信仰告白・2


 その者が持つ元来の聡明さを体現しているかのような、澄んだ青の虹彩がぼんやりと虚空を見
つめている。
 ここが何処であるのか、束の間計り損ねているかのようだった青年は……どこか焦点の結ばれ
ていなかった双眸をニ、三度しばたたかせると、何事かに思い至ったかのように出し抜けに身じろ
いだ。
 「カナ……っ」
 がばと上体をはね起こし―はね起こそうとし―、しかし、瞬時に困憊した自身からの抗議の声を
受け取ったのか、絶句しながら総身を硬直させる。
 そんな青年のよすがに、辛うじて表面上は平静さを装う事に成功した白鳳は、ゆったりとした動き
で一歩の距離を進み出た。
 「…ああ、無理に動かない方がいいですよ。致命傷にならない程度には治療を施してありますが、
  まだ起きて動き回れるほど回復していませんから」
 「……白鳳さん」

 こちらを見上げてくる青年の双眸は、冷静だった。限界を訴えているであろう総身の軋みに眉間を
寄せながら、それでもその特有の透明度を失わない虹彩は、自身の置かれている現状を把握して
尚、情動に曇ってはいない。
 聡い青年が、ここにきて自分と『黒幕』との因果関係に思い至らないはずもないというのに―――
仕掛け人である自分に対する怒りも落胆も見せることのないセレストの自制が、どこか人知れないも
のに感じてしまう。

 守護すべき対象を抱える者としての、常に冷徹さを損なうことのない騎士業を生業とする彼の…そ
の底意の強靭さを、白鳳は改めて思い知らされたような心地になった。

 「ご気分は、いかがです?」
 それでも、自分一人が狼狽を見せる不様は自分に許せなくて、意図した声音で困憊状態にある青
年のよすがを揶揄する。
 はたして、こればかりは取り繕いようもなかったのだろう。持ち上げた弓手を支柱にするようにして
その額を押さえながら、セレストは幾分不機嫌がかった語調で短く否と応えた。

 「・・・・・・いいわけがないでしょう。―――ああ、少し大きな声で話してもらえますか。耳鳴りがひど
  くて」
 「それはすみませんね。完全状態のあなたと事を構えるのは、リスクが大きすぎましたもので。・・・
  この状態でそこまで意識を明確に保っていられるのはたいしたものですよ。さすがは、王国が抱え
  る一線級の近衛騎士だけのことはある」
 青年の要望に応じてわずか増した声量で、意図して辺りを憚る話題に転換する。その意味するとこ
ろを感じ取ったのか、刹那ちらりとこちらに向けられた目線に、含むものが混じったような気がした。

 「・・・そのことに関しては…」
 「いえ、断じているわけではありませんよ。抱える裏事情はお互い様、というものですし」
 それにしても―――続く言葉が、装うでもなく笑みの色を濃くした。
 「―――律儀ですね、あなたも。人がいいにも程がある」

 セレストの応えに精彩が欠けるのは、この一件に関して彼がひたすらに伏せてきた自身の立ち位
置を、今やこちらが知るところになってしまったという、その事実に関する彼自身の後ろめたさに起因
するものだった。
 彼がこのルーキウスが誇る近衛の騎士としても立場あるものであり、またその盛り立てるべき主筋
がこの国の要人―――であるどころか紛れもない王家の一員であることを、その責務上セレストが一
言でも口外することはなかった。それは身分あるものに仕官する存在として当然の心得であり、どの
ような職種であれ守秘義務というものが暗黙裏に存在する以上、外部の人間からどうこう糾される類
の『秘め事』ではない。

 それでも、揶揄にすらならない程度のほのめかしに対してまで引け目を覚える彼の『律儀』さに、ほ
ろ苦いものを感ぜずにはいられない。

 王国騎士という職種が、口で言うほど容易いものであるとは思えない。例え現在安穏たる王制がし
かれているとはいえ、その一員を守り仕えるということは国家を相手取るのと同じことだ。政治の表面
しか知り得ない大衆には及びもつかない辛苦が、そこにはきっとあるのだろう。
 だが、そういった含むものの多い世界に携わりながら、それでも眼前の青年を取り巻く空気はあまり
にも清雅過ぎて……

 「・・・白鳳さん」
 衒いもない響きで以って辺りの空気を震わせる、淀みない呼ばわりの声。
 「・・・どうして、こんなことを―――?」

 どのような言葉で語ろうとも、王家に波紋を投込んだ白鳳の行為は国家の転覆を招く大罪だった。
第二位の継承順位にある王子を窮地に追いやり、その一の従者とこうして向きあっている以上、政
治犯として問答無用で切り捨てられてもいたしかたのないところだろう。
 ・・・それでも、冷徹に事態を見極めようとする青年の公正さが、胸襟を穿つ。

 既知とも呼べないであろう間柄に過ぎない自分の身上さえ、憶測で断じようとしないセレストの言
葉は、脛に持つ傷の多すぎる身には例えようもなく重かった。
 当人の生まれ持った気質もあるだろう。そうあるために彼がこれまで払ってきたであろう努力だとて。
 だが―――それらの要因を理性で得心して尚、彼を取り巻く綺麗な世界を見せ付けられることは、
裏世界に生きる者の胸襟を焼くには充分だった。

