がんばれ小保方晴子さん5
{男女が生きる}(朝日新聞7/9)
{隠れた意識に向きあいたい}
著者 高田敞
({ }内は上記新聞からの引用)
問題1
理研が設置した「外部の有識者でつくる改革委員会」の委員の話である。
{しかし、採用に加え、その後の論文のチェックの甘さなどには、彼女の若さや容姿が影響した、と複数の委員は見る。「50〜60代の男性研究者は(若い女性に)免疫がない。若さやかわいさが大きな要因になっていた」。ある委員は語った。}
考察1
{彼女の若さや容姿が影響した、と複数の委員は見る。}
この見方の根拠はあるのだろうか。証明はできているのだろうか。委員はこの見方をした根拠を公に示さなければならない。責任を持って。
女性が成果を上げると、あれは美人だから得したのだ、という陰口がきかれることがある。女性は美しい女性であると正当な評価をしてもらえない。いい仕事をしても、美人だからと過小評価されてしまう。日本における女性蔑視の一つのかたちである。それと同じパターンである。そうでないというのなら、容姿が採用に影響したという証拠を{複数の委員たち}は示さなければならない。もちろん署名入りの責任ある論文でないとだめだ。そうでないときは単なる陰口にしかすぎない。新聞に載るということは、言われた人の全生活を大きく左右する。いま小保方氏は家族共々ひどい目にあっている。犯罪人扱いだ。裁判もなしに。
証拠はないでしょう。{複数の委員}たちの単なる思い込みではないのでしょうか。そして、そういう考えをなんの考慮もなく受け入れる人たちがたくさんいる。この記事を書いた記者もそうだし、この記事にOKを出した、朝日新聞の編集員の人もそうだ。女性蔑視の記事を書く人がどっぷりと骨の髄まで女性蔑視に浸かっていて、自分が女性蔑視をしていることに気づいてさえいない。日本が、男女同権において、世界の国の104番目であることの根源の一つである。
考察2
{「50〜60代の男性研究者は(若い女性に)免疫がない。若さやかわいさが大きな要因になっていた」。}
これにも根拠はないでしょ。証拠も何一つないでしょう。
(1)
{「50〜60代の男性研究者は(若い女性に)免疫がない。」}という証明はあるのでしょうか。どの学術論文ですか。示せますか。
(2)
上の考えは一般論です。これが、採用担当の人事委員会の誰に当てはまるのか特定できていますか。全員がそうだとい言いたそうです。その根拠はあるのですか。ないでしょう。単なる憶測にしかすぎないでしょう。採用担当の人を根拠も証拠もなく「スケベおっさん」呼ばわりするのは陰口とそっくりである。
問題3 採用人事について
採用の根拠に二つが書かれている。
@{人事の焦点が、STAP細胞という大発見の可能性にあったのはもちろんだ。}
A{若さやかわいさが大きな要因になっていた}
考察
どちらが採用の根拠か考える。
これを考えるのに、参考になる採用がある。ネイチャーのSTAP細胞の論文採用だ。
ネイチャーはSTAP細胞の論文を採用するとき、小保方氏の{若さやかわいさが大きな要因になっていた}だろうか。私は否と思う。STAP細胞論文を審査したネイチャーの審査員は誰か小保方氏は知らないはずだ。論文執筆者からさまざまな働き掛けが審査官にあることを防ぐために審査官は秘密にされている。だから、小保方氏が審査員に割烹着やフレアスカートを着て{若さやかわいさや}で働きかけることはできなかったはずだ。審査員が小保方氏の写真を見たとしてもそれで心が動かされることはないと思われる。ネイチャーの審査員になれたのに、容姿で審査したら、審査員を首になる。審査員はその分野の世界の一流の人が複数でなるという。男女は不明だ。
以上から、ネイチャーは、STAP細胞の論文を小保方氏の容姿で採用したのではなく、論文の中身だけで採用したといえる。STAP細胞の論文はそれほど素晴らしい成果だと考えたのだ。
日本の採用人事委員の方はどうだろう。やはり、{人事の焦点が、STAP細胞という大発見の可能性にあった}のではないだろうか。実際、小保方氏はSTAP細胞の研究を完成させて、ネイチャーに論文を載せている。日本の採用人事員も、ネイチャーの審査員と同じように、STAP細胞は素晴らしい、完成したらノーベル賞を狙えると考えたのではないだろうか。小保方氏くらいの容姿の女性は日本に五万といる。しかし、ネイチャーに論文を載せた科学者は日本に何人いるだろう。素晴らしい快挙なのだ。
もし、STAP細胞が嘘だとしたら(これはまだ誰も証明していない。理研は今、7月中旬でもあると思っている)ネイチャーの審査員もだませるほど巧みな嘘であったのだ。日本の採用人事員もだまされた可能性が十分ある。その場合も、容姿で採用したのではないといえる。
容姿で採用したなどというのは陰口レベルの言いがかりである。その根底に女は能力がない分容姿でカバーする、とか、おじさんは若い女性に弱いとかいうクダラナイ女性蔑視の考え方がしっかりうずもれている。
