「100歳になった相対性理論」(福江純著、講談社サイエンティフィク)への反論7

著者 高田敞

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(以下{ }内は上記本よりの引用)

光時計のからくり

問題1

光時計{これが、光速で飛行する宇宙船では時間が遅れる、という有名な話のからくりである。}(P22)

考察

 私の家の時計はもう36年も時を刻んでいる。時間が日本標準時より遅れるので、時々下のノブを回して時間を進めなくてはならない。すると時間はしばらくの間はほぼあっている。これが有名でない私の家の時計のからくりである。

遅れる理由は、20世紀最大の天才の考えた理論、光速度不変の原理と、時計ができたときから時計の宿命であった、古くなったら遅れる、という大きな違いである。目もくらむような違いがあるが、時計の合わせ方は不思議なことになぜかまるっきり同じだ。人間が針を進めるという作業だ。

結論1

どちらの時間の遅れも人間が時計のノブを回すことで合わせられる。このことから、特殊相対論で遅れる時間も、時計が古くなって遅れる時間も、ともに、ノブを回して進める時間と同じということだ。すると次の等式が成り立つ。

(特殊相対論で遅れる時間)=(人が時計のノブを回して合わせる時間)

(時計が古くなったために遅れる時間)=(人が時計のノブを回して合わせる時間)

 以上から

(特殊相対論で遅れる時間)=(時計が古くなったために遅れる時間)

ということがいえる。

 特殊相対性理論とは世間で言われているほどにはたいしたものではないということだ。

 どちらかといえばお笑い芸人の滑った話に近い。

問題2

合わせ方は同じでも、時間が遅れる理由は異なるようだ。次に特殊相対論で時間が遅れる理由を考えてみる。

 {宇宙船の外(たとえば地球)で宇宙船の外にある光時計を見ていれば、光の信号が1往復するのに1ナノ秒かかる。}(P21

考察

 これは実証されていないから科学世界ではまだ仮説である。確定したかのように書いてあるが、実際の検証実験をしていないから、仮説の域を出ていない。また、この本の著者は、原理は証明できなくていいという話だったが、これは原理ではないから、実証がいるはずだ。実証されていないものを、定説のように述べるのは科学者としては正しい姿勢ではない。相対論は特にその傾向が強い。相対論は普通のときには表れない、極限状態にしか現れない、だから実証されなくて当たり前だという姿勢である。これは科学の方法というより、神のみ心だから、あるいは奇蹟だから証明することは不可能だという宗教の考え方に近い。

 ここに登場する「ナノ秒光時計」もそうだ。実際に作ることなどできないのがわかっている実験装置なのにそれを持ち出している。そして、実際に作ることができないから実験することはできない。だから検証実験はできない。だから検証は必要ないとでもいうことなのだろう。しかし、検証実験をしていない事実は変わらないはずだ。この{光の信号が1往復するのに1ナノ秒かかる。}という言い分が正しいということは証明されていない。もし、20世紀最大の天才アインシュタイン氏の考えたことなのだから正しい、というのならば、それは科学ではない。もはや宗教である。

科学は実証しなければならない決まりである。アインシュタインでも、相対論でも科学なら実証が必要だ。

 原理のときは、原理だから証明できないという逃げを打ったけど、今度はうまい理由がみつからないのだろうか。

 まあ、出来っこない実験方法を考え出すのは相対論一般に共通する。科学ならできる実験や観測で検証するのが当たり前だ。できない検証や、出来ない観測は、検証ではない、自分の意見の延長にしかすぎない。相対論の世界は実際に実験できないことや実際に観測できない非常に特殊な世界のことのようだ。普通の世界は、相対論とは関係ないことで動いているということだ。それとも、実験されたら困るからなのかな?  以下それを考えてみる。

 

(1)光時計の検証

 そこで代わりに検証してみる。なにを検証するかというと、光時計の{光の信号が1往復するのに1ナノ秒かかる。}というのは本当か、ということである。09ナノ秒とか102ナノ秒とかではないのだろうかということを考えてみる。