 「―――ある人にね。とある企てに誘われまして。こうしてそのお膳立てを整える手伝いをすれば、
  その暁には私をこの国の王位につけてくださるそうで」
 即席の語り部となった自分の言葉に、向けられた双眸がはっと見開かれる。
 元から、勘のいい男だと思っていた。みなまで語るまでもなく、彼が自分とのかつての邂逅の記憶
を手繰り寄せたのだろう事は瞭然だった。
 程なくして―――のろのろと、青年がその口を開く。

 「・・・・・・温泉きゃんきゃんの、ために・・・・・・?」
 「ええ。こちらにも事情がありましてね…のんびりと時を待ってはいられないんですよ。十年の禁固
  を思えば、このほうがずっと確実で手っ取り早いですからね」

 必要を迫られた折には言葉をためらうことのないであろう彼にしては珍しい、歯に衣を着せたかのよ
うな物いいは、それを彼に強いることとなった自分自身に向けられた厚意から派生したものに違いなく・・・
 後ろめたさよりも先に、見透かされているという、癇に障る情動が胸襟に沸き上がった。
 その情動に急き立てられるように口舌は自然滑らかになり……白鳳は、自らのそんな卑小さを、何
に対してかもわからずにむしろ感謝した。

 「……一匹だけなら、なんとかできるかもしれないと、あの時…」
 「駄目なんですよ、それでは」

 返す言葉に、思うよりも怜悧な響きが宿る。
 刹那、我知らず口元に刻まれた笑みは、自分と青年の、どちらに向けられたものだったのか―――
 「与えられたものでは…自分の手で捕えたものでなければ、効力はないんですよ。あなたの…ひい
  ては王家に、下賜されたものではね」
 「・・・・・・っ」
 「もっとも・・・それが可能であったとしても、私は同じ道を選んだかもしれませんが。スイを口実に、私
  はこの現状をどこかで楽しんでいるのかもしれない。―――破滅主義なんですよ。わりとね」

 嘯く言葉は淀みなく流れ、込められた臨場感は申し分がないだろう。紡ぐ言葉の全てが虚栄というわ
けでもない、自身のそんな浅薄さを身に染みて理解しているからこそ、小悪党にしか見えない自らのよ
すがに白鳳は内心満足した。
 情けをかけられるくらいなら、信頼を置こうとした自らの眼鏡違いであったと憤られた方がましだ。人の
情に真っ向から晒される痛みは、一度でもそれを失ったことのあるものにしかわからない。
 この地を離れたら……口の聞けない弟との二人旅に戻るのだ。そんな痛みを後生大事に抱えていた
ら、この足跡は止まる。自分は自分の大望を、果たすことなどできなくなってしまうから…

 我ながら、矛盾しているとは思う。それでも、尾を引く未練よりは、一度飲み下せば二度とは咽頭を焼
くことのない惜別の諦観をこそ、自分は選ぶから―――
 だから・・・・・・

 「・・・ねぇ。セレスト」
 相手を突き放した舌の根も乾かぬ内に、一転して甘い声音が辺りの空気に浸透する。これだけ徹しき
れれば上等だと、腹の底でぼんやりと思った。
 「協力してくれませんか?……あなたの命を奪いはしない。あのぼっちゃんの、身の安全も保障します
  よ。一言、私の雇い主の言葉に諾と言ってくれさえすれば、すぐにここから返して差し上げる」
 「……白鳳さん?」
 嘯きながら、伸ばした馬手で相手の頤を撫で上げる。振り払われることはなく、しかし覗き込んだ蒼い
虹彩に警戒の色が広がるのを見て取って、白鳳は嘲った。
 ……そう。それでいい。

 「もちろん、何もかも元通り、というわけにはいかないでしょうけれど。それでも、身の安全を買うには高
  くない代償だと思いますよ」
 くすくすと。楽しそうに、性悪そうに、嘯いて。
 はねつけられなかったのを幸いと、嫣然と笑んだまま、もう片方の手を青年の首筋へと回す。

 「あなたさえ諾と言ってくれれば、それでいいんです」
 きっと―――これから自分のしようとしていることは、実直なこの青年をこれ以上ないほどに憤激させ
るだろう。その仕える少年と負けず劣らず誇り高い彼にとって、きっとこれ以上の騙し討ちはない。
 だが・・・どのように理由を重ねたところで自分の裏切りに違いはないのだから……それならば、いっ
そ最も彼の敬遠するやり口で、彼自身からこの相関の引導を渡されたかった。

 自分の望みに最も深いところには、いつでも小さな弟の姿がある。もの言わぬ彼をこの呪縛から救う
ためならば、自分は自分自身をも、最後までたばかって見せる。
 ならば…半端な差し出し手など、いっそ自分には、ないほうがいいからー――

 「……悪いようには、しませんよ」
 伸ばした弓手が、拒まなかったセレストの襟足に触れる。その指先には、白鳳が常に身につけている
簡素な意匠の指輪がはめられていた。
 ハンターという後ろ暗い生業に生きる我が身を最後の最後に守るために、いつのまにか習慣づいてい
た、それは一つの自衛の手立て―――

 曲がることを知らない若木のように、どこまでも実直な彼の人の魂。
 その清雅さを損なうことなく、彼には存在してほしい。こんな暴挙に及ぶ暴漢を、そのためなら許さなく
ていい。……否。許してほしくはないから。
 普段から掌側に隠された指輪の側面には、余程の無頼漢でもなければ瞬時に昏倒させるだけの効
力をもった呪薬がしこまれている。同じく内蔵された針を引き出して一刺しすれば、熊でもない限りは十
数分は意識が戻らないだろう。
 一度はその唇を奪い、また騙し討ちにあった相手を前に、今また勝手を許す青年の厚情が胸に痛い。
できることならその差し出し手を、臆面もなく取ってしまいたかったけれど……
 それでも、互いに譲れないものを抱く以上、自分達の平行線はけして交わる日はこないから―――

