Darwinism〜岸を離れる日4〜




 咳音さえ憚られるような静寂が、ダンジョンの一角を瞬時に支配した。


 今……この人外は、なんと宣言した?



 常に追及する欲求に支配されている「学者さん」の中には、その衝動が過ぎて、得体の知れない研究にのめりこむ者も少なくはなかったという。
 自分達男の子モンスターのみならず、人の世の生態にも興味を抱き、人間との接触を好んで繰り返していた者。単細胞生物のクローニングを足掛かりに、類人猿クラスの高等生物にまで適合可能な遺伝子情報の操作法を、机上の空論の域であれ仮説立てた者。
 単身で、人知れず作り上げた研究所に引き篭もって独自の研究に没頭するという、元来の習性があればこそ、彼らの言動が表社会を波立たせることはなかった。だがそれでも、独走の過ぎた個体のいくつかは異端として、表沙汰にされないやり口での「処分」を免れなかったという。


 そして、自らを進化させようと目論む「ノーベル学者さん」の危険思想は、そんな風に人知れず始末されてきた「学者さん」のもつそれの比ではなかった。
 自ら宣言したとおり、「ノーベル学者さん」の知力は、そのルーツである「学者さん」をはるかに凌駕するだけのものなのだろう。それだけの資質を兼ね備えた存在に、見合う環境を与えてしまったらどうなるか……


 震撼とした思いに言葉を無くした白鳳を尻目に、人外が、いっそ誇らしげに背筋を伸ばす。

 「「学者さん」の本分がどのようなものであろうと、私には関係のない事だ。私はより進化したレアモンスターであり、私の研究が世論に及ぼす影響などに興味はない。私は、私という種の限界を見極め、またそれを超越するために研究を続けている。だからこそ、より正確な種の情報を把握したいと考えるだけだ」

 続けられた言葉の意味を、瞬時には噛み砕いて吸収することが出来なかった白鳳に向かい、「ノーベル学者さん」は、さながら出来の悪い生徒に言い含めでもするかのように、話の本筋だけを冷然と繰り返して見せた。


 「私の研究は、私という存在そのものを変化させ、進化させるためのもの。外界の事情など、私には露ほどの意味もなさない」
 「……っ」
 「私は、「ノーベル学者」さんという己の種を凌駕する」



 刹那―――固唾を呑む白鳳の背を、冷たいものが伝い落ちていった。
 憤りとも侮蔑とも違う。ただ漠然とした、それでいて筆舌に尽くしがたい畏怖の衝動……

 「……な…にを言って…」
 得体の知れない存在に対する本能的な恐怖を、この時、白鳳は心底から味わっていた。

 「それが…それがどういうことなのか、お前は本当に解って口にしているのか!?」




 現存する個体を、それを凌駕する存在へと、進化させるという事……それは、人の世界においても、おおよそ歓迎されることのない、
ある種の危険思想であるといえた。

 信仰する宗教によっては、神からの授かりものである生命に手を加え、別個の存在に作り変えるという考え方そのものが、人として生きる上での最大の禁忌となる。無神論者など、信仰上の柵を受ける立場にないものにとっても、生あるものの本質に人為的な干渉を行うことは、けして歓迎される行為ではなかった。

 その対象が、同じ「人間」であるなら、周囲から受ける敬遠は尚のことだ。
 ましてや、本来人間以上の自我と知識を持ち得ないはずの、人が人間の擬似生命体として認識する「男の子モンスター」が発案者だとなれば……


 己自身を、より進化した存在へと作り変えようとする欲求。そんなものを抱いてしまった時点で、それはもう、「男の子モンスター」とは呼べなかった。



 己の存在を根底から作り変えることは、自身の属する種の規格から、自らはみ出した存在になるということだ。実行するだけの知識と環境条件が整うかどうかは別問題にするとしても……そんな思考にたどり着く事自体が、既にして異端だった。
 自身が分類される、「学者さん」という種の規格から、外されることへの本能的な畏怖や厭悪はないのだろうか。それとも、レアモンスターと呼ばれる、ある意味始めから規格外の存在であるからこそ、種に対する執着も薄いのか……

 この人外は、これまで自分が馴染んできたモンスターとは、精神の有り様が根底から違っている。
 この時初めて―――白鳳は、「ノーベル学者さん」が発生した要因となった神の存在を、強く意識した。