 実際にこのような小さな時計はできないから、他の方法で検証できないか考えてみよう。

 この本でも{たとえば地球}上の光時計の光は鏡に垂直に往復していると考えている。

 そこで、地球上の光時計で光は鏡に垂直に往復することができるか否かを知るために地球の光の現象を探してみる。

ア 光行差

すると光行差という現象が観測されていることに行きあたる。

 光行差とは地球が動いているために、星の光が、地球に対して進行方向前方から後方に斜めに降り注ぐ現象である。地球の速度と方向に合わせて星の光の方向と角度が変わる現象である。これは、1年周期で角度と方向が変わっていることから、地球の公転による変化だと考えられている。

 このことから地球上の光時計も地球と同速度で動いているから、光時計に対して星の光は光時計の進行方向前方から後方に斜めに射し込むはずだ。このことから、真下に発射した光時計の中の光も距離が短くても進行方向前方から後方に斜めに進むはずだ。星から出た光も、光時計の光源からでた光も進み方は同じであるのは、光は光源の速度に影響されない、という光の性質(光速度不変の原理の一つ。理由は慣性質量を持たない)があることからいえる。

 地球上の光時計の中の光は、時計の鏡に対して、P21の図のように垂直には往復しないといえる。

 地球上の光時計を地球上の人が見ても、光時計の中の光は進行方向前方から後方に斜めに進むように見えるはずだ。地球上の天文学者が、星の光を斜めに見るのと同じことになるはずだ。

 動いているものの上では必ず光は斜めに射すということがいえる。垂直に往復するには光時計が静止しているときだけだ。

 しかし、問題がある。相対論は、相対性原理で、絶対静止を否定しているから、光時計が絶対静止する場所はない。相対論では、光時計と、観測者が同速度で動いているときを静止しているととらえているようだが、上の地球上の光時計と観測者に降り注ぐ星の光の例のように、どちらも同じ速度で動いていても、光は進行方向前方から後方に斜めになる。これは、相対論に反して、光が観測者や光時計に対して相対速度を変えているからである。光速度不変の原理の、光は何物にも光速度である、という考えが実際の現象に一致しない、すなわち間違っているからである。(原理だから証明できないといっても、実際の現象が間違いを証明している)

 

イ 光のドプラー効果

地球の速度によって星の光はドプラー効果を起こしていることも複数の人工衛星で観測されている(宇宙背景放射が、地球の進行方向で青方偏移し、後方で赤方偏移している)。このことから、光は地球に対して相対速度を変えているといえる。光時計の中の光も、時計の鏡に対してドプラー効果を起こすはずだ。相対速度を変えているといえる。

結論

 地球上の光時計の中の光は鏡に対して進行方向前方から後方に斜めに進むといえる。距離÷速度=時間から、光時計の中の光が往復するとき1ナノ秒より多くかかるといえる。

 ドプラー効果から光は光時計の中を光速度で往復しない。

 この二つから、この本の{ナノ秒光時計}の理論は間違いであるといえる。

 

問題3 光時計の怪

{宇宙船の外から見ると、発光部から最初に光が出てから鏡まで光が進む間に、宇宙船は飛んでいるので、横に移動する。その結果、光は斜めに進み、「長い距離!」を走っていることになる}

考察

光の進み方は、光行差の現象では、宇宙船の進行方向前方から後方に斜めであるが、相対論では後方から前方に斜めに進む。正反対の動きになる。

ではどちらが正しいか考えてみる。

光行差の現象は先に説明した通り観測されている。では、相対論の現象は観測されているか考えてみる。このような現象は観測されていない。かえって、ニュートリノの観測や宇宙線の観測で見られるチェレンコフ光は、物質から出た光が取り残されていることから、光時計の発光部から出た光は光時計に取り残され、進行方向の前方から後方に斜めに進むはずだ。相対論のいう現象を否定する観測でさえある。

