花梨11E |
賑やかで静かな日々が続いていたけれど。 「ぎもぢわるい・・・・・・。」 花梨は褥に転がって涙目で唸っていた。妊娠した殆どの女性が経験する事、これが悪阻と言うものなのだろう。食事やおやつが一番の楽しみなのに、見るのも嫌。食べるなんてとんでもない。神経過敏になっているようで、花やお香の匂いでも吐き気を誘う。 「ズルい。男ってズルい。」自分をこんな状態に追い込んだ男の顔が浮かぶ。「男の人って何の負担もないんだよね。腹立つ〜〜〜!」 何で私一人が苦しまなけりゃいけないのよ? ぶつぶつと文句や悪口を呟いていたが、何時の間にか外は暗くなり始めていた。そろそろ頼忠が挨拶に来るだろう。涼しげな顔をして。 「・・・・・・・・・。」無性に誰かに八つ当たりをしたくなった花梨、生け贄として当然頼忠を選んだ。「意地悪の一つでも言ってやろう。」 起き上がり、袿を二枚重ねで着込む。そして、簀子に出た。きょろきょろ辺りを見回すと、遠くに頼忠の後ろ姿が見えた。 「誰かと話している・・・。誰だろう?」 ちょっとした好奇心。足音を立てないようにそっと近付く。すると。 「―――は、ありますか?」 「うむ。無い事も無いが。」 「では、少し分けては頂けないでしょうか?ご気分が悪いようで、何も口にする事は出来ないそうで。」 「・・・・・・他ならぬ神子の為、か。解った。届けさせる。」 「すぐに用意出来るのでしたら、このまま私がご一緒したいのですが。」 「来い。」 「ありがとう御座います。」 「お前が礼を言う事ではない。」 「・・・・・・・・・。ありがとう御座います。」 「・・・・・・・・・。」 「もう一人は泰継さん・・・・・・。」薬草に詳しい泰継に頼み事。食事がとれない花梨の為に、悪阻の苦しみを和らげる薬湯だか薬だかのお願いをしたのだろう。「・・・・・・・・・。」 二人とも去ってしまい、残された花梨は自分も室に戻ろうと歩き出した。が、女房達の話し声が聞こえて、思わず立ち止まった。 「頼忠殿は本当に花梨様の事を想っておられるのですね。」 「そうね。私、あんなに気をお使いになる方だとは思っていなかったから、驚いてしまったわ。」 「「「本当本当!」」」 頷く声が揃っている。 「朝夕の二回、毎日霊水を届けるのは大変ですのにね。」 「それに、八葉の方々が怒っておいでですのに、頼み事をなさるなんて。」 「「「ねぇ!」」」 「あのお寺の柑子は美味しいと評判ですもの。」 「牛のお乳は栄養が豊富ですものね。」 「蘇は食べやすいし。」 「彰紋様にもご相談されていたのよ、気を落ち着かせる香はありませんかって。」 「「まぁ、彰紋様に!」」 「香は貴族のたしなみですもの。」 「彰紋様も香を調合するのがお好きなんですって。でも、武士の頼忠殿はやらないそうで。」 「頼忠殿も、お変わりになりましたわ・・・。」 「あら?元々花梨様に関しては気配りをしていたじゃない?」 「え?」 「ほら、花梨様は寒さに弱いからって火鉢とか温石を多めに用意して欲しいと頼みに来たのは頼忠殿だったじゃない。」 「そうそう。花梨様は強飯(こわいい)が苦手だとおっしゃったのも頼忠殿だったわね。私達は姫飯(ひめいい)を食べる事は滅多にありませんのに。」 「頼忠殿が教えて下さらなかったら、今も解りませんでしたわ。」 「食習慣がかなり違ったようですわね。慣れるまで辛かったのではないかしら?」 「花梨様も遠慮なさらずにおっしゃって下されば、もっと早くご用意致しましたのに。」 「「「本当にねぇ。」」」 「頼忠殿と言えば、あそこの神社にお参りをしているのを、よく見掛けるそうですわ。」 「あぁ、安産で有名ですものね。」 「お優しいのですね。」 「花梨様が羨ましいですわ。」 「「「本当にっ!!」」」 「・・・・・・・・・。」 室に戻った花梨は、考えていた。 私は頼忠さんの事を何も見ていなかったのかもしれない。あの人は、他の人達のように自分からあれこれと話す人ではない。もしかしたら、他にも陰で色々と気を配ってくれているのかも。