花梨04



竜胆―――秋になればどこの花屋にでも置いてある、どうって事の無い見慣れた花。
それなのに船岡山で咲いているこの花を見た瞬間、美しい、と思った。そして、真っ直ぐ背筋を伸ばして佇むあの男(ひと)の背中を思い出した。
一本手折って持ち帰る。今まで花を眺める心の余裕など無かったけれど、部屋の中でもこの花を見ていたいと思ったから。夜だけでなく、朝も昼も貴方の姿を見ていたいから・・・・・・・・・。



数日置きに、竜胆の花を手折る習慣になった。何時も部屋の中に飾って、眺める。
その日も眺めていた。

「やあ、姫君。ちょっと良いかな?」
そう言いながら部屋に入って来たのは翡翠さん。正直、迷惑だ。
「あれ?どうかしたんですか?」
ろくな返事もせずに質問をする。さっさと用事を終わらせて追い出そう。
「今日は姫君の物忌みの日だろう?八葉の誰かが傍にいないといけないと、小さな姫君が心配なさっていらしたよ?」
「あぁ、そうらしいですね。でも大丈夫ですよ。今まで何も無かったから。」
大丈夫だと何度も言っているのに、未だに心配しているのか。
「困った姫君だ・・・。」
苦笑いを浮かべながら私の側に座った。こりゃあ、当分帰る気なんて無いな。
「ここの所あちこち歩き回って疲れたから、ゆっくり休みたかったんです。男の人が側にいたら眠る事は出来ないでしょう?」
そう言って、さっさと帰れと暗に伝えるが、意味深に流し目を寄越すだけ。もしかして・・・・・・気付いている?私と頼忠さんとの秘密を。
まぁ、気付いたからと言ってどうこう騒ぐ人じゃない。どうでも良いか。
「で、話があったからわざわざ来たのでしょう?何ですか?」
「昨夜、羅城門跡でお見かけしたよ。」単刀直入にそう言って、真っ直ぐに瞳を見つめてきた。「あのような場所での逢瀬とは、なかなかの趣味だね。」
「・・・・・・・・・・・・見ていたんですか。」
「あれは、宮様に力を与えていた鬼の一族を名乗る男だろう?怪しげな力を使う。」
「そうですね・・・・・・・・・。」
長い時間、考えてしまう。向こうの世界からこの京に飛ばされる直前、真っ暗闇の中で出会った人。その時はあの人の手を掴まなかったけれど、右も左も解らなかった頃に助言をしてくれた・・・・・・。
「翡翠さんは、今でもこの京が滅んでも構わないと思っていますか?」
「それを君が望むなら。私は、滅ぼうが救おうがどちらでも良いと思うよ。」
その力が抜ける答えに、ふっと笑みが浮かんでしまう。
「この京で最初に出会った人が翡翠さんだったら良かったのに。残念だな。」
力の無いただの子供だったあの日々。翡翠さんの側だったら、この人を見ていたら、あそこまで思い詰めたりはしなかっただろう。悲しみと苦しさに押し潰されて、死んでしまおうなんて考えもしなかっただろうに。
「おや?」流し目を送ってくる。「今からでは遅いかい?」
「無かった事はこれからいくらでも変えられるけど、あった事は無かった事には出来ないから。」
頼忠さんを自由にして、翡翠さんを利用するのも一つの考えだとも思うけれど。これ以上、頼忠さんを傷付けずに済むとも思うけれど。でも、もう私の心が受け付けない。
文机から離れて翡翠の側に座る。
「お話をしていたんです、『絶望』についての。」
「『絶望』?」
「そう。お前は知っているかと尋ねられました。・・・アクラムは知っているようでした。」
「君は知っているの?」
「・・・・・・・・・・・・。」
答えられない。入りかけたけれど、知らないで済んだ。落ち込まずに済んだ。―――頼忠さんがいてくれたから。救い出してくれたから。いなかったら―――アクラムのように『絶望』の闇の中で自分を見失っていただろう。
それが解っているから。だからこそ、あのアクラムが気になるのだろう。
もしも。もしも、私にとっての頼忠さんのように、アクラムにも人でも物でも何か『救い』があれば・・・・・・あそこまで暗い瞳にならなかっただろうと思うから。
「私、アクラムを救いたいと思っています。」
「・・・・・・・・・。」
そうきっぱり言っても、片方の眉を上げただけで翡翠さんは何も言わない。
「あの人が何を言っているのかはよく解らなかったけど・・・・・・。」言葉を探す。「『絶望』と言う闇の中に沈んでいて、それを諦めているけど、でもやっぱりそこから逃げ出したくて足掻いているような・・・・・・。」顔を顰める。「上手く言えないけど・・・・・・。」
「京を滅ぼす事が彼の望みでも、叶えるの?」
「滅ぼしたからって、心が静かになっても『絶望』からは這い上がれない。」
「では、君が側にいてあげるの?」
「それも無理。あのプライドの高さでは、同情は受け取ってくれません。」
私は同情でも憐れみでも何でも良かった。ただ、何も言わずに傍にいて欲しかった。抱き締めて欲しかった。けれど、アクラムは違う。どんなに孤独の闇に沈んでいても、一途に恋い慕うシリンの手を取ろうとはしない人。つまらない同情は、侮辱。そんな事は出来ない。
「ぷら・・・いど?」
「んっと・・・自尊心、誇りとかそう言う感じ、かな?」
「あぁ・・・・・・・・・。」
「今は何をどうしたら良いのか全く解らないけど・・・・・・だけど・・・・・・・・・。」感謝と同情。そして、実際に体験した事。複雑に絡み合った感情は言葉で言い表せない。「・・・・・・・・・・・・。」上手く伝えられなくて黙り込んでしまう。
だけど、それ以上翡翠さんは追及して来なかった。