 「……ねぇ?セレスト」
 口調だけは甘やかに。さながら睦言であるかのように、同じ言葉を繰り返す。応えを返すことのない
腕の中の存在に向けられる未練を、白鳳は蕩けるような笑みの下で切り捨てた。

 と、その刹那―――
 「・・・・・・っつ!」
 「我が君!」

 狙い定めた場所へと、蛇の管牙のごとく手にした針を突き立てて―――しかし、喉奥で悲鳴にも似
た吐息を漏らしたのは、しかし近衛騎士を名乗る青年ではなかった。
 「我が君!」
 「・・・動くな。主を傷つけられたいか・・・ッ」
 ほぼ時を同じくして発せられたのは、それまで沈黙を守っていたオーディンの呼ばわりと、それを威
嚇する青年の押さえた一喝。それまで不自然なまでに押し隠されてきた悋気が、瞬時に周囲の大氣
に浸透した。

 「・・・っ・・・セレ・・・ッ」
 「・・・すみません」

 平時よりも幾分低い声音で短く詫びられて、白鳳は我知らず息を呑む。
 狙いを定めたはずの弓手は、いつのまにか回されていた青年の手に掴まれて、それ以上の動きを
封じられていた。のみならず、空いたもう片手には何処から取り出したものか小刀が握られ、咄嗟に
反らされた白鳳の喉元に突きつけられている。
 一瞬の間に形成を覆され言葉を失った仕掛け人の耳朶を、もう一度繰り返された同じ謝罪が打ち
据えた。

 「すみません、これでも訓練を施された騎士なので……向けられた気配には、敏感なんです」
 口では詫びながら、それでも向けられた青年の容色には感情の色が浮かんでいない。それが騎
士としての彼にこれまで強いられてきた自制の賜物なのだと頭では理解しながらも、白鳳は背筋を
冷たいものが伝っていく感触に身震いせずにはいられなかった。
 ・・・・・・しこみ武器の類は、改めてあったはずだ。どこから・・・否。いつのまに・・・・・・

 そんな内心の怯えが伝わったのか、反撃を試みた青年は拘束する腕の力はそのままに、それで
もその表情を幾分改めた。
 「・・・白鳳さん。何度もいってきたように、私はカナン様の、そしてこの国の騎士です。貴方がどう
  してもと言うなら、俺は貴方を断じなければならない・・・」
 そんな事をさせないでくれと―――そう言外に含められたものを感じてしまうのは、都合のいい妄
執だろうか。
 刃を向けられた状態では身じろぐこともできず、返す言葉もない白鳳に、青年はそれを強要するこ
となく静かに言葉を重ねた。

 「……俺も、同じ言葉を貴方に返します。騎士として、俺は貴方や、この一件の黒幕を断じない訳
  にはいかないけれど…でも、貴方さえ一言、降りると言ってくれたら…」
 「…っ」
 「俺は…俺だけじゃない。カナン様も俺も、貴方にできる限りの協力を惜しみません。スイ君を救い
  たいと言う貴方の思いは、情状酌量されて然るべきものだ。王家の方々が、無下になさるとは
  思えない。事が落ちつけば、きっと貴方の力となってくださいます。だから・・・」
 だから、どうか引いてください―――

 ……それは、恫喝であるというよりは、純然たる願いであるかのようだった。
 王家と主君を守るためならば、彼がこの場で自分を切り捨てることを、ためらうことはないだろう。
それを肝に命じて思い知らせるような真似をしながら…それでもどうして、青年の声音がこの胸襟
に染みるのか…

 不意に。自身の奥底からせりあがってきたもので、束の間視野が歪んだ。
 「……無理、ですよ」
 突き付けられたままの刃に圧されただけではなく…紡ぐ言葉が、尻上りに震えを帯びる。
 「国家への大逆者に……そんな生ぬるいお情けなんて、あるはずがないでしょう…」
 「白鳳さん…」
 「……もういい。この場で私を、断じればいい…」

 こみ上げてくる思いが未練であるのか憤怒であるのか、俄かには判別する事ができない。
 あるのはただ、自分はしくじったのだという事実に対する認識だけだった。そして、同時に自分
の咎にまき込まれることになる、命運を共有する小さな弟の安否と…

 「白鳳さん、俺が言いたいのは…」
 「…同じ事なんですよ……私にとっては」

 けして譲れず、戻ることの敵わない道行きを歩む自身を知りながら、それでも向けられた双眸か
ら目を閉ざしてしまったのは、諦観の現れであったかもしれない。
 だが、あまりにも…この男の前で、どれほどの卑小さも耐えられたはずの自分の姿は、あまりに
も……
 無意識の内に、白鳳はその総身から力を抜いていた。
 もう、諦めてもいいと…そんな風に、ちらとでも脳裏を掠めてしまったら、もう自分に残された足場
はない。


 だが……
 
 「我が君…っ」


 その刹那―――発せられたのは、平時であれば聞き逃していたかもしれないほど微かな、人外
の呼び声だった。だが、沈着さでは同類の中で右に出る者もいないであろうオーディンのその声音
は、あからさまな緊縛を周囲に教えていて…
 「……スイ!」
 つられるように瞼を開き、同時に視野に飛び込んできた光景に―――白鳳は、瞠目した。


