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ヒッグス粒子への疑問3
著者 田 敞
参考図書
「図解雑学よくわかるヒッグス粒子・広瀬立成・ナツメ社」
「ヒッグス粒子の発見・イアン・サンプル・講談社」
(以下{ }内は図解雑学よくわかるヒッグス粒子。[ ]内はヒッグス粒子の発見よりの引用)
「動きにくさ=質量」ということは「質量=動きにくさ」ということです。「質量≒動きにくさ」あるいは「質量>動きにくさ」ではないの。質量ってこれで必要充分なの。動きにくいから、地球は太陽の周りを公転できているんだ。ヘエー!
問題1
ヒッグス粒子と素粒子が作用をして抵抗力を受けるため、動きにくくなる=質量の獲得
考察
質量には、慣性質量と重力質量があるといわれています。
1 慣性質量とヒッグス粒子
慣性質量は運動エネルギーを保存します。運動エネうギーは増えも減りもしません。この現れが、新たなエネルギーが加わらない限り物質が等速直線運動をすることです。
ヒッグス粒子の海の中で抵抗力を受けて動きにくくなった素粒子は、どのようにして、慣性質量の持つ運動エネルギーを保存する仕組みを手に入れたのでしょう。
抵抗力を受けて動きにくくなることで、運動エネルギーを保存する仕組みを手に入れられるのでしょうか。この肝心なことの説明はありません。有名人が入ってくると、人が集まって有名人は動きにくくなるなどという、何の関係もない比喩で分かったようなことを書いているだけです。
2 重力質量とヒッグス粒子
アインシュタインによると、物質は空間をゆがめるということです。そのゆがんだ空間に物質が落ちるのが重力だということです。ではヒッグス粒子によって動きにくくなった素粒子、あるいは、[ヒッグス場に手なずけられて重さを獲得し]た素粒子は、この重力質量(空間をゆがめ自らそこに落ちる性質)をヒッグス粒子からどのようにして受け取ったのでしょう。科学者はこれで十分説明できたというのでしょうが、分かりますか。「動きにくさ=質量」、「手なずけられた=重さ」、では何の説明にもなっていないと思うのですが。
重力質量は空間を曲げるといっています。その性質を、どのようにしてヒッグス粒子は素粒子に与えたのかが肝心なことです。それが書かれていません。また、曲がった空間に重いから落ちるといっています。空間に落ちる重さをどのようにしてヒッグス粒子は素粒子に作ったのかが書かれていません。
ニュートンの万有引力の考えではどうでしょう。物質は引っ張る力を持っているという考えです。実際の現象はこの通りです。リンゴが落ちる現象も、太陽系の惑星の運動も、これできっちり説明がつきます。
ではヒッグス粒子はこの万有引力(物質どうしは引き合うという性質)をどのようにして物質に与えたのでしょう。こちらの性質でも説明できない現象です。
(補足;アインシュタインの、物質は重いのだから空間のへこみに落ちるという考えは、ニュートン以前の、リンゴは重いから落ちるという考えと同じです。ニュートンの、物質は万有引力を持っているから引きあってリンゴは落ちるという考えの方が正しいと私は思っています)
3 いつ質量を持ったか
「図解雑学よくわかるヒッグス粒子」では、重力はビッグバン{−1032秒}のとき原始の力から分離していることになっています。ヒッグス粒子が素粒子に質量を与えたのは{−1011秒}とか、{−1015秒}くらいとかです。(はっきりしていません。この違いは時計では測れませんからね。また、これは仮説です。証明はされていません。ねんのため)
このことから、素粒子が、「重力質量」を持ったのは{−1032秒}のときで、「動きにくさ」を持ったのは{−1015秒}あたりであると考えられます。(注:この{−1032秒}という書き方は本の通りです。1032秒分の1という意味です)
