果てを探す。それは外側に。
アフガンの韓国人人質事件は、残り全員解放で解決の模様。
ついかっとなって思いつきで反応を仕込んでしまうのは悪い癖か。
そろそろ構造有機化学討論会の要旨を仕上げないとです。
危険物取扱者(甲種)の試験を受けてきました。受験資格(=化学科卒業)が発生してから何度か受けようと考えてはいたのですが、その時々で忙しかったり忘れていたりしてなかなか出願には至っていませんでした。しかしそろそろ片づけねばと春先に奮起し今日に至りました。
とりあえず本屋で試験対策本の棚から、教科書的なつくりのものを一冊選んで一通り勉強することにしましたが、暗記事項の多いこと。加えて、普段の研究等の時間を割くわけにはいかないので、これに割ける時間がある日が一週間の内に一日あればましな方といった感じだったので、春先にはじめて、参考書一冊終わったのが昨日というどうしようもない状況。別に買った、問題と解答だけが試験6回分載っている本を昨晩一晩でひたすら解くということをしていました。
科目「危険物に関する法令」(15問): 消防法別表第一(消防法で言うところの「危険物」の具体的な品名が並べてあり、類別試験の方法とか規制にかかる量とかが書いてあるやつ)まわりはかなり必死になって覚えるようにしたので、それ関係の問題は無難に解けたのだけど、技術上の基準とかの細かい事柄がわらわらでてくるあたりの問題は苦戦した感じ。後の二科目で落第点取ることはまず考えてなかったから、ここで何点とれたかが一番心配だった。
科目「物理学及び化学」(10問): 法別表第一関係を除けば、高校化学そのもの。懐かしい。
科目「危険物の性質並びにその火災予防及び消火の方法」(20問): 化学屋的常識の範疇でなんとかなるものが多い。たとえば、混ぜても発火や爆発、可燃性気体の発生のおそれがないものはどれか、的な問題の五択のうちに、カリウムと水、などという選択肢があるわけです。この二つ混ぜるという発想がまず出てこないんですけれど。あと私は第一類から第六類まですべての類の代表的な物質はあらかた現物を弄ったことがあるのが少しだけ有利だったかな。消化剤については知らないことや誤解していたことが多かったので、勉強していて新たな発見がたくさんありました。
で、試験会場へ向かうと、笹塚の駅からぞろぞろと流れる同士諸君の集団が。受験者は老若男女さまざま。私と同年代か少し上のひとが中心な気がしました。集合時間に着席すると、偉そうなひとが教壇に登って、いい年の面子に向かって小学生にするかのような説教を。曰く試験中は私語は禁止とか鉛筆を落としたら自分で拾ったりせずに黙って挙手しろとか。マークシート式で迅速採点可能と見えて、試験終了後一時間もせずに合格発表。なんと発表前に全員着席を命ぜられて何事かと思ったのですが、受かった人にはその場で合格通知が配布され収入証紙を買わされ免状交付申請書を書かされてと、超ハイペースで免状交付手続きが進行する算段になっていたのでした。それなら免状もその場でくれてもいいじゃんとか思ってしまったのですがそうも行かないらしく、来月送られてくるそうです。
またしても夜になり雷雨。そのまま大学に泊まり。
ギリシャでは放火と見られる山火事が多発しているらしい。オリンピアの遺跡にも火が迫り、一部の区画を焼いたが消失は免れたとのこと。しかし多数の死傷者および家屋喪失者が出ている模様。
日中は晴れていたのだが、夜になり猛烈な雷雨。
傘があっても出ていきたくないくらい降っているし、それ以前に締め切りが迫っているものがいろいろあるので結局泊まり。
暑さのためにとうとう東京電力の電力供給が需要においつかれたか。契約により一部で工場等の操業停止となる事態に。
ひたすら眠る。まだ夏休みは残っているけれど、明日からはラボに出てそろそろ始動するかなあ。
まだまだ晴れて暑い。
