信仰告白・1


 ―――――パン・・・ッ

 乾いた靴音以外には咳音一つしない、張り詰めた空気の立ちこめる地下道の内部に、出し
抜けに硬質な破裂音が反響した。
 同時に、喉奥で押し戻したかのような、微かな苦悶の声が辺りの静寂を破る。
 地下道の見通しの良さを理由に、前方ではなく殿を守らせていた従者の漏らした苦鳴に、
それまで先を歩いていた青年――白鳳は、弾かれたように背後を振り返った。



 幾重にも入り組んだ構造をした炎のダンジョンの、更にその地下に口を広げる水の迷宮の、
最深部。ここに人質を無事運び込む事が、依頼主に指定された最後の条件だった。
 合流地点までは、もう目と鼻の先だ。ここまで来て何事だと、従者を呼ばわる声音に緊張の
色が宿る。
 
 「オーディン?」
 振り返った視線の先には、それまで自分の一歩後ろを従ってダンジョンの石床を歩いていた
寡黙な従者が、彼には珍しい渋面をつくっていた。

 その両の腕には、これから始まる一生一代の大博打の切り札として不可欠である人物が、
いまだその意識を失ったままのよすがで抱きかかえられている。件の人物が主にとって憎か
らぬ存在であり、また、人質としての重要性をあらかじめ教えられていたオーディンが腕の中
の人物を取り落とす事はなかったが、その面にはありありと苦痛の色が浮かんでいた。
 何事かと口を開きかけて・・・従者の姿を見改めた白鳳の眉宇が、次の刹那僅かに寄せられ
る。

 「・・・・・・血が出ている。お見せ、オーディン」
 「大事ありません、我君」
 「いいからお見せ。・・・始めから、怪我をしていたのか?」

 人型を形どり、その知性や思惟を最も人間に近しくするモンスターの中でも、神の名を持つオー
ディンは最強と呼ばれるに値する能力の持ち主であった。また、殊に直接的、肉体的な戦闘を
得手とする屈強な肢体を持つ彼に、剣で傷を負わせる事は玄人の剣士でも容易なことではない。
 だからこそ、その特性を知りぬいたハンターである白鳳は、有事に備えて体術系、魔導系それ
ぞれに顕著な能力を兼ね備えたモンスターを常に追従させていた。
 魔導系の最高峰である、神風は先刻追っ手の足止めとして、ダンジョンの上部に残してきた。
今連れているオーディンは物理的な攻撃に秀でている分魔法抵抗力に乏しいモンスターだった
が、このダンジョンを最深部まで進むための護衛としては、全く申し分のない戦力となる。

 だが・・・
 与えられた命令に忠実な従者が大事ないと首を振るのを言葉で制し、そのニの腕あたりに口を
開いた傷を改めると、白鳳は再び渋面を作った。
 傷は、左の上腕部を基軸とし、鋭い刃物かなにかを大きく横に薙いだような形で刻み付けられ
ていた。従者が問いかけに二度首を振るのを見るまでもなく、出血の程度からたった今負わされ
たものであることは素人目にも解かる。
 このダンジョンにも侵入者よけの罠が至る所にしかけられていたが、世界の基盤そのものを揺
るがす遠大な謀略に協力を誓った自分には、現在その首謀者から従者共々特殊な法術が施され
ている。これでダンジョン内のあらゆる仕掛けは無効化されていたし、内部に生息するモンスター
が自分達に効果的な手傷を負わせることも不可能であるはずであった。そもそもが、そのような
庇護下にあらずとも、その程度の者達に自分やオーディン、神風といった能力者がてこずらされ
ることなどない。

 ダンジョンのトラップでも、接触したモンスターによるものでもないとなれば、残る危惧はこちら
側の手の内にある人質の抵抗だったが・・・オーディンの腕の中で、彼はまだ昏睡状態にある。
そしてその為に、あの拉致騒動の際神風が彼に負わせた矢傷も、最低限致命傷とならない程
度にしか回復させていないのだ。目を覚ましたところで、セレストが有効な抵抗ができるとは到
底思えない。
 ならば何故、この屈強な従者が血を流したのか・・・

