「重力とは何か」について目次 重力とは何か21 重力波   重力と時間の関係



「重力とは何か」(大栗博司・幻冬舎新書)について22


 著者 田 敞


(以下、{ }内は、上記本よりの引用)

 

{地球も半径9ミリまで圧縮すればブラックホールに}

 

1 シュワルツシルド半径と脱出速度 P130

・ {ある星の表面からロケットを打ち上げる場合、その速度が足りないと、星の重力に負けてしまうので「脱出」できません。・・・・その星の重力を振り切って飛びだすために最低限必要な速度―それが「脱出速度」です。}

・ {光速でさえ脱出できない星があるとすれば、それはきわめて密度が高いものでなければなりません}

・ シュワルツシルドは{アインシュタインの論文を読み、直ちに重力の方程式を解いて、脱出速度が光速になる天体の半径をわりだしました。アインシュタインは自分の方程式がそんなに簡単に解けるとは思ってもいなかったので、戦場から論文を受け取って驚いたようです。}

・ {この半径は、その100年以上前にミッチェルとラプラスがニュートン理論から計算したものとぴったり一致していました。}

・ {シュワルツシルドの解を使って導く方が厳密ではありましたが、ブラックホールの大きさについては、ニュートン理論とアインシュタイン理論は同じ答えを与えたのです。}

 

考察

1 ブラックホールは、相対論?ニュートン力学?

 シュワルツシルド半径は相対論から導き出したということですが、その100年前にミッチェルとラプラスがすでにニュートン力学から導き出しているということです。

ブラックホールは相対性理論から導き出されたというのが科学者の一致した意見ですが、ブラックホールはニュートン力学でも予言されていたということです。ということは、ブラックホールの予言の権利は、最初に導き出した、ミッチェルとラプラスにあるはずです。どちらもぴったり一致していた(注)というのですから、最初に見つけた人の権利のはずです。シュワルツシルド半径はミッチェルとラプラス半径というべきです。

このように、ブラックホールは相対論から出たという意見は、えこひいき以外の何ものでもありません。ニュートン力学は相対論の近似値であるという、相対論者の思い込み(言いがかり)がその根底にあるのではないでしょうか。ニュートン力学は相対論の近似値だということで、ニュートン力学の成果はすべて相対論が奪えることになります。かなりずるいやり方です。もちろん、ニュートン力学が相対論の近似値であるという実証はありません。このブラックホールもその顕著な例です。この場合も、{ニュートン理論から計算したものとぴったり一致していました。}とあるように、近い値ではないので近似値ではありません。それを根拠もなく近似値だと述べているのは言いがかりもいいとこです。どうしても近似値と云いたいなら、どこがどのような理由で近似値なのかを示さなければなりません。それができていません。

(注;{ぴったり一致し}たということは、近似値ではないということです。近似値なら誤差が出なければなりません。それがありません。{シュワルツシルドの解を使って導く方が厳密ではありましたが}とありますが、ぴったり一致しているのだから、どちらが厳密かの甲乙は付けられません。それなのに甲乙をつけているのは、ニュートン力学は相対論の近似値であるという、相対論者の「相対論は素晴らしい」という自惚れにとらわれているだけの勝手な考え方です。あるいは、ニュートン力学をおとしめて相対論を有利にするための言いがかりです。ここに書いてあるように、{ぴったり一致し}ていても近似値だというのは科学的判断ではありません)

もちろん、ブラックホールにおいて、相対論とニュートン力学では大きな違いがあります。

相対論では脱出速度のためにブラックホールからは光も脱出できないことになっています。しかし、ニュートン力学では脱出速度は物質にだけ適用されます。光は脱出できます。これは、万有引力は物質同士の作用で、質量のない光には作用しないからです。相対論とニュートン力学の根本的な違いです。このような違いがあるのに近似値と言っているのはおかしいのです。相対論者はそのことを言わなければなりません。それが言えないのは、相対論がニュートン力学を利用しているからです。絶対時間絶対空間のニュートン力学と相対時間相対空間の相対論は根本的に相反する考えです。それが近似値になるのはおかしいのです。それどころか{ぴったり一致し}ていることに不思議を感じないのです。なぜ同じ答えになるのでしょう。ニュートンは相対論を知りませんでした。アインシュタインはニュートン力学を知っていました。ニュートンは相対論をぱくることはできないけれど、アインシュタインはニュートン力学をぱくることができます。実際、相対論は、基本はニュートン力学です。根本は完全に互いに否定し合う考えなのに基本が同じとは変なことです。

