花梨09B



眼が覚めた時、もうすっかり陽は高く昇っていた。
驚いて飛び起きた。こんなにも寝坊してしまったのは初めて。疲れていたのだろうか?―――と、身体のダルさが寝不足の理由を教えてくれて、苦笑した。


「神子様、お目覚めでしょうか?」控えて待っていたらしい数人の女房達が入って来た。「湯浴みの準備が整っております。」
そう言って、湯殿へ連れて行かれた。

お風呂は大好き。嬉しいのだけれど、今日はそういう予定じゃなかったよね?私の好み通りのお湯がたっぷり入った浴槽に身を沈めながら考えていた。女房さん達の態度が普段と違う。余計なおしゃべりは一切無し。余所余所しいと言うか他人行儀というか。言いたい事は沢山あるけれど、我慢していると言う感じ。入浴が済めば、紫姫か誰かが説明してくれるだろう。気にしない事にした。
それよりも今は・・・・・・・・・。
身体のあちこちに残る行為の痕。何時もは人目に付かない胸の辺りにしか付けなかったのに。なのに、腕にも脚にもある。身体を捻って見ると、背中やお尻にも付いている。この分だと、首筋にもあるだろう。神子の服では隠せない。これでは私に恋人がいると、大声で宣伝しているようなものだ。
―――どうして?頼忠さん、どうしてこんな事をしたの?
痕が一つや二つなら、間違って付けてしまったと思うけれど、ここまで数が多ければわざと付けた事は明白。『龍神の神子』が清らかな存在ではないと教えている・・・・・・神子の名前を傷付けている。頼忠さんがする行為とは思えない。
―――頼忠さん、貴方は何を望んでいるの?
神子に恋人がいると知れ渡れば、相手は誰かと詮索する者が現れるだろう。世間の好奇の目に私一人を晒す事はしない人だ。―――名乗り出るつもりなの?
隠していたのにバレてしまって私だけが噂の対象となっていたとしたら、私を庇う為に名乗り出る事は考えられる。けれど、誰も知らないのにわざわざ大声で叫ぶとは考えられなかった。『神子』の名前を傷付けてまで・・・・・・・・・。



入浴後、今の状況の説明と今後の相談を始める。―――やっぱり秘密は秘密でなくなっていた。

こういう噂が立った場合。
姫君はその殿方と結婚をしなければならないと言う事。そうしなければ、姫君の名前、家名に傷が付いてしまう。
つまり。
『龍神の神子』は『武士、源頼忠』と結婚しなければならない。
ただ、『高倉花梨』だと。
噂が立ってしまった『龍神の神子』は違う世界の人間だから、自分の世界に帰る事が出来る。その場合、『龍神の神子』を襲った罪で『源頼忠』は罰せられる。――――――死罪。

残るか帰るか。結婚か死罪か。
私の選択で頼忠さんの運命が決まる。―――これが望み?
ぐるぐると不安と希望が頭の中で回っている。
頼忠さん、貴方は私に罰して欲しいと思っているのではないよね?今でもまだ、死に場所を探している訳ではないよね?だとしたら・・・・・・もしかして。もしかして。もしかして。私がこの世界に残る事を望んでいるの?私の事を欲しいと思っているの?貴方は・・・・・・・・・!

「決める前に・・・頼忠さんと話がしたい――――――。」



私が控えの間に入って行くと、怒鳴り合いをしていた八葉達が一斉に黙った。
同情や労わりの眼差しには一切気にせず、頼忠さんの前に行く。そして、膝がくっ付くかくっ付かないかと言う近さの場所に座った。周りでは、頼忠さんの傍に私が近付くのを阻止しようとした人がいたけれど、翡翠さんが止めてくれた。・・・翡翠さん、ありがとう。心の中でお礼を言う。