 プランナー……自分達兄弟の命運を大きく歪めた、荒ぶる神。
 「ノーベル学者さん」の発生には、あの神が一枚噛んでいるのだ。その影響を受けた「彼」が、一般的な男の子モンスターとは一線を画しているのは、ある意味当然の事であるのかもしれなかったが……

 この人外は―――人の世界に野放すには危険すぎた。





 「……随分と、大胆な野心だな……」


 押し留めなければならない……最悪の場合、自ら揶揄した通り、この手で存在を葬り去ることになっても。
 自らを叱咤するかのように腹の底から搾り出した声に、意識する以上に酷烈な響きが宿った。

 「そんな夢語りを聞かされて、私が大人しくサンプルを提供すると思うのか……?」


 ゆらりと踏み出した足が、焦れるほどの速度で眼前の人外との距離を縮めていく。
 「お前は所詮、紛い物の亡霊だ。人真似の野心をどこまで燃やしたところで、次世代に因子を残すこともできない出来損ないが、一代限りの命でどれほどのものを残せるというんだ……っ」

 唸りを上げた鞭の先が、相手の神経を逆撫でする事を承知の上で、「研究所」の壁に埋め込まれた設備の一つを抉る。もの言いたげに眉間を寄せた「ノーベル学者さん」の機先を制して、白鳳は二、三歩踏鞴を踏むように助走をつけながら、相対した人外との距離を一息に跳躍した。

 「机上の空論から抜け出す事も出来ない身で……っ」
 「……っ」
 「私達を……お前の野心に巻き込むな!!」


 咄嗟にその場を退いた「ノーベル学者さん」の白衣の裾を、白鳳の放った大蛇の一閃が一筋切り裂いた。それが、戦闘再開の合図となった。
 それまで辺りを支配していた静寂を破って、再び「研究所」が喧騒の物音に包まれた。





 再三苛烈な衝突を繰り返した一人と一体が、ギリギリのところで互いに均衡を保っていられたのは、果たしてどのくらいの時間だったのか。
 先に行動を起こしたのは、激した白鳳のほうだった。


 「ノーベル学者さん」の構えた武器から、既に見慣れてしまったったレーザーの閃光が一条の軌跡を描く。これまで対峙してきた記憶からその軌道を予測した白鳳は、半歩ほどの僅差で直撃を避けると、その死角から鞭の一撃を見舞おうと後ろ手に振りかぶった。

 だが……

 「…ぅあ…っ」
 次の刹那、目標に向かって大きく踏み込んだ白鳳の脇腹を、間髪いれず放たれたレーザーの第二波が焼いた。



 
 走り込んだ勢いのまま、慣性によって引きずられた体が床に叩きつけられる。
 肉の焦げる、嫌な匂いが辺りに充満した。

 「―――接近は、許可しない」
 「…っ……な…っ」


 これまでのように、僅かに掠めた程度の被弾とは、まるで威力が違った。レーザーの直撃を受けた箇所から脳髄にまで、筆舌に尽くしがたい衝撃が突き抜ける。熱線に抉られた傷口が痛いのか熱いのか、俄かには判断が出来なかった。

 あの座標装置の前で、自分が邪魔立てする形になった事で、このレーザーの直撃を受けた盗賊団の首領の顔が脳裏をよぎる。自分が原因でこれだけの衝撃を味わわされる羽目になったのだから、彼の剣幕も無理はないと、どこか的外れな事を考えた。
 次に思い至ったのは、何故、という純粋な疑問。そしてそこから導き出された、諮られたのだという推測に、痛みによるものばかりではなく、目の前が赤く染まった。


 今まで対峙してきた経緯から、「ノーベル学者さん」は武器の連射は出来ないのだと、勝手に憶測付けていた。
 その獲物が銃器であることを考えれば、第二波の発射までに何らかの「溜め」の時間があるのは不自然なことではなかったし、実際に、連射すれば形成が覆せるような局面においても「彼」がそれを実行することはなかった。だから、そういった仕様の武器なのだと、すっかり自分は思い込まされてしまったのだ。

