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ブラックホールと時空の方程式(小林新平・森北出版株式会社)3

 

田 敞

(以下{ }内は上記本よりの引用)


1 光速度不変についての小林氏の説明

 

・ {この光の速さ、私たちが一定の速度で動く運動(等速運動)をする限り,光源の運動によらず,真空中であれば秒速30万kmであることが実験から確かめられています。}

・ {光を追いかけた場合は、たとえあなたの速度が秒速30万kmでも,相変わらず光は秒速30万kmで飛んでいるように見えると言っているのです。}

・ {アインシュタインは「それでも鏡に自分の顔は映るだろう」と結論したそうです。つまり、たとえ光の速さで鏡を逃がしても、鏡にとって光は相変わらず秒速30万kmで追いかけてきて、ちゃんと鏡に届くだろうと考えたというのです。前にも述べたように,光の速さはどんなふうに観測しても秒速30万kmのままであることがこれまでに数えきれない数の実験で検証されていますので,アインシュタインの出した結論は当たっているのですが、これは私たちの日常的な感覚とは相いれない結論ではないでしょうか。}

 

その理由をガリレイの相対性原理から説明しています。

・ マストからボールを落とすとき{「船が等速で動いているなら,マストから落とした位置の真下に同じように落ちる。」}

{一定の速度で動く乗り物のなかにいるとき,そこでもボールの落ち方や飛び方,私たちの足や体で感じる,ニュートン力学で扱う法則はなにも変わりません,これをガリレイの相対性原理と言います。物体が動く様子が一切変わらないということは,一定の速度で動く電車の窓がもし真っ暗なカーテンで覆われていたら,私たちは電車が動いていることに気づくことすらできないということです。}電車が止まっているか、動いているか{自分がどっちの状況にいるのか判断する手立てがないからです。}

 

 

問題1 光速度不変の原理と、ガリレイの相対性原理の関係

{ニュートン力学で扱う法則はなにも変わりません,これをガリレイの相対性原理と言います。}

マストからボールを落とすとき{「船が等速で動いているなら,マストから落とした位置の真下に同じように落ちる。」}

 

考察1

 これは書いてある通りニュートン力学のことです。相対性理論のことではありません。なぜ、相対性理論のことなのに、ニュートン理論を説明するのでしょう。その理由が書いてありません。ニュートン理論と相対性理論が同じであるというのでしょうか。それなら、その根拠を書かなくてはなりません。それがありません。

 そこで、光速度不変と、ガリレイの相対性理論が何の関係もないことを以下に述べてみます。そして、なぜ、小林氏がニュートンの相対性理論を述べなくてはならなかったかも。

 ボールを落とすとき、{マストから落とした位置の真下に}落ちるのと同じ現象は、実験や日常の現象で観測されています。ボールを地上に落としても同じようにほぼ真下に落ちるのがその例です。地表が自転や公転や、銀河の回転によって高速で動いているのにボールは取り残されません。ところで、地表は自転や公転などで複雑に回転しているので、慣性系ではありません。それでも、ボールがほぼ真下に落ちるのは慣性の法則からです。

ア ガリレイの相対性原理

 この現象が起こる原因は慣性の法則です。質量のある物質は、慣性質量を持っています。マストのてっぺんにいる人も、その人が持っているボールも、船と同じ速度で動いています。ボールはこの運動エネルギーを保存します。したがってボールが手から離れてもそれまでと同じ速度で等速直線運動をします。船と同じ速度で、同じ方向に動きます。ところがボールには万有引力が働いています。ボールから手を離すとボールは地球に向かって加速運動を起こします。慣性の法則で船の進行方向に向かって進むのと同時に、加速しながら甲板に向かって落ちます。したがって、{マストから落とした位置の真下}にボールは落ちます。これがガリレイの相対性原理が起こる原因です。慣性系だからということではありません。実際、地表と同じように船は宇宙を回転しながら飛んでいるので慣性系ではありません。万有引力が働いている運動なので加速系です。もちろん、マストの上のボールは、船の速度に加わっている地球の速度も持っています。

 (注:カモメが船の上を横切りながら糞をすると、糞はカモメの速度を保存しているので、糞はカモメが糞を落とした瞬間の速度で、船を横切りながら落下します。糞が離れた瞬間の真下の甲板には落ちません。これは走る列車内に窓から飛び込んだボールも同じです。ボールは列車の速度を持っていないのでそのまま直進します。だから、列車が走っているので、飛びこんだ時の向かいの窓に当たるのではなく、その後ろの方に当たります)

