頼忠12E



春になって完全に雪が溶けると、花梨殿を外にお連れするようになった。貴女が強請るから、という理由を付けて。
糺の森に音羽の滝、火之御子社などに―――危険の無い場所であり、邪魔者のいない静かな土地。そして、花が綺麗に咲き誇る所に―――花がお好きな貴女が喜んでくれる場所。しかし、神泉苑だけはお連れ出来ない。あそこは―――貴女の世界へ通じる唯一の地、永遠の別れの場所。まだ気持ちの整理はつきません―――。


「桜!やっぱり日本人は桜だよ!」歓声を上げられる。「お花見〜〜〜♪」
「お気に召して頂けたようで、良う御座いました。」
輝くような笑顔が、この明るい場所ではっきりと見られる事が嬉しくて堪らない。お守りする為と称して、眼を離さずにいられる事が。ずっと見続けていられる事が。
「捕まえた♪」
舞い落ちる花びらを手で受け止めて喜んでおられるが、既に貴女の御髪には沢山の花びらがくっ付いておられる事にお気付きにならない。―――桜花の女神でさえ、この花梨殿の可憐さには敵わないだろう。

「蛍、夏になったら蛍が見たい。」
「夜は足元が見えません。今年は諦めて下さい。」
「じゃあ、来年は?」
「来年ならば、どこにでもお連れ致します。」
「約束だよ?」
「はい。」
―――叶う事の無い約束。



貴女は私と過ごす時間に慣れたようで、穏やかで優しい表情を浮かべるようになった。この頼忠に笑顔を向けるようにもなった。だが、そんな喜ぶべき時間も何時終わりを告げられるのかと、怯えている。そして、怯えながら祈り続ける。
もう少し。後もう少しだけ、このまま夢を見続けさせて下さい。そして全ての記憶を取り戻した時にはせめて、残酷な優しい言葉でなく、優しい残酷な一言を下さい。たった一言、全てを終わらせるその言葉を、この頼忠に――――――。



夏になり、身動き一つ自由にならなくなると、花梨殿は室の中で身体を横にしている事が多くなられた。そして、記憶は少しずつお戻りになられているご様子。
他の世界からこの京に来られた事。
龍神の神子としての役目を果たされた事。
八葉と呼ばれる我々の事。
一日一日と、別れの時が迫る。しかし、この頼忠との関係は思い出せないようだ。思い出したくない、消し去ってしまいたい記憶だからだろうか?



本格的な暑さになると、花梨殿は暑気あたりで食欲が再び落ちてしまう。暑さに弱いとおっしゃっていらしたが、ここまで酷いとは。折角、悪阻の症状が無くなりお元気になられたのに逆戻り。せめて食事だけは召し上がれるように、食欲増進の薬湯を泰継殿にお願いする。
そして。


「彰紋様が氷を分けて下さいましたよ。」
「氷?」私の持っている椀を覗く。「甘い匂いがする。」
氷は貴重品、高級食材だ。こういう物を好きなだけ簡単に手に入れられるそのご身分を、羨ましいと思う。
「削った氷に甘葛(あまづら)をかけてあります。溶けぬうちにお召し上がり下さい。」
「カキ氷が食べられるとは思わなかったよ。嬉しい!」
匙で荒っぽく削ってある氷をサクサクと崩しつつ、口に運ぶ。不機嫌そうな表情が解けて、笑顔に変わっていく。
「それは良う御座いました。」
「美味しい♪」嬉しそうに、美味しそうに召し上がっていらしたが、私の顔を見ると悪戯っぽい表情が浮かんだ。「はい、半分食べて。」
「あの、これは食欲の無い花梨殿の為に、彰紋様が贈って下さったのです。どうか全てお召し上がり下さい。」
「うん、食べたいんだけど。」
「ならば遠慮なさらずに。」
「でも、これ全部をいっぺんに食べると身体が冷えちゃう。だからお腹の子の為に協力して?」
「・・・・・・・・・。」
相変わらず、言葉が上手くていらっしゃる。こう言われてしまうと、断わる理由はそう簡単には見つからない。
「はい、あ〜〜〜んは?」
言葉に詰まっていると、氷を匙に乗せて口元に持って来られた。
「自分で食べられます!」慌てて、椀と匙を取り上げる。「頂きます。」
「どうぞ召し上がれ〜♪」
「・・・・・・・・・。」
貴女は記憶を無くされても変わらない。私を困らせる事がお好きだ。ことある事に悪戯を仕掛けてくる。まぁ、策略を考えている時の楽しそうなお顔も、悪戯が成功した時のしてやったりとの嬉しそうな表情も可愛らしいから、嫌ではないが。