 ―――諮られた……っ

 してやられたのだという怒りと同時に、世慣れぬレアモンスターでありながら、局面に置かれた人間心理に精通したそのやり口に、うそ寒い思いがこみ上げてくる。




 ハンターを生業とする以上、獲物となるモンスターの生態には、玄人を自称できるだけの知識を備えているつもりだ。
 良くも悪くも純粋な存在である彼らは、関わりを持った人間から受ける影響で、非常に極端な発育を見せる。故に、彼等との接触には細心の注意が必要だったし、より理想的な発育を目的とした調教法に通じることは、自分達ハンターやラボの人間にとっては必須条件であるといえた。

 手許に置いて大切に大切に教え込んでも、こちらの望む通りに彼らが育つとは限らない。だからこそ、同一の種族であってもそれぞれ個性が生まれるわけだが……ハンターやラボの調教師など、あくまで人間主体の商売をする側の自分達は、彼らモンスターを、基本的に「規格外」の存在には育てないものだった。
 愛玩用であれ、補佐的役割を望まれた存在としてであれ、モンスターはあくまでも、使役する人間に従順であるべき生き物であったから。その特性にある程度の画一性がなければ、モンスターの汎用化など望めないから。



 だから……だから、本来であれば、あり得ないのだ。
 人間の影響さえ受けていないモンスターが、人を食った意趣返しに及ぶほど、世間ずれした為人をしているなどという事は。


 得体が知れない……
 この人外は、あのプランナーが自分への意趣返しにと作り出した、自然の摂理に反する存在だ。そして、人の世に仇なせるだけの知能も行動力も兼ね備えている。
 その外見や、発生要因に対する自身の苦手意識など関係ない。この人外との間にある、後ろ暗い因縁も関係ない。

 後々の憂いを経つためにも、「ノーベル学者さん」の暗躍は、ここで完全に断ち切るのだ。それは人の世界に投げ込まれかけている不本意な波紋を払拭するとなどいう大それた名分に準じる為などではなく。この身の置かれた道程の今後を磐石なものにする為の、純粋な懸念を解消する為に。


 呼吸するたびにじくじくと痛みを訴えてくる脇腹の傷を庇いながら、手近の壁につかまり立つようにして重い体を引きずり起こす。構えた獲物から想像以上に負荷を感じることに内心舌打ちし、それでも白鳳は眼前の人外をきつく睨み据えた。

 ……負ける訳にはいかない。ここで倒れて、「ノーベル学者さん」の切望する、生きたサンプルになる訳にはいかなかった。
 捕縛を諦めてでも、この場で決着をつけなければ……この人外は、後々まで影響する、根深い障壁となる。



 ……と、その刹那―――


 『…ゅ…るり…』
 「……っ」

 施設の一角から僅かに漏れ聞こえた、小動物の鳴き声を思わせる物音に、対峙していた一人と一体は弾かれたようにその方向を振り仰いだ。
 同時に辺りの空気を僅か震わせた、何か硬質の物体を内側から叩きつけるような断続的な打撃音……


 「………スイ…っ」


 それまで、設備の死角になっていて見通す事の出来なかった施設内の最深部―――天井近くまでそびえるガラス製の容器のその中に、白鳳がここまで乗り込んできた目的である人質達が、それぞれ囚われの身となっていた。
 容器の内側から、小さな前足で懸命にガラス板を叩いている弟の姿に、白鳳の全身から血の気が引いた。

 もう一人の人質である盗賊団の少年がぐったりと意識を失っている事から考えると、麻酔薬か何かを使われて眠らされているのだろう。見た目は脆弱な小動物に過ぎない翠明には麻酔量が調節されていたために、覚醒が早まったということか。
 平常心を保てない状況下だったとはいえ、同じ敷地内にいた弟の存在に、声を聞くまで気づけなかったという己の迂闊さに愕然とする。そしてそれは、何よりも愛おしむ肉親を拘束した人外への憤激へと摩り替わった。

 在りし日の父をそのまま写し取ったかのような外見を利用する形で弟を連れ去ったのみならず、試薬付けにした標本のように陳列してみせるなどと……
 許せない―――!