小保方さんの名誉のために言うが、私は、小保方氏のSTAP細胞は存在すると考えている。理研も現時点でSTAP細胞はあると考えている。反対に、いろんな反論があるが、科学的にSTAP細胞の存在を否定できたものはまだ存在しない。ES細胞の可能性がある、等の疑問は出されているが、疑問にしかすぎない。世間のうわさ話はそれでいいかもしれないが、科学は、疑問形ではだめだ。STAP細胞はES細胞であると言いきらなければならない。そして、その証拠を論文で提出しなければならない。ところがそれを提出した科学者はいない。STAP細胞があれば小保方氏は論文に不正をする必要はない。切り張りもコピペも、実験ノートも、天才がよくやる初歩的ミスにしかすぎない。
STAP細胞があるなら素晴らしい快挙だ。日本の沢山いる科学者の中から、世界の科学者がまた一人でることになる。人事委員会の目は節穴ではなかったということだ。反対に「外部の有識者でつくる改革委員会の委員」の目が節穴であったということだ。
私は、小保方氏が採用されたのは、{若さやかわいさ}ではなく、{STAP細胞という大発見の可能性にあった}と思う。
人事委員会は、若くてかわいいお茶くみを雇ったのではない。しっかりした、ひょっとしたら、ノーベル賞級の成果を出す可能性がある人として小保方氏を採用したのだと思う。実際ネイチャーに論文を載せたのだ。サッカーで、日本代表チームが予選を勝ち上がり、本選に進んだのと同じなのだ。サッカーは本選で敗退したが、小保方氏は今後勝ちあがり、ノーベル賞を取るかもしれない。何故日本の科学者やマスコミは、みんなで足引っ張りをしているのだろう。サッカー日本代表に対したように応援するのが本筋だと思うのだが。せめて足引っ張りはよしたら、と思う。小保方氏が記者会見で{ひざ上丈のフレアスカートがふわりと揺れ}たのが、気にくわないのだろうか。そのとき、地味なリクルートファッションだったらよかったのだろうか。それとも、いっそ、モンペだったらみんなに気に入られたのだろうか。容姿やら、割烹着やら、フレアスカートやら、問題にすることが完全に間違っている。その観点から「外部の有識者で作る改革委員会」も取材を受けた科学者も考えている。この記事を書いた記者も編集した朝日新聞の人もその観点だ。根底に、女性蔑視がどうしようもなく淀んでいると私は考える。この{男女が生きる}という記事を書いている朝日新聞の記者はどう考えますか。
問題3
{STAP細胞の研究不正を検証した、外部の有識者でつくる改革委員会(岸輝雄委員長)は、・・・小保方晴子氏の採用を「信じ難い杜撰さ」と指摘した。}
考察
小保方氏と同時に男性3人女性2人が採用されている。小保方氏以外の4人の採用もやはり杜撰だったのだろうか。なにも述べていない。
小保方氏は、ネイチャーに論文を載せた。他の4人はどのような成果を上げたのだろう。それはわからないが、大きなニュースにはなっていないことからネイチャーにはまだ載せられていないのだろう。
成果を上げた人を採用したのが杜撰なら、成果をいまだ上げていない後の4人を採用したのは何と言えばいいのだろうか。成果を上げていない後の4人の採用こそ、審査しなければならないのでは。
問題4
{採用審査には通常賛否両論が出るが、小保方氏の場合は全員が賛成した。}
{過去の論文を精査しないなどさまざまな手続きを省略、人事委員会の面接だけで内定したからだ。}
考察
過去の論文を精査し、英語や算数や社会や諸々のテストをし、その結果「あなたのSTAP細胞の構想はとても素晴らしいです。ノーベル賞級です。しかし、過去の論文がありません、また算数と社会と英語のテストが悪いです。ですから不採用です」というのが、立派な採用ですかね。
「あなたの、研究構想は、まあみんながよく考えることです。でもあなたは、いままでそれなりのミスのない論文を書いています。算数も社会も英語もいい点を取っています。だから採用します」というのがいいのですかね。
{全員が賛成した}のは、ネイチャーに論文の載せられる研究(日本ではなく世界に通用する研究)になるだろうと、採用審査員は考えたからではないだろうか(実際そうなったのだから、そう考えたとしたら当たっていた)。{若さやかわいさ}ではなく。全員が小保方さんの美貌にメロメロになって採用したなんて考えられない。もしそうなら必ず反対者が出るはずだ。
女性が採用審査員に入っていたら変わったとか言っている。{高橋氏は「かわいい小保方さんじゃなかったら、ずいぶん経過は変わっていただろう」と4日の記者会見で語った。」とかいうが、そうだろうか(高橋氏は女性科学者)。採用審査委員の男たちは全員そろってそんなに判断力のないバカでスケベと考えているのですか。男はみんな女性の魅力に左右されて、本質を見誤るというのは、それこそ、男性蔑視であり、女性蔑視であり、男尊女卑を生む根源の考え方だと思う。