 法術で従者の傷を塞いでやりながら、白鳳はその腕の中で眠ったままの人質のよすがを改
めて見分した。
 意識を失っていることは、間違いない。オーディンの体にぐったりと凭れたままの肢体は完
全な無防備で、血の気の引いた容色は手負った矢傷の深刻さを物語っていた。その程度の
相手に不覚を取るくらいなら、始めから護衛を兼ねた従者になど、オーディンを連れ歩いては
いない。

 だが、他に要因が思い至らない以上、従者にここまでの手傷を負わせたのはこの青年以外
にはなく・・・
 それに、先刻微かに聞こえたような気がした、あの破裂音は・・・

 人質の負荷とならぬよう考慮しつつ、足元の石床に、青年の体を従者の腕から下ろさせる。
傍らの石壁に軽く上体を凭れさせるような姿勢にさせてから、白鳳は青年の肢体に静かに腕
を伸ばした。
 まず触れてみた頬は、一瞬ヒヤリとするほどに冷たい。唇の色も紫がかり、失血と矢傷の後
遺で体温が著しく低下していることは明白だった。捕縛時に改めたことだが、着衣の上から手
を下ろしていっても、やはり武器となりそうなものを隠し持っている様子もない。
 後は、靴に仕込み針や簡易ナイフなどを偲ばせている可能性しかなかったが、これも当初に
一度改めて・・・・・・

 と、刹那―――
 「・・・・・・?」
 両の足に履かされたままだった、機能性を重視した簡素な意匠の靴に手をかけかけて・・・束
の間覚えた違和感に、白鳳はつとその動きを止めた。
 冒険者らしく、丈夫で機動性に富んだ作りをした下履きから覗く両の足首には、自衛のためか
皮づくりの装甲がベルト状に何重にも巻かれている。違和感は、その装甲に覆われた左の足首
から発されているようだった。
 先刻はなにも感じなかったが・・・この感じには覚えがある―――

 「・・・スイ。離れておいで」
 常よりも幾分硬質な響きを含んだ声音で、肩にのっていた小動物の姿をした縁者に待避を促す。
その言葉に従いオーディンの肩へと駆け上がった弟の姿を確認してから、白鳳は一端引いた手を
再び眼前の人質へと伸ばした。
 捕縛時には感知できなかった不穏な波動が、青年の足首から発されているのが確かに解かる。
しかし、それが、人である自分の体に害なすものではないことは、ハンターとして世界を渡り歩いて
きた経験が自分に教えてくれていた。
 それでも万一に備えた慎重な所作で、ゆっくりと装甲を解いていく。

 「・・・・・・これは・・・」
 装甲を解かれ、僅か持ち上げたズボンの裾の下から現れた素足には・・・銀製の古びたアンクレッ
トがはめられていた。
 「・・・・・・・・・退魔具、か?」
 世界をまたにかけ、モンスター捕獲の為に片端から名の知られたダンジョンにもぐってきた白鳳は、
モンスターと共にそれに関連する呪具の類にも造詣が深い。古びてはいるものの、それが退魔の
力を封じられた呪具であることは一目で解かった。外見に反比例して、効力も相当のものであろう
事も想像がつく。
 抱き上げた青年の肢体を抱え直すか何かした際に、偶然従者の腕が着衣の上からアンクレット
に触れてしまったのだろう。確かに、これを身につけていたのなら、いかに相手が屈強な肢体を誇
るオーディンだとて無傷ではいられなかったはずだ。
 むしろ、彼らクラスのモンスターでなければ、青年の体に触れた瞬間に四散していただろう。それ
ほどに、呪具から感じ取れる波動は強力だった。
 
 ある程度の予想はついていたものの、酒場で酒を酌み交わした時にすらセレスト自身の口から
告げられる事のなかった彼の身分、職位については、この謀略の仕掛け人から既に聞かされてい
る。そして、その職務についても。
 魔法的資質に恵まれているとは呼べない体質であろうことは、初めて出会った時から解かって
いた。それでも、一国の王子を単身警護する者として、不得手は許されないということか。
 だが・・・皮肉気なものとは幾分意味合いを変えた容色に、白鳳の眉宇が再び顰められた。