「扇いで。」
団扇を寄越される。
「・・・・・・。」
黙って受け取ると、暑さはしのげても身体は冷えすぎないように少しゆっくり目に扇いで優しい風を送る。
「涼しい。極楽極楽〜〜〜♪」
寛いだ表情で眼を瞑られる。御髪が伸びて、首のあたりでさらさらと靡く。口元に笑みを浮かべているその姿は可愛らしいだけでなく、綺麗でうっとりと見惚れてしまう。
しばらく涼風を浴びていらしたが、眼を開けると手を伸ばして団扇を受け取る。そして、今度は花梨殿が私に風を送り始めた。
「か、花梨殿!貴女にそんな事をさせる訳には参りません!」
慌てて団扇を取り上げようとするが、手の届かない方にさっと腕を伸ばしてしまう。
「長い時間扇いでくれたから、休憩。その間に腕をマッサージ、筋肉でも揉みほぐして疲れを取ってよ?私、すぐに疲れるから。」
「私ならご心配要りません。大丈夫ですから―――。」
「腱鞘炎にでもなったら、刀を持てなくなるよ?」
「鍛えていおりますから、この程度ならば大丈夫ですよ。」
「念の為だよ。ほら、涼むっ!」
問答無用とばかりに命令口調でおっしゃると、再び扇ぐ。
「・・・・・・・・・。」
諦めて眼を瞑って風を受ける。貴女を見つめられる口実を取り上げられて落胆しながら。
「・・・・・・・・・。」
「花梨殿。」
頃合を計って声を掛ける。
「うわっ!な、何?」
「?」突然すぎて驚かせてしまったか?「どうか致しましたか?」
「何でもない!」慌てたご様子だったが、すぐに落ち着かれたようだ。「それで何?」
「あぁ、そろそろ交代致しましょう。」
「もう少し。」
「駄目です。筋肉痛になってしまいますから。」花梨殿が逃げる前に取り上げる。「さぁ、お身体を楽になさいませ。」
これ以上は我慢出来ません。もう少しの間しか、お傍に居られないのです。貴女のお姿を目に焼き付かせて下さい。
「はぁ〜〜〜い。」少し不満げに返事をなさったが、諦めたように身体をコロンと倒して眼を閉じられた。「・・・・・・・・・。」
そのまま眠ってしまう。
「全く、貴女という女(ひと)は・・・・・・・・・。」頼忠を男して見て貰えないのは心苦しいが、そのお蔭で遠慮しないで貴女を見つめられる事を喜んでしまう。「美しくなられた・・・・・・・・・。」
幼さの残る可愛らしい女(ひと)というのは変わらない。だが、『女』の艶やかな香りが漂い始めている。昨日よりも今日、今日よりも明日。一日ごとに美しくなる貴女に、昨日よりも今日、今日よりも明日と、この想いも増すばかり。このような激しく惹かれる女人に出逢えたのは幸せな事なのだろう。
身体はほっそりと華奢なのに、お腹だけはふっくらとしている。団扇を置くと、にじり寄り、そこにそっと手を置く。
本来ならば、触れるどころか出逢う事さえ叶わぬ筈の天上の佳人。その貴女と、このような関係になれたこの運命に感謝すべき事なのだろう。だが、幸せな日々を過ごせば過ごすほどに、近い将来に訪れる絶望の日々に耐えられなくなる。
「貴女が私の温もりを求めた夜が無ければ、ただの美しい思い出の一つとなっただろうに。」



そんな心を切り刻む幸福なひと時を過ごす事も多くなったが、予定日が近付くにつれ、花梨殿は涙もろくなってしまう。頼れる者はほとんどいないこの京での出産では、恐怖に震えるのは当然だろう。しかも、初めての事なのだから。
そんな貴女が心配で、私はほとんど付きっきりでお傍にいる。
「大丈夫です、花梨殿。龍神がお守り下さいます。」
横になられている枕元で励まし続ける。
「・・・・・・手、握っていて。」
「・・・・・・はい。お傍におります。ご安心下さい。」
溺れる者は藁をも掴む―――そんな御心境なのだろう。この私でどの程度、気持ちが楽になれるのかは解らないが、気休めでもお役に立てられれば良いのだが。
「・・・・・・うん。」
ただ傍にいるのではなく、花梨殿の事を真面目に考えている事を伝えたくて、手に力を込めて握り締めてくるその手を、私からもほんの少し力を込めて握り返す。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
縋りつくような思いを手から感じ取っている時、小さくても重大な疑問が頭に浮かんだ。
『貴女は何故、この私を頼りになさるのですか?何故私にだけ―――こんなにも甘えるのですか?』
小さな手の温もりを感じながら、答えなど見付からない問いを考え続けていた――――――。






注意・・・この世界の「削った氷」がどういう物かは知りません。私達の世界のカキ氷とは違うような気もしますが、どうなんでしょう?


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