那覇空港で航空機火災。乗客乗員は全員脱出して生存の模様。
リトルバスターズ!作中で出てくるロシア語について。発売からもう結構時間経ったから誰かが掲示板かネタばれサイト的なところでまとめていてもおかしくはない気がするので私が言及するのは蛇足なのかもしれないが、個人的なメモ書きということで。
以下とってもネタばれ的。括弧内にローマナイズしたものを示した。一応BGN/PCGN規則に従ったつもりなので音のイメージがつかみやすいと思うけれど、正確な発音に対応するものではない。*印のものは作中で訳が示されているもの。(by 誰それ)は誰それの発言中での訳。間違いとかあったら誰か教えて下さい。固有名詞は主要なもの以外除外しましたがそれ以外でまだ抜けがあるかも。
このあたりも参照のこと。
ロシア語で一応赤点回避した身としては、わからないでは悔しいので手元にある辞書を引いてみたが、すっかり感覚が鈍っているなあ。音からスペルがすぐに綴れないものが結構あって少し往生した。格変化も試験前には全部覚えたのに。使わないと出てこなくなるんだねえ。
ni pukha, ni peraのniはне(=not)ではなくてниでしたね。否定辞 + ni ..., ni ... でneither A nor Bの意になるんでしたね。修正修正。ほかにも多少スペルミス見つけたので修正。
Notes直下にページを独立させたので、最新版はそっちを参照して下さい。
晴れ。日本的な夏を実感。日本的なというのは湿度があるってこと。
C72.今年は行けないかと思っていたがなんとか一日だけ時間が空いた。今回は疲労が抜けきっていなかったため、欲しいものだけ入手してあとはほとんど見物せず帰ったので、全体の雰囲気とかはつかめてないです。
入手物は以下の三点: 「*アタラシイアサ*」(ARIAアンソロジー/LAPUTA発行),「BLUEBOX」(ARIA本/TUGUMIX発行), 「KANAKOMMUNICATION」(マリみて可奈子本/TUGUMIX発行)。いずれも林つぐみ様@TUGUMIXのところで購入。
今回のARIAアンソロジーにもイラストを描かれているタコ焼き様@焦げましたの新刊も欲しかったんですけれどね。起きられたのが昼近くなので会場に着いた頃には既に完売。つーか上記三点が残っていただけ幸運というべきか。
帰国しました。暑さはそれほどでもないのだけれども猛烈な湿度を感じます。これぞ日本。
税関では再びポスターケースについて質問されたが、今度は中身はポスターですかと聞かれた。学会に行っていた旨答えると医療関係ですかとの問い。税関職員がそう認識するほど海外にポスターもっていく日本人医学関係者が多いんだろうか。
飛行機の中で起こされて朝食を出されたのが既に15:00 JST。時計を日本時間に直すと一気に16時間が飛んでいく....。昼飯は抜きで晩飯を食べると体内時計は日本時間に戻った感じだが今度は一気に疲労感が押し寄せてきた。
アメリカ最終日。他の先生方の飛行機の便の時間の関係で朝6時半にホテルを出発してLAXへ。LAXには8時頃着いたがセキュリティチェックを入ってしまうと暇でしょうがない。(手頃な値段の)土産屋は移動可能な範囲内には一軒しかなく、朝飯は一度食べれば満足だし....10時頃には既にあらかた見尽くしてゲート前の椅子に座ってひたすら搭乗時間12:40を待つことに。
そういえばハンバーガーショップってここではじめて行ったなあ。Burger Kingだけど。
アメリカって出国審査ないのね。航空会社のチェックインカウンターで例の緑色のカードがパスポートから外されて回収されておしまい。
飛行機乗って2時間半位した15:30 PT = 翌07:30 JSTに早くも晩飯が配給になり、食べ終わると周りは就寝モードに。体内時計が狂う...
