花梨12E



春になって完全に雪が溶けると、頼忠さんは外に連れて行ってくれるようになった。
糺の森や音羽の滝、火之御子社とかの静かな土地や、綺麗な花が咲き誇る場所に。でも、神泉苑にはどんなに頼んでも駄目。何か理由でもあるのだろう、諦める。だけど、一瞬、怯えたように見えたのは気のせいだろうか?


「桜!やっぱり日本人は桜だよ!」歓声を上げてしまう。「お花見〜〜〜♪」
花を見ている人はいても、カラオケやラジカセをがんがん鳴らし歌う会社員も、打ち上げ花火を上げて騒ぐ若者も酔っ払いもいない。純粋に花を楽しむお花見は初めてだ。
「お気に召して頂けたようで、良う御座いました。」
「捕まえた♪」
舞い落ちる花びらを手で受け止めると、私を穏やかに見つめていた頼忠さんが微かに微笑んだ。

「蛍、夏になったら蛍が見たい。」
「夜は足元が見えません。今年は諦めて下さい。」
「じゃあ、来年は?」
「来年ならば、どこにでもお連れ致します。」
「約束だよ?」
「はい。」
―――当てになどならない約束。



頼忠さんと過ごす時間は、穏やかで優しい。だけど、時々淋しそうな瞳で私を見つめている。諦めと覚悟、私が他の男の元に行くと決めかかっている。
以前の私が誰を好きだったかなんて関係ない。それは過去の事だ。今の私は頼忠さんだけ。―――そう言えば、信じてくれるだろうか?だけど、そんな簡単な事ではない。私が記憶を取り戻した時、この二人の時間が終わりを告げてしまいそうで・・・・・・私は毎夜密かに、記憶が戻らないようにと祈っていた。



「おい、元気か?」
「ご気分はいかがですか?」
友人だと言う人達も、変わらずに会いに来てくれる。
「頼忠は、今も毎日通っているようですね。」
「不愉快な事は無いか?」
心配してくれる。この人達も優しい。
「うん、大丈夫。」
「最近、外を出歩くようになったのですね。大丈夫なのですか?」
「遠くにも人の多い所にも行かないようにしているし、頼忠さんがずっと傍にいてくれるから大丈夫。」
「頼忠の事、信頼しているのですね。」
ちょっと不機嫌そう。今も怒っているんだ。
「・・・・・・・・・。」
「花梨さん?」黙り込んでしまったから、心配させてしまったようだ。「何かご心配な事でもおありですか?」
「ん?心配事とは違うけど・・・ちょっと、ね・・・・・・・・・。」他に好きな人がいたとすると、友人の中の一人だと思うのだけど・・・誰にも何も感じない。「私、好きな男性がいたのかなって考えていただけ。」
「え?」
「他に好きな男性がいるのに、好きでも無い男(ひと)と平気でそういう事をする女の子だったのかなって・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「そうだったら嫌だなって・・・・・・・・・。」
「花梨さんは・・・・・・頼忠の事をお慕いしているのですか?」
「・・・・・・・・・。」
「「「・・・・・・・・・。」」」



夏になり、身動き一つ自由に出来なくなると、花梨は室の中で身体を横にしている事が多くなった。そして、願いも虚しく記憶は少しずつ戻ってきてしまっている。
他の世界から来た事。
龍神の神子としての役目を果たすしかなかった事。
辛い日々を過ごしていた事。
八葉と呼ばれる仲間の事。
でも、頼忠との関係は思い出さない。昼間、主と従者の関係に相応しい接し方しかしていない。どこでどうしたら、そんな深い間柄になるのだろう?



