頼忠13E |
役目を終えられたとは言え、『龍神の神子』という肩書きはそう簡単には忘れ去られない。そのお蔭で、頼忠には武士としての任務が有るが、花梨殿の警護という名目でずっと傍に居る許可を得られた。 「大丈夫です、花梨殿。龍神がお守り下さいます。」 「・・・・・・手、離さないで。」 「ずっとお傍に居ります。ご安心下さいませ。」 「・・・・・・・・・うん。」 そして―――陣痛。 私は八葉の控えの間で待つ。ただ待つ事だけしか出来ない、辛くて長い時間。 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 次々と八葉だった男達が集まって来た。深苑殿が知らせたのだろう。 「・・・・・・・・・。」 チラチラと私の様子を見ては、離れた場所に座る。そして、他の者達とぼそぼそと小さな声で挨拶を交わす。そしてしばらく話をしていたが、その内に一人、一人と口を閉じていき、終いには全員が黙り込んだ。 「・・・・・・・・・。」 遠くから泰継殿の呪いを施す声が聞こえる。その呪いを乗せる泉水殿の笛の音も共に聞こえる。だが。花梨殿が苦しむ原因を作った私には―――出来る事は何も無い。 「・・・・・・・・・。」 出産とは生命の危険を伴う。しかも、華奢な身体では負担は大きい。 「・・・・・・・・・。」 夜に始まったのだが、陽が完全に昇ってもまだ産声は聞こえない。 「・・・・・・・・・。」 ふっと辺りが暗くなったと思った途端、大粒の雨が降り出した。鬱陶しいほどの気温が下がり、少し肌寒い。身体が震えているのは気温のせいではないが。 「・・・・・・・・・。」 女房達が慌てて走り回る。蔀(しとみ)を下ろし、格子を下げる。燈台に灯りを灯したが、それでも暗い。我々の心の内を表しているようだ。 「・・・・・・・・・。」 初産は時間が掛かるという。だが・・・・・・・・・不安は大きくなる。 「・・・・・・・・・。」 私以外の男達も黙ったまま身動き一つせずに憂鬱そうな表情を浮かべていたが、次第に落ち着きを無くし始めた。イライラと爪を噛む者、落ち着かなさそうにウロウロと歩き回る者、立ったり座ったりを繰り返す者、調度品の並び替えを延々と続ける者、白湯の入った椀を握り締めて睨み付ける者。 女房殿が粥を用意してくれたが、誰一人として椀に触れる物はいない。 「・・・・・・・・・。」 そして、再び夜が訪れた。何時の間にか、雨は止んでいた。だが、その時―――ピカッッ!! 鳴ってもいない鳴神が光り、一瞬だけ、昼間のような明るくなった。 「・・・・・・・・・。」 花梨殿のいる室の方が騒がしくなり、この室の中の我々に緊張が走る。 「・・・・・・・・・。」 報告に来る者を今か今かと待つ。だが、なかなか来ない。何か問題でもあるのかと、花梨殿の所に駆け出したい衝動に駆られる。それを何とか抑えようとしていると、やっと一人の女房が入って来た。 「たった今、花梨様が赤子をお産みになりました。」 「「「「「「・・・・・・・・・。」」」」」」 その緊張した青冷めた表情に、呼吸も止まる。 「男の子はお元気ですが、花梨様の意識が戻りません―――。」 「っっ!!」 その言葉を聞いた瞬間、頼忠は走りだした。 それこそ強引に花梨殿が寝ている室に入り込む。本当ならば許されないが、ご出産直前の花梨殿は頼忠が傍にいる事を望んでいた。それを理由として、渋々だが認めさせる。そして、枕元で付き添う。 「・・・・・・・・・。」 御帳台から調度品など、室の中は全てが白一色。だが、それ以上に貴女のお顔が白い。ふっくらしていたお腹は、もうない。ほっそりした身体は、薄い上掛けでさえ、肉体の存在を主張出来ない。その華奢すぎる身体を呆然と見つめる。外に落ちていた片方の手を取り、上掛けの中に入れようとしたが―――離せない。両手で握り締める。 「・・・・・・・・・。」 そう、知っていたのだ。出産とは、女人の生命を危険に晒す事だと。貴女が生命を落とす事も有り得ると、解っていた筈なのに。それなのに、私はただ喜んでいた。貴女との絆の深さに。貴女のお傍に居られる事を。そして未来を祈った。