ではどこからこの考えは出てきたのだろう。

相対論にいうこの現象は慣性の法則にそっくりである。列車の中で真上に投げ上げたボールは、まっすぐもとの手に落ちてくるという現象である。これは、列車の中の人からから見ると、ボールは真上に上がり、真下に落ちてくる。しかし、それを外の人が見ると、ボールは列車の進行方向後方から前方に斜めに上がり、斜めに落ちてくる。ボールは斜めに移動する。光時計の光の動きはこれと寸分違わない。

このことから、光時計の光の進路は慣性の法則の現象から類推されたのではないかと考えられる。

そこで光はボールと同じ動きをすることができるか考えてみる。

このボールの現象は、慣性の法則の具現化である。なぜこれが起こるかというと、列車も、中の人も、ボールも、列車と同じ速度で動いているから起こる。人は、列車との摩擦で列車の速度を伝えられる。ボールは、人が握っているから、列車の速度を伝えられる。ではボールを投げ上げると、ボールは後方に飛んでしまいそうである。ところが真上に上がり真下に落ちる。これは、人の手で握られていたときにボールが持っていた速度を、そのままボールが保存していることから起こる。これを慣性の法則という。原理は、物質は慣性質量をもっているので、運動エネルギーを保存することができるということである。だから投げ上げられて手から離れても、ボールは列車と同速度で進行方向に後方から前方に進む。

中の人と、ボールは同速度で前方に進んでいるから、人とボールの位置は、中の人にとっては上下方向にしか変わらない。ところが、外から見る人は、列車も人も、ボールも前方に進んでいるから、ボールは斜め前方に飛びあがり、斜め前方に落ちていく。物理学者に、このような慣性の法則を説明するのははなはだ失礼である。小学生で習うことだから。しかし、20世紀最大の天才アインシュタイン氏には説明する必要があるようだ。

この本にある宇宙船の中に置いてある光時計の中の光はこの慣性の法則のボールとまったく同じ動きをしている。秒速50kmで飛ぶ宇宙船の中のボールも光も、同じように、中の人が見ると真上に上がり真下に落ちる。外から見ると、ボールも光も、進行方向に、50km/秒で飛んでいる。100km/秒で飛ぶ宇宙船の中のボールも光もやはり中の人が見ると真上に上がり真下に落ちる。外から見ると100km/秒で進行方向に飛んでいる。

あたかも、光が慣性の法則を持っているかのようだ。ところが、そうはいかない。慣性の法則は慣性質量を持った物質にしか当てはまらない。光は質量を持たないから慣性の法則は当てはまらない。光は宇宙船からもらった運動エネルギーを保存できるボールのようには、宇宙船とともに前方には飛ばない。光は宇宙船の運動エネルギーをもらって保存できないからだ。これは、相対論の光速度不変でもうたっている。光速度不変の原理のうちの一つ、光は光源の速度に影響されない、というものである。(この考えはニュートン的考えとも共通である。残るもうひとつの原理こそ相対論特有の考え方だ。それが、光は何物にも光速度である、という考え方である)

もう少し考えてみる。なぜ、光時計の光は、宇宙船と同速度で前方に飛ぶのだろうか、ということだ。

ボールを考えてみる。ボールが、列車の中で投げ上げると真上に上がり真下に落ちるのは、投げ上げる前のボールが列車の速度と同じだからである。その速度を、投げ上げられた後も保存するから、列車と同速度になる。列車が50km/時のときはボールも50km/時、列車が100km/時のときはボールも100km/時で進むのはこのことから来る。

では宇宙船の中の光はどのようにして、宇宙船の速度と同じ方向に同速度で進むのだろうか。

相対論者は普通、光速度不変の原理だからだという。それ以上の説明はない。この本ではその説明もない。

考えてみよう。光は慣性質量を持たないから、質量以外のもので、宇宙船の速度を保存すると考えられる。それが相対論にいう光速度不変である。光速度不変の原理は、光は何物に対しても光速度であるという考え方だ。

