ジャスミンの風

                                         
                                           
「羌」を訪ねて敦煌へ−中国シルクロード紀行−12



 次いで少しトルファン市街地寄りの所にある"高昌故城"を訪ねる。途中
の道筋で同乗者と一緒に西瓜を買って分けて食べる(直径15cmほどで1ケ
100円弱)。それほど甘くはないが瑞々しくて、乾ききった喉にはうれしい。
高昌故城は、漢代以来1,000年の間繁栄した総面積200万m2という高昌国
の城址遺跡で、入口に待機するロバ車に乗って遊覧する。かの玄奘三蔵
法師がインドに向かう途中、時の高昌国王に請われて2カ月ほど滞在した
が、インドからの帰途多数の仏典を持って立ち寄った時には既に滅んでい
た、と言われる因縁の場所である。荒涼とした広大な砂地のここかしこに見
られるのは、わずかに原形を留める一部の日干しレンガ積みの建物跡を
除いて、見る影もないほど風化して寂れた黄土色の廃墟跡ばかり。静かで
ある。まさに 兵(ツワモノ)どもの夢の跡 という感じで、移ろいゆく時の流れの
はかなさを思い知らされる。


[高昌故城にて]



[ウイグル族の踊り子(葡萄民族園)]


[ポーズを決めるウイグル族の少女たち]




[交河故城にて]
 一旦トルファン市街地に帰って、すぐ近くにある葡萄民族園の緑
したたる葡萄畑や葡萄棚でしばし目を休ませてから、西側16kmほ
どの二つの川が交わる高台に位置する交河故城に向かう。ここ
は高昌国期に築かれた交河郡城の城址遺跡で、現存する遺跡は
唐代以降に築かれたものと言われ、奥の方まで南北に貫く幅3m
の道の両側には日干しレンガで造られた寺院跡や居住地跡,仏
塔等が残っている。高昌故城跡と比べると晴れた青空に映える
建物群の保存状態はかなりよさそうであるが、それでも砂原の中
に佇んで風化して傷んだ遺跡を眺めていると、興亡の激しかった
歴史を深く感じさせられる。







 18:30にバスセンターに帰着。その足で高昌路の東側に平行する青
年路に行ってみる。道幅8mほどの天井には葡萄棚が1kmあまり続い
ており、目にも涼しげである。葡萄棚の両側に連なる小道には果物や
飲み物等を売る店が並んでいて、木陰には所々ベンチが置かれて地
元の人たちがリラックスして涼んでいる。ここに座って疲れた身体をし
ばし休める。充分涼んでからバスセンターに帰る。敦煌行きのバスは
まだ明るい20:30定刻に出発。期待していた高昌故城, 交河故城の両
遺跡はもう少しゆっくりと回るべきだったが、時間が無く駆け足になって
雰囲気を充分味わえなかったのは残念だった。日中の一番暑い時の
気温は38℃であった。が、独特のウイグル帽を被った男性や色とりど
りのスカーフを巻いた碧眼の女性たちが生活していて、漢族が主流を
占める通常の中国とはまた違った異国情緒を味わうことが出来た。バ
ス内の隣の寝台席には、これから敦煌の莫高窟と鳴沙山を訪ねてウ
ルムチから母国へ帰る予定、というシンガポール人の青年が居た。昨
年まで兵役に就いていたが、来年からは大学に進学する積りとのこと。
ナンを一つ分けてくれた。


[涼しげな青年路の葡萄棚]





                                         
                                           


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