真っ直ぐに頼忠さんの瞳を見つめる。
すると、反らさずに真っ直ぐに見つめ返してきた。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
緊張した時間だけが流れていく。・・・・・・暗い瞳だ。悲しみと苦しみで絶望の闇に落ちてしまいそうな。
「私に言う事があるでしょう?何ですか?」
お願い。私の欲しい言葉を下さい。
「・・・・・・・・・・・・。」一瞬目を伏せたが、再び視線を合わせてきた。「申し訳ありません。」
「そうじゃない。謝罪じゃなくて、理由です。」
お願い、言って。そうじゃないと。そして言って。そう言う理由だと。
「・・・・・・・・・貴女をお帰しする事は出来ません。」
「・・・・・・・・・。」
お願い、言って。貴方の口から。貴方の言葉で。
「貴女を失っては、私は生きてなどいられません。」
「・・・・・・・・・。私に・・・・・・頼忠さんの傍にいろと・・・・・・・・・一緒に生きてくれと・・・言っている、の?」
声が震えてしまって上手くしゃべれない。激しく打っている心臓を少しでも鎮めようと、両手で胸の辺りの服を掴み、握り締める。
「はい。」頷く。「・・・・・・申し訳ありません。」
「一番・・・一番肝心な言葉は言ってくれないの?その言葉を・・・・・・下さい。それを言ってくれたら・・・・・・OKするから・・・・・・だから・・・言って。お願い・・・・・・・・・。」
頼忠さんは困惑の表情を浮かべる。なぜ解らないの?
「だから!」気付かない内に大声を出してしまう。「何で私なの?なぜ私に傍にいて欲しいと思ったのっ!」
「・・・・・・・・・・・・。」
「じゃあ、女なら誰でも良かったの!?」
「違いますっ!」間髪入れずに答える。「貴女だから―――。」
「だったら、それはなぜ?理由を言ってっ!」
「・・・・・・・・・・・。」
また黙り込んでしまう。ここまで言っておいて、一番大切な言葉は言えないの?これでは、頼忠さんの気持ちは予測出来るけれど残れない。だからと言って、帰る事も出来ない。どうしたら良いのだろう・・・・・・・・・・・・?
堂々巡りに嵌り込んでしまって長い時間が経った時。
「神子殿・・・・・・・・・。」沈黙していた頼忠さんが口を開いた。「貴女を・・・お慕い・・・・・・しており、ます。」
呼吸が・・・止まった・・・・・・・・・。
「み、神子殿?」ぎょっ、と眼を見開き立ち上がりかけて座り直した。「あ、あの・・・神子殿?」
私は手を伸ばして頼忠さんの袖を掴んだ。
「もう・・・一度、言って?」掴んでいる手が震えている。「お願い・・・もう一度・・・・・・。」
「神子殿。」震えている私の手を握り締めた。「貴女をお慕いしております。」
そうきっぱり言ってくれた瞬間、私は頼忠さんの首に腕を回して抱き付いた。
「ばか。」
「神子殿?」
「ばか。ばか。ばか。」
「神子殿・・・・・・。」
「頼忠さんなんか嫌い。」
「・・・・・・・・・ありがとう御座います。」
頼忠さんはボロボロ涙を流し続ける私の頭や背中を優しく撫で続けてくれた。長い長い時間・・・・・・涙が止まるまで・・・・・・・・・・・・。


やっと涙が止まり顔を上げた。そして、私を戸惑いながらも優しく見つめている瞳に出逢った時、大切な事を思い出した。
「あのね、私一人じゃないけど良い?頼忠さんの傍に二人でいても良い?」
そう言って、頼忠さんの手を取って私のお腹に触らせる。
「二人?」
きょとんとした眼が、私の顔とお腹を行ったり来たり。
あまりにも急激な状況変化に付いていけないのかな?吹き出しそうになるのを必死で堪えていると。
「神子殿!」
そう言っていきなりがばりと抱き締められた。強い強い力で。
「よ、頼忠さん!」
「神子殿!有難う御座います!!」
更に更に力が込められてしまう。
「痛いよ・・・・・・。」
「あっ!も、申し訳ありません!」力が弛んだけれど、離してはくれない。「もう私から逃げませんね・・・・・・・・・。」
「これからもずっとよろしくお願いします。」
「・・・・・・・・・・・・。」
今度は私が、頼忠さんを優しく背中を撫で続けていた。気持ちが落ち着くまで。私から離れても安心していられるまで――――――。






注意・・・『08』の次の日。


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