花梨10C



どうもおかしい。龍神様の作為を感じる。私が頼忠さんの傍にいられるように、龍神様が謀ったとしか思えない。―――その考えが、頭から離れない。



初めての妊娠で不安も大きい。でも両親は共働きで、私は一人っ子。昼間はどうしても一人になりがち。だから頼忠さんに、買い物にも病院にも、荷物持ちや車での送り迎えを頼んでしまう。
「私をお呼び下さい。お困りの理由が有る無いに関わらず、この頼忠をお呼び下さい。」
そんな優しい言葉通り、つまらない理由でも嫌な顔一つしないで吹っ飛んで来てくれるから、つい甘えてしまう。ただの散歩の時にはさすがに反省してしまったけれど。
「頼忠さんにだって用事もあるのに・・・・・・御免なさい、迷惑掛けっぱなしで。」
最近は私の方が謝りっぱなし。でも、文句を言うどころか穏やかな表情で静かに諭されてしまった。
「この世界に来てからは、頼忠の方がずっとご迷惑をお掛けしていたのです。ですから、お気になさる事はありません。」足元に小さな段差があり、さっと腕を差し出して私が転ばないように身体を支えてくれる。「何かあった時では遅いのです。そうなる前に用心致しましょう。」
「ありがとう御座います。」
「・・・・・・・・・。」
また綺麗な微笑み。これ見たさに頼忠さんに甘えているようなもの。このまま我が儘放題は危険だとは解っているのに、理由をこじつけては頼忠さんを呼び出してしまう。


そんな悩みに悩んでいたら、意外な落とし穴に落ちた。


英語の問題集を睨み付ける。睨み付けたって、この問題が解ける訳ではない。でも、いくら考えたって解けないのだから、私に出来るのは睨み付ける事だけだ。
「花梨殿?どこが解らないのですか?」私が指差した問いを読むと、頷いた。「あぁ、これはことわざですね。」
「え?これ、ことわざなの?」
頼忠さんの説明を聞きながらも、納得出来なくて考え込む。
「今度はどこですか?」
「・・・・・・何で頼忠さんが英語を知っているのよ?」
口をへの字に曲げて文句を言うと、頼忠さんは戸惑ったような笑みを浮かべた。
「なぜ、と尋ねられましても・・・・・・。龍神の計らいだと思いますが。」
「おかしい!英単語も、地震とか竜巻が起こる原因も知っているなんて!」頼忠さんの手を掴んで振り回す。「温暖化や大気汚染は常識だとしても、数学の公式に化学式、歴史の年号を私よりも知っているなんて、絶対におかしい!」
頼忠さんは、困ったように振り回されている手を見ている。そして大きく息を吐いて私の手を掴むと、優しく手を放させた。「休憩に致しましょう。ココアでもお飲みになりますか?」
「・・・飲む。」

頼忠さんが淹れてくれる間、勉強道具の見えないソファに移動をしてコロンと身体を倒した。
どうせ勉強をするのなら、一人でするよりも頼忠さんに教わる方がやる気が出るけれど。新たな理由が出来て喜んでもいるけれど。だけど頼忠さんの記憶を操作出来るのなら、私の頭も少しは賢くしてくれたって良いじゃない。龍神様のケチ。―――ぶつぶつ文句を言いながら、ソファの背もたれに掛かっていた頼忠のセーターを抱き締めた。
「頼忠さん・・・・・・・・・雰囲気が変わったよね。」
京の世界に居た頃よりも危険を感じる事が少ないからだろうか?頼忠さんが穏やかな、寛いだ表情をする事がある。微笑む事も多くなった。それだけでも、この世界に来てしまった事が悪い事だけではないような気がしてしまう。―――都合の良い思考回路。
「頼忠さんの匂いだ・・・・・・・・・。」
セーターに顔を埋める。
自分の部屋よりも、頼忠さんのアパートに居る方が落ち着く。頼忠さんの姿を見て声を聞いて温もりを感じていると、安心する。あの京にいた頃からこうだった。不安を感じても怖くても、頼忠さんが傍に居るだけで前を向いて歩く事が出来た。精神安定剤であり、勇気の源。―――それだからこそ、頼忠さんから離れる勇気は未だに持てない。
龍神様に記憶を消すように頼んだのは、頼忠さんを『龍神の神子』から自由にしたかったからだ。その時は本当に心の奥底から思っていた。だけど、今の私は身勝手な自分の感情に素直だ。色んな理由をこじつけては『神子』に縛り付けてしまう。

私は『源頼忠』と言う、一人の人間の人生を狂わせてしまった。全てを捨てさせてしまった。
どうしたら、この罪を償えるのか?
何をすれば、この男(ひと)を幸せに出来るのか?
何時か、私は頼忠さん無しでも生きられるようになれるのだろうか?
出口の無い迷路に入り込んだまま、今日も頼忠さんの傍に引き寄せられてしまう。―――結局、悪いのは頼忠さんだ。この男(ひと)が任務に忠実じゃなくて信念に生きる人じゃ無かったら、私なんかを『主』と信じる事もなかったし、守ろうという気にもならなかっただろう。こんなにも暖かくて広い心を持っていなかったら、誰とも比べられないほどの優しい人じゃなかったら、私は傍に居る事を許されなかっただろう。一度口にした言葉を簡単に撤回出来るような人なら、違う世界にまで追い掛けようとはしなかっただろう。自分の人生の全てを捨て去ってまで、『主』の為に生きようとはしなかった筈だ。
だから。だからもう少しだけ、傍に居させて貰おう。
貴方が私の助けが無くてもこの世界で苦労しなくなるまで。
貴方が貴方自身の幸せを求めようとするまで。
貴方が自分の意思で私から離れて行くまで。
―――私から離れないでいる口実―――貴方が私を必要としているから。


そんな事を考えながら、私は深い眠りへと落ちていった。



―――ずっと傍にいられるだろう理由―――期待。
私を『主』と見ている頼忠さんが、そう簡単に離れるとは思えない。
『花梨殿をずっとお守り致します。』との誓いを立てたこの男(ひと)は、自分からは私を独りに出来ないだろう。


心の片隅には小さな悪魔が住み着き始めていたけれど、私は気付かないふりをしていた――――――。







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