2 脱出速度

この本ではロケットの脱出速度のことについて書いてあります。脱出速度とは、万有引力がある物質どうしが、万有引力で引き合うことによる現象です。

(注;私はニュートンの考えた万有引力(引く力)と、アインシュタインの考えた重力(重い力)は違うものだと考えています。簡単にいえば、万有引力は物質は引っ張る力を持っている。この力で物質は引っ張り合うというのが万有引力です。アインシュタインの重力は、物質は空間を曲げる、この曲がりに物質は重いから落ちる、ということで重力です。まるっきり違う考えです。したがって、相対論やビッグバン宇宙論では重力を使いますが、一般的なことでは万有引力を使います)ミッチェルとラプラスはニュートン力学で解いたということですから、万有引力の作用による物質の脱出速度のことです。光はこれには含まれません。なぜなら、光は質量を持ちません、万有引力も持ちません。したがって、万有引力で物質と引き付けあうことはありません。

この本では、万有引力のない光が、なぜ物質の脱出速度に縛られるのかの理由を説明していません。質量のない、したがって、万有引力を持たない光が、なぜ万有引力ではなく重力なら脱出できないのかの説明は必要です。光が落ちるとしたら、万有引力によるロケットの脱出速度とは全然違う仕組みのはずですから。実際、相対論の光が落ちる仕組みは相対論で物質が落ちる仕組みとは異なります。地球が公転する仕組みと、光が太陽の近くで曲がった仕組みの説明は相対論では異なっています。このことから、ロケットの脱出速度と光の脱出速度は仕組みが違うはずですから相対論内でも説明が必要です。

ニュートンの万有引力には光を含みません。万有引力は物質の持つ引力による物質同士の相互作用です。相対論の重力の作用には光も入っているからといって、異なるニュートンの考えを勝手に自分たちの考えに変更して近似値だというのは間違っています。異なる考えは異なる考えなのです。ニュートン力学は相対論の近似値であるから、ニュートン力学でも光は重力で落ちるというのは間違いです。そのときは、ニュートンが万有引力に光を入れなかったのは考え方が間違っていると云うべきなのです。そしてその根拠を述べなければなりません。

3 シュワルツシルドと相対論

これはシュワルツシルドが砲兵技術将校であったために解けたのでしょう。大砲の弾が万有引力によって放物線を描いて飛ぶ軌道を計算していたから、その弾が果てしなく飛ぶにはどの速度で大砲の弾を撃てばいいかを計算するのは、彼の職業の延長だったからでしょう。このことから、シュワルツシルドも、ニュートンの万有引力を基本としていたといえそうです。相対性理論で大砲の弾の軌道を計算していたはずはありませんから。そんな計算をしていたら日が暮れてしまいます。敵がニュートン力学で計算して、すばやく正確に射撃してきて、コテンパンにやっつけられることでしょう。

3 {光速でさえ脱出できない星があるとすれば}

ここまではロケットの話ですから、ロケットが光速で飛んでも星から脱出できないということです。ここまでは物質の話であって、質量のない光は関係ありません。ところが理由もなく光も脱出できないことになっています。光速だから光速で飛ぶ光も同じだというわけでしょうか。うまいやり方です。ロケットが光速でも脱出できない。すると光速は一致するから光も脱出できないということなのでしょう。しかし、肝心なことは、ロケットは質量があり、万有引力を持っているから、ブラックホールの引力と引き合うということです。しかし、光は光速でも、質量を持たないから万有引力は持っていません。ブラックホールの万有引力とは引き合いません。そこが肝心なことなのに知らんふりしています。たいがいの本はそうです。おそらく光がブラックホールから脱出できない理由を自信を持って科学的な説明ができないからなのではないでしょうか、などと勘繰ったりします。

また、相対論の重力でも光は物質のようには空間の曲がりには落ちません。光は質量がないから重くはありません。重い力では落ちません。相対論でも、光と物質では空間の作用の仕方が違うようです。

物質は空間が曲がってへこんでいるからそこに転がり落ちるというような説明です。ゴム膜に鉄球を乗せるとへこむ、そこの端にビー玉を乗せると転がり落ちるという比喩がよくつかわれています。重いからへこみ、重いから転がり落ちるということのようです。光の場合はこれとは仕組みが違うようです。物質は空間を曲げる。光はその曲がりに沿って飛ぶ。なぜなら、重力で曲がった空間は曲がっているけれどそれが直線であるから、ということらしいです。光は真っすぐ飛ぶ。だから真っすぐ飛ぶことが、重力で曲がった、曲がっているけど真っすぐな空間に沿って飛ぶことになる。曲がっていることが真っすぐだからというのです。そこで光は重力によって曲がって飛ぶ、ということだそうです。真っすぐ飛ぶのは曲がって飛ぶことだなんて、なんだか言葉遊びのようです。(これは、ニュートン以前、重いものは速く落ちる軽いものはゆっくり落ちるということによく似ています。物は重いから空間の曲がりに落ちるけれど、光は重さがない(軽い)から落ちないから、曲がった光に沿って飛ぶことにしようということです)

