「100歳になった相対性理論」(福江純著、講談社サイエンティフィク)への反論11

著者 高田敞


     


(以下{ }内は上記本よりの引用)

問題1

4次元時空の表現}

 {相対論では、時間と空間はある意味で対等な立場になった。そこで、空間と時間を合わせて、時空(時空間)として扱えるのだ。}

考察

 {ある意味で対等な立場}の{ある意味}の具体的な説明はない。時間とは何か、空間とは何かについて、相対論は究明できたのだろうか。時間とは時計の進み方だということがこの本では述べられているが、時間が時計の針という見解は正しいのだろうか。昔言葉でいえば、ナンセンス!な見解であるといえる。高々それくらいの認識で、時間と空間が対等な立場になったなどというのはそれこそおこがましいのではないだろうか。

問題2

{時間を空間のように扱う時空図}

考察

列車の運行表にダイアグラムというのがある。時空ダイアグラムのx軸の「空間」という言葉を、「列車の位置」という言葉にすれば列車のダイアグラムになる。列車のダイアグラムは、列車の平均速度と始発駅と各駅との距離と出発時刻がわかれば列車の位置と時刻が決まるというグラフだ。距離÷速度=時間というわけだ。なにも相対論を持ち出して、大げさに言わなくても小学生の算数で解けることだ。

結論

時空などといって御大層に持ち出しても、何のことはない算数で解けるダイアグラムと同じだ。時間は時計の針の進み方だ、などという算数で定義する時間の答えから導き出せるのは、算数のグラフのレベルだということだ。言葉だけ「時空」などと大げさなだけだ。「ミンコフスキー時空図」もx軸の距離の単位をkmから光年に変えただけのことだ。kmをmにしようがcmにしようが同じことのように光年に変えても同じことだ。針小棒大とはこのことだ。