ジャスミンの風

                                         
                                           
「羌」を訪ねて敦煌へ−中国シルクロード紀行−4





 翌6月1日は68回目の誕生日。昨夕からの雨が降り続いていたが、思い切って日本との関わりの深
い場所を訪ねに出掛けることにする。先ずは中国銀行で両替(レートは空港より良い)。傘をさして城
壁の東門(長楽門)をくぐって歩いてひたすら東へ向かう。行き先は唐代三大宮殿のひとつとされる興
慶宮公園で、50分ほどで到着。玄宗皇帝と楊貴妃が遊んだ沈香亭や宴会を開いたという花萼相輝楼
等が再建されているが、お目当ては「阿倍仲麻呂記念碑」である。場所を探すのに手間取ったが何回
も訊ねて、閑散とした児童遊園地の奥にようやく見つけることが出来た。




[阿部仲麻呂紀念碑]
阿倍仲麻呂 ; 716年、19才で吉備真備や玄ム(ゲンボウ)らと共に遣唐使として入唐、 
  長安に滞在。科挙試験にも合格して時の皇帝玄宗に重用されて晁衝(チョウコウ)という
  中国名を賜わり要職を歴任した。752年に一旦帰国の途についたが、台風に見舞わ
  れて漂流した後、安南(現ベトナム)を経て再び長安へ戻った。以降73才で永眠するま
  でに帰国はならなかった。なお、多くの遣唐使船が難波津の港を出港し、最初に着
  いたのは現上海の南に位置する貿易港 寧波(ニンポー;当時は明州)であったが、暴風
  雨等のためここまで無事に行き着くのは稀だったという。彼らはここから洛陽を
  経由して長安入りした。現在寧波は長岡京市の姉妹都市となっている。   
      = 参考図書; 「長安の月-阿倍仲麻呂伝-」(大原正義/著 関西書院)=


 石碑の側面には、彼の生涯の業績や望郷の念を詠った望郷詩("天の原 ふりさけみれば
春日なる……"の原詩),親友だった李白の哭晁卿衝詩 等が刻まれている。

 雨はなおシトシトと降り続いていたが、そこから更に南に40分ほど歩いて「青龍寺」
に向かう。これまた少し離れた奥の方に、唐代に留学僧の一人としてここで密教を学
び、帰国して高野山を拠点として真言宗を開いた空海の像が置かれる立派な「空海
記念堂」が建てられている。居合わせた一人の僧侶に訊いたところ、空海は中国語
ではフーハイと呼ぶとのこと。そこからはタクシーに乗って15分ほどの所にある「陝西
省歴史博物館」を訪ねる。伝統的な宮殿様式を有する広大なこの博物館は、先史時
代から清代までの文物が1〜3展示室に数限りなく展示されており(唐三彩の陶磁器
も多くあり)、休憩室で休みながらゆっくり鑑賞できる。近くの'大雁塔曲江風景名勝区'
という大きな公園のある「大雁塔(慈恩寺)」は、四角7層,高さ64mの塔で、かの唐僧玄
奘三蔵が17年もの歳月をかけてインドから持ち帰った大量の経典や仏像を保存す
るために建立されたものである。広大な噴水池のある広場は内外の多くの観光客で
賑わっている。
     = 参考図書; 「玄奘三蔵のシルクロード-中国編-」(安田暎胤/著 東方出版)=


[空海紀念堂にて]



[玄奘三蔵像と大雁塔]


[鳳鳴九天劇院での艶やかなショー]





[回坊風情街]
 夕刻には近くにあるテーマパーク「大唐芙蓉園」内の鳳鳴九天劇院で、
唐代の優雅な踊りを再現した一時間余りのショーを鑑賞。市バスで一旦
YH付近まで帰り(市バスの中は携帯電話で所構わず大声で話すので、停
車場名等の案内がよく聞こえない)、鐘楼の北側にある回族(=イスラム教
徒)の人々が多く住むという「回坊風情街」に出掛ける。食べ歩きの屋台
街は夜が更けるにつれて人並みが増えていき、一軒の食堂で串焼き牛
や羊肉とピリ辛の麺の夕食を摂る(約320円)。雨も止んでいたので、食
後しばらく鐘楼の北西角にあるベンチで一休み(風があって涼しく、家族
連れやカップル等多くの人々が涼んでいる)。ライトアップされた大きな
鐘楼や鼓楼を見上げながらYHに帰り着いたのは21時半過ぎだった。疲
れて足が痛い。それにしても、中国は歩行者よりも車優先という感じであ
るが、歩行者も信号無視で広い道路を横断するため、大きな警笛を鳴ら
しながら高速で近ずく車にヒヤッとさせられることが多々ある。事故の起
こらないのが不思議なくらい。




[交通整理する婦人警官たち]


[公園内のトイレ]




                                         
                                           


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