絆〜その他後日談2〜



「う〜〜〜む・・・・・・。」
深苑は難しい顔で高く積み上げられた文を一通一通丹念に眼を通していた。文の主を思い浮かべると、顔を顰めて隣の箱に入れる。今度はそちらが小さい山となっていく。
「こんにちは、深苑殿。何をしているのですか?」
挨拶しようと深苑の室を覗いた彰紋が訊いた。
「紫に届いた文です。」
また小さなため息を零すと折り目どおりに畳んで隣の箱に入れた。
「で、どうして怒っているんだ?」
イサトが訊いた。その後ろから八葉がゾロゾロと入って来て座る。
「あぁ、恋文か。」色とりどりの美しい紙に書かれた文。だから不機嫌なのかと勝真が苦笑した。「紫姫もそういう年齢になったんだな。」
「結婚させたくないのか?」
泰継が問うと、深苑は眼を吊り上げて怒りを露わにした。
「結婚させたくないのではない。」
一通の文を取り上げると、眼の前にいる幸鷹に突き出した。
「何です?」
「どうした?」
興味深深、開かれた文を覗き込む。だが、贈り主の名前を見た途端、貴族達は顔を顰めた。
「この方と紫姫とでは親子以上の年齢の差がありますね。」
「親子と言うよりも祖父と孫娘に近いですよ。」
深苑が他の文を泉水に手渡す。
「この方にはもう既に妻が三人おられるようです。」
「その他にも愛人が多数いますよ。」
勝真、彰紋、幸鷹がそれぞれ他の文を勝手に取っては開いていく。
「こいつは仕事をサボるので有名だな。」
「この方は仲の悪い貴族の屋敷を襲った事がありますね。」
「借金を踏み倒して訴えられた事があります。」
「へ?」
イサトの口がポカンと開いたまま閉じない。
「何だ、この和歌は。代わりに詠んでくれる奴はいなかったのか?」
「えっと・・・これは何と書いてあるのでしょう?」
「え?あ、あの・・・申し訳ありません。」
彰紋が泉水に文を手渡したが、泉水もあまりの悪筆で読めず。
「この漢字は間違っておりますね。」
幸鷹が誤字を指摘すると、泰継は呆れて上を向いた。
「こんなにあるのにまともな奴はいないのか!?」
イサトが怒鳴ると、勝真達は顔を見合わせ、そして首を振った。
「おらん。だから頭を抱えておるのだ。」
深苑がため息を吐いた。紫は貴族の姫だが末席に連なる家柄だ。こんなに恋文が殺到するような姫ではない。
しかし、東宮や右大臣の弟、内大臣の息子といった上級貴族が後見人となっている。婿として迎えられれば儲けもん、的な軽い気持ちで文を贈ってきているのは明らかだ。
「まぁ、紫姫はまだ若いんだし、この中から選ばなくたって良いんだろう?」
勝真達とって紫姫は龍神の神子を支え続けた星の一族というだけの存在ではない。花梨にとって妹のような少女であり、親友でもある大切な人だ。花梨が側にいない今、八葉が守りたいと思っている。花梨の代わりに紫姫を幸せにしたいと。
「そうですよ。焦る事はありません。」
「えぇ、ゆっくり選びましょう。」
他の者は勝真の言葉に頷くと、深苑を勇気付けるように言った。
その意見を受け、深苑はじっくりと考える。
女房達の話では、幼さの残る姫の存在に興味を示し、様子を探ろうとする若い貴族もチラホラ出始めてもいるようだ。求婚の文はこれからもっと増えるだろう。
『紫の幸せを考えるなら、重要なのは人柄だ。紫を大切にしてくれない男に嫁がせる訳にはいかぬ。』童殿上してから多くの貴族を見てきた深苑にとって、男として人として信頼出来る者はあまりにも少ないという事を身に沁みて知っていた。だが。『八葉ならば・・・・・・。』
勝真は我が強いところがあるが。
幸鷹とは少し歳が離れているが。
彰紋では身分が高すぎて恐れ多いが。
泉水は気弱で優しすぎるところがあるが。
泰継では正直に物を言い過ぎてしまう時があるが。
『こやつらならば紫を幸せに出来るだろうに。』残念な事に、お互いにそういう対象とはなっていない。可能性にも気付いていない。『いや、紫はまだ幼い。しばらくは時の流れに任せてみよう。』
そう決心した。
「うむ。そうだな。紫はまだ学ぶべき事は多い。慌てて選ぶ事も無いだろう。」
頷くと、全ての文を遠くへ押しやった。