 「こ…の……っ!」
 「―――麻酔が足りなかったか」

 衝撃のあまり、満足に言葉も継げない白鳳を尻目に、「ノーベル学者さん」は事も無げに呟くと向けられたままの獲物に頓着するでもなく、「研究所」内部へと踵を返す。その手が、壁に埋め込まれたパネルのいくつかを操作した。
 時を同じくして、翠明の閉じ込められた容器の中に、噴射音と共に白濁色の粒子が充満する。

 「……っ」
 『……っ…っ…!』

 それが即効性の麻酔薬であることは、状況から鑑みても瞭然だった。
 容器の中で慌てたように動き回っていた弟が、抗議の声を上げる間もなく昏倒する様を立て続けに見せつけられ……それまでまがりなりにも最後の一線だけはと保ち続けてきた理性の糸が、音を立てて捻じ切られたのを白鳳は知覚した。


 「……こ…の…亡霊!!」
 腹の傷に障るのも構わずに、臨界点を越えた激情をあらん限りの叫びに変える。

 「小動物への麻酔の使用がどんなに危険なことか、紛い物でも学者を名乗るお前が知らないわけはないだろう!!それもこんなに立て続けに眠らせるような真似を……っ…吸引系の麻酔はただでさえ内蔵に負担をかけるんだ!お前はスイを殺す気か!!」


 幼い自分と物心ついたばかりの弟と、乳母日傘で育った母。そんな自分達家族に対する配慮からか、講義の一環であれ、けしてその現場に自分達を立ちあわせるような真似はしなかったが……それでも、学者として様々な小動物の生体実験を行ってきた父は、事あるごとに様々な心構えを自分達に説いて聞かせたものだった。

 その行為の罪深さと、けして忘れてはならない幾つもの留意点について。
 被験者となった動物の犠牲の上に、新薬の開発や遺伝子研究の発展など、人間が様々な恩恵を受けていること。だからこそ、実験を施す人間側の手落ちによって被験者の命を無駄に奪ったりすることのないよう、研究者には十二分な誠意と知識が必要であるのだということ。

 父が諭した幾つもの教えの中でも、被験者に施す麻酔の取り扱いについての注意事項は多岐に渡っていた。

 父が研究対象としていたような小動物は、特に麻酔による弊害が大きい。強制的な昏睡状態へと誘う程の効果の裏には深刻な副作用も多く、投与のバランスを間違えれば対象を死に至らしめる恐れすらある。
 唯でさえ命を弄ぶような真似をしているのだから、その過程において過失があってはならないのだと、繰り返し父は語っていた。


 父の後を継ぐ学者になりたいと勉強を続けていた弟はともかく、白鳳自身はハンターという職業を選んだため、そんな風に耳学問で覚えたもの以外に、生物学に関する専門的な知識はない。
 だが……その白鳳の目から見ても、「ノーベル学者さん」が研究者としての禁忌をいくつも犯していることは明白だった。


 自らの進化のために、「研究対象」の命など物の数ともしない過激な思考回路―――弟を、そんなものの犠牲にさせるわけにはいかなかった。



 「―――スイを離せ!!」

 血を吐くような叫びと共に、再びこちらに向き直った人外に向けて大きく一歩を踏み込む。傷の痛みを無視して、近距離にまで迫った対象に大蛇の連打を見舞った。
 反す獲物の先に頬を掠められ、「ノーベル学者さん」の双眸が不機嫌に眇められる。

 「邪魔立てを…っ」
 間髪いれずに放たれた、ミミックレーザの閃光。痛い目に合わされたばかりの白鳳が連射に備えて振るった鞭の先を、続く一撃が掠めていく。
 二度も同じ手を食らうかと、変幻自在の軌道を利用した獲物が再び「ノーベル学者さん」の顔面を捉えた。


 どれほどの屈強さを誇ろうと、体内に組織された器官を鍛え上げることは非常に難しい。特に口腔内や耳朶の中、そして露出した急所である眼球などは、効果的な攻撃を決めるにはうってつけの場所であるといえた。
 もう、爪の先ほども仏心など残っていない。命さえ奪わなければ、捕縛はできるのだ。
 あの転移装置の前で別れた同行者達ならば、そんな自分の振る舞いに眉を顰めるのだろうが……戦力を削ぐ事を第一目的と考えれば、「敵」の視力を奪うことなど何の躊躇いも感じない。