夏バテで食欲が再び落ちてしまう。そして、頼忠さんは泰継さんに薬湯をお願いしてくれた。―――相変わらず、私には何も言わないで。
そんなある日。


「彰紋様が氷を分けて下さいましたよ。」
「氷?」頼忠が持っている椀を覗く。「甘い匂いがする。」
冷蔵庫の無いこの京では氷は貴重品、高級食材の筈だ。これも私の為に頼み込んでくれたのだろう。
「削った氷に甘葛(あまづら)をかけてあります。溶けぬうちにお召し上がり下さい。」
「カキ氷が食べられるとは思わなかったよ。嬉しい!」
匙で荒っぽく削ってある氷をサクサクと崩しつつ、口に運ぶ喜び。ひんやり口の中で溶けていく喜び。やっぱり夏はカキ氷が一番美味しい。
「それは良う御座いました。」
「美味しい♪」こういうのって、頼忠さんは食べた事があるのかな?有っても無くても、あまり興味は無いって答えるだろう。だったら、強制的に食べさせちゃおうっと。「はい、半分食べて。」
「あの、これは食欲の無い花梨殿の為に、彰紋様が贈って下さったのです。どうか全てお召し上がり下さい。」
「うん、食べたいんだけど。」
「ならば遠慮なさらずに。」
「でも、これ全部をいっぺんに食べると身体が冷えちゃう。だからお腹の子の為に協力して?」
この理由なら、逃げられないでしょう?
「・・・・・・・・・。」
「はい、あ〜〜〜んは?」
氷を匙に乗せて口元に持っていくと。
「自分で食べられます!」慌てたように、椀と匙を取り上げる。「頂きます。」
「どうぞ召し上がれ〜♪」
「・・・・・・・・・。」
頼忠さんの困った顔、私、好きみたい。つい悪戯を仕掛けてしまう。それに、一人で食べるよりも二人での方が断然美味しいしね。


「扇いで。」
団扇を渡す。
「・・・・・・。」
頼忠さんは黙って受け取ると、少しゆっくり目に扇いで優しい風を送ってくれた。
「涼しい。極楽極楽〜〜〜♪」
しばらく涼風を浴びていたけど、手を伸ばして団扇を受け取る。そして、今度は私が頼忠さんに風を送る。
「か、花梨殿!貴女にそんな事をさせる訳には参りません!」
慌てて団扇を取り上げようとするけれど、手の届かない方にさっと腕を伸ばす。
「長い時間扇いでくれたから、休憩。その間に、腕をマッサージ、筋肉でも揉みほぐして疲れを取ってよ?私、すぐに疲れるから。」
「私ならご心配要りません。大丈夫ですから―――。」
「腱鞘炎にでもなったら、刀を持てなくなるよ?」
「鍛えておりますから、この程度ならば大丈夫ですよ。」
「念の為だよ。ほら、涼むっ!」
問答無用とばかりに命令口調で言うと、再び扇ぐ。
「・・・・・・・・・。」
諦めたように眼を瞑って風を受ける。
「・・・・・・・・・。」
髪の毛が風を受けて靡いている姿がとっても格好良くて、私は見惚れながら扇ぎ続けていた。
「花梨殿。」
突然眼を開けた。
「うわっ!な、何?」
私の邪な思考に気付いたか!?
「?」私のあまりの驚きように、頼忠さんは不思議そうに首を傾げた。「どうか致しましたか?」
「何でもない!」そうだよね・・・気付く筈無いよね。「それで何?」
「あぁ、そろそろ交代致しましょう。」
「もう少し。」
「駄目です。筋肉痛になってしまいますから。」私が逃げる前に取り上げる。「さぁ、お身体を楽になさいませ。」
「はぁ〜〜〜い。」ちぇっ!もうちょっと見ていたかったのに。身体をコロンと倒すと、眼を閉じた。「・・・・・・・・・。」

そのまま眠ってしまったから、頼忠さんが何時まで傍にいてくれたのかは知らない。



そんな楽しいひと時を過ごす事も多くなったけれど、予定日が近付くにつれ、自分の本当の姿を知るのが怖くて涙もろくなってしまう。
好きな男(ひと)が居るのに、好きでも無い男と寝るような女の子だったら―――頼忠さんの子供を産んだからと言っても、今の自分が頼忠さんに恋をしているからと言っても、この男(ひと)の胸に飛び込めない。こんなにも純粋で綺麗な心を持っている頼忠さんでは、自分が恥ずかしくて劣等感を募らせるだけ。傍にいても苦しいだけ。幸せにはなれない。
そんな不安定な私を心配して、頼忠さんはほとんど付きっきりで傍にいる。
「大丈夫です、花梨殿。龍神がお守り下さいます。」
知らない土地での初めての出産を怖がっていると勘違いしている頼忠さんが、寝ている枕元で励まし続けてくれる。
「・・・・・・手、握っていて。」
「・・・・・・はい。お傍におります。ご安心下さい。」
「・・・・・・うん。」
ただ傍にいるのではなく、私の事を真面目に考えている事を確認したくて、手に力を込める。すると、その度に少し強めの力で握り返してくれた。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」






注意・・・この世界の「削った氷」ってどういう物かは知りません。私達の世界のカキ氷のようなきめ細かさは無いような気がするのですが、どうなんでしょう?


花梨11E 頼忠12E 花梨13E

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