真夜中に雪が降り続ける外で警備をしていたように。感じていた以上に、本当の意味での優しい人なのかもしれない。不器用で自己主張の苦手な男(ひと)・・・・・・。 「記憶を無くす前の私の方が、人を見る眼があったのかも。」 室の中を見渡せば。花梨が好きな時に口に出来るよう、竹筒に入った霊水が、籠に山盛りになった柑子が置いてある。これは頼忠が用意させた物だったのか。牛のお乳、牛乳は貴重な物だと聞いていたのに、何時も飲ませてくれた。 「・・・・・・・・・。」 柑子を一つ手に取り、見つめる。大騒ぎをしながら持って来てくれたイサトくんにはお礼を言った。有難うって。でも・・・・・・頼忠さんには何も言っていない。その時、頼忠さんも側にいたのに。知らなかったのだから仕方が無いと言えばそうだけど。お礼を期待する人でも無いけど。でも・・・・・・・・・。 「花梨殿。ご気分はいかがでしょうか?」 頼忠が入ってきた時、花梨は柑子を睨んでいた。 「・・・・・・こんばんは。」 「あの、ご気分が悪いのでしょうか?」 何時もよりも大人しい花梨に、驚いて大股で近付いて来た。 「今は大丈夫です。ただ、考え事をしていただけ。」 「考え事?」 「そう・・・・・・。」 膝の上に置いた手の中の柑子を見つめる。 「泰継殿が吐き気を抑える薬湯を用意して下さいました。」黙り込んでいる花梨に、持って来た小さな椀を差し出した。「どうぞお飲み下さい。」 「・・・・・・・・・。」文句など言わずに黙って受け取って飲み始めると、頼忠は驚いたように少し眼を見開いた。「頼忠さんは、私が妊娠しているって聞いた時、どう思いましたか?」 飲んでいる椀を睨みつつ、尋ねる。 「―――はい。」花梨の顔を見て、きっぱりと答える。「嬉しゅう御座いました。産霊神(むすぶのかみ)が、私たちの仲を認めて下さったのかと。」 「でも、私は何も言わなかったんでしょう?頼忠さんにも秘密にしていた。知られたくはなかったのかもしれない。それについては?」 なんと言う残酷な質問!頼忠さんの顔は見られない。傷付ける事は解っているけど、でも知りたいのだ。知らねばならない。この男(ひと)は知っているのだろうか? 「・・・・・・・・・。」一瞬、間が開く。「貴女のお心が、この頼忠には無いからだと――――――。」 「もしかして・・・・・・私には他に好きな男がいた、の?」 「・・・・・・・・・。」 頼忠さんは、沈黙で答えた――――――。 見方を知れば、今まで見逃してしまっていた事にも色々と気付く。―――頼忠さんの隠れた一面を次々と知っていった。 室の中にいるだけでは、余計に気分が落ち込んでしまう。頼忠さんに強引に頼んで、庭に下りる事を許可して貰った。当然、頼忠さんが傍に居る時だけという条件で。 「足元にお気を付け下さい。」 「其処は段差があります。」 「雪がぬかるんで滑りやすくなっております。こちらからどうぞ。」 少し口煩いけど、私が転ばないように注意してくれているのだから嬉しい。 「御免なさい。」そう言って、頼忠さんの腕にしがみ付く。「雪が積もっていて歩きにくい。」 触れる口実。 「戻られますか?」 「駄目!あそこの花を見に行くのっ!」 そう簡単には戻れない。こんな明るい空の下だと、貴方の顔がはっきり見える。もう少し、見ていたい。 以前の私が頼忠さんに恋をしていたと言われても、今なら信じられる。 だけれど。 私は、頼忠さんの事が好きではなかったのだろうか?本当に、他に好きな男がいたのだろうか?―――頼忠さんは、そう思っている。私がそう言ったのだろうか?それとも、そういう態度を見せていたのだろうか? 今の私は、この男(ひと)の子を産む事を喜んでいる。この男(ひと)に、ずっと傍にいて欲しいと願ってもいる。 だけど記憶が戻った時、その時私はどうなるのだろう?他の男が好き、と言う事になるのだろうか?それとも、この心は変わらないままだろうか? ―――記憶は戻る――― 戻りたいのか戻りたくないのか、解らなくなった――――――。 |