阿倍仲麻呂 ; 716年、19才で吉備真備や玄ム(ゲンボウ)らと共に遣唐使として入唐、
長安に滞在。科挙試験にも合格して時の皇帝玄宗に重用されて晁衝(チョウコウ)という
中国名を賜わり要職を歴任した。752年に一旦帰国の途についたが、台風に見舞わ
れて漂流した後、安南(現ベトナム)を経て再び長安へ戻った。以降73才で永眠するま
でに帰国はならなかった。なお、多くの遣唐使船が難波津の港を出港し、最初に着
いたのは現上海の南に位置する貿易港 寧波(ニンポー;当時は明州)であったが、暴風
雨等のためここまで無事に行き着くのは稀だったという。彼らはここから洛陽を
経由して長安入りした。現在寧波は長岡京市の姉妹都市となっている。
= 参考図書; 「長安の月-阿倍仲麻呂伝-」(大原正義/著 関西書院)=
石碑の側面には、彼の生涯の業績や望郷の念を詠った望郷詩("天の原 ふりさけみれば
春日なる……"の原詩),親友だった李白の哭晁卿衝詩 等が刻まれている。
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