「100歳になった相対性理論」(福江純著、講談社サイエンティフィク)への反論8

著者 高田敞


     

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(以下{ }内は上記本よりの引用)

 

{亜光速運動による時間の遅れの実証}P24)

問題1

亜光速で飛ぶミューオンは時間が遅れる。すると、寿命が延びる。その証拠が、ミューオンの到達距離が延びているということだそうだ。

{ミューオンの平均的な飛行距離は、光速の30万キロメートル×平均寿命の2・2マイクロ秒、すなわち660メートルほどしかないはずである。}

{(だいたい高度20キロメートルぐらい)で発生したミューオンが、地球大気の数十キロメートルを走り抜け、地上まで到達しているのだ。

考察

亜光速になると、時間が遅れるということだ。時間がゆっくりになっても、そのゆっくりの時間で計って、2.2マイクロ秒たつとミューオンは消えるということなのだろう。その間地球の時計はミューオンよりほんの少し先の時刻になっているということである。

相対論では、上の式から、

ミューオンの速度×寿命(ゆっくり進む時間の2.2マイクロ秒)=ミューオンの飛行距離、となる。

ニュートン的考えでは

ミューオンの速度×寿命(普通に進む時間2.2マイクロ秒)=ミューオンの飛行距離、となる。

数字になおしてみる。

相対論では

30km×2.2マイクロ秒=660m

ニュートン的考えでは

30km×2.2マイクロ秒=660m

となり、どちらも式の上では飛行距離は同じになる。

結論

時間がゆっくりであろうが、早かろうが、22マイクロ秒は22マイクロ秒である。

ミューオンの時間がゆっくりになっても飛行距離は伸びないことになる。この本の式や、普通に算数で習う式(距離=速度×時間)ではそうなる。

もし地球からミューオンの時間がゆっくりになるように見えたら、ミューオンの速度もゆっくりに見えるはずだ。時計の針がゆっくり進むように見えるように。

寿命が延びるときはどのような式でミューオンの飛行距離を出すのだろう。ミューオンの時間を地球時間に換算してその地球時間で計算するのだろうか。

とにかく自分たちの理論に一番都合のいいことしか採用しないで、不都合なことはすべて無視というのが相対論だから仕方がないか。

 

問題2

運動している系での時間の遅れは、理論上、そうなるというだけではない。実際にさまざまな実験でも検証されている事実なのだ。

考察

相対論

実証例

 ・ 飛行機に精密な原子時計を乗せる実験。

 ・ {光速近くで飛翔する素粒子の寿命の延び}(例ミューオン)

ニュートン的考え(相対論を否定する考え)

実証例

・ 小柴氏の観測した、超新星からやってきたニュートリノと光

 このニュートリノは15万光年の距離を15万年かけて地球に飛んできた。

 このニュートリノは、同じ超新星から少し遅れて飛び出した光より少し早くやってきていることから、15万年かけても光に1分も距離を縮められなかったということから光と同速度であったことがわかる。(これも相対論に反している。質量をもっているニュートリノは、光速にはなれないから、光に追い越されるか、距離を縮められるはすだ)

このことから、ニュートリノは光速度であったことがわかる。したがって相対論からすると時間は無限に遅れることになる。光速では時間は止まるといわれている。時間の止まったニュートリノは運動も止まってしまうはずだ。ところが、ニュートリノは、(15万光年÷光速度=15万年)、で地球にやってきている。距離÷速度=時間という算数の式でぴったりである。相対論の式ではない。

結論

どちらの実証が正しいのだろうか。

 

問題3

ミューオンは、光速で飛ぶということだ(計算式に30万キロメートルと書いてある)。

考察

相対論では光速で飛ぶと時間が止まるといっている。時間が止まると、ミューオンはどのようにして飛ぶのだろう。

距離=速度×時間から考える。ミューオンの飛行距離=30km×0秒になる。

速度がいかに30kmでも、時間が止まっていては距離は0mである。

結論

 このあたりはどのように考えているのでしょう。

 

問題4

地球から見て、ミューオンの時間がゆっくり進むという。

考察

すると、ミューオン自身の速度もゆっくりに見えるのではないだろうか。

 

問題5

 アインシュタインの相対性原理では、どちらが動いているか決められないとしている。

考察

 すると、ミューオンを基準にしたら、地球が光速で動いていることになる。すると、時間が延びるのは地球の方になる。すると、ミューオンは、ほんの少ししか進めなくなる。

結論

 相対論はとても難しいから、事象によって適用する原理が違ってくるのでしょう。ミューオンにしては、難しい相対論の法則をどれもこれも当てはめられてはどうしていいかわからなくなるから好きなのを選んでそれだけを利用するというのでしょう。これは冗談だけど、実際、科学者は、相対論の一番都合のいい原理だけを使って、都合が悪い相対論は無視している。