それはさておき、ブラックホールは極端に空間が曲がっているから光も曲がりすぎてブラックホールの外には飛びだせない、というようなことなのでしょう。このあたりのことを説明している本はほとんどありません。普通はロケットの脱出速度で説明をしています。しかし、それでは、上に書いたように質量のない光がどうして落ちるのかの説明にはなりません。肝心なことを抜かしているのは素人には説明が難しすぎるからでしょうか。重力は引力ではないのです。空間の曲がりなのです。この常識外れの考えを素人に説明するのはとても難しいと思います。空間が曲がる、というのは言葉では理解できても、実際に空間が曲がっている状態を想像することさえできません。もちろん絵に書くこともできません。だからゴム膜の比喩になるのです。

空間というものは実態はなにもないものです。なにもないものが曲がったり、光を曲げたり、地球を公転させたり、リンゴを落下させるのですから、よほど頭のいい人でなければ理解できないでしょう。それとも理解できないのは私だけでしょうか。空間はなにもありません。なにもないものは曲がっても何もないのは変わりません。何もないものがどのようにしてリンゴを落とすのでしょう。なにもないものがどのようにして、地球を太陽の周りを公転させているのでしょう。

まあ、めんどくさい話です。アインシュタインの言うシンプルイズビューティーはどこに行ったのでしょう。

 

補足

光が空間の曲がりで曲がるのを観測したのがエディントンです。実際に曲がっているのが観測されても、それは光にとっては真っすぐなのだそうです。(注:空間は重力が曲げる、だから、光を曲げるのは重力であるという理屈です。しかし、重力があってそれが空間を曲げているというのは飛躍があります。重力が先に有って、空間が曲がるといっているのではありません。最初に、物質が空間を曲げて、その曲がりに落ちるから、重力が発生すると言っています。それがいつのまにか、重力が空間を曲げるになっています。そうしないと、空間の曲がりに物質が落ちることの理由がないからです。)

なぜ、観測では曲がっているのに真っすぐなのでしょう。空間とはそういうものだということなのでしょうか。

ところで、空間はどのようにして光を曲げたのでしょう。実際に曲がって見えるのだから、空間が光に対して何らかの作用を及ぼしたのでしょう。何もない空間がどのように光に影響したのでしょう。

 

もうひとつは、空間の曲がりが重力だということです。空間が曲がるとなぜ重力を生むのでしょう。道路が曲がっても、球の表面が曲がっていても、山の斜面が曲がっていても、そこからはなにも力は生まれません。ただ曲がっているだけです。空間が曲がると、なぜ重力という力が生じるのでしょうか。(山登りをすると疲れます。力がいります。重力があるようです。しかし、これは山の斜面が生んだ力ではありません。地球と人が万有引力を持っているので引っ張り合っているからです。引力に逆らって離れようとするので、エネルギーが必要になるのです。位置エネルギーといいます。このエネルギーは山の斜面が曲がっているから生まれたのではありません。地球と人が引き合っている万有引力が生んだものです)

その仕組みについて、ゴム膜に鉄球を載せるとへこむ。その縁にビー玉を載せると鉄球が作ったへこみのために転げ落ちる。これが重力の仕組みである、という説明をよく見ます。空間に太陽がある。すると空間が曲がる。その端に地球を載せると、地球はへこみに落ちる。地球は速度を持っているから公転する。これが地球の公転の仕組みである、ということのようです。

しかし、ゴム膜と鉄球の仕組みと、太陽と空間の仕組みは似て非なるものです。

ゴム膜が鉄球でへこむのは、地球と鉄球が万有引力で引き合っているからです。ビー玉が転げ落ちるのも、地球とビー玉が万有引力で引き合っているからです。ゴム膜がへこんでいるからではありません。万有引力のない宇宙ステーション(本当は、万有引力と遠心力が釣り合っているので、引力が相殺されているだけ)の中では鉄球をゴム膜に載せてもへこみません。ビー玉も転げません。ゴム膜をへこませているのは引力なのです。まず引力がなければなりません。ビー玉が落ちるのにゴム膜はいりません。引力だけで十分です。