 まき込まれることがないようにと、従者に預けていたはずのスイが、いつのまにかその肩の上か
ら飛び降りて、まるで自分を庇いだてるかのように眼前の石床に控えている。驚いた兄の呼び声に
触発されでもしたのか、ややしてその喉奥から威嚇じみた唸り声が発された。

 「…っ」
 下がれと、叫んだつもりだった。それでも、弟が次に取る行動を察するには充分過ぎる緊張に干
上がった喉からは、悲鳴のような呼気が漏れたばかりで…
 そして……

 「スイ!よせ!!」

 次の刹那…げっ歯類に近い外見を持った小動物の小さな肢体が、その見止めた『敵』い向かっ
て、予備動作もなく足もとの石床を蹴った―――。




 咳音も憚られるような石造りのダンジョンの中で、どれほどの時が経過していたのか―――
 白鳳が我を取り戻した時、眼前にあったのは弟の変わり果てた姿でもなければ、叩きつけられ
るべき石床の表層でもなかった。

 スイが、敵と見なしたセレストに飛びかかる姿を目にした時…まず脳裏を過ったのは、青年が
その主君によって施されたアンクレットの存在だった。
 モンスターの中でも最強に位置するオーディンを以ってさえ、呪具の持つ加護の力に手傷を負
わされたほどの代物だ。小動物の姿をした――それも、今は人外として、呪具の効力下にある
であろうスイが触れれば、血を流すだけではすまされない。
 想定される最悪の事態に背を押されるようにして・・・気付いた時には、できうる限り伸ばした
掌で、引っ手繰るようにして弟の体を自分の胸に抱きこんでいた。
 自身も拘束された状態での無理な所作は、同時にこちらの均衡も危うくする。
 突き付けられたままだった小刀を無視した事で首筋を鋭利な刃面に晒されて、その勢いを殺
せずに、白鳳は自重に引きずられて、眼前の脅迫者ともつれあうようにして床面に倒れ込んだ。

 脈動に合わせて、切り裂かれた首筋がズクリと痛みを訴える。
 思い出したように訪れたその痛みに我に返り、及び腰に上体を起こしにかかりながら―――見
改めたその場の光景に、白鳳は再び言葉を失った。

 「…ッセレスト…ッ」
 「…っ」

 まき込んだ時点で、相対していたセレストもまた、自重を崩すことは明白だった。
 だが……共倒れただけならば、指一本分ほども上背に差のない自分の体が、相手の胸に抱き
込まれるように庇われているはずがない。
 青を基調とした青年の上着と装備に、かなりの範囲で自分が流した血が付着していることを考え
ても、自分達がどういった体勢で倒れ込んだのかが解る。
 失われた体液に寄るものだけではなく…血の気が引いていく自分を、白鳳は知覚した。

 「すみ…っ」
 何故と問うよりも先に、自分を庇ったことでその困憊を深刻にしてしまったことが見て取れる青年
の上から身を起こす。同時に、急激な動きが触って首筋に走った痛みに息を呑んだ白鳳のよすが
に、セレストは自分のほうこそが負い目を覚えたような容色を露にして見せた。

 「…っつ……すみません、咄嗟に刀を引けなくて…」
 「セレスト?」
 「それと…やはり、どこかで貴方を警戒していました。言葉が足りなかったことは解っていたの
  に…すみません」

 口にするほどに、訝しさが顔に出たのだろう。言葉もない白鳳を前に、青年の表に浮かぶ自嘲の
色が増す。
 自分とそれほど体重の変わらない男の体を全身で受けとめた衝撃に、隠しようもない困憊の程を
声音に滲ませながら、それでも平時と変わることのない穏やかな語調が、訥々と言の葉を紡いだ。

 「……このアンクレットでしょう?貴方がそんなに取り乱したのは」
 ある意味、こういったものは貴方の本業の範疇でしょうからー――付け足しのように口にすること
で、青年は相手から返されて当然の、何故と言う言葉を封じ、
 「本当は…貴方が懸念されるようなことは、何もなかったんです。このアンクレットは確かに人外の
  『気』に反応しますが……相手を選ばないと言うものでもなくて」

 「セレスト・・・?」
 「なにしろ、これを俺に賜ったのはあのカナン様ですからね。―――装着する人間の、命運を脅か
  すような戦闘能力を持った相手でなければ、効力はないんですよ」
 『敵』の全てに対して攻撃を無効化するほどの効力があったら、ダンジョンの探索の面白味が半減
する…なんて、平気で仰る方ですから―――
 言って、どこか後ろめたいと言った容色を浮かべたのは、白鳳の従者であるオーディンに無意識下
であれ傷を負わせたことと、言外に、スイが相手取るに値しない存在であると告げたも同然である不
躾に対する陳謝の念によるものか。
 それでも……もう一度すみませんと謝ると、青年は疲弊にやつれた様相を、それでも笑みの形に和
ませた。

 「ですが……どこかで、貴方のそういう姿に安心したのも事実で…」
 「…っ」

 思わず喉奥で呼気を飲み込んだのは、自分の大望の被害者と言える青年が、逆にその手を伸ばし
たからで…
 「やはり……どう表向きを繕ってみても、貴方の行動は、弟さんの為なんですね」
 咄嗟に身を引きかけた白鳳の動揺を許さずに―――剣を扱いなれた骨太の手が、未だに血を流す
首筋にそっと触れた。