貴女の御心も考えずに。何と言う―――浅はかな考え。私はなぜ、こんなにも愚か者なのか。 「花梨殿・・・・・・。」名を呼ぶ。「花梨殿・・・・・・・・・。」 なぜ?なぜ、貴女がこんなにも苦しまなくてはいけないのか?なぜ、こんなにも過酷な運命を辿らねばならないのか? 「龍神よ、あなたの神子です。どうかお助け下さい・・・・・・。」 違う世界のひと。それを無理矢理強引に、問答無用で連れて来られたひと。従うべき八葉にも仕える筈の星の一族にも信用されず、身勝手な我々に振り回されたひと。苦し紛れで伸ばした手を取ったのは、この私、源頼忠だった。私は優しく労わるどころか、弱さに付け込み、清らかな身体を犯し続けた。貪り尽くした。その挙句、望まぬ子を孕ませた。 「罰を受けるべきなのは、この頼忠です。罪を償うのは私なのです。」 この女(ひと)が苦しんだ原因はこの頼忠。あの日々を悔いても遅い。しかも、手を伸ばされた瞬間に戻ったとしても、この愚かで醜い心根の私は同じ運命を辿るだろう。何度でも。苦しめる事が解っても、貴女を抱き締めるこの腕を斬り落とす事は出来ないのだから。 どうか龍神よ、この頼忠の生命と引き換えに、花梨殿をお救い下さい。未来永劫、地獄で苦しみ続ける事になろうと、喜んで受けます。ですから・・・・・・・・・、この花梨殿を――――――。 御手を握り締めながら祈り続けていると。 くぃ。 その小さな手に微かな力が加われた。 「花梨殿?」驚いて顔を覗き込む。瞬きを繰り返すと、ゆっくりと目が開かれた。「花梨殿?大丈夫で御座いますか?私が解りますか?」 「・・・よ、り・・・ただ、さ・・・ん?」顔を動かすと、右手の行方を追う。頼忠が両手ですっぽりと包み込んでいるのを見ると、微かに眼を見開いた。「大丈夫、みたい。疲れて眠いけど・・・・・・うん、大丈夫。」 「花梨殿・・・。良かった、本当に良かった・・・・・・。」意識が戻られた事に安堵する。無意識の内に指を絡ませて握り締め、手の甲に頬を擦り付ける。「お目覚めにならなかったらどうしようかと・・・・・・っ!」 「・・・・・・・・・。」不思議そうな顔で、じっと私を見つめる。「・・・・・・・・・。」 しばらく黙っていらしたが、次第に決意に満ちた表情へと変わった。 「あのね、頼忠さん。」 「はい、何で御座いますか?」 「私ね、記憶が戻ったの。全部、思い出した。」 「・・・・・・・・・。」 心の臓が凍る。呼吸が止まる。 「頼忠さんの傍に居て考えていた事、私自身の望みを思い出したの。」 「・・・・・・・・・。」 聞きたくない優しくて残酷な言葉か、それとも私の望む残酷な優しい言葉か―――次の言葉を待つ。と。 「少し眠るから、このまま傍にいてね?」 花梨殿の方からも、力を込めて頼忠の手を握り締める。驚いて握り返してこられた小さな手を見つめる。 「か、りん・・・殿?」 何だ?これは一体どういう事だ? 「次に眼が覚めた時、私、頼忠さんにプロポーズするから。」 「ぷろぽーず?」 「そう、プロポーズ。」私の知らない言葉をわざと使われる。「私の夢なの。よく考えて返事を下さい。」 「貴女の夢?返事?」 貴女のおっしゃっている言葉の意味が解らない。しかし、貴女の夢を私が叶えて差し上げる事が出来るのですか?この頼忠が、ですか? 「お休みなさい。」 そんな戸惑う頼忠に笑顔を寄越すと、さっさと眼を閉じてしまう。 「か、花梨殿?」 「頼忠さん、ありがとう・・・・・・・・・。」 「え・・・・・・?花梨殿?」 ちょっと待って。お待ち下さい。説明して下さい。こんな、全ての不安が取り除かれたような清々しいお顔で寝ないで。頼忠を、悩みの底なし沼に突き落としたまま、放って置かないで下さい。 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 全ての記憶を取り戻されたのに、頼忠が貴女の手を握り締めているのに気付きながら振り解かなかった。嫌悪の瞳を寄越すどころか、笑顔を浮かべられた。その意味が解らず、ただただ混乱し、戸惑い悩み続けるしかなかった――――――。 |
鈍感にも程がある。 |