高橋氏が採用委員会に入っていて、小保方氏がかわいいから採用しないと言い張ったら、今STAP細胞は生まれていない。STAP細胞はあると理研の人たちは今も蔭では考えている。
問題5
{ある委員は「女性、例えば高橋(政代)さんらがいたら(採用段階で問題点を)見抜けたかもしれない」という。}
考察
どのような問題点なのだろう。{ある委員}はそれを明記しなければならない。非常に無責任な発言である。小保方氏の問題点を指摘できなくて、ただ問題点があるというのは誹謗中傷である。
新聞読者は、小保方さんには問題点があるのだと思ってしまう。{ある委員}はどんな問題点があるか何一つ分かっていないのに小保方氏には問題があると言っている。根も葉もない誹謗中傷である。{ある委員}は、なにが問題点なのか。その証拠はどれなのか、示さなくてはならないはずだ。まさか{若さやかわいさ}ではないでしょうね。では何なの?不正?採用面接のときにはまだ論文はなかったのだから不正は行われていなかった。小保方氏はSTAP細胞ができないと思ってるのに、採用されたいから、STAP細胞があるように言葉巧みに審査員を騙した、という仮説を立てよう。高橋氏はそれを女性だからという理由で見抜けたか。これを見抜くのは性別ではない。男たちは{若さやかわいさ}に目がくらんでそれが見抜けなかったというのは根も葉もないことだ。ネイチャーの審査官が男か女かわからないが、彼らは目がくらんでいないのに論文を採用したのだから、見抜くのは至難の技だったろう。まして女性だから見抜けるということはない。
このことから、この{ある委員}は、女性が採用委員に入っていれば、{若さや、かわいさ}で判断するのではなくちゃんと判断できたと言いたいと推測される。この{ある委員}こそ、女性を外見で判断している女性蔑視の人だといえる。
問題6
「外部の有識者でつくる改革委員会」の人たちは、STAP細胞がないということを前提に話を進めている。
考察
STAP細胞がないことは証明されたのだろうか。否であると私は考える。今のところ、STAP細胞否定の証明は報道されていない。疑問はいくつかある。しかし疑問は疑問にしかすぎない。疑問があればそれを検証し、確定した結論を出すのが科学である。それがまだできていない。理研は、ネイチャーが小保方氏の論文を撤回すると発表した途端に小保方氏を呼んで、STAP細胞の再現実験をするという。そして、8月以降に論文再提出をするという。論文再提出は、STAP細胞が8月以降に再現できると考えているということだ。STAP細胞があると理研は考えているということだ。STAP細胞があるなら、小保方氏は不正をする必要は100%ない。
STAP細胞論文取り下げは、ネイチャーが世界に呼び掛けた検証実験の結果が出てからでも遅くはない。またそれが科学本来のやり方だ。
それを無視してSTAP細胞の存在を信じていながら、不正だと声高に叫んで、権威で脅かして論文を撤回させ、白紙に戻してから、今度は自分たちで論文を提出しようとしている理研は、何を考えているのだろう。「外部の有識者でつくる改革委員会」の人たちは、小保方氏はかわいさで男をだましたなんてあてこすりをするより、そのことをしっかり考える必要があるのではないだろうか。
この記事の記者も{男女が生きる}を書いているのだから、フレアスカートや小保方さんがかわいいなんてことを嬉しそうに書くのではなく、もう少し本質を考えてもいいんじゃないだろうか。人々の根底にある、動かし難い女性蔑視の感情に乗っかった受けのいい記事を書いていればみんなも安心するだろうけど、そこを揺るがさなければ、男女同権に関して日本は世界の104位から上がることはできないのではないだろうか。
また、学界の言うとおりに、小保方不正を言っていればどこからも文句は来ないかもしれないが、理研は何故、論文撤回を急ぎに急いだのか、STAP細胞の論文を秋に提出しようと計画しているのかについて、疑問を持つべきではないのだろうか。小保方氏に論文を撤回させなければ理研の論文の再提出計画の方が白紙になる。検証実験では論文は提出できない。論文再提出のときの筆頭にだれがなる予定なのか。STAP細胞の権利はだれのものになるのか。小保方論文が撤回されない間は、権利は小保方氏と、共著者のものだった。それが撤回で白紙になっている。今後STAP細胞があったときに生じる大きな利権と栄誉はいったい誰のものになるのか。常識では小保方氏と共著者のものであるが、その常識は科学の世界で通用するのだろうか。論文撤回をごり押しした人たちがその中に潜り込むことはないとは思う。だけどそのあたりをどのように当事者たちは考えているのか、現実の権利は今だれのものなのか考えてもいいような気がする。
2014年7月10日 高田敞記