「重力とは何か」について目次
量子は不確定は本当か
重力波は本当に時空の波か
「重力とは何か」(大栗博司・幻冬舎新書)について28
著者 田 敞
(以下、{ }内は、上記本よりの引用)
不確定性原理
{「不確定性原理」は、一つの量子状態は固有の位置と速度を同時に持つことはないという原理です。}
{ファインマンの経路和にしろ、シュレディンガーの思考実験にしろ、量子力学ではさまざまなことが「はっきり決まらない」ということがおわかりいただけたでしょう。}
問題1
不確定性原理によると{粒子の「速度」と「位置」を同時に定めることはできません。速度が正確に決まっている粒子の位置は「不確定」であり、逆に位置を決めようとすると速度がわからなくなります。}
考察
これは、人は{粒子の「速度」と「位置」を同時に}測定することができないということです。粒子の「速度」と「位置」が、実際に同時には存在しないということではありません。測定の問題であって、実際の現象の問題ではありません。これを意図的に混同させています。
新幹線で考えてみます。新幹線の速度を測ると、位置はやはり不確定になります。速度を測るには、新幹線はA点からB点に移動していなければなりません。ところが、位置がA点に確定すると、新幹線はA点に停止していることになるので、速度は測れないので速度が不確定になります。
速度を計るときには、新幹線の位置はA点とB点を移動しているので位置は不確定になります。
不確定性原理は量子の世界だけのことではありません。普通の世界でも起こっていることです。
それでは普通の世界では不便で困るのではないかということですが、そんなことはありません。測り方の問題なのですから、別々に測れば済むことです。新幹線のA点の位置を測ります。次に、B点の位置を測ります。その間の所要時間を計ります。そこから計算したら速度が出ます。何もむりやり同時に測らなくてもいいのです。今はドプラー効果を使って、速度を測ります。位置はほんの少し移動するでしょうが、ほとんど誤差の範囲で測れます。速度と位置を同時に測らなくても、新幹線はちゃんと、東京を出て、時間どおりに神戸につきます。途中で位置が不確定になって新幹線が消えたり、不確定だからといって、速度が、突然120キロになったり、240キロになったりはしません。場所も東京だったと思えば、静岡だったり、岐阜だったりはしません。もちろん人間には測定できなくて不確定でも、走っている新幹線の速度や位置が不確定になったりはしません。ちゃんと線路の上を走って、運転士の操縦どおりに決められた時間に駅に着きます。
列車ではダイヤグラムという表で、列車の時時刻刻の速度と、位置をグラフに表しています。粒子の位置も速度もグラフに表すと分かるのではないでしょうか。ダイヤグラムには加速減速がないから正確ではないというかもしれません。しかし、必要ならば加速を正確に表すことは可能です。今は素晴らしいコンピューターがあるのですから、シムレーションすればいいのです。
同時に計らなくてはならないという理由は何なのでしょう。不確定性原理を作るためです。理論を成立させるために理論に都合の良い条件だけに限定して設定しているだけです。
量子の世界でも、速度を計るためには、A点とB点の正確な位置を測る必要があります。{速度が正確に決まっている粒子の位置は「不確定」であり}とありますが、速度が正確に決まっているのですから始点の位置と終点の位置が正確に決まったということです。位置は確定しています。反対に始点と終点の位置と時間が正確に測定できたなら、粒子の速度が決まっているということです。
物質は止まることはありません。それは時間が止まらないからです。測ったとたんに物質はその位置から移動しています。時間も移動しています。量子も、マクロの物質もそれは同じです。だからといって、物質に位置が存在しないことではありません。速度が消えることではありません。時間が停止しないように、物質も停止しないだけです。
問題の持っていきどころが違うのです。量子論の問題は測り方です。同時に測れないといっているだけです。量子に問題があるのではなく、人の測り方に問題があるといっているだけです。不確定なのは、量子ではなく人の測り方の方です。それを量子のせいにしているだけです。濡れ衣です。
問題2
{この原理は粒子が「粒」と「波」の性質を併せ持っていることから理解できます。}
{速さを知るために波長を正確に計ろうとすると、どうしても「位置」に幅ができてしまい、粒子がどこにあるのかを正確に決めることができないのです。逆に、「位置」を正確に決めた場合、波の1点を見ているだけですから、波長は分かりません、したがって、速さも分からないのです。}
考察
これも、上と同じです。水の波を考えても同じことが言えます。水の波の波長を測ろうとすると、位置が決められず、位置を決めると、波長が分からないのは、水の波でも同じです。
不確定性原理はこのように、ミクロの世界だけに限ったことではありません。マクロの世界でも同じことが言えます。それは測り方の不確定であって、物質の不確定ではありません。
ではこの世界は不確定性原理であるのかというと、そうではありません。東海道新幹線はちゃんと東京神戸間を時間通りに走っています。速度を計ったら新幹線の位置が不確定になって、北海道に飛んで行くなんてことはありません。波もちゃんと浜辺に打ち寄せています。波の波長を計ったら、波の位置が分からないから、波は、ハワイに打ち寄せているのか、三浦半島に打ち寄せているのか、はたまた富士山に打ち寄せているのか不確定になるなんてことはありません。大洗に打ち寄せている波の波長を計ったら、波の位置が不確定になって富士山に打ち寄せた、なんてことはありません。もちろん、銀河系を3周してくるなんてことはありません。サーファーは波の高さを見ながら見事に波をとらえて乗ります。位置も速度も分かっています。時間経過があるから?そのとおりです。時間は止まりません。位置も止まりません。
