頼忠10A



翌朝、早い時間に四条の屋敷を訪ねる。
昨夜、神子殿は長い時間足を濡らしていて、お風邪を召されてしまったのではないかと心配だったから。

だが。
神子殿付きの女房に挨拶をする間も無く、相談されてしまった。
お風邪を召されているご様子なのにお休みになられない、朝餉を召し上がらない、薬湯も拒絶されてしまう、か。
「・・・・・・・・・。」
あの女(ひと)は元々、食べる事に関してあまり興味は無いようだ。だが、私がお持ちした屯食は美味しそうに口にしていた・・・・・・。ならば。
「讃岐殿。お願いしたい事があります。」
「はい?」
「無礼な事とは承知致しておりますが――――――。」
説明しても全く納得してくれないが、神子殿の為にお願い致しますと言うと、渋々ながら承知してくれた。


「神子殿。お身体の具合はいかがでしょうか?」
初めて御簾越しでなく、直接会う事を許された。顔色は・・・やはり少し紅い。熱がおありのようだ。
「うん。元気ですよ。昨夜はお世話になりました。」そう言って、深々と頭を下げられる。従者に頭を下げられるのは、この女(ひと)位だ。未だに慣れる事は出来ない。だが。「記憶はやっぱり戻らないけれど、それを受け入れて、これからはこれからの事を考えていきます。」
そうきっぱりおっしゃってくれて、ホッとする。もう、早まった事をなされる事もご自分の世界に帰られる事もない・・・・・・・・・。
密かにそんな自分勝手な事を考えていると、神子殿は考え事をなされているのか、じっと私の顔を見つめておられる。
「・・・・・・・・・・・・。」
「どう、されましたか?」
何か問題でもあるのだろうか?それとも、私の邪な考えに気付いてしまったのだろうか?
「色々と街中の事を訊きたいんですけど、時間、ありますか?」
慌てたように、そうおっしゃる。気のせいではなくとも、神子殿が考えていた事は私が心配した事ではないらしくて、ほっと胸を撫で下ろした。そして、神子殿の質問に答える。
「神子殿がお風邪を召されてはいないか心配で、こちらに寄らせて頂きました。ですが、まだ朝餉を食べていないので、一旦、武士団の方へ戻ります。」
私はわざと残念そうな顔をする。――――――作戦開始。
「一旦って事は、また来てくれるんですか?」
「はい。神子殿がそうお望みであれば喜んで。」
「はぁ、ありがとう御座います。」ボソボソ。
「神子殿?」
駄目、か?その私の心配をよそに、神子殿は女房殿に話し掛けられた。
「ねぇ、讃岐さん。何か食べる物、ある?頼忠さんに朝餉の支度をして欲しいのだけれど。」
「神子殿?」
慌てたように声を掛けるが、内心、期待をする。
「ここで食べて貰えば、武士団に行って戻って来る時間が無駄にならずに済むんだけど。」
「大丈夫ですわ。」讃岐殿は少々驚いた様子だが、にっこり微笑んだ。「少々、お待ち下さいませ。すぐにお持ち致しますわ。」
「神子殿・・・・・・。」
私の困ったような表情には気付かないフリをしておられる。―――ここまでは予想通り。
「昨夜のあの場所って、どこなんですか?」
「はい?」質問には答えるしかない。「あの、解らないで行かれたのですか?」
「うん。行かなきゃいけないような気がしたの。」
行かなきゃいけない気がした?ならば、早まった行動をする為でもお帰りになられるのが目的でも無かったのですか?
「あそこは神泉苑です。神子殿にとっては縁の深い場所です。」
「あの、さっきから私の事を神子殿って呼んでますけど、普通に花梨って呼んでくれませんか?」
「お名前で、ですか?」
讃岐殿や紫姫、泰継殿もそうお呼びしていらしたが・・・・・・私も、ですか?
「そう。みんなに頼んで、そう呼んでくれるようにして貰ったんです。どうも私の事を呼んで貰ったように感じられなくて、違和感があるんです。」
「・・・・・・・・・。」
「お願いします。」
「・・・・・・努力致します。」
お願いしますと丁寧に言われてしまえば、承諾するしかないが・・・・・・困った。

そんな会話をしていると。

「準備出来ましたわ。こちらでお召し上がり下さい。」
讃岐殿は私がお願いした通り、この室に準備してくれた。
「どうぞ。」
そして、貴女は予想通りの反応をして下さる。
「・・・・・・・・・。」言い難そうに、貴女にお願いする。「あの・・・申し訳ありませんが、神子、・・・花梨殿もご一緒して頂けないでしょうか?一人ではどうも・・・・・・。」
「え?頼忠さんの為に用意して貰ったんだから、遠慮しないで?」
「・・・・・・・・・。」困ったように貴女の顔を見つめた後、器の上の小さな屯食を取ると貴女の小さな手に乗せる。「一人でよりも二人の方が美味しいですよ?」にっこり。
「・・・・・・・・・。」
さすがに乗せられた屯食は突き返し難いのか、口に入れて下さった。―――讃岐殿が貴女の後ろで驚いている。そして私に、感謝の目配せをしてきた。
「そう、神泉苑。」余計な事を言われる前に、話の続きを始める。「あの場所は――――――。」

貴女が質問をして私が答える。口下手でも私なりに懸命に答えると、真剣に聞いて下さる・・・・・・嬉しい。
そして突然、叫ばれた。
「あっ!頼忠さんのご飯、ほとんど私が食べちゃった!」話の合間、貴女の手に次々と屯食を乗せていたのに、話を聞くのに夢中で気付いておられなかったようだ。「どうしよう・・・・・・。」
「私は十分頂きましたよ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「ありがとう御座います。」
おろおろしている貴女を安心させるように言うと。
「ごめんなさい・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
記憶を無くされても、根本的な人間性というものは変わらないようだ。お優しくて誰に対しても気配りを忘れない・・・・・・。

「花梨様。この薬湯もどうぞ。」
ついでにと言うより、讃岐殿がこの機会を逃してなるものかとの迫力のある笑顔で貴女の目の前に置く。
「・・・・・・・・・。」しばらく薬湯を睨み付けておられたが。「ご飯、一緒に食べたのだから、これも二人で分けようね。」
そうおっしゃって、余っていた椀に半分分け入れて私に差し出した。―――これも予想通りの反応。だから、多めに作るようにお願いしておいたのだ。
「頂きます。」そう言って、文句も言わずに飲み干してしまう。「さぁ、花梨殿もどうぞ。」
これでもう、逃げ道はありません。
貴女が諦めて飲み干されるのを、真面目な顔をしてじっと見つめていたが、ここまで素直で可愛らしい反応をされてしまうと愛しさが湧き上がってしまって困ってしまう。思い切り、気が済むまで貴女を抱き締めたい・・・・・・・・・。



その日以降。
女房達の信頼を得たお蔭か、ご挨拶に伺うと、直接貴女にお逢い出来る事が多くなった。貴女がご無理をなさったり我が儘をおっしゃったりすると、相談の文が届くようにもなった。
「申し訳ありません。頼忠殿の言葉だけは大人しく聞いて下さるものですから・・・。」
最初の頃は女房達を困らせる度に現れる私を不思議に思っているようだったが、最近はただ嬉しそうな表情をお見せになられる。もしかして・・・・・・貴女の策略ですか?


お願いです、誤解されるような態度は取らないで下さい。期待してしまいますから。私は、貴女の友人ではありません。貴女を、一人の女人として見つめている男です。貴女に、浅ましい想いを抱いている男なのですよ。私の理性にも限度と言うものがあるのですから――――――。






注意・・・『09』の次の日。

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