学会最終日。Grubbs先生のNHC-Ru錯体によるメタセシスの話とか。Hoge先生の話も興味深かった。C6F5にかえてアレを私のにも入れてみようかとかちょっと思った。
BanquetはUC Riversideの植物園で。なぜかバグパイプの演奏に迎えられた。なんかつながりがあるんだろうか? ワインとか肉とかポテトとか。夜になり真っ暗の中宴会は続く。電球は灯されているのだがあまり効をなさず手元が見えない。こういうのもいいね。
学会3日目。Hartwig先生の触媒炭素-ヘテロ元素結合生成の話とか。Norman先生のジボランアミド錯体の話も興味深かった。
午後はexcursionということで、AnaheimのDisneylandに行きました。絶叫系の乗り物に乗ったのって何年(or 十何年)ぶりだろう。大人も子供にもどるというが、確かに。
晩飯は園内のレストランで。とにかく料理のサイズがでかい。おかわりなんぞ考えつかないほどに満腹。.....お値段も目玉が飛び出しそうな額になったけれど。
そういえば今日は終戦の日でしたね。
学会2日目。ポスター発表しました。かなり使い古したネタでごめんなさいという感じですが、それなりには見てもらえた、の、かな? そうだと嬉しいです。
昼飯にMain Streetにあるチャイニーズフード屋に行くとご飯っぽいものが食べられた。和食じゃないんだけれど中華でもないよねえ。なんだろう。これはこれで。ここでは飲み物はサイズを言うとカップをもらえて自分で注ぐのだけれども、medium sizeのカップが日本のLサイズよりも遙かにでかいんですが。
夕方RiversideのDowntownというかMain Streetを散歩。通りをどんどん歩いていくって町外れに近づいたあたりで、突然白くて大きな、そして列柱を配したデザインの建物が見えてきた。正面に回ると、階段と広場があってローラースケートとかスケートボードとかやったら気持ちよさそうな感じだが、左右の植え込みに、ここではローラースケートやスケートボードをしてはいけませんという立て看板がちゃんと出ている。何事かと建物を見るとRIVERSIDE COUNTY COURT HOUSEの文字。そのさらに隣には椰子の木がmatrix状に並ぶ広場があって、その次に近代的な四角いビルが並ぶ。このよくわからない組み合わせがかなり興味深かった。後で知ったことだが、両方ともカリフォルニア州リバーサイド郡裁判所の建物で、前者がRiverside Historical Courthouse(裁判所サイトの写真-jpeg image-にリンク)で民事関連の法廷が入っていて、後者のビルがRiverside Hall of Justice(裁判所サイトの写真-jpeg image-椰子の広場含む-にリンク)で刑事関連の法廷が入っているらしい。日本の裁判所もこれくらい見栄えがするとよいのに。
路を引き返していくと市役所の前(裏か?)に二人の子供を携えたKing牧師の像があるのに気が付いた。像の台座には"I have a dream"の句が。昨年の英語の授業で毎週音読練習の題材としてこの句を含む1963年の演説の前後の数パラグラフを読まされてたし、それ以前にとても有名な句なのでもちろん知っていたのだが、台座の裏にも句-"Say that I was a drum major for justice: Say that I was a drum major for peace: I was a drum major for righteousness"が刻まれていた。これは馴染みがないがKing牧師の演説の一節だろうか? ノートに書き付けておいたのであとで調べると、1968年2月4日のアトランタの教会における説教の一節だそうだ。
朝起きると晴れ。新聞やテレビの週間天気予報では晴れ以外の天気がない感じ。
学会初日。はじまりは関口先生のジシリンに関する講演から。Piers先生のPAHのB-Nアナログの講演とかも興味深かった。
Main Streetにあるピザ屋で昼食。ピザのサイズがデフォルトで日本国内で頼むときのLサイズかそれ以上ある。加えて生地の厚みもあるし。アメリカサイズってことですか。
晩にうちの先生ご夫妻他先生方にバーベキュー料理屋に連れていっていただきました。まあなんといっても出てくる(肉)料理のボリュームがすごい。都合8名で4-5名用の料理を平らげるのに必死な感じでした。デザートも注文して良いとおっしゃられたのでold fashioned peach cobblerなるものを試して見ましたが、大皿いっぱいのbread puddingに桃缶煮likeなものがかけてあって、さらに大量の生クリームとアイスクリーム2スコップが添えられているようなものが出てきました。とにかく甘い。おいしいんですけれどそれだけで一食分のカロリー摂れそうなくらい。ごちそうさまでした。