おなじように量子の世界も、ちゃんと、位置も速度も存在します。マクロの世界の物質はすべてミクロの素粒子でできているのですから、ミクロの物質の位置が不確定では、不確定が集まったマクロの世界は不確定が増幅して収拾がつかなくなります。位置が不確定だからといって、体を作っている電子が、月に行ったり、火星に行ったり、隣の人の体に行ったりはしません。体中の電子が勝手にどこかに行ったら身体は成立しません。 この世界がちゃんと観測できるということは、ミクロな世界もちゃんと位置も速度もあるべきところにあり、同時にあるべきところをあるべき速度で動いているということです。
これも計り方の方に問題があるので、ミクロの素粒子に問題があるのではありません。
問題3
{時間とエネルギーの不確定性}
{粒子のエネルギーを正確に測定しようとすると時間が不確定になり、時間を正確に決めればエネルギーが不確定になってしまうのです。}
考察
時間は止まることはありません。したがって、物質も止まることはありません。動きの中で計るしかありません。それを止めようというのですから、自然の摂理に反しているのです。止めるのは人間の思考の中だけの仮定です。時間が特定できた、とか、エネルギーを止めたとかは人間の必要に応じた思考です。
実際の時間も物資も流れていて止まることはないので、不確定といえば不確定です。だからといってそれで神戸行の新幹線が、ニューヨークに行くわけはありません。まして火星を回ってくることはありません。予定通りの速度で、予定の時間に神戸につきます。人間が測れないからといって、新幹線のエネルギーも、時間も変化することはありません。人間が分かるか、分からないかで、物質の運動は左右されません。時間や、物質の位置や、物質の運動は、人間が理解するかしないかとは無関係のたんなる物質の現象です。粒子も物質だから同じです。人間に測れなくても、位置も速度も、決まっています。時間が動いているので、粒子も常に変化しているから、止まっている状態が存在しないので、停止状態を測れないだけです。
問題4
{「不確定性原理」は、一つの量子状態は固有の位置と速度を同時に持つことはないという原理です。}
考察
位置と速度を同時に持たないということは、量子は、速度だけ持っているときと、位置だけ持っているときの二つに分かれるということでしょうか。位置だけの量子は少しは分かります。速度だけの量子はどんなものなのでしょう。
動いている物質は、つねに位置を移動しています。それだけのことです。位置を測った次の瞬間位置は変わっています。物質はもうそこにはありません。ある時刻にそこにあったということが言えるだけです。時間が流れているのですから、物質はつねに移動しています。時刻を決めれば位置を決めることができます。ふたつの時刻の位置が決まれば計算で速度が求められます。でも、平均速度です。
時間は止められません。だから物質の移動も止められません。止まらない時間と止まらない物質を測るのですから、位置を測ったとたんに物質は移動してそこには存在していないのです。それだけの現象です。
量子の世界でも同じです。人間がうまく測れないから(実際は測っています。量子論の人はあまりにも相手が小さいのでうまくはかれないので、理屈をこねているだけです)といって量子が法則のない運動をしているということはありません。物質は人間が見ようが見まいが、勝手に動いています。人間が天動説を唱えたときは太陽や月が地球の周りを回ったりしていたわけではありません。アンドロメダ銀河が、天の川銀河の中か外か人間にはわからなかったとき(わかったのはたった100年ほど前です)、アンドロメダ銀河が、位置が不確定で、銀河系の中と外の両方に有る、が重なっていたということはありません。同じように人間が量子をどのように見ようが量子の動きや存在には関係ありません。
問題5 ハイゼンベルグの不確定性原理
{位置を測定しようとすると、その行為が測定対象の速度を変化させるので、速度の不確定性を生んでしまうという、測定対象の限界(量子限界)に関する主張です}
考察
人間の測定方法には限界があるということです。これも量子の問題ではなく人間の測定技術の問題です。昔、野口英世が、黄熱病の病原菌を必死で見ようとしていたけれど、とうとう見えなかったということです。病原菌が、あの当時の顕微鏡の測定限界を超えて小さかったからです。では、当時見ることができなかったからといってそのウイルスがなかったり不確定であったかというとそうではありません。
今、はやりのコロナウイルスははっきり写真に取られています。いずれ何らかの方法で、量子も観察できるかもしれません。その時まで、量子は不確定で、観測できたときから量子は確定になるのでしょうか。人間が見る見ないと、量子の存在は関係ないことです。
量子を計るのに光を当てたら量子が動いてしまうから、不確定だというのは、測れないということだけです。測定対象の限界(量子限界)の問題、すなわち量子の問題ではありません。新幹線の長さを計るのに、100トンの巨大物差しを乗せたら、新幹線が潰れて測れなかったというのと同じです。物差しに問題があるので、新幹線の長さに問題があるのではありません。
結論
人間の測定技術の限界というだけです。測定対象の限界(量子限界)ではありません。もし、量子が不確定であったとしても、このことを証拠にして量子が不確定であるということはできません。