 では光はどうなるでしょう。

イ 光はボールと同じように真下に落ちるか

 マストのてっぺんに付けたライトから光を真下に発射するとします。光には質量がありません。したがって、船の速度を保存する慣性質量がありません。だから、慣性の法則は当てはまりません。すなわちガリレイの相対性原理は当てはまりません。これは{この光の速さ、私たちが一定の速度で動く運動(等速運動)をする限り,光源の運動によらず,真空中であれば秒速30万kmである}と書いてあるように、マストのてっぺんの光源の速度(ようするに船の速度)は光の速度には影響しないということです。したがって、ガリレイの相対性理論の範疇には光は入りません。光源の速度が影響しない光は、支持しているものの速度の影響を受けるボールのようには真下に落ちるとはいえないのです。

 ボールは船の速度に影響されるけれど、光は船の速度には影響されないということです。慣性の法則があてはまるガリレイの相対性原理と、慣性の法則とは無関係のアインシュタインの相対性原理の大きな違いです。ガリレイの相対性原理には光は含まれないということです。ところがアインシュタインの相対性理論では光も真下に落ちるのです。不可思議なことです。その原理はなんなのでしょう。

 具体的に考えてみます。

 ガリレイの相対性原理では、船が時速3kmで走っていると、ボールも時速3kmで進行方向に進みながら落下します。だから、{マストから落とした位置の真下}にあった甲板に落下します。(注:海に対しては、放物線を描いて落下します。だから海に対しては元あった真下ではありません)

 船が時速40kmで進んでいたら、ボールも時速40kmで進行方向に進みながら落下します。だから{マストから落とした位置の真下}にあった甲板に落下します。

 では光はどうでしょう。

 光は光源の速度を保存できないので、船が時速3kmで走っているときには、光は独自の速度、30万kmで真下(この真下が問題です)に進みます。光源の影響を受けないのだから船の進行方向には進まないはずです。したがって、{マストから落とした位置の真下}には落ちないはずです。光が下に着く間に船は時速3kmで前に進んでいるのですから。ところがアインシュタインの相対性理論では、やはり{マストから落とした位置の真下}の甲板に光が当たるというのです。船が時速40kmで進んでいるときも、やはり、{マストから落とした位置の真下}の甲板にあたるというのです。

 このように、相対性理論では、光は船の速度を何らかの方法で手に入れて、船が時速3kmで進んでいるときは時速3kmで船と共に進行方向に進み、船が時速40kmで進んでいるときは光も時速40kmで船と共に進んでいきます。光源の速度と関係ない光がどのようにして船の速度を手に入れているのでしょう。

 ガリレイの相対性原理は、慣性の法則で説明ができています。しかし、光には、慣性質量がないので、慣性の法則は適用できません。相対性理論では光源の速度は光に影響しないとこの本でも言っています。何が船の速度を光に与えているのでしょう。あるいは光は船の速度をどのようにして手に入れているのでしょう。その説明をするのが本筋のはずです。ところがその理由については何一つ説明していません。ガリレイの相対性原理が光にも当てはまるかのように言っているのはどうしてでしょう。もちろんガリレイの相対性原理が光にも通用するという理由は述べていません。もし、速度によって時間の速度が変わることが光が真下に落ちる原因であるということなら、ボールの落下も、速度による時間の速度の変化によって、真下に落ちるということになります。そうでしょうか。それではガリレイの相対論と異なります。どちらにしろ、光と、物質の法則は違うのですから、ガリレイの相対論は持ちだす必要はありません。原因を勘違いするだけです。

結論

 ガリレイの相対性原理と、アインシュタインの相対性理論は原理が完全に違います。アインシュタインの相対性理論の光速度不変を説明するなら、ガリレイの相対性理論(物質の運動)を説明するのではなく、光がどのようにして船の速度を感知しそれと共に動くのかを説明しなくてはならないはずです。しかしそれは一言も触れられていません。なぜでしょう。説明できないからでしょう。だから、ガリレイの相対性原理を持ちだしているのでしょう。多くの相対性理論者がそうです。しかし、上に書いたようにガリレイの相対性原理は慣性質量のない光には当てはまりません。それで説明することはできません。

 それくらい科学者なら分かっているはずです。なぜ、ニュートンやガリレイの相対性理論ではなく、アインシュタインの相対性理論そのもので、光が真下に落ちる原理を説明しないのでしょう。