すると、発光部から出た光は、鏡に向かう。光は鏡に対して光速度不変で垂直に当たる。鏡は宇宙船とともに進んでいるから、宇宙線の速度を持っている。この鏡の速度を、光は何らかの方法で感知し、その速度で持って鏡に向かって飛んでいく。だから、中の人が見れば垂直で、外から見ると斜めに見えるということだ。では光は対面する鏡の速度をどのような方法で感知し、どのような方法でその速度に変化するのか、これは、不明である。今まで見た本の中では、この方法は書かれていない。勉強不足であるとはわかる。もし、わかっている人がいたら、もちろん相対論者はみんな分かっていることだろうと思う。本当は誰一人知らないと思うのだが。もちろんアインシュタインも。だから原理は原理だから証明の必要はないというのだと思う。

それはさておき、宇宙船の速度が50km/秒のとき、光は鏡が50km/秒で進んでいるのを感知しその速度になり、鏡が100km/秒のとき光も100km/秒になる感知の方法と、速度変更の仕組みを相対論者は述べる必要がある。原理は原理だから説明の必要はないではなく素人にもわかる方法であればいいのだが。

もし、鏡と光の間に、ほこりが飛んだら光はどちらに対して動くのだろう。近いほこりの方か、もともと発光した瞬間に感知していた、鏡の方だろうか。それとも、ほこりを感知した光の一部が、ほこりに対して、直交するのだろうか。

もうひとつの可能性を考えてみる。光速度不変の原理だ。

これは光は絶対で、時間と空間が伸び縮みするということだ。光時計も、動いているから、その速度に応じて、時間と空間が伸び縮みするということだ。

発行部から出た光が鏡に向かうとき、鏡の時間が速度に応じて遅くなる。遅くなっても時間は進んでいるから、鏡も前方に進む。光が出てからも、鏡は前方に進むから、光が真下に進むと、鏡から外れてしまう。鏡に直交するにはやはり鏡と同じ速度で光も鏡の進む方向へ横滑りするしかない。では横滑りする速度を光はどのように感知しどのように速度を調整するか、その力はどこから来るかはやはり不明である。

では空間が進行方向に縮んだときはどうだろう。空間が縮んでも鏡は進行方向に進んでいることには変わりない。したがって光源から出た光はやはり鏡の速度に応じて横滑りするしかない。この場合も、光を鏡と同じ速度で横滑りする原理が必要だ。

 ニュートン的考えでは、光は絶対空間に対して絶対速度で直進する。宇宙船も絶対空間に対して、宇宙船の速度で飛ぶ。地球も絶対空間に対して、地球の速度で飛ぶ。

 したがって、光時計の中の光は絶対空間に対して絶対速度で飛ぶ。その間に宇宙船の中の光時計は移動しているから、光時計の中の光は光時計の進行方向から後方に斜めに進み、やがて、鏡から外れてしまい、往復はできない。光は速いからそれは一瞬の出来事であろう。地球上の光時計も同じだ。一瞬で光は光時計から外に出てしまう。これは先の述べた、地球上の光行差の現象と同じである

 

結論

アインシュタインは慣性の法則を光にも適用しただけだ。彼は物質の慣性質量を知らないで、光も同じように動くと勘違いしたのだ。今では小学校で習うことだが、彼はそれを習わなかったのだろう。習ったのだが忘れてしまったのかも。

 それよりも、現在の物理学者が、光が、慣性の法則の列車の中のボールの動きと同じ動きをするという考え方に何一つ疑問を抱かない方が不思議だ。それはあなたが相対論をまるっきり知らないからだというかもしれない。

科学者はナノ秒時計を作って実証しなければならない。あるいは他の方法で実証しなければ科学ではない。