 セレストの左足首に装備されたアンクレットは、確かに強力な退魔具ではあった。だが、それが
護身具と呼ぶにはあまりにも不出来なものであることも、白鳳には解かってしまう。
 退魔の呪力の強さのあまり、それを装着した者の元来の戦闘能力を大幅に吸収してしまう・・・
それは、そういった、むしろ呪いと呼ぶほうがしっくりくるような偏った道具だった。

 ダンジョンを徘徊しているのは、なにも魔導による攻撃を仕掛けてくるモンスターばかりではない。
 アンクレットを装着していてこれだけの能力を有しているのであれば、元来セレストの剣士としての
戦闘力は相当のものだ。だからこそ、青年は世継ぎではないとは言えまがりなりにも一国の王子が
冒険者としてダンジョンに出入りすることを、自分が付き従うことを条件に許してきたのだろう。
 それでも・・・冒険を始めた当初から、セレストが今の戦力を保てていた訳ではあるまい。
 ギルドに冒険者登録する際の基準値、「レベル」で言い表すならば―――これだけ強力な呪具で
あれば、装着者のレベルは最低値の1にまで落とされてしまうはずだった。
 その腕で、自らのみならず、追従する王子の身をも守りながら、彼はここまでの冒険を続けてきた
のか・・・

 「・・・・・・道理で・・・」
 初めてダンジョンで出会った時、彼に感じていた違和感。
 明らかに自分より戦力の劣っていた当事の彼に、視線一つで内心あそこまで気圧された、あの刺
激にも似た緊迫感。
 自身の力量も弁えない無謀者がと、そう笑い捨てることができなかった、強い意志に彩られていた
彼の双眸。

 「道理で・・・一筋縄ではいかなかったはずだ・・・」
 ・・・そうだ、あの時、あの目に―――自分は引きつけられたのだ。


 感傷を振り払うようにして、眼前のアンクレットの輪郭をゆるりと指先でたどってみる。ダンジョンの頼
りない光源の下、鈍い銀の色に輝くその表面に刻まれた文字は、おぼろげにルーキウス、と読めた。
 再び、名状しがたい情動が、感傷となって擦りあがり白鳳の胸襟を焼く。
 
 これが真実、ルーキウス王家の所持する呪具であるのなら・・・それを持ち出すことができるのは、王
家の人間だけだ。そうなれば、自然とこのアンクレットの出所は窺い知れる。
 アンクレットを装備しておけば、確かに対魔道戦においてこれ以上の保障はない。だが、ただでさえ
持て余すかもしれない庇護者を連れている人間が、望んでこんな代償の大きな保険をかけたがるとは、
到底思えなかった。
 だとすれば、導き出される答えは一つしかない。

 「そんなにも・・・・・」
 この青年に呪具の装備を強要したのは、彼の仕えるこの王国の第二王子。恐らくは、魔力に乏しい
従者に対する二割がたの懸念と、口煩い保護者に対する八割がたの牽制の為に、あの王子はこんな
暴挙に及んだのだろう。
 このアンクレットは、一度装備したが最後、おいそれとは外せない。作りを見れば瞭然だが、はじめか
ら継ぎ目一つない装具などあるはずもないから、これはおそらく、装着と同時にそういった効力を発する
類の呪具なのだ。
 永劫に外れないのか、あるいはなんらかの条件を満たせば外す事ができるのか・・・いずれにせよ、
どういった経緯によるものであれ、現実に城仕えの騎士であるセレストにとって、不可抗力で片付けら
れる問題ではなかったはずだ。
 それでも、自分にそれをしかけたのであろう主人に、いまだ彼が付き従い守りぬいてきたのは―――

 「・・・・・・あの『坊ちゃん』が・・・そんなにも、大切ですか、セレスト・・・」

 街外れに広がる草原を抜け、河口を遡った先にある滝壷まで、自分が仕組んで同道した旅の記憶が
よみがえる。
 自分にはけして見せない、主に向ける臣下としての、身内としてのセレストの素顔。自分に向けられる
愛想のいい、しかし他人を意識した笑顔との落差に、何度も胸襟を焼かれるような思いを味わった事。
 本気半分冗談半分で突き落とそうとした滝壷に、目算を誤り主従揃って落ちた直後の、あの二人の表
情・・・・・・。