 簡単です。できないからです。だから、ガリレイの相対性理論を持ちだして、これと同じだ、と言って、ごまかしているのです。述べたように、光には慣性質量がないのですから、ガリレイの相対性理論では説明できません。それで説明するのは間違いです。

 多くは慣性系というのを持ちだして説明しているのですが、地球は書いたように加速系です。この宇宙は、万有引力があるので、すべての物質は加速系になります。一歩譲って慣性系としても、それの元になるのは慣性質量ですから光は入りません。したがって、慣性質量のない光がどのようにして船の速度を手に入れるのかの説明は不可欠です。

 

問題2

{光の速さはどんなふうに観測しても秒速30万kmのままであることがこれまでに数えきれない数の実験で検証されていますので,}

考察

これがひとつの説明です。事実なんだから事実なんだということなのでしょう。しかし、これでは原理はわかりません。原理は分からなくても、事実がそうだから、というのかもしれません。それなら、まるっきり関係のないガリレイの相対性原理を持ちだして、さも、光もボールと同じように真下に落ちるという必要はまったくありません。それなのに持ちだしているのは、直接アインシュタインの相対性原理を説明できないから、代わりにガリレイの相対性原理を持ちだしているのでしょう。これが原理だということでごまかしているのでしょう。まさかボールが真下に落ちることと、光速度不変が同じと思っているわけではないでしょう。物理学者なんですから。

 {これまでに数えきれない数の実験で検証されています}ということですが、いつどこでだれがどのような実験を行ったのでしょう。マイケルソン・モーリーの実験以外に見たことがありません。ここでも、そのことについて具体的には記述されていません。具体例がなければ判断のしようがありません。事実だというためには、マイケルソン・モーリーの検証実験を具体的に示さなければならないはずです。検証実験のない実験は、まだ仮説の段階です。実証されたとはいえないのが科学の常識です。数え切れない観測や実験の中のひとつだけでも、いつどこで誰が検証実験を行ったかを示せばいいのです。そうしなければならないはずです。抽象的な{数えきれない}、は科学ではありません。

 ボールと光は根本的に違います。それを云わずに、ボールで光の不変性を証明しようとしているということは、{これまでに数えきれない数の実験で検証されています}ということも、ごまかしである可能性があるということかもしれません。

結論

 光が船の速度を手に入れる原理と、{これまでに数えきれない数の実験で検証されています}という、マイケルソン・モーリーの実験の検証実験の具体例をせめて1つだけでも示す必要があります。それがなければ科学としては、光速度不変を証明したことにはなりません。それが一番肝心なのに、そのことに一切触れていないのはどうしてでしょう。分かっているのでしょうから説明するのは簡単なはずです。光速度不変とは関係ないガリレイの相対性原理をながながと説明する暇があるなら、肝心なそのことをちょこっと書けば済むことです。そうしないでガリレイの相対性理論を持ちだすのは、本当は分かっていないんじゃないかというごまかし感を深めます。

 

 (わたしは、光速度不変は起こっていないと考えています。だから、{これまでに数えきれない数の実験で検証されています}というのは間違いだと思います。マイケルソン。モーリーの実験も含めて)

 このことについて次に考えてみます。

 

問題3

・ {この光の速さ、私たちが一定の速度で動く運動(等速運動)をする限り,光源の運動によらず,真空中であれば秒速30万kmであることが実験から確かめられています。}

考察1

 どの実験から確かめられたのでしょう。マイケルソン・モーリーの実験は有名です。けれど、その検証実験はだれがいつやったのでしょう。不明です。

 同じ原理を使った、重力波の実験装置は、調整に半年とか1年とかかかったということです。かなり難しく微妙な装置のようです。今の技術を持ってしてもそれほど難しいのです。マイケルソン・モーリーの実験は正しく出たのでしょうか。それ以上に、検証実験を明確にするべきです。

考察2

ニュートン力学では、この光の速度は真空中の絶対速度です。ニュートンは、絶対空間絶対時間の考え方だからそうなります。物質も絶対速度を持ちますから、光と物質は相対速度を持ちます。したがって、光は絶対空間に対して光速度不変になります。

 相対性理論では相対空間相対時間だから物質の速度は定まりません。相対性理論では、見た人の立場によって物質の速度が変わるという不思議な現象が起こります。その中で、なぜか、光だけが、どのような速度の物質に対しても光速度になるというのです。物質に対して光速度不変になるというのです。