ICHAC-8に参加するべく出発。まずは成田エクスプレスで成田空港(NRT)まで行くのだが、乗る直前に切符を買っても当然満席なわけで。立席券でデッキに立ちっぱなしとあいなりました。疲れるね。
空港のチェックインカウンターで。毎度のことだから慣れてますけれど、ポスターケースの中身について質問される。太めの丸筒で真っ黒なこれはロケットランチャーっぽいからねえ。今回は開けていいですかとか言われなかっただけましかもしれん。
夕食後20:00 JSTには機内は完全消灯モード。読書灯つけてしばらく本でも読むかと思ったがかなり迷惑になりそうだったのでやめて幾分早く一日を終えることに。時計をPTに直すと4:00らしい。まあ眠らなきゃ明日やってられないか。
そして目が醒めると8月12日once again. ちょっぴり不思議な感じ。しかし10:30にロスアンゼルス国際空港(LAX)に着陸したのに、空港を出られたのは12:30。とにかく入国審査が遅々として進まず長蛇の列。やっと番がきたと思ったらいろいろと質問されてなかなか通して貰えない。学会行くとか言うから良くないという話もあるが。ようやく判子二つ押して貰って緑色のI-94Wの下半分をパスポートにホッチキス留めされて解放。対して税関は申告書を提出するとさっさといってしまえ的にあっさり通過。いいのか税関。まあやましいことはなにもないし申告すべきことも特にないので、ここで質問されたり荷物開けさせられたりしてもうざいだけですが。
リバーサイドの宿に着いたのは夕方で、しかも日曜なのでお店があちこち閉まっていて食えそうな場所を探す気力もなくなりそのまま昼・晩飯抜きに。ホテルの裏にpharmacyがあって水とか菓子とか買えるのはよかった。
旅支度完了。
リトバス-最後まで。ネタばれや評論は余所にまかせる。野郎ども最高。
いろいろ現実逃避してHPLC三昧。しかし欲しいものはおらず。うちのNMRは落ちているしフラクションの分析は帰国後かなあ。
リトバス-葉留佳end。いろいろとお約束ごとを総動員してありますが、そのなかでは一番えぐいのをもってきたねえ。
いろいろ現実逃避して反応仕込むがどうも原料が腐っていたっぽい。今後のために大スケールで原料合成したのだけれどもだめだめなかんじ。
ICHAC-8用ポスター最終完成。
長崎の原爆忌。我らの終着か否か。
暑い。もちろん晴れ。
aluminum (American)/aluminium (British)なのね。試薬カタログで混乱に陥り初めて知りました。
全学ゼミ最終日で発表会。私は今回plannerに徹したので、今日はほとんど他の人に任せてしまいました。最近の大学一年生は肝が座っているというか。すごいなあ。
リトバス-唯湖end。だいぶはっきりこのゲームの仕掛けが見えてきた。それにしてもmetaな語りをするのが最近の流行なのか。
広島の原爆忌。それさえあれば戦争がなくなるような究極の兵器なんて実現し得ないということだけがよくわかる。
全学ゼミ4日目。発表会の準備。試しに年会の口頭発表シートをサンプルに提供して、あとは一年生達だけで勝手にやらせてみる.....とこちらの意図した以上に練られた発表資料をつくっている。今日いっぱいでは準備終わらなかったが、これなら大丈夫だよね。
リトバス-小毬end, 美魚end。それなりにメッセージ性のあるお話。それとは別にこのゲームの仕掛けがちらほらと見えるような。
一年生達はお休み。そしてたまっている作業を消化せねば。
リトバス-クドリャフカend。途中から話のスケールがどんどん大きくなってしまってびっくり。舞台仕掛けはなんかあるんでしょうが今はまだ考えないことにします。しかしひとつだけどうにも違和感が。これについて考えるべきか?
風紀委員長-佳奈多-がいい味だしてます。お約束ごとからみればこのひとの本舞台はこのルートではないはずだと思いますが、それでも。
何かとロシア語が多用されてる....それとKydryavka, Strelka, Belka...なるほどねえ。ロシア語選択だったものとしては一度全部辞書を引いてみるべきか。
全学ゼミ3日目。今日は蛍光の肉眼観測と各種スペクトル測定。計画段階ではいろいろと迷走した末に、5人居るので5個すべての化合物について調製・測定するという一番ヘビーな選択に。結果的にはそれが一番良い選択肢だったようでよかった。そして実験は全日程が事故もなく無事に終了。それがなにより。
全学ゼミ2日目。合成の後始末。ものが分離されてくるまではかなり心配だったんですけれど、無事単離。というか単離収率私よりも若干良かったりしますか? それはそれでなんだかなあ。
全学ゼミ初日。合成開始。途中アルゴン風船のコックが外れてしまうとか少々のアクシデントはありましたが事故等なく無事に一日目終了。
秋の討論会の発表申し込み。いろいろとやばいなあ。
赤城農水相は事実上の更迭で辞任。朝青龍のサッカー問題で処分下る。
リトバス-鈴end?だと思うんだけど強制終了な感じ。何か仕掛けがありそう。