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「相対論の二つの土台」(Newton 2017,5)について 6


著者 田 敞

(以下{ }内は上記本からの引用)


問題
{「完全に静止した場所」はどこにも存在しない!}


考察

これは{!}をつけるほどのことではありません。観測されているかぎりの範囲の宇宙のすべての星や銀河が動いているのは観測で分かっています。問題は、その動きが、アインシュタインの主張している、視点{見る立場}によって生じているのか(相対性原理)、ニュートンの主張している万有引力によって生じているのか(絶対運動)です。

宇宙の星や銀河が動いているという当たり前なことになぜ{!}がついたかというと、相対性理論の大きな土台の一つだからです。アインシュタインは、完全に静止した物は存在しないから測る基準がない。だから、すべての物質の速度は決まらないといっています。だからすべての物の動きは見る立場によって変わるといっています。これが相対性理論の相対性のゆえんです。だから、なんとしても{「完全に静止した場所」はどこにも存在しない!}といわなければならないのでしょう。そのためにすべての星や銀河が動いているという当たり前のことに{!}をつけて天下を取ったように言っているのでしょう。

しかし、問題は上に書いたことです。

{太陽も地球などの惑星と一緒に,天の川銀河の中を2億年かけて公転しているのです}{天の川銀河も例外ではなく,ほかの銀河に引き寄せられるように動いています。}

これらは視点が変わったから動いたのでしょうか。太陽が天の川銀河を公転しているのは視点が変わったためでしょうか。視点が変わると、なぜ太陽が天の川銀河を公転するのでしょう。なぜほかの所に動いていかないのでしょう。相対性原理では説明がつかない現象です。

太陽が天の川銀河を公転するのは、天の川銀河の質量と万有引力と、太陽の質量と万有引力によってとすれば説明がつきます。

同じように、天の川銀河がほかの銀河と引き寄せ合ってるのも、相対性原理では説明できません。銀河と天の川銀河の質量と、万有引力だと説明できます。

視点が変わるとものの動きが変わるという相対性によって、宇宙のすべての物質が動いているというのが相対性原理ですが、これには、エネルギーの法則がありません。あるのは視点という目力だけです。目力は運動エネルギーではありません。もちろん視点を変えても運動エネルギーは出てきません。だから物を動かす力はありません。

一方、宇宙を動かしているのは万有引力だということなら、エネルギーは万有引力です。実際この本にも地球の公転、太陽の公転、銀河どうしが重力によって引き寄せられると書いてあります。すべて万有引力による動きです。

万有引力は宇宙の果てまで届くというのが定説です。また、観測できている範囲には星や銀河あります。宇宙のすべてに万有引力はいきわたっています。宇宙のすべての物質は万有引力によって動かされているといえます。そして、万有引力は見る立場を変えても強さを変えません。地球から見たから、太陽から見たから、天の川銀河の中心から見たからといって、星や銀河の万有引力の強さが変わることはありません。したがって、地球や太陽や天の川銀河にかかる万有引力は変化しません。万有引力によって動いている宇宙の全物質は動きが決まっています。見る立場によって運動エネルギーは変化しないのだから相対性原理によって星や銀河の速度や動きを変えることはありません。

このほかにも、物質は星の内部の核融合や衝突や爆発などのエネルギーで動いています。もちろんこれらのエネルギーも視点によって強さが変化することはありません。万有引力を含めこれらのエネルギーの大きさは、視点ではなくそれ自身によって決まっています。したがってこれらのエネルギーで動いている宇宙のすべての物質の速度は絶対速度です。

また、{視点を変えると必ず動いている}として{公転運動の中心となる、太陽や、天の川銀河の中心は静止しているように思えますが,見る立場や範囲を変えれば,必ず動いているように見えます。}とあります。

相対性原理は宇宙のすべての物質が視点の変更によって止まったり動いたりするという理論です。ところが、相対性原理には物質の速度を変えるための運動エネルギーが存在しません。

ある視点では、止まっている太陽や、天の川銀河の中心が、視点を変えると動きだすということですが、そのときの運動エネルギーの出所がありません。太陽を動かしたり、止めたりするには巨大なエネルギーがいります。天の川銀河を動かすとなると、それこそ天文学的エネルギーでも足りないでしょう。そのエルギーが視点を変えるだけで出てくるという相対性原理の運動エネルギーの法則はどうなっているのでしょう。ニュートンの慣性の法則や、エネルギー不変則の完全否定ですから相対性原理者はその運動エネルギーの法則を示す必要があります。しかしその運動エネルギーの法則は示されていません。