 絶対空間に対して光は絶対速度であるというニュートンの考え方と、すべての物質に対して光は絶対速度であるというアインシュタインの考え方は、まるっきり違う考え方だということです。

 例えば、ニュートン力学では地球に対して光は方向によって「光速度±地球の速度」になります(注:ニュートン力学では当然地球の速度も絶対速度です)。相対性理論では、地球に対してどの方向の光も必ず光速度になるということです(注:相対性理論では地球の速度は定まりません。観測者によって速度は変わります。例、アンシュタインいわく、列車から見ると軌道が動く。軌道が動くということはそれに固定している地球も列車に合わせて動くということです)。

相対性理論者は、ニュートン力学は相対性理論の近似値であると言っていますが、このように考え方が根本から違うので近似値にはなりません。

具体的に考えてみます。

 秒速10万kmで飛ぶロケットの後から光が追いかけると、ニュートン力学では、光はロケットに対して、20万km/s(=30万km/s−10万km/s)で衝突します。しかし、相対性理論では、ロケットに30万kmで衝突します。10万km/s相対性理論の方が速くなります。

 そのロケットの正面から光が来ると、ニュートンでは相対速度で40万km/s(=30万km/s+10万km/s)で衝突します。しかし、相対性理論では、30万km/s(何ものに対しても光速度)で衝突します。今度はニュートンの考え方の方が10万km/s速度が速くなります。

 地球の赤道付近は、ほぼ音速で回転しています。東からの光は、ニュートン力学では、地表に対して、相対速度が「光速度+音速」になりますが、相対性理論では、光速度になります。反対に西からの光では、ニュートン力学では「光速度−音速」になり、相対性理論では光速度になります。ニュートン力学と相対性理論ではプラスマイナス音速の違いがでます。とても近似値とはいえません。(地球は宇宙空間を秒速数百kmで飛んでいるので、ニュートン力学では実際の光と地球表面の相対速度はもっと大きな値になります。しかし相対性理論ではどれも同じ光速度で変化はありません)

通常の速度では近似値だということでしょう。では、秒速20mで走る車で考えてみてください。光が車を追いかけるとき、相対速度はニュートンでは,30万km/s−20m/s、相対性理論では30万kmになり、ニュートンの方が20m/s遅くなります。反対に光が前から来る時は、ニュートンでは30万km/s+20m/sになりまず。しかし、相対性理論では30万km/sになり今度はニュートンの方が20m/s速くなります。(実際は、車は地球の速度も持っているので、この速度ではありませんが、考え方を示すために簡単にしています)

 光の速度に比べれば微々たる違いですが、秒速20m/sは通常の世界では近似値とはいえません。通常の速度でも、近似値にはならないということです。

 このように、ニュートン力学と相対性理論では、値が大きく異なります。とても近似値とはいえません。なぜ、相対性理論者は近似値というのでしょう。はっきりと、ニュートン力学は間違っていると言えばいいのです。なぜ躊躇しているのでしょう。不思議です。

 簡単です。ニュートン力学で計算した答えは、事実と一致しているからです。しかし、どちらかが間違っていることは確かです。値が違いすぎます。考えも違いすぎます。

 

問題4

{アインシュタインは「それでも鏡に自分の顔は映るだろう」と結論したそうです。}

考察1

 鏡に映った自分の顔を見るためには、顔から出た光が鏡に反射して目に帰って来なければなりません。

ア 相対性理論で考える

相対性理論では、光は何ものに対しても光速度であるということです。だから、行くときは光速の鏡に対して、顔から出た光は鏡に対して光速で追いかけます。反射して帰ってくるときにも、鏡に対して光速で離れます。もちろん顔も鏡と同じ速度ですから、顔に対しても光速です。

 行くときも帰るときも光速で飛ぶ鏡に対して光速であるためには、光は行くときは60万km(=鏡の速度30万+光の速度30万)で、帰るときは0km(=鏡の速度30万−光の速度30万)でなくてはなりません。そうしなければ光速の鏡に対して光は光速になれません。

 光の速度は秒速60万kmと秒速0kmの二通りになります。これでは光速は不変であるという相対性理論に反します。では光の速度が不変であるためには、光ではなく、鏡(それを手に持っている自分も)が速度を変えるしかありません。30万km/sで飛ぶ光が、鏡に30万km/sで衝突するには鏡が(自分も)0m/sである必要があります。帰るときも同じです。光が鏡から30万km/sで離れるには鏡は0m/sでなければなりません。その時に、はじめて行きも帰りも、光は鏡に対して30万kmになります。