 「覚悟!!」
 「…っ」

 叫びと同時に、三度唸りを上げた大蛇の紋が、まっすぐに標的の双眸へと向けられた。
 このタイミングと間合いなら、けして外さない―――これまで培ってきた、ハンターとしての経験に裏打ちされた確信と高揚に、我知らず口角がつりあがる。ここまで散々煮え湯を飲まされた人外への勝利を、この時白鳳は露ほども疑ってはいなかった。

 だが……



 神の加護というのは、こういう事態を想定した時にこそ言い表される言葉なのだろうと、この一瞬の雌雄の分かれ目を、白鳳は後々まで苦々しく思い起こす羽目になる。
 プランナーという神の思惑によってこの世に生を受けた、「ノーベル学者さん」というレアモンスターが引き寄せる運気の程を、正直なところ、自分は過小評価していたのだ。




 勝負の分かれ目は、本当に瞬きほどの僅かな隙を突いて、現れた。


 もう一呼吸の間もなく攻撃が炸裂するという、そんな際どいタイミングで……辛うじて発射が間に合った「ノーベル学者さん」のレーザーが、白鳳の放った鞭の先端を僅かに焼いた。
 感性による威力もあり、通常であれば、その程度の反撃では鞭の勢いは殺せない。

 だが……白鳳の獲物は、攻撃を仕掛ける直前に、回避を目的として先端を同じレーザーに焼かれていた。

 完全に整備されたものと比べればいささか強度に劣る形となった鞭の一撃は、二度同じ箇所を焼かれた事により、その軌道を僅かに逸らせてしまう。
 ほんの、指一本分ほどの僅かな誤差……それでも、狙われた標的が自らの急所を庇うには、充分すぎる差異だった。


 目蓋の僅か上―――額からこめかみにかけて一条の赤い筋を残しながら、それでも一歩も引かなかった「ノーベル学者さん」が白鳳の顔面に照準を合わせ、お返しとばかりにレーザーを放った。
 何か考えるよりも先に、本能的な衝動に突き動かされた白鳳が、上体を仰け反らせるようにしてそれを避ける。
 だが……次の刹那、レーザーの連射を考慮してもありえない速さで、再び「ノーベル学者さん」のもつ銃器が鳴った。

 「……っ!」


 瞬時に調整された標準が向けられたのは、相対する白鳳の胸の部分―――

 至近距離からの直撃に、白鳳の体が後方へと吹き飛ばされる。勢いを殺せないまま背後の壁に叩きつけられ、満足に呼吸が出来なかった。

 「…か……は…っ」

 レーザーの直撃を受けたときのような、身を焼く激痛は訪れなかった。それでも至近距離から受けた衝撃に咳き込めば、喉に血の味が広がっていくのが解る。肺に強い衝撃を受けた証拠だ。
 あまりに威力のある銃器に撃たれると、空砲であっても受けた距離によっては、臓器を傷つけることもあるという。白鳳自身にはこれまでそのような経験はなかったが、これが実弾を伴わない銃器による衝撃であることは、容易に予測がついた。


 そして……これが、自分を生きたサンプルにしようと目論む「ノーベル学者さん」の仕掛けた攻撃である以上、ただの空砲ではなかった事にもまた、思い至らない訳にはいかなかった。


 果たして……


 「―――催眠波α、注入完了」

 切れた額から流れる血を拭いもせず、淡々と宣言する「ノーベル学者さん」の声が、床にくず折れた体勢のまま衝撃に蹲る白鳳の耳に、どこか遠く届いた。
 まさかという思いとやはりという思いが、混濁していく意識に交互に表れては消えていく。


 「……この…化け物…っ…私に……麻酔……っ」
 「これは魔力で精製された催眠弾だ。衝撃が強すぎるという難点はあるが、後遺症は残らない。提供者から完全なサンプルが採れないのは大いなる損失だからな」
 「…っの……!」


 先刻自分が怒鳴りつけた言葉尻を揶揄され、白鳳の頭に血が上る。だが、喉元までこみ上げてきた思いつく限りの罵倒は、急速に遠ざかっていく意識に引きずられ、言葉にすることは出来なかった。


 “……ス…イ……っ”
 「ゆっくり眠れ、侵入者。お前の因子を、全て搾り取るまでな」



 最後の意識で呼んだはずの弟の名は、声にはならず……冷然と自分を見下ろす人外の宣告だけが、闇に落ちる寸前の意識に、澱のようにわだかまっていった―――
 



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