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「重力とは何か」について目次
重力とは何か4 マイケルソンとモーリーの実験2
重力とは何か6 時間と時計は同じか
重力とは何か(大栗博司・幻冬舎新書)について5
著者 田 敞
(以下{ }内は上記本からの引用)
マイケルソンとモーリーの実験について
相対論者は、この実験が、光は何ものにも光速度であるということの実証であると言っています。そして、アインシュタインがこの実験についてだんまりを決めているのを、相対論者は不可解に思っています。しかし、前回書いたように、この実験は、光が絶対空間に対して一定速度であるという解釈が成り立つから、無視しているとも考えられます。アインシュタインの相対論は相対空間です。ニュートンの絶対空間では成り立たない理論です。だから、エーテルがなくても、絶対空間が成立するマイケルソン・モーリーの実験は無視したのでしょう。彼得意の、不利なことは無視するに限る、です。
(余談:現在は、宇宙はエーテルに変わって、ヒッグス粒子に満たされているといわれています。どちらも、普通では触ることも見ることもできない、いわゆる観測できない非常に特殊なものであるのは同じです。また、観測から発見されたのではなく、自分たちの理論の都合で、なければ困るから、「ある」とされているのも共通です)
問題1
〔あらゆる物質の速度にニュートンの理論の足し算が当てはまるのに、電磁波だけが例外になるのは不自然です。〕
考察
不自然ではありません。
先に述べたように、ニュートンの速度の足し算は、物質だけにあてはまる理論です。理由は、物質は慣性質量を持っているけれど光は慣性質量を持っていないから、です。したがって、物質は運動エネルギーを保存するけれど、光は運動エネルギーを保存できないのです。だから物質の運動は速度の足し算ができるけれど、光は速度の足し算ができないのです。光は光源の速度に影響されないという光速度不変の法則です。
この本にある例で考えます。
太郎さんの車のボールは、時速40キロメートルで車と共に進んでいます。この運動エネルギーをボールは保存しています。それに新たに、ボールを投げた太郎さんの腕の速度、時速20キロメートルの運動エネルギーが加わるので、ボールは時速60キロメートルで前方に飛ぶのです。もし、ボールが運動エネルギーを保存しないのなら、ボールを動かすにはつねに押し続けていなければなりません。ボールを投げても、運動エネルギーを保存しないなら、手から離れた瞬間に地面に向かって真っすぐ落ち、車だけ先に進んでいきます。(実際は、秒速30キロメートルで公転している地球にも置いていかれます。そんなことになれば、車も人も、地球においていかれて、宇宙空間に漂うことになります。いえ、地球も運動エネルギーを保存しないなら、公転できずに太陽に落ちてしまいます)
幸いなことに物質は慣性質量を持っているので、そんなことはありません。投げたボールは、手から運動エネルギーをもらってそれを保存して前方に飛んで行きます。人も車も、地球の時速30キロメートルの運動エネルギーを保存して、地球と共に動いていくことができます。この本で言う速度の足し算です。
では光はどうでしょう。
先に書いたように、光は慣性質量を持ちません。したがって、光源の速度を保存できません。光が光源から離れたとたん、光独自のシステムで、光独自の速度で飛んでいきます。だから、光は、ニュートン理論の速度の足し算ができないのです。
これが電磁波だけが例外になる理由です。不自然ではありません。これこそ自然な現象です。これが不自然だという考えが特殊相対論を生んだ原因です。言われの無いいちゃもんをつけて、自分の意見を押し通したのです。
物質は慣性質量を持っているのに、光だけが慣性質量を持っていないのが不自然だ、ということになれば、それは最初からそうだと言うしかありません。光子には質量が最初からないのです。この世界は、最初から、4つの力があるということです。強い力、弱い力、電磁気力、引力(重力)です。持っている力が違うのです。だから、引力が、電磁気力(光の元)に関与しないとしても、不自然なことではないのです。
問題2
ニュートン理論は相対論の近似値でしょうか。
考察
相対論はニュートン理論と矛盾するということです。しかし、ニュートン理論と電磁波は関係ないのですから、光の速度に地球の速度が足し算されないからという理由で、ニュートン理論が間違いであるというのは言いがかりにすぎません。
ところが、ニュートン理論ですべての物質の運動が計算できるので、困ってしまったのでしょう。アインシュタインの理論と、ニュートンの理論は根本がまったく相反する理論なのに、二つとも正しいでは原理になりません。そこで、相対論者は、ニュートンの理論で物質の運動は正しく計算できることに対して、{物体の速度が光よりも十分に遅い場合は、ニュートンの合成速によってほぼ正しい「近似値」が計算できる。しかし速さが光速に近づくにつれて、もっと複雑な計算をしなければ正確な答えが出ないのではないか}といいだしたのです。ニュートン理論が正しいと認めては相対論が成り立たなくなるので近似値だと言いだしたのです。
言いがかりも甚だしいということです。ニュートンの理論は物質に適用しているかぎり、速度に関係なく正確です。近似値ではありません。ニュートンの理論で物質の運動は正確に計算できる、電磁波はマクスウェルの理論(相対論ではなく)で正確に計算できる、とするのが正しいのです。相対論者が考えるように、物質の速度が速いか遅いかが物質の運動を決めるのではなく、質量を持っているか持っていないかで適用する理論を変えるのが正しいのです。