 その点ニュートン的考えは単純です。全ての原理を使っても、矛盾は生じない。

 

問題6

{ミューオンの寿命の延びとローレンツ−フィッツジェラルド短縮}の表によると、ミューオンの速度が、光速の、0.9999倍のとき{延びた平均寿命}は、156マイクロ秒で、{平均飛行距離}は46.7kmということだ。

考察

 今、8時ちょうどに、ミューオンが発生して、46.7km先にある地上の観測機器に到達したとする。

 ニュートン的考えでは、156マイクロ秒後、すなわち観測機器の時計が、8156マイクロ秒を指したときミューオンは観測機器に到達する。

しかし、相対論では観測機器の時計より、ミューオンの時間が遅れミューオンの時間は156マイクロ秒たっていないから、観測機器の時計が8時と156マイクロ秒の時刻のとき、ミューオンはまだ観測機器にまで届いていない。

 ミューオンのゆっくり進んだ時間が156マイクロ秒たって、観測機器に到達したとき観測機器の時計はもっと先に進んでいるはずだ。たとえば観測機器の時計はそのとき、8160マイクロ秒を指しているとする。すると、観測機器の時刻は8160マイクロ秒であり、ミューオンの時刻は8156マイクロ秒になる。時刻が異なってしまう。どちらの方が正しい時刻かというと、どちらも正しいというのが、相対論だ。ニュートン的考えでは、時刻は同一であるから、このような現象は生じないことになっている。

ニュートン的考えでは異時刻のものは同時には存在できない。現在と、過去の事物は同時には存在できない。それが1マイクロ秒の差であっても、過去は過去、現在は現在である。同時に過去と現在が存在することはないというのが、ニュートン的考えだ。

相対論ではこのように、異なる時刻のものが同時に存在する。たとえば、太陽は、一般相対論と特殊相対論による時間の進み方によると、1年で1分遅れるということになるという。太陽系ができてから、太陽の時間は地球の時間より46億分遅れている。これは約8752年になる。太陽の時刻は、今現在、紀元前6738年を指しているはずだ。

紀元前6783年の時刻の太陽と今の西暦2014年の地球が同時に存在しているのが相対論だ。

結論

 相対性理論家は、異時刻のものが同時に存在するということをどのように考えているのだろうか。

また、なぜミューオンも太陽も、自分の時刻ではなく、地球時刻に現れるのだろうか。

簡単である。相対論は、宇宙は人間を中心に回っているという人間中心のご都合主義だからである。

 

問題7

 ローレンツ−フィッツジェラルド短縮

{ミューオンから観測すると、ローレンツ−フィッツジェラルド短縮のおかげで進行方向に空間が縮んで「見える」ので、大気層の厚さも短く「見える」。そのおかげで、自分の寿命の2.2マイクロ秒の間に、やはり地上まで到達できるというわけだ。}

考察1

相対論

 このことを太陽の光に当てはめてみよう。太陽の光は、光速だから、{ローレンツ−フィッツジェラルド短縮の効果のおかげで進行方向に空間が縮んで「見える」ので、}地球との間の空間の厚さも短く見えるので、太陽の光は、地球まで一瞬で到達できる。

ニュートン的考え

 太陽の光は、8分光年の距離を8分かけて地球にやってきているのが観測されている。

これは距離÷速度=時間という算数の式にぴったりである。

結論 

実際の観測は、ニュートン的考えにぴったりである。

 

まとめ

 亜光速運動をしているミューオンは時間が短縮したり、空間が縮まったりしていると相対論者は言っている。しかし、光速で運動する、ニュートリノや、太陽の光は、時間が縮まったり、空間が縮まったりしていない。どちらが間違っているのだろうか。

 普通に観測されている現象はニュートン的考えの方に軍配が上がる。相対性理論家が考えるミューオンだけが例外的現象を呈しているといえる。ではなぜか。宇宙線が{だいたい高度20キロメートルぐらい}で大気の原子核に衝突するという設定が間違っているのではないだろうか。地上近くまで大気の分子をすり抜けてくる宇宙線も多くあるのではないだろうか。そうすると、地上近くで発生するミューオンも多くあることになる。すると、ミューオンもニュートン的考えの範疇にはいる。

 反対に、相対論が言うミューオンの時間短縮や空間が縮むのが正しいとすれば、太陽光や、ニュートリノが、相対論での時間短縮、距離の短縮になっていないことの説明はできない。

 太陽からやってくる光や小柴氏の観測したニュートリノは、出発点が決まっている。ところが、ミューオンは、届いたミューオンがどこで発生したかは観測されていない。おおよそ平均値と考えればいいだろうということで観測したミューオンの発生場所は特定されていない。だからミューオンの飛行距離は推測である。実証とはいえない。

 相対論はここでも実証できていない。