 ・・・解かっている。今は、こんな感傷に浸っている猶予などない。乗った時点で共犯が確定したこの目
論みには、弟の解術が、果ては命がかかっている。
 王家に刃を向けたのだ。これで仕損じれば、自分の極刑は免れないだろう。よしんば存えたとしても、
禁固を言い渡されるのは確実だった。
 投獄覚悟で温泉きゃんきゃんの捕獲を強行できなかったのは、十年という歳月を待つ間スイの命が
保つ保証がなかったからだ。人間の姿形であればともかく、小動物の外見に変えられてしまった弟が、
この姿であと何年存えられるのか、自分にもわからない。
 あるいは十年このままの姿でも、弟は命を繋ぐことができるのかもしれない。変えられたのは外見だ
けで、その命運までは呪力の支配は及んでいないのかもしれない。
 だが・・・全ては、憶測に過ぎなかった。例えばげっ歯類の小動物ならば、短いものならその寿命はもっ
て二年ほどだ。スイが似たような姿に変えられたのは、もう五年以上も前のことだ。
 あるいは・・・今日明日を争う程に、事態は切迫しているのかもしれなかった。個人的な感傷などに、気
をとられている場合ではない。
 解かっている。解かっていたが・・・・・・


 一度だけ、公務を外れたセレストと、酒場で酒を酌み交わした。互いの家族の話をし、他愛もない雑談
に笑い、公時を離れた彼が、自身を『俺』と呼ぶ事を知った。
 そして、別れ際に戯れごかしてその唇を奪った刹那、忘我の態に陥った彼が見せた、子供じみた容色
とー――

 垣間見たにすぎない、限りなく素に近いセレストの姿。それが自身に当然に向けられるほど、本来自分
達が近しい立ち位置にいないことは解かっている。
 それでも、控えめに自分に向けられた、彼の及び腰の好意もまた、自分はさもしくも感じ取ってしまうか
ら・・・


 これは、乗ったが最後、けして降りることのできない賭けだ。それを承知でここまで来た以上、もはや自
身に対してすら弁護の余地はない。
 だというのに・・・なんという不心得であることか。
 ここまできてしまって尚・・・あの日自分に向けられた青年の厚情を、諦めきれずにいる自分がいた。
 セレストを人質にし、彼がなによりも―――あるいは彼自身よりも尊重し、守りつづけてきた少年を手玉
に取った、最大の裏切り行為を自分は働いたのだ。今更未練がましくしがみつくことほど、愚かしいことは
ないのに・・・

 「・・・っ」
 ・・・つと、膝頭に柔らかい感触を覚えて思わず居住まいを正す。束の間の追憶から立ち帰った視線の
先で、変わり果てた姿となった弟が、どこか気遣わしげなよすがで膝に前足をかけ、こちらを見上げていた。
 その姿に・・・安心させるように取り繕った笑顔に、知らず苦いものが交じった。
 「・・・スイ」


 自分の身から出た錆は、自ら落すよりほかにない。自身の不始末が弟を不遇に追いやってしまった以
上、その救済を誰かに肩代わりしてもらうことなどできようはずがない。その覚悟が、今日までハンター
としての自分を守り、綱渡りの綱の上を歩ませ続けてくれたのだ。
 今、足元を覗き込んでしまえば・・・覚悟に負けた自分は、弟もろ共綱から落とされてしまう。
 生き延びたければ―――綱を渡りきるより他に道はなかった。


 「オーディン」
 弟を安心付けるようにその頭を一撫ですると、白鳳はそれまで傍らに控えていた従者の名を呼ばわっ
た。
 この策謀に自分を引き込んだ、依頼主との約束の刻限が迫っている。いつまでも、ここで足止めをして
いるわけにはいかなかった。
 目的地に人質を運ぶよう、再び指示を出す。オーディンは黙って頷くと、それまで石壁に凭れかけさせ
ていた青年の肢体を抱き上げるべく一歩の距離を歩み出た。


 と、刹那―――
 「・・・・・・う・・・」
 それまで昏睡状態にあった青年が、わずか身じろぐと微かなうめきを漏らす。
 ほぼ時を同じくして、震えるようにしてその両の瞼が持ちあがっていくのを・・・

 ―――腹の底で自らの意気地のなさを叱咤しながらも・・・白鳳は、直視することができなかった。



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