そのためにローレンツ変換があるのかもしれません。速度が速くなると、時間が遅くなるという計算式です。相対性理論では光速の場合は時間が止まるということです。時間が止まると、動けなくなります。「距離=速度×時間」だから、時間が0になれば動く距離は0mになります。ローレンツ変換ではなく小学校の算数です。飛ぶ私が持った鏡は光速度だから時間が止まります。時間が止まるのだから、私も鏡も速度は0m/sになります。光は光速度で止まっている鏡にあたり、光速度で私に戻ります。めでたしめでたしです。

しかし、問題が生じます。それでは光速で飛ぶ私の持っている鏡という条件がなくなってしまいます。これでは、光速で飛ぶ鏡ではなく、止まっている鏡に自分の顔が映るかどうかの検証になってしまいます。これでは光速度不変の検証にはなりません。

もうひとつの問題も生じます。私が光速で飛ぶと、私の時間が止まります。私から見た(見ることができたならですが)光も時間が止まるので、光は停止してしまいます。秒速30万kmの光も、0秒では0kmしか飛べません。光は鏡に届きません。

光速で飛ぶ私の持つ鏡という設定は、相対性理論では時間が止まってしまい不可能なことになります。

イ ニュートンで考える

 ニュートンの絶対空間絶対時間で考えてみます。

 光は絶対空間に対して真空中を光速度で飛びます。光速で飛んでいる私も鏡も、絶対空間に対して光速度です。

 光速で飛ぶ鏡(絶対速度です)に対して、顔からの光は光速(絶対速度)で追いかけます。光とかがみは同じ速度だから光は鏡に追いつきません。したがって顔は写りません。

証拠もあります。小柴氏の観測したニュートリノは超新星から光より少し早めに飛び出しました。数時間後、超新星から飛び出した光はニュートリノを追いかけます。しかし、ニュートリノは地球に光より早く到達していました。光はニュートリノより数時間遅れて地球にやってきています。16億年の間、光はニュートリノの後を追いかけています。16億年かかっても光はニュートリノに追い付けませんでした。光速で飛ぶニュートリノに光が追いつけなかったように、光速で前を飛ぶ鏡に光は追いつけないということの実証です。

 このほかにも、相対性理論の、光が何ものにも光速度であるということに反する現象があります。

ひとつは、顔から鏡に向かって出る光の場合です。

ニュートンの考えだと、進行方向に顔から出た光は顔と並んで飛ぶことになります。すると次々と顔から出る光は顔の周りに溜まっていきます。溜まっていった光は光の衝撃波になります。

相対性理論だと、光は鏡に光速度だから、光は顔から光速で離れていきます。光は顔の周りに溜まりません。光の衝撃波は起こりません。

チェレンコフ光というのがカミオカンデで小柴氏によって観測されています。これはニュートリノにはじきとばされた電子がほぼ光速に近い速度で飛ぶとき見られます。光が電子と並んで飛ぶことで、電子からの光が次々と溜まり、衝撃波を出すことで見られる光です。

これは音速で飛ぶジェット機が音の衝撃波を出すときの仕組みと同じです。

この現象はほぼ毎日観測されています。また、宇宙線が地球上空で大気と衝突するときにもチェレンコフ光を出します。これも、毎日観測されています。

この現象は、顔から出た光は光速で顔から離れていき鏡に光速で当たるという考えに反する現象です。この現象は、相対性理論ではなく、ニュートンの絶対空間絶対時間の考え方にあてはまります。

二つめは、前から来る光が、私に対しては光速ではなく相対速度を変えるという現象です。

これは光のドプラー効果に見られます。地球が光に対して動いているときは、光は青方偏移し、光に対して同方向に動いているときは、光は赤方偏移することが観測されています。これは人工衛星による宇宙背景放射の観測で観測された現象です。原理は、やはり音のドプラー効果と同じ仕組みです。音も光も波であることから起こる現象です。光が観測した人工衛星に対して相対速度を変えているということの証です。

これは新旧2機の人工衛星で観測されているので実証になります。

このように、光もニュートンの絶対空間で考えると、矛盾もなく、実際の現象でも説明がつきます。しかし、アインシュタインの考えだと、多くの矛盾が生じるし、実際の現象にもあいません。

ウ 結論

 アインシュタインの鏡には顔は写りません。彼は間違っています。