 「……治癒魔法が、使えるんでしょう?早く手当てをしたほうがいい」
 「セレストッ…」
 「私の矢傷を、治してくれたんでしょう?」
 「セレスト、いいから手を…っ」

 何を動じるほどのものではないはずなのに……伸ばされた手の感触に、一度は引いた血が逆流
する心地がした。
 だが、離してくれと繰り返す訴えにも、青年は意固地にその我を譲らない。
 ―――と、刹那…つと、いつになく強固な光を留めていたその双眸を、束の間掠める陰が見えた。

 「……ああ、でも……居たたまれなくも、あるんです」
 手当てをしながらでも、聞いていただけますか―――?言い置いて、澄み通った虹彩の青が、ニ、
三度しばたたかされる。
 知らず、固唾を呑んで続く言葉を待つことになった仕掛け人の前で……即席の語り部となるべく、
ややして青年はその口を開いた。


 「……俺の父は、ルーキウス王国に仕える王国騎士団の長です。騎士団から派生した、王家の
  近衛警備隊に籍を置く俺にとっては、間接的な上官にあたる」
 「セレスト?」
 「ルーキウスは、古くより国土事情に恵まれた国です。高度な経済成長を続ける自由都市を
  数多く抱える周辺諸国が、これといって得る利潤や文化も持たないこの国を、わざわざ属
  領に欲しがる理由もない。利用価値に乏しい変わりに、完全な自給自足が望めるだけの土
  壌に恵まれている。そういった環境の中に、生まれた時より馴染んでいる国民の大半は、
  対外の世界へと足を踏み出すこともなくその生涯を安穏と終えます。世界への興味も懸念
  も、机上の空論を出ない以上どこかで現実味を欠いたものとなる。・・・そういった、お国柄
  の王家が抱える騎士団や近衛隊など、所詮は名前だけのお飾りにすぎない・・・内外から
  そんな風に称されても、国の歴史を振り返れば至極当然の成り行きです」

 そこまで口にすると、セレストはそれまで一人ごちるかのように訥々と紡いでいた言の葉を、
意図を思わせる言葉尻を用いて一端喉奥へと飲み込んだ。
 束の間の静寂の後、再び口火を切った語り部の語調に、それまでとは幾分色合いを違えた
声音が交じる。
 「・・・それでいいんです、有事の対応策に置かれた組織の評価なんて。国庫の無駄飯食らい
  と笑われようと、国民の目から見れば、お飾りに思われるくらい需要がないほうが、剣呑とし
  た尾鰭話で語られるよりも余程いい。それだけ、この国に擾乱の記憶がなかったというなに
  よりの証になる」
 例え、それが表向きの証にすぎなくても―――
 言って、どこか含むところを思わせる笑みを浮かべた青年の姿に・・・白鳳は、背筋にうそ寒い
ものが走る感覚に、我知らず身震いした。

 敬遠、という類のものでもない。ただ、この男がこんな顔をして見せることもあるのだということ
を、測り損ねたというだけのことだ。
 それでも、日の当たる場所ばかり歩んできたのだと憶測していた人物が不意に見せた後ろ
暗さのようなものは、それだけで白鳳から言葉を奪うだけの威圧感があった。
 そんな聞き役の沈黙をどう受け取ったものか―――垣間見せた時と同じく、青年の面から出
し抜けに不穏な笑みが滑り落ちる。

 「騎士団も近衛も、王家の有事に備えそれに対処することが、第一の存在意義です。国の抱
  く指導者であり象徴でもある王族の方々を巻き込むほどの有事など、国民の懸念を煽るだ
  けです。それならば、最初から何もなかったことにしてしまうほうが余程いい。―――大体が
  どういったことを指すのかは、他国の情報も耳にするだろう旅暮らしの貴方にもお分かりとは
  思いますが・・・」
 半ば呟くように投げかけられた言葉は問いかけというより確認の意味合いが強く、過たず独自
の情報源を持つ白鳳は、口を噤んだまま首肯した。

 世襲を前提とする王制を掲げる王家に起こり得る有事の最たるものといえば、内部から揺さぶ
りをかけられる王家の転覆騒動であるだろう。世襲制である以上、その王家の傍系から外れた
者が国を滑る権限を掌握できる日は永劫に巡りえない。それを唯一可能にするのが、クーデタ
ーと呼ばれる弾圧運動だった。
 あるいは、傍系に連なる者であっても、直系卑属以外の人間が王権を世襲することは不可能
であり、よからぬ考えを抱く存在がその中から現れ出ないとは限らなかった。そういった血族同
士の抗争も、外界においてはそう珍しい事ではない。

 このルーキウスに暮らす人々は概ね実直であり、また王家を筆頭に呑気な気性をしている為
そういった外界の血生臭さと照らし合わせる事に、違和感があるというだけで・・・
 現役の騎士であるセレストがこんな話題を持ち出す以上、この平和慣れしたように見える国の
中にも、表沙汰にならないだけで他所ごとでは済まされない諸々の出来事があったということな
のだろう。
 王家に対する忠誠と、職務における守秘義務からはっきりとは概要を語らない青年の姿を、ど
こか新鮮な心地になりながら、白鳳は改めて見やった。
 視線を受け、再びセレストの面に浮かんだ笑みに、今度はどこか自嘲めいた色が混ざる。