ではゴム膜の代わりに空間ではどうでしょう。

物質は空間を曲げる、という相対論を一応正しいとします。すると太陽によって空間が曲がります。でもまだここには力はありません。空間が曲がっているだけだからです。相対論では物質は空間を曲げることしかできないからです。だから太陽によって曲がった空間のへこみの縁に地球を乗せても地球は落下しません。お椀を考えるとよくわかります。お椀の縁にビー玉を乗せると転げ落ちます。これは万有引力がビー玉と引き合うからです。だからお椀がなくてもビー玉は落下します。お椀の曲がりはビー玉の運動と関係ありません。これを宇宙ステーションでやると、お椀がへこんでいるのにビー玉は動きません。なぜなら、万有引力が遠心力と相殺して働かないからです。ニュートン力学では、落下は引力で起こる現象です。曲がりは関係ありません。

一方相対論では、空間の曲がりが重力ということです。しかし、曲がりだけでは、物資は動きません。曲がりがへこみか膨らみかを決めることはできません。先ほどのお椀を伏せてみましょう。へこみではなく膨らみになります。膨らみもへこみも、万有引力があるから区別できるのです。万有引力がないと、へこみか、膨らみかを区別することはできません。宇宙ステーションでゴム膜を引っ張って湾曲させると、どちらが上か下かわからないので、膨らみかへこみか区別できません。ビー玉も転げ落ちません。ゴム膜の曲がりがビー玉を動かす力を生んだのではありません。ゴム膜が曲がってもビー玉は動きません。おなじように、空間の曲がりは曲がりだけですから力を生みません。だから、へこみがあったとしても、そこに落下することはありません。相対論では、太陽(物質)ができることは空間を曲げることだけです。だから空間は曲がっただけです。まだ重力(物を落とす力)は生まれていませんから、物は落下しません。物を動かすには力が必要です。曲がりにはその力はありません。ではどこから落下の考えが出てきたのでしょう。それはニュートン以前の考え方です。物は重いから落下する、です。へこみがあると、物は重いから転がり落ちる、です。そこにはエネルギー(力)の考えはありせん。重いから下に落ちる、です。空間の曲がりに地球は重いから落ちるです。これが重力、重い力です。万有引力の考えとはまるで違う考えです。

 

せっかく、ニュートンが、物を動かすには力が必要だということで、万有引力を考えたのに、アインシュタインが、重いから落ちる、という考えに戻してしまいました。リンゴは、空間が曲がっているからそのへこみに重いから落ちる、です。そこには力の考えはありません。残念なことです。いや落ちるのは引力があるからだ、というかもしれません。しかし、空間の曲がりがなぜ引力を生むかは述べていません。ゴム膜と鉄球の話は書いたように説明にはなりません。空間の曲がりが重力を生む仕組みを、ゴム膜と鉄球ではなく、空間と太陽で説明しなければなりません。

太陽が作った空間のへこみの縁にゴム膜にビー玉を載せるように地球を乗せるというのです。なにもない空間に重い地球をどうやって乗せるのでしょう。空間はよく破れないこと。燃え盛る太陽を乗せても破れないのだから、よっぽど丈夫にできているのでしょう。その丈夫な膜の上を地球は滑っているということのようです。摩擦はないのかしら。まあ、不可思議な現象です。

 

 もちろん、万有引力の原因は空間の曲がりであるという理論はニュートンの理論にはありません。ニュートンの万有引力は物質同士がもともと持っている引力です。(相対論は、物質がもともと持っているのは、引力ではなく空間を曲げる力です。曲がった空間が起こす現象が重力とのことです。万有引力は物質が持つ1次的な力ですが、重力は2次的な現象です)だから万有引力には質量のない光は含まれません。アインシュタインの相対論が重力は光にも作用するということとの決定的な違いです。本当は重力が作用するのではなく空間の曲がりが作用しているということのようですが。

重大なのはこれではありません。アインシュタインの重力とニュートンの万有引力の違いは、重力は光にも作用するけれど、ニュートンの万有引力は光には作用しないことです。これは、{厳密}さでも{近似値}でもなく、理論の明らかな違いです。これを問題にすべきです。ロケットの「脱出速度」がいつの間にか光の脱出速度になっています。ロケットの脱出速度は万有引力を持った質量が関係します。光にはその質量がありません。それなのに、光もいつの間にかロケットと同じ脱出速度になって、ブラックホールから出られないということになっています。違う原理なのですから、ロケットの脱出速度ではなく光りそのもので説明する必要があります。

結論

 質量のない光がなぜ重力に影響されるのかとか、光にも脱出速度があるのかとかの根本の問題は触れられていません。万有引力と、重力の理論の違いについては避けているのではと考えられます。肝心な、物質が空間を曲げる仕組みや、物質が空間のへこみに落ちる仕組みは説明されていません。もちろん、ゴム膜は物質だから、なにもない空間のへこみと落下の説明には使えません。