「100歳になった相対性理論」(福江純著、講談社サイエンティフィク)への反論10

著者 高田敞


     

(以下{ }内は上記本よりの引用)

問題

アルファ・ケンタリウス

 地球に一番近い恒星。4.3光年の距離がある。

{この星と地球とで通信信号のやり取りをすることを考えると}、{「4.3年前」のアルファ・ケンタリウスからは、地球に信号を送れる}

{「現在この瞬間」にも、間違いなくアルファ・ケンタリウスは存在しているわけだが、そことは信号のやり取りができないので、未来とか、過去とか決められないということなのだ。それどころか、「現在」とか「この瞬間」とかいうことすら意味がなくなる。絶対時間を捨て去るとは、そういうことなのである。}

問題1

{この星と地球とで通信信号のやり取りをすることを考えると}、{「4.3年前」のアルファ・ケンタリウスからは、地球に信号を送れるから、過去の領域に属する}

考察

1 定理への疑問1

{地球に信号を送れるから、過去の領域に属する}

考察 

この定理は証明されたのか。信号を送れるか否かが、過去か否かを決める条件であるというのは、実証されている事項なのか。単なる仮説の一つにすぎないのではないだろうか。

2 定理への疑問2

{「4.3年前」のアルファ・ケンタリウス}{と地球とで通信信号のやり取りをすることを考えると}

考察

{「4.3年前」のアルファ・ケンタリウス}と通信信号のやり取りをするというが、どのようにすると通信のやり取りができるのか。アルファ・ケンタリウスを4.3年前に出た光が地球に届いている。では今、どうやって4.3年前のアルファケンタリウスに地球から通信するのだろう。不可能である。どのような方法でも、43年前の星へ通信信号を送れない。

{地球とで通信信号のやり取りをする}ことは不可能である。そんなことを考えることが間違いである。

問題2 通信のやり取り

{この星と地球とで通信信号のやり取りをすることを考えると}

やり取りはできるか。過去には通信は遅れない。もちろん未来にも送れない。遅れるのは現在のみである。

考察

 4.3光年の距離がある星からの電報は4.3年かかって地球に到達する。その返事を電報で出すと、相手の星には4.3年後に到達する。

 4.3光年だから4.3年かかる。光が4.3年かかって地球に到達する間に、地球も43年たっている。時間がぴったり合っているから、アルファ・ケンタリウスからの光が地球にぴったりやってくる。光も地球も同時刻なのだ。星は過去の姿をしているが、光の時刻は地球と同時刻である。

 4.3年前にアルファ・ケンタリウスを出た光は、4.3年かかって4.3光年を進んだ。その間地球は4.3年かかって太陽を4.3周回った。そして地球とアルファケンタリウスの光は衝突した、ということだ。

 このことから、今現在4.3光年先のアルファ・ケンタリウスを出た光は。4.3年後、地球に衝突すると予想できる。すなわち、アルファケンタリウスは、今現在地球と同時刻であると考えられる。もし異時刻、例えば今アルファ・ケンタリウスが地球より10年未来にあるとすると、今そこから出た光は、14.3年後の地球に到達するしかない。アルファ・ケンタリウスの今の地球時時刻は202410月であるから、そこから4.3年たつと20282月になる。地球時間では、あと14.3年後ということだ。

だがこんなことは起こらない。アルファ・ケンタリウスの光は4.3年後地球の軌道を通過するが、そのとき、地球は20182月にあるから、アルファ・ケンタリウスの光はなにもないところを通過してしまう。

 相対論的時間は複雑だから、素人にはわからないが、多分そうなる。しかし、相対論では異時刻のものが同時に存在できるということのようだから、ちゃんと衝突するかもしれない。 

 相対論はどんな魔法使いより素晴らしい魔法を使うのだから。

 {通信のやり取り}

現在出した通信を受け取るのは、未来の相手である。たとえば、360m離れた相手に話してみる、相手は1秒後にその言葉を聞く。その相手が出した言葉も、わつぃが聞くのは1秒後である。光も時間がかかるから、必ず通信を出した時より受け取る側は未来の時間になる。アルファ・ケンタリウスの情報が、出したときから4.3年後になるというのがその例である。時間がかからずに届くものはないので、情報は必ず、伝わるのに時間がかかる。現在と現在では情報はやり取りできない。目の前の話相手でも、情報は必ず遅れて届く。しかしそれは必ず同じ時間の流れの中で行われる。4.3光年を4.3年かけて光が進む間に地球の時間が3年しかったっていなかったり7年たてしまっていては、光は地球に届かない。光の経過時間と地球の経過時間が同じでなくてはならない。

結論

物質は異時刻のものは同時には存在できない。見えようと見えまいと、宇宙の物質は人間と地球が同時に存在し地球と月が同時に存在し、太陽と地球が同時に存在しているように、すべて同時に存在している。すべての人間が異時刻に存在し、すべての物質が異時刻に存在するというのが相対論であるが、その実証はされていない。

山の端にかかっている夕日は、820秒前の太陽だ。本当の太陽はもう山の向こうに沈んでいる。光が遅いから、現在の状態が見えないだけだ。人は、現在太陽がある場所を計算で正確に決めることができる。信号のやり取りがすべてを決めるのではない、物質があるかないかだけがすべてである。信号が宇宙ではない、星が厳然と存在することが宇宙である。

相対論は光がすべて中心、絶対であるとしているから、信号がすべての中心になるのだろうか。しかし、宇宙は信号ではなく、物質が中心にできている。光もその一部分の電磁波にしかすぎない。人間もそのごく一部の一部でしかない。その人間が分かるわからないが宇宙を決めることなどあるはずがない。信号の有無と宇宙のありようは関係がない。