 「・・・・・・前置きが長くなりましたが。この国においても、騎士団や近衛隊の存在意義は充分
  にあるということです。そして、親父も俺も、もう長いことあの組織に籍を置いている騎士であ
  り、近衛の任を背負ってきました。・・・騎士であるということは、仕えるべき主君に自らの剣
  と命を捧げると言うことです。有事の際には何を置いても主を守りおおさねばならず、それ以
  外の存在の全てを、時には切り捨てることを要求される。・・・一般の民草であれば、自らの
  家と家族を守るべき最たる存在に据えることができるでしょうが・・・俺達騎士には、時として
  それすらも許されません」

 本来致命傷ともなり得た矢傷に、存えさせるための最低限の治療しか施されていない体には、
長く話すことすら響くのだろう。そこまで語ると、いよいよ耐え切れなくなったのか、セレストは背
後の壁に凭れる事で自重の全てを預けきる体制を取り、大きく息をついた。
 「騎士団に籍を置く者は、既婚未婚を問わず、地位に応じた生活空間を騎士宿舎の中に与え
  られます。務めがら夜番という制度゙が設けられているということもありますが、騎士達は長期
  の休暇でもない限り、まず帰省はしません。例え近場に生家を持つ者でも、宿舎に寝起きす
  ることが大前提で、余程の事情がない限りは『通勤』は認められないことになっています。・・・
  どうしてだか、解かりますか?」
 
 問いかけの形をとりながら、一息に物語ることもできないほどに蓄積された自身の困憊をさり
気なく押し隠す青年の水向けに、白鳳は我知らず臍を噛んだ。この男が、疲弊を押してまで自
分に何を訴えようとしているのかがわからない。青年の口にする言葉はある意味騎士団という
閉鎖された世界の内情の漏洩であり、ましてや、国家−のみならず、ひいては世界そのものの
−転覆の姦計に手を染めた自分の耳に、入れるべきものではなかった。

 「・・・・・・機密事項漏洩の危惧を、極力根絶やす為・・・ですか」
 「ええ。そう言った意味で、我々の生きる世界というのは酷く内向的です。ましてや、王族付き
  の近衛ともなれば、ますますその傾向が強くなる。・・・そう言った環境下で俺は育ち、家族と
  して以前に間接的な上司にあたる存在として、あの世界では父の存在を認識します。それを
  特に異常だとも淋しいとも感じたことはない。・・・それは、父の方でも同じでしょう」
 でも、それは内部にいる者にしか、知り得ない世界だから―――
 言って一息をつくと、語り部となった男は自身をかどわかした眼前の存在を見、次いでその肩の
上に大人しく収まっている小動物の姿を見、最後に薄明かりの中照らし出されている石造りの天
井を仰ぎ見た。
 意図するでもなくその行方を追うことになった白鳳の視線が、再び自身へと戻された男の目線に
つられ、自然と空でかちあう。
 戯れのように絡む度にいつでも困ったように逸らされ、伏せられしていた明るい緑の虹彩が、気負
うでも衒うでもなく、真っ直ぐにひた据えられていた。

 「母も妹も、民間人です。どれほど近しく親しい家族の中でも、どうしても腹を割って話す訳には
  いかない機密は少なくありません。・・・・・・・・・外部に漏らせないということは、そのままあの閉
  鎖された世界で後ろ暗いことが起こっているということだから・・・彼女達がその度に、口に出せ
  ない懸念で心を痛めていることは父も俺も解かっています。・・・大事はないのか、危険はない
  のか・・・そんな家族の思いが伝わる度に、心配はいらないと、安心させてやりたいと思います。
  それでも、国を、王家をお守りする立場にある以上、そんな口先の空言は言えなくて・・・内情の
  見えない外部に残さざるを得ない母や妹を本当に安心させるためには、騎士団を脱退して民間
  に帰依するよりない。・・・だけど、それでも自分は騎士で・・・どう望まれても、この立ち位置を離
  れることなどできなくて・・・」
 「セレスト・・・」
 「肉親の情を、他のなにかと秤にかけて考えるのは酷く馬鹿げている事かもしれない。何物にも代
  えがたいと思う気持ちがあるのなら、そもそもそれほどの存在を比較の対象に置いたところで結
  果は目に見えている。誰しも家族は大切で、代えなどきかなくて・・・・・・でも、それでもこの身上
  は、ル―キウス王家の安寧の為に捧げられたものだから・・・」

 騎士である自分を捨ててまで、個としての自分を貫く訳にはいかないんです―――
 言って、セレストは胸襟に蟠っていた呼気を一つ大きく吐き出した。据えられたまま外されることの
ない双眸に、わずか感傷の色が覗く。
 「・・・・・・あの晩、酒場でスイ君の話を貴方から聞いた時・・・だから、二重の意味で俺は貴方に対
  して気まずい思いを味わいました。個として向きあっていながら、貴方の言葉を自分の職務にな
  ぞらえて、害意の有無を判断している自分のことが後ろめたかったし・・・・・・なにより、いたたま
  れなかった。どれほど、自分が利己の塊であるのかを突き付けられたような気がして・・・」

