが、その根拠を明白にしなければならない。自分のことは棚に上げて、ということではないのだろうか。それともたんにあら探しの一環なのだろうか。それとも何かその裏にあるのだろうか。

何にしろ、切り張りは、STAP細胞があるときは、単に見やすくするためである可能性が非常に高い。STAP細胞がない時は、ごまかすための不正だといえるから、判断はSTAP細胞の有無にかかってくる。ところがSTAP細胞の有無は、決定していないから、これを不正だと断じることはできないことになる。ただ、ネイチャーはSTAP細胞はあると考えた。理研もあると考えているようだ。改革委だけが、ないと言っているようだ。

Aノートの不備

このことも不正であるとはいえない。天才が、些末な事務に時間を割くより、実証に力を入れるということはあり得ることだ。小保方氏も、STAP細胞を作ることに心血を注ぎ、ノートを丁寧に書くことをおろそかにした可能性がある。不正だというなら、小保方氏が実際の実験をしていないからノートが不備である、という不正の証明をしなければならない。ところがそれは行われていない。ただ、ノートの中身が少ないということだけしか述べていない。

これを持って不正とは言えないし、不正の証拠としては、あまりにも貧弱だ。

BSTAP細胞はES細胞の疑いがある。

 STAP細胞はES細胞だった疑い、ということだが、疑いは証拠にはならない。特に、科学では、疑いがあればさらに実験などを行って、はっきり確定しなければならない。否定するなら、STAP細胞はES細胞である、と言いきらなければならない。そしてその証拠を示さなければならない。

 小保方氏とそのチームは、STAP細胞を作ったと明言し、その証拠を、明示し、論文としてネイチャーに提出した。

 この論文はネイチャーの審査員が審査して、STAP細胞があると考えた。また、理研は、8月以降のどこかで、STAP細胞の論文を再提出するという計画を立てている。これは理研もSTAP細胞の存在を肯定しているということと受け取れる。

 世界のネイチャーと、理研が、STAP細胞の存在を小保方氏の論文を見て肯定している。それを否定するなら、その人は正式な論文で、STAP細胞はES細胞であるとはっきり述べ、その証拠を示さなければならないはずだ。

 STAP細胞を作った、その証拠は之だ、と小保方氏らは、提出した。半論者も、STAP細胞はES細胞である。その証拠はこれだ、と論文で提出するのが筋だろう。そのときはどちらかが嘘をついていることになる。責任の所在ははっきりする。それを、可能性があるなどと言って、責任をあいまいにした態度でいる。後で、STAP細胞ができたとき、「いやあ、可能性を言ったまでで、ES細胞だとは言っていませんよ」と逃げ道を作っているとしてら、ひどいやり方だ。

これを言っている、遠藤高帆氏は、理研統合生命科学研究センターの上級研究員だ。したがって、その所属する理研が、STAP細胞を作って、論文を再提出するという計画をたてていることを知っているはずだ。それは、理研が、STAP細胞が存在すると考えている、ということを知っているということだ。それなのに、STAP細胞はES細胞の可能性があると発表するのはどういうことなのだろう。理研内部で、意見が分かれているということなのだろうか。まあ、小保方氏も理研の一員であるのだから、内部分裂ということなのだろうか。形はそうだ、小保方氏の所属していた再生研が理研の中でまま子扱いされているようだ。

他にもある。胎盤の問題も似ている。ES細胞は胎盤を作れない。そして、STAP細胞のつくった胎盤の写真がある。これに対して、他のものも胎盤のように映ることがある、という反論があった。これもひどい話だ。人は犯罪を犯す可能性がある。だから「あなた」が犯人でないといえない。などというたぐいの言いがかりにそっくりだ。人は犯罪を犯す可能性がある、に対しての反論はできない。反論できないと「あなた」は犯人にされるのだろうか。こんな理由で犯人にされるとなると大変だ、だれでも犯人になってしまう。

小保方氏らの論文で、これはSTAP細胞からできた胎盤の写真だと言っているのだから、反論するなら、これは胎盤の写真ではなく○○の写真です。と言いきって、それの証拠写真を提出するべきである。そしてどちらが、正しいか、正面から対決するべきだ。どちらがインチキを言っているのか。他のものも、胎盤のように映ることがある、といった人は何の責任も取っていないだろうと思う。いちゃもんつけただけだ。

 

改革委はこのことを、しっかり審査したのだろうか。

これらのあやふやな意見から推量して、ネイチャーに提出した小保方氏の証拠付きの論文を不正(嘘)だと認定した根拠を、改革委は公にしなければならないのではないだろうか。