アインシュタインは、なぜ、物質の運動法則を電磁波に当てはめようとするのでしょう。不思議なことです。濡れ衣を着せて何をしたいのでしょう。もちろん、特殊相対論を作るためです。
問題3
{光速が一定になることはすでにマクスウェルの理論で示されていた}
考察
{光速が一定}というとき、の一定はどういうことでしょう。
ニュートンの場合は、宇宙空間は絶対静止空間であると考えました。したがって、光は、その宇宙空間に対して一定の速度だと考えます。もちろん、地球も絶対空間に対して絶対速度で動いていると考えました。太陽も、銀河系の回転も絶対速度です。
それに対して、アインシュタインの宇宙は相対空間です。ニュートンの考えた絶対空間絶対時間を否定しています。したがって、すべては相対速度です。道路わきに立っている人から見ると、車は時速55キロメートルで東に向かって走っています。これを立場を変えて車の人から見ると、道路わきに立っている人が時速55キロメートルで西に走っています。それがアインシュタインの相対論の相対空間です。
そこで、光は、見ている人に一定の速度になります。
だから、秒速5万キロメートルで飛ぶロケットの観測者に対して、前方に飛ぶ光は秒速30万キロメートル、後方に飛ぶ光も秒速30万キロメートルに見えることになります。もちろん、秒速200キロメートルで宇宙空間を飛んでいる地球の進行方向に飛ぶ光も秒速30万キロメートルで地球から離れていっているし、後方に飛ぶ光も秒速30万キロメートルで離れていきます。地球と光の相対速度はどの方向の光も、秒速30万キロメートルになります。これがアインシュタインが考えだした、光速度不変の原理です。
ニュートンの場合は、秒速5万キロメートルで飛ぶロケットに対して、前方に飛ぶ光は相対速度25万キロメートル(30万−5万)です。後方に飛ぶ光との相対速度は35万キロメートル(30万+5万)です。地球に対しては、前方に飛ぶ光は、光速−地球の速度です。後方に飛ぶ光は光速+地球の速度になります。異なる相対速度を持ちます。
このように、ニュートン理論とアインシュタイン理論は相反する理論です。基本的な考えが相反するのだから、ニュートンの運動法則が、相対論と相反することはあっても近似値になることはないはずです。なぜ近似値になるかというと、相対論はニュートンの理論を土台にして作ったからです。相反する絶対論のニュートンの理論をアインシュタインはなぜ採用したのでしょう。簡単です。ニュートンの理論が正しいからです。
問題4
{走っている車から光を発射することを考えると、動いている人からも止まっている人からも速さが同じ秒速30万キロメートルに見えるのは不思議です。走っている車の速さはどこに消えてしまったのでしょう。}
考察
答えは簡単です。{動いている人からも止まっている人からも速さが同じ秒速30万キロメートルに見える}という考えが間違っているのです。光も普通の物質と同じように、相対速度を持っているのです。
ニュートンの考えでは,車の速度も、光の速度も消えません。単純な四則算法で計算できます。それも加減で計算できるものです。
しかし、アインシュタインの理論では、車の速度はどこかに消えるしかなくなります。
単純に考えて、走っている人から前方に飛ぶ光を見て、その人に対して光速であるためには、その光が、光速+車の速度であることが必要です。また、後ろに飛んでいる光が車に対して光速であるためには、光の速度は光速−車の速度でなくてはなりません。あるいは車が停止しているかです。ところが、車は走っています。光は一定速度です。矛盾しかありません。
そこで、アインシュタインは空間や時間を縮めたり伸ばしたりすることにしたのです。
なぜそうしたかというと、光の速度も、車の速度も、よく分かっているので動かすことができないからです。ところが、時間とか空間はまだ誰もそれがどのようなものでできているか、どのようなルールで動いているか、どのような構造をしているかなど、すべてが何一つ分かっていないからなのではないでしょうか。実際、相対論者も時間とは何かがなにひとつ分かっていないから、時計の針の進み方が遅くなるとか速くなるとかで時間を表しています。相対論者の時間とは時計の針の動きなのです。初めて時間を習う小学2年生が模型の時計の針を動かしながら時間を考えるのとまるっきり同じです。20世紀最大の天才アインシュタインでも時間についてせいぜいそれくらいのことしか分かっていないのです。
問題は反論する側です。そもそも反論の根拠となる時間や、空間が何も分かっていないのですから、反論をするための根拠がありません。反論のしようがないのです。アインシュタインはそこに目をつけたのではないでしょうか。早い者勝ち、言った者勝ちです。
ということでもないのでしょうが、実質はそうです。
で、ここでも{走っている車の速さはどこに消えてしまったのでしょう。}という疑問の答えは書いてありません。大栗博司氏も答えようがなかったのでしょうか。車は実際に走っているので、引力を重力と言い変えて重力を消したように、時間や空間を伸び縮みさせて、その中にうまく消したのでしょう。しかし、落下する飛行機の中の重力は消せても、飛行機が落下しているという事実は消せなかったように、車が走っているという事実は消すことはできません。{走っている車の速さはどこに消えてしまったのでしょう。}という疑問は残ったままです。
結論
ニュートンで考えると矛盾は何もありません。ところが、アインシュタインで考えると、車の速度はどこに消えてしまったのか、という矛盾を始めさまざまな不都合が生じます。矛盾以外に何もないのです。その無理やり作った矛盾を逆手にとって生んだのが特殊相対論のようです。