{公転運動の中心となる、太陽や、天の川銀河の中心は静止しているように思}っているのは宇宙のことを何一つ知らない人か、相対論者くらいです。いくら相対論者が太陽は止まっていると思っていても、太陽が銀河系の中をまわっているのは事実です。その速度も天の川銀河の質量と中心からの距離と、太陽の質量で決まっている速度です。{見る立場や範囲を変え}ても、その絶対速度は変わりません。変わるのは、見る立場の人との相対速度です。また銀河系が周りの伴銀河や、アンドロメダ銀河と万有引力で引き合って動いているのも事実です。これもやはり、見る立場によって速度が変わったり、静止したりはしません。なぜなら、見る立場が変わっても、太陽や、銀河系を動かしているエネルギーは変化しないからです。太陽や、銀河系の速度を変化させるには、エネルギーである万有引力を変化させるか、質量を変化させるかしかありません。

見る立場を変えたからといって、運動エネルギーに変化が起こることはありません。エネルギーなしで物の速度を変えることはできません。いかに相対論者の目力が強くてもです。ニュートンの慣性の法則です。相対性原理の根本的な間違いは、エネルギーなしで物を動かしたり止めたりするところです。その運動法則は、動いているように見えるから動いている、止まっているように見えるから止まっているという、子供だましの運動法則です。

結論

{宇宙から見}たから地球や太陽や銀河が動いているのではありません。万有引力で動いているのです。誰がどこから見るかに関係なく、宇宙の物質の動きは与えられた運動エネルギーに応じて決まります。

宇宙から見れば地球が動き、地球から見れば宇宙が動くという相対性原理は見てくれだけの問題です。実際の地球の動きではありません。

 

 

問題 相対性原理の矛盾について

{宇宙から見れば}{東京にいる人}は{地球の自転によって24時間で約3.3万キロメートルを1周しますから,時速1300キロメートル以上の猛烈な速さで動いています。}

{地球は自転しながら,太陽の周りを1年かけて公転しています}

{太陽は動かないように思えるかもしれません}

{太陽も}{天の川銀河の中を2億年かけて公転しているので}

{さらに広い範囲で見てみると,銀河どうしは互いの重力によって引き寄せられるように動いていることが知られています。}

考察

本では{宇宙から見れば}と視点が限定されています。その場合に、地球も太陽も天の川銀河も、銀河も、その他すべての物質が動いているといっています。では宇宙を視点にしない場合はどうなのでしょう。相対性原理では、視点はなにをとっても自由です。宇宙船Aから見ればとか、宇宙船Bから見ればとかなのですから。

相対性原理なら、相対性なのだから、{宇宙から見れば}、の反対の、地球から宇宙を見れば地球が止まり宇宙が動いているという視点を入れなければなりません。すると、地球が止まります。静止した場所ができてしまいます。

同じように、太陽から宇宙を見れば天の川銀河から宇宙を見ればという視点が抜けています。意図的に抜いたのでしょう。これでは太陽が静止したり、天の川銀河の中心が静止してしまいます。相対性原理では必ず視点となったところが静止してしまいます。そこで、{完全な}という言葉を入れたのでしょう。視点を地球にすれば地球は静止するが、視点を火星にすれば、地球は動いている、となるから、静止することはあるかもしれないが、動くこともあるから、完全な静止ではないと言いたいのでしょう。言葉は使いようですね。

そのほかにも問題が起こります。地球を視点にすると宇宙が地球の反対方向に動いてしまいます。それも困りものですよね。

 そこでもうすこし詳しくみてみます。

(1)地球の速度

{宇宙から見れば}{東京にいる人}は{地球の自転によって24時間で約3.3万キロメートルを1周しますから,時速1300キロメートル以上の猛烈な速さで動いています。}

考察(1)

ア ニュートンで考えてみます。

地球の自転は絶対速度です。地球の自転速度が視点が変わることによって変わることはありません。1日は24時間です。1年は365日です。どこから見ても変わりません。視点によって地球の自転速度が変わることはありません。絶対速度です。

