10/20(土) 地下鉄で仁川日帰り観光
仁川 郵便局前の看板
夜中に窓を叩く音がして目が覚めた。のぞいたが誰もいない。
3Fの部屋からの軋み音が気になって熟睡できなかった。やだな。
7:00起床。ゆっくりしよう。
アジュンマが向かいの部屋の掃除をしていたので、交渉して部屋を変えてもらった。
3Fの広い部屋。これなら天井音の心配はない。
あと2泊するのだから、面積のこともあるが、あの気味の悪い音は耐えられない。
ソウル セファ旅館 2泊目3泊目の部屋
9:00出かける。今日も冷える。
体感的にはもう冬だ。
鐘路三街駅から地下鉄1号線で終点の仁川まで。1700W。
1hくらいかかった。
仁川駅 牌楼
10:20には仁川の観光案内所でマップも手に入れ、観光開始だ。
中華門(牌楼)をくぐり、自由公園をめざした。
あたりは中学生の社会見学のグループがいくつもいた。
仁川は韓国人にとって歴史的に重要なところなのだ。
自由公園の中
中央公園のマッカーサー像前は花で飾られたカラフルな場所だ。
広場にはヒモを付けられた猫がいた。
旧済物浦具楽部に行きあたり、中を見学した。
なかなかレトロな内部はきれいに改装されていて、壁には昔のパネル写真が貼ってあった。
旧済物浦倶楽部
孔子像上の道路には、三国志のストーリーが石版に焼かれていて目を引く。
この孔子像付近は小中学生の団体がとぎれなく通り過ぎる。
両側に三国志
海を見下ろす孔子像
この階段が中国租界と日本租界の境界だったそうだ。
左右の灯篭がそれぞれのスタイルだ。
中国と日本の境界
石段を下って左へ行くと、ありがちな再現の街並み。
少し土産物屋もある。観光に力を入れているのだろう。
中国式家屋 魅かれる民家
一筋南には、日本の旧銀行が3つ。
旧第一銀行(朝鮮銀行) 旧第五十八銀行
旧第十八銀行
(内部は資料館)
角の旧十八銀行は中が資料館になっていて見学できる。
日本語の案内パンフレットや仁川広域市の観光本ももらった。
この旧十八銀行の建物は、壁はレンガで屋根は瓦葺きだったらしい。
奥の金庫も残されていて、ナルホドの空間だった。
焼失したロシア大使館などの模型や写真も展示されていて、なかなか興味深い資料館だった。
模型展示 旧第十八銀行 金庫
旧郵便局まで歩いていって引き返した。
仁川の街はおもしろそうな建物がいっぱいあった。
新浦洞あたりの民家
王冠で飾られた喫茶店?(休み)
12:30に共和春へ入り、チャジャンミョンとムルマンドゥを頼んだ。7900W。
両方とも美味しかった。
中華街にはレストランの客引きが多い。(私にはかかりませんが)
ムルマンドゥとチャジャンミョン 共和春
再び仁川駅の案内所へ。
松島への行き方を聞いた。
シティバスは出たばかりで、東仁川から路線バスに乗るしかないようだ。
カウンターのお姉さんは運転手に見せるハングルメモとバス乗場のありかを尋ねるメモを書いてくれた。
日本語はそれほど堪能ではないみたいだが、とても親切だった。
仁川駅から一駅移動して東仁川駅へ。
あたりの人にメモを見せて、なんとか乗り場に行き、6番バスに乗った。
松島交差点でおろしてもらった。
まず、仁川上陸作戦記念館へ。
ここも小学生が多くて、年配の団体も観光バスで来ていた。
糸瓜みたいなパイプがあっておもしろかった。マッカーサーが吸ったのか?
仁川上陸作戦記念館 マッカーサーのパイプか?
裏の清涼山へ登る。
頂上手前で断念した。
けっこう登る人がいて、中にはトレッキングシューズの人もいた。
港や島々の見晴らしがよい。
右手は高層住宅が並んでいる。
清涼山
清涼山からの海の眺望
ついでに市立博物館も見学する。400W。
陶器や軸物も少しあった。白磁の美しい花瓶が印象的だ。
16:30ころ8番バスに乗る。
路線図によると地下鉄1号線の駅に行くみたいだったのだ。
ところが、とっても大回りで、えんえんと仁川の市内見物をさせてもらうハメになった。
1hくらいかかって松内駅へ到着した。
仁川駅とは10駅くらい離れているので、ソウルまで1400Wだった。
地下鉄は途中徐行運転したり停車したりして、市丁乗換えで乙支路入口駅に着いたのは、18:30くらいだった。
シンソンソルロンタンへ。以前から来たかった店だ。
運良くすぐに座れた。
ソルロンタンも即出てきた。
けっこう食べてから写真を取り忘れているのに気が付いた。
期待どおりの美味しさだった。6000W。
出るころには10人以上が並んでいた。
キムチで白→赤のソルロンタン シンソンソルロンタン
地下鉄を乗り継ぎ、鐘路三街へ。
コンビニで明朝用のパン、夜食用のビールとチョコバーも買った。
あたりは屋台のテントがたくさん並んでいる。
焼き魚店付近にもおじさんグループがにぎやかに酒盛りしていた。
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