 それでも、語り部の様相に自嘲めいた色が浮かぶことはなく、己の立ち位置を淡々と語る青年が、
しかしそれを欠片ほども悔いてはいないことが白鳳にも見て取れた。
 民間に暮らす存在であればなによりも優先するであろう、家族の大事を天秤にかけても譲れない
ものを持ってしまった人間の、身内に向けられた懺悔の思いはあるだろう。だが、それでも尚彼がそ
んな不自由な日常を捨てようとしないのは、己の職務に対する彼自身の誇りがあってこそだった。
 高邁な使命に身を置くものとしての、確固たる自意識。ある意味では選民と呼べるのかもしれな
い、自らに与えられた立ち位置を、何を置いても守りぬこうと思うが故に日々研鑽を繰り返す、騎士
としての近衛としての彼の覚悟。

 ああ、だからか・・・と、今更のように、白鳳は得心する。
 戯れのように馴れ合いじゃれあいしながら、意図して偏った親交を繰り返したダンジョンでの日々。
従者として、パーティーの相棒として、当然のようにいつでも自らの主君の傍らを守り続けていた彼
は、自分に振りまわされ少年の無体さ加減に振りまわされ、始終情けない面相を晒してくれたもの
だ。
 だが、それでも・・・・・・時には年甲斐もなく半泣きにすらなりながらも、青年の見せるそれらの様
相が、卑屈であったことはただの一度もなかった。
 
 然もありなん、と、冷静な部分の自分が首肯する。自身の職位に絶対の誇りを持ち、その職務を
全うせんと研鑽を続ける人間の日常が、傍目にも卑屈に映ろうはずがない。
 己の適性を最大限に発揮し、それを評価されることで更なる活躍の場を与えられる。時の運もある
とはいえ、その足場を生かせるかどうかは自身の裁量一つにかかっていた。多少なりとも自身の資
質に誇りを持っている者であれば、男としてそれは研鑽の意味でも顕示欲を満たす意味でも、最上
の職場であるに違いなかった。

 「弟さん・・・スイ君にとって・・・」
 そして、自らが命を賭して仕えると言い放って憚らない主人を単身ダンジョンに置き去りにしたに等
しい状況下にありながら、何故セレストがくどくどしくこんな話題を続けようとしていたのか―――白
鳳がその本当の意図に思い至ったのは、続く言葉を耳にした刹那だった。

 「・・・あなたは、これ以上ないほど理想的な庇護者なんでしょうね。呪力からも世間からも、その小
  さな体では、自分の身は守れない。彼にとってあなたは兄であると同時に唯一の庇護者であリ、
  世界の全てだ。あなたにもしものことがあれば、スイ君もまた無事ではいられない。・・・・・・そう自
  分に言い聞かせていれば、道理を無視した無理を押しとおすことにもためらいはないでしょうね。
  そこで振り向けば、あなた達兄弟は共倒れになってしまうのだから・・・・・・」
 「セレスト・・・」
 「我々騎士は、王家の存続の為に全霊を傾けて職務を遂行します。それが職務である以上、誰か
  ら誉められることもない。・・・あなたも、同じでしょう?・・・むしろ、求められる厳しさは我々以上だ。
  世界に認められる事のない暗躍を繰り返しながら、たった一人で、いつ終わるとも解らない旅を・・・」

 続く言葉は、大きく吐き出された呼気とあいまって、ひどくおぼろげな響きを以って辺りの空気に浸
透した。
 「・・・・・・可哀想な人だ・・・」
 「・・・っ」
 「あなたは・・・気の毒な人だ・・・」

 もしも、それが余人の口から漏れ出た言葉であれば、白鳳はその人物を躊躇なく殴打していたに違
いない。それほどに、それは脛に傷持つ者の胸襟を穿つ吐露だった。
 だが、睨めつけるように見据えた視線を臆する事なく受けとめた青年の双眸には、恐れの色も侮蔑
の色も見出せない。
 そこにあるのは、純然たる厚意とそこから派生する同情だった。・・・否、むしろある種の共感を得た者
のみに許された親近感とでも呼ぶべき情動であったかもしれない。
 いずれにせよ、庇護者である両親と死に別れて以来、ついぞ人から向けられたことのない思惟だった。

 足元から、頑なにしがみつき続けた矜持が、崩れ落ちていく心地がする。
 一度は、この諦観に身を委ねかけた。だが、それでもやはり、自分はここで我を引いてしまうわけに
はいかなくて…
 譲れないのであれば…選べる手立ては、凌ぐことより他にはない。

 「……ええ、そうですよ」
 うわべを取り繕う術など、この稼業の後ろ暗さに比例して突き付けられる窮地をやり過ごす度に、指
折り数えるのも億劫であるほどの想定例を会得している。人を食ったような顔で自身の人質を見下ろす
事も、感慨のこもらない声音で冷淡に相手をあしらう事も、難儀とは感じなかった。
 「でも、それさえも望んでそうなったのかもしれない」

 それでも、それが唯一自分を『身内』の目で捕らえた相手なのだと思うと、知らず、握り込んだ掌に動
揺が爪を立てる。
 「・・・破滅主義者だと、いったでしょう?」
 「白鳳さん・・・」
 「私は、ただの悪党です。それ以外の目で見られることは、不愉快ですよ」

 詰るか蔑むか、してくれればいい。何よりも大切な『坊ちゃん』の生きるべき世界を、ひいてはそれこそ
が自らの存在意義であると豪語する、青年自身の騎士として守役としての日常を、根底から瓦解させよ
うとしている姦計に手を染めた自分の存在など。