 ニュートンでは、地球の速度はこれだけではありません。ニュートンでは、ここに書いてある、太陽系での公転速度、天の川を回る速度、天の川が動く速度を足し合わされた速度で動いています。この速度も、視点が変わることで速度が変わることはありません。視点によって地球の公転速度が変わったら、地球の軌道が太陽から離れたり、近づいたりしてしまいます。下手すれば太陽に落ちたり、太陽系から飛び出したりします。このようなことは起こっていません。地球の速度は、決まっているということの実証です。反対に地球の自転速度や、公転速度が決まっているということは、相対性原理の否定の実証になります。この本でもそれを認めています。

 このとき光も宇宙空間に対して絶対速度を持ちます。光速度です。物質も、宇宙空間に対して絶対速度で動いているので、光と、物資は相対速度を持ちます。光は観測者に対して光速度であるということにはなりません。これは書いたように、宇宙背景放射に対する地球の相対速度が測られたことや、チェレンコフ光が観測されたことなどで実証されています。

 

イ 相対性原理で考えてみます。

 Aから見れば、Aが止まりBが動く。Bから見れば、Bが止まりAが動くという考えです。

 A{宇宙から見れば}、宇宙が止まり、B{東京にいる人}は{猛烈な速さで動いています}、反対に{東京にいる人}から見ればと京にいる人は止まり、{宇宙が猛烈な速さで動いています}

となるはずです。宇宙が猛烈な速さで地球の周りを回転します。光速の何千倍何万倍何億倍の速度です。これが相対性原理の宇宙です。

地球から{宇宙}を見ると、このように、ありえない現象が起こってしまいます。だから、東京にいる人から宇宙を見ると、という視点は書いていないのでしょう。相対性原理は、都合が悪いことは書かないようです。

 

{「完全に静止した場所」はどこにも存在しない!}

考察

東京の人からすべての銀河までが動いていると述べています。だから、{「完全に静止した場所」はどこにも存在しない!}ということなのですが、この場合唯一静止している場所があります。宇宙です。視点となった宇宙が静止しています。それを知らんふりしています。この宇宙空間の静止が、絶対速度の宇宙です。その中で、すべての物質は絶対速度で動いています。万有引力は宇宙のすべてに働いています。したがって、すべての物資は引力による加速運動を起こしています。宇宙の物質で止まっているものはありません。ところが相対性原理では、止まっているものがつねにあります。視点です。Aから見るとAが止まり、Bから見るとBが止まりとなります。必ず止まるものが1か所できます。その他の物質も、視点になることができますから、すべての物資には止まる可能性があるということです。{「完全に静止した場所」はどこにも存在しない!}と述べていますが、静止した場所はどこにでもできるのが相対性原理です。

問題3

{このように視点を変えることで、宇宙のすべてのものは,動いているようにも、止まっているようにも見えます。}

考察

この場合の視点は{宇宙から見れば}だけしか書いてありません。そして、東京の人から、すべての銀河まで、宇宙のすべてが動いていると述べています。{止まっているようにも見えます。}というけれど、止まっているようにも見えるものは書いてありません。止まっているものを書いていないのに、{止まっているようにも見えます。}は変な話です。

唯一、「宇宙」が止まっていますがそれは内緒にしています。宇宙だけが止まっているといえるけれど、それでは上に書いたように相対性原理の否定になってしまいます。ニュートンの、宇宙空間は静止しているという、アインシュタインが否定している考えになってしまいます。ニュートンの絶対空間、絶対時間を否定したのが相対性理論の相対性なのだから何としても宇宙は止まっては困るのです。

 

結論

ニュートンの考える宇宙の物質は万有引力で動いています。相対論者の考える宇宙は視点で動いています。

宇宙の物質を動かすのは万有引力でしょうか、それとも、目力でしょうか。

宇宙のすべての物質は万有引力で動いています。視点を宇宙にしたから動いているのではありません。

視点を変えて動きが変わるものは、想像の世界の中の宇宙船Aと宇宙船Bだけです。現実世界の地球も月も太陽も銀河も、宇宙にあるすべての物質は、絶対速度で動いています。

相対性原理は空想の世界の中の法則です。