ジャスミンの風

                                         
                                           
「羌」を訪ねて敦煌へ−中国シルクロード紀行−16




 翌6月11日(金)は朝早い目に起きて、近くにある「瑠璃廟」を散策する。ここ
は元代〜明代にかけて瑠璃瓦を製造していた所で、現在は筆や墨,紙といっ
た書道や絵画の道具を扱う文化街として知られている。学生街のような落ち
着いた静かな通りを東に15分ほど歩いて、そこここに見られる狭い胡同(フー
トン)地区を通り抜けると、南北方向に延びる広い通りに出る。前門大街という
歩行者天国で、多くの観光客で賑わっている。北端には市電が2両展示され
ていて、つい先ごろまでこの通りを走っていたようだ。その先には箭楼と呼ば
れる大きな城楼が聳えている。地図で見るとこの通りは天安門から故宮の
中心部さらには景山公園の万春亭と南北方向に一直線を成していることが
分かる。北京の中心線だったのである。ちょっと横丁に入ると、20世紀初め
に北京で最初に建てられたという映画館や古風な薬局,茶葉店等があって、
前世紀にタイムスリップしたような雰囲気を感じる。


[静かな佇まいの瑠璃廟通り]



[北京で最初の映画館]




[近くの食堂で朝食]
 帰途、YH近くの食堂で朝食。夫婦で賄っている小さな店で、作りたてをせいろで
蒸した小さな小龍包10ケと卵スープで約85円。熱々でおいしかった。10時にYHを
チェックアウト。地下鉄で北京駅へ見物に立ち寄る。古めかしい駅舎の前広場は
人でごった返しているが、思っていたほど大きくはない。何故か地上にある地下
鉄切符売り場には長い行列が出来ていて、地下の改札口の前の荷物チェックで
ナイフが引っ掛かったが、鍵を掛けてあって出す時間が惜しかったので強引に通
過する。空港快速に乗り継いで北京首都国際空港第3ターミナルへ。出国検査を
経て中に入ったところに3軒ほどあるDuty Free Shopperを初めどの店も閑散と
しており、長い通路を歩いて搭乗口に向かう。CA161便は15分遅れの16:20に離
陸。関空には定刻(20:10)に到着した。予定どおり無事帰着!!



[古風な北京駅]


[北京空港内の休憩所]


  ものの本に拠ると、シルクロードとは19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンが「ザイデン・シュト
ラーセン」として命名したもので、中国語では「絲綢之路」(いづれも 絹の道 の意)と書く。古くは紀元
前100年代の前漢の武帝時代に、遊牧民の匈奴(キョウド)討伐のため派遣された張騫(チョウケン)やかく
去病(カクキョヘイ)、また、中国仏教の発展に大きな足跡を残した鳩摩羅什(クマラジュウ)や玄奘三蔵他シ
ルクロードを舞台として活動した人々が居た。その主要なオアシス都市だった敦煌は'大きく盛んな
街'という意味を持ち、シルクロードの十字路と呼ばれる。紀元前から、長安(西安)に発して遠く中央ア
ジアからヨーロッパへと繋がる河西回廊の最西端に位置し、強勢を誇った北方の匈奴からの守りとし
て玉門関,陽関等を築いて発展した。かつて周辺に居住していたという「羌(キョウ)」族については、充分
とは言えないまでもある程度の情報が得られた。陝西省の西安,甘粛省の嘉峪関および敦煌さらに
は新疆ウイグル自治区のトルファンを含む延べ8,500kmにおよぶ今回の旅程は忙しいもので、中国
国土の広さを改めて思い知らされた。


 また中国内シルクロードのほんの一部に過ぎなかったが、西安の長大な城壁や驚くばかりの数の居並ぶ兵馬
傭,嘉峪関で忽然と消えゆく長城の西端,敦煌莫高窟の今なお美しく残る彩色壁画や塑像,鳴沙山にうねる雄大な
砂丘,トルファンの風雨にさらされて無残に朽ち果てたかつての王城跡,翻って現代の人懐こいウイグル族の人た
ち等、思い切って行ってみて、悠久の歴史を持つかの国の往時に思いを馳せる印象深い旅となった。同時に、改
革開放後の目覚ましい今の中国の発展振りと、そこここに残る伝統的な胡同(フートン)で生活している人々、それ
に我々の常識とは異なる彼ら中国人の人となりや考え方,風習,マナー等をかい間見るよい機会でもあった。



懸念していた交通上の不具合や下痢等の健康状態にも何ら問題無く、予定通り帰って来られたのは幸いだった。

以  上




                                         
                                           


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