 こうして向きあっている今でも、セレストは自分に対する厚意を引き下げなどしていない。自分が一言
譲歩を約束すれば、彼の差し出し手は再び自分のものになる。
 弟の解術について、国をバックアップにつけての協力もやぶさかではないと、彼は強い口調で繰り返
していた。彼が騎士でありその主人が後継ではないとはいえ王家の直系である以上、規模の程度はあ
れその言葉に嘘はないだろう。
 自分はただ、一言口にすればいいのだ。王冠を速やかに返上し、この姦計から手を引くと。勿論ここま
での騒ぎに荷担した身がお咎めなしという訳にはいかないだろうが、咎の累系が及ばないというなら拘
留すらも、呪術の影響下にある弟にとって、世界に対するこれ以上なく安全な隠れ蓑となる。
 王家への反逆罪を自身の命で以って贖わなければならないとしても・・・スイの解術に協力を約束され
た以上、その手立てに必要不可欠であるこの身上に、早急な沙汰が下されるとも思えない。それまでの
執行猶予が許されるなら、始めからそれだけの代償は覚悟の賭けだったのだ。

 自身の探究心が仇となって、ただ一人残された肉親である弟の将来は奪われた。例え明日にも解術
の目処が立とうとも、育ち盛りの少年から奪われた、一年余という時間は永劫に戻らない。
 好奇心が猫を殺すというのなら、猫を救う為には自身の好奇を押し殺すより他に手立てはなかった。そ
うする事で弟を呪縛から解放することができるなら、それが例え世界でも、自分は代価に払うだろう。
手立てさえあれば、自分の矜持などどれほど傷つこうと構いはしなかった。それで解術成功の可能性が
上がるなら、セレストに限らず自分は誰にでも頭を下げ協力を願っただろう。
 もしも、そのための条件であるモンスターのコンプリートを、全て独力に頼る必然性がなかったのであれ
ば。
 だが―――

 「……もうね、遅いんですよ、セレスト」
 『あなたは、これ以上ないほど理想的な庇護者なんでしょうね』

 深い理解を、惜しげもなく自分の前に差し出して見せた、青年の癒しの言葉が―――それでも、業を
背負う身にはこれ以上ないほどの楔となって、白鳳の耳朶を打つ。
 『そこで振り向けば、あなた達兄弟は共倒れになってしまうのだから』

 ……そうだ。誰に言われるまでもなく、身に染みて解っている。
 ここで自分が立ち止まってしまったら…弟の身に振りかかった呪縛が溶ける日など永劫に訪れはしな
い。彼を自らの愚かさの巻き添えにしてしまった自分だけが、その解術の鍵を握っているのだ。
 そうだ。はじめから―――

 「私を気の毒と言うのなら……」
 始めから……私情に縛られる資格など、自分にはありはしなかったのだ…
 「……もう、ここで何度あなたに繰り返したでしょうね。―――『協力』してくださいよ、セレスト」
 「白鳳さん、だから俺は…っ」
 「私達を、助けてくれるんでしょう……っ!?」

 ―――それは、口に出してから、初めてその意味を知覚できた言葉。
 「……っ」
 「…白鳳、さん……」
 だけれども……そうではないと言いたくて、それでも他のどんな言葉で自身の胸襟を物語ればいい
のか、白鳳にはわからなかった。

 息詰るような静寂が、辺りの空気を支配する。
 そして――――――


 「…っ白鳳さん!」
 「……っ!」

 そして……『それ』は、出し抜けに現れて垂れこめた沈黙の帳を破った。



 まず意識に上ったのは、前触れのない動作で自分の総身を突き飛ばした刹那の、青年の双眸。
 何をと反駁するまもなく背後の壁に叩き付けられ、束の間呼吸が止まった。
 弾かれたようにかけつけたオーディンに支え起こされ、辛うじて片膝立ちの体制を取る。

 …そして。その刹那に何事が起こっていたのかを、遅れ馳せながら白鳳は知った。

 「……セレスト…!」
 傍にあっても感じ取れるほどに、眼前の大気を圧迫する、強大な…しかし目に見えぬ波動。
 パリパリと空気を震わせるその『障壁』は、つい先刻まで触れ合うほどの距離にあった青年の
総身を押し包んでいた。
 その『核』を為しているのは、恐らくは、先ほどまで見咎められることのなかった、青年の肩口
に刺さった純白の羽毛―――

 自分の死角から飛来したのであろうそれから、自分を庇うために…見えていたのであろうに、
青年はその避難の機会をみすみす逃したのか……

 「セレスト!」
 「…く…るな……っ」

 切れ切れに止め立ての言葉を発するその間にも、波動は核をなす青年を中心に、じわりとその
『輪郭』を縮めていく。
 そして……

 「…白鳳……さ…早く…地上に…」
 「…っ」
 「上には…王子が……合流して…まも…」
 「セレスト!」

 こんな時まで主君の心配かと…自らが省みられているわけではないのだという、個としての執
着とは幾分根底を違えたところで、激しい憤りの念がせりあがる。
 だが…つづく青年の言葉に…白鳳は、急場であることも忘れ、束の間我を失った。

 「彼と共に…れば……身の、安全は…あなたも…スイ…んも……っ」

 そして―――


 「―――――セレスト!!」

 そして、次の刹那……
 瞬きほどの時間、大気を震わせた鋭い破裂音を最後に……




 石壁に面したダンジョンの一角は―――そこに『何事もなかったかのように』、再びその静寂
を取り戻していた……


   back  next
    
                                                                                     

      王子さまLv1 SS置き場