夜、頼忠さんが忍び込んでくる前に、私は庭に出て待っていた。逢いたかったから。ただ無性にあの男(ひと)に逢いたかったから。

池に、きれいな月が映っていた。手で水から掬い上げられそうなのに、不可能な水面の月。正に、手が届くところにあるのに、どんなに欲しくても手に入れる事の出来ないあの男(ひと)の心・・・・・・・・・。

「このような刻限に外へ出られては危険です。」
考え事をしていた私は、全く足音に気付かなかった。
はっと振り返ると、月明かりを浴びたこの男(ひと)があまりにもきれいで胸が苦しくなってしまう。衝動的に首に腕を回すと、私から唇を重ねてしまった。ここが外である事などすっかりと忘れて――――――。



夜中、息苦しさに眼が覚めた。
ふと胸元に目をやると珍しく貴方は眠っていた。顔を埋めるようにして。重くて呼吸が辛いけれど、寝顔を見るのは初めてでちょっぴり嬉しいと思ってしまう。
だけど。
『貴方はこんな顔をして眠っているんだ・・・・・・。』
初めて見た寝顔はとてもきれいだけれど、眉間に皺を寄せている。苦しい夢を見ているのならば起こした方が良いのだろうけれど、現実だって幸せな訳ではない。躊躇ってしまう。
手で優しく頭を撫でる。そして、小さな声で、ごめんなさいと呟いた。
私を『龍神の神子』と認めて信じてくれる人。
『主』として敬い、私の望みの全てを叶えようとしてくれる人。
そんな『武士』としての信念を貫いて生きているこの人を、利用してしまう私って一体何なのだろう?
なぜ、こんなにも醜い心根の私が『龍神の神子』に選ばれたのだろう?アクラムを救いたいと思う心は本当だけれど、私が一番望んでいる事は違う。それこそ、『龍神の神子』に有るまじき考えなのに――――――。






注意・・・第3章。

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