ヒッグス粒子が働く前に重力が現れています。素粒子が重力質量を持った方法は、どのようになっているのでしょう。ヒッグス粒子は働いていないのだから、他の方法で素粒子は重力質量を持ったようです。「ヒッグス粒子の発見・イアン・サンプル・講談社」では[ヒッグス場に手なずけられて重さを獲得し]となっているので、ヒッグス粒子が重力質量を与えたことになっていますが、重力が現れた時と、ヒッグス場が働いたときとでは時間差があります。その間、重力はどこにあったのでしょう。また、どのようにして原始の力から分離した重力をヒッグス粒子は獲得したのでしょう。これも不明です。そしてその重力をあやつって素粒子に与える反応をする仕組みをヒッグス粒子はどのようにして持ったのでしょう。これも説明がありません。
重力は現在物質が担っています。インフレーションビッグバン論ではそのほかに、大半の重力をダークマターが担っているということです(今のところ、ダークマターは直接観測されていないし、何であるかさえ分かっていないので、この説は仮説にしかすぎないが。仮説であるのさえ難しいと私は思いっていますが)。
としても、重力が分離したときその重力を担ったのは実態のある何かであることは類推できます。「無」や「真空」が担うわけにはいきませんからね。重力をまずヒッグス粒子が取り込み、それを物質に受け渡すということでしょうか。二重手間をあえてしなくてはならない意味はあるのでしょうか。
また、ヒッグス粒子が素粒子に重力を与えたとしたら、ヒッグス粒子の寿命が問題になります。ヒッグス粒子は[10−22秒間しか存在できない]ことから、重力を担ったヒッグス粒子は瞬く間に崩壊して、ヒッグス粒子が、物質に質量を与えたといわれている、10−15秒まで存在することはできません。ヒッグス粒子は次々と消滅し、あらたに現れるヒッグス粒子に重力を手渡していったのでしょうか。その数は100万代くらいになるでしょうか。その手渡す仕組みはどうなっているのでしょう。
4 動きにくさ=質量
動きにくさが質量であるという説明に、軽いものは簡単に動く、重いものはなかなか動かしにくい。だから質量は動かしにくさだ、という説明を見ます。
何故、質量は、慣性質量と重力質力がある、そのものではだめなのでしょう。わざわざ質量は動かしにくさであるなんて子供言葉に言い変えるのでしょう。簡単です。慣性質量とか重力質量では、ヒッグス粒子がどのようにして物質に質量を与えたか説明できないからです。動かしにくさなら、ヒッグス粒子があると動きにくくなるでしょ。だから、質量を獲得したのですよ、といえるからです。しかし、上に書いたように、慣性質量も、万有引力も動かしにくさとは関係ありません。動きにくくなったところで慣性質量や、万有引力を獲得したことにはなりません。なんで、こんな子供だましみたいな理由を科学者が信じているのでしょう。
結論
{動きにくさ=質量}であったり、[重さ]が質量であったりと、本によって主張が異なります。したがって、ヒッグス粒子が物質に質量を与えた方法の説明も異なります。両者とも同じことだというのかもしれませんが、運動エネルギーを保存して等速直線運動をする慣性質量と、物質同士互いに引き付けあう万有引力では性質に大きな違いがあります。その性質を素粒子に与えるには、動きにくさだけでは説明できません。
「動きにくさ=質量」とすることでヒッグスメカニズムが簡単に説明できるかもしれませんが、それでは、質量の肝心の性質、慣性運動や、万有引力は説明できなくなります。慣性質量や、重力質量では説明できないから、質量を動きにくさと言い変えたのではないでしょうか。動きにくさなら、「有名人が動きにくくなる」、で説明できますからね。あるいは、物質を手なずけて、勝手に走っていかないようにしてもかまわないですからね。言いくるめるために言い変えたのではないでしょうか。
ヒッグス場、あるいはヒッグス粒子が、どのようにして、素粒子に運動エネルギーを保存する仕組みを与えたのか、万有引力を生む仕組みを与えたのかを科学的に説明しなければならないはずです。