大豊神社、狛ねずみの前。
パンパンっ。
千歳は拍手を打つと、熱心に祈りを捧げた。
「終わったか?」
三歩ほど後ろで待っていた勝真が、顔を上げた妹に声を掛ける。
「えぇ。ありがとう。」だが、千歳は兄ではなく狛ねずみの方に近寄った。「本当、花梨の言ったとおりだわ。これ、可愛い。」
狛ねずみの背中を撫でる。
「花梨が教えたのか。このねずみはあいつのお気に入りだったからな。」
花梨が斎王だった頃、千歳はよく斎宮御所を訪問していた。その時の話題の一つが、花梨が神子として行った場所や見た物だ。屋敷に籠もりきりだった千歳にとって、物語を読むよりも興味深く、わくわくする事だった。そして花梨が京を離れた今、勝真が花梨との思い出の場所に連れて行っているのだ。寂しさを紛らわせる為に。
「見たかったのは見たかったのだけど、このお参りは花梨の要望よ。頼忠殿の請願成就のお礼参りですって。」
「頼忠の?」
「えぇ。頼忠殿は個人的な願いはここに請願していたらしいの。でも折角叶ったのに来られないから。」
「ふ〜〜〜ん?」
眉を顰めた。頼忠に願うような事があったのだろうか、花梨以外の事で。
そんな兄の表情の意味を正確に読み取った千歳は内心微笑んだ。しかし表情には出さず、さり気ない風を装って懐に隠し持っていた小さな物を取り出した。
「はい、これ。花梨から兄上に。」
「花梨から?」
見ると、手作りのお守りだった。梅の花の絵が刺繍されている。
「お礼ですって。兄上が梅の花を贈って下さった時に、自分の気持ちに正直になろうと思ったと言っていたわ。」
「梅の花・・・・・・?いや、確かに贈ったさ。だけどそれがどうしたって言うんだ?」
「梅の花は花梨と頼忠殿、二人の思い出の花なの。だから梅の花を見た瞬間、頼忠殿を慕う気持ちが変わっていないと、永遠に変わらないと気付いたって言っていたわ。運命を変えたいと思ったと。」
「そうか。あいつの役に立てたんだな。」じっとお守りを見つめる。これは花梨の手作り、か。「だけど何で今頃言うんだ?」
こういう物はさっさと寄越せよ。花梨がこの京を離れたのは半年以上前の事なのに。
「今頃なんかじゃないわよ。だって文が届いたのは今朝だもの。お守りも。」
「文使いが来たのか?いや、頼忠からなら星の一族か俺の所だろう。何でお前が持っているんだ?」
横取りしたのか?との疑いの眼で睨むと、千歳はにっこり微笑んだ。
「これは私宛に届いたの。」
「花梨は京とは、俺達とは縁を切った筈だ。」
花梨が龍神の神子だった過去は全て。
「だから文使いを通さずに直接私に届けてくれたの。」理解出来ない鈍い兄。千歳は内心ため息を吐いた。「龍神様よ。白龍様が花梨から預かり、黒龍様が私に届けて下さったの。」
「あっ!」
「季節の便りは文使いを通した方が良いだろうけど、黒龍様、たまには花梨に直接届けるって言って下さったの。今度、花梨が好きだった菓子でも贈ろうかしら?」
「・・・・・・・・・。」
「兄上?」
「花梨と、全く縁が絶えてしまった訳でも無いんだな。そうか・・・、龍神は今も神子を守って下さっているのか。」
「えぇ。兄上も八葉として今も花梨と繋がっているわ。」
「だから・・・、この宝珠が消えないんだな。」
左腕の宝珠を触る。
「役目は終わっていても、そうね。」
「・・・・・・・・・。」
後ろを向く。
千歳は枕元にあった文を見つけた瞬間を思い返す。今の兄と同じ感情を抱き、涙が零れ落ちた事を。
『良いお天気だ事。』
落ち着くまで、今度は千歳がゆったりと空を見上げていた。



桜の花が散り始めた頃、検非違使少将は上司である別当に報告書を手渡した。神子探索の結果、だ。
「やはり何も分からないのですね。」
読み進めて行くうちに眉間の皺が深くなっていく。
「はい。」
「そうですか・・・・・・。これ以上調べても無駄のようですね。」
パタリと閉じた。
「あの、別当殿。」頷き、下がれとの合図を寄越す幸鷹に、慌てて言った。「少し宜しいでしょうか?」
「何でしょう?」
「実は、北山の庵に籠もっていた安倍家随一の陰陽師が最近そこを出たらしく、現在安倍家で後進の指導に当たっております。その彼に、協力して頂いたのです。」
「安部家随一というと、安倍泰継殿ですか?」
「はい。しかし、彼の占いでも式神でも神子の行方はさっぱり分からないのです。京の外、連れ去られた河陽宮までの幾つかの場所でも調べたのですが、結果は同じでした。神子はここにはいない、と。」
「・・・・・・・・・。」
「その他にも色々調べましたが、神子を恨む者もおりませんし、誘拐する動機も見付かりません。それは別に調べて下さった京職の勝真殿も同じでした。貴族ではないイサトとかいう若者が民衆に顔が利くと言うのでそっちでも調べさせたのですが、空家などで不審な動きをする者はいなかったようです。」
「そうですね。」
だから?と続きを促す。
「しかし、ただ一人、神子をこの京から連れ去る理由を持つ者を、可能な者を思い出したのです。」
「誰です?」
表情が険しくなる。
「龍神です。」
「―――は?龍神?」
意味が分からず、マヌケ顔になった。しかし少将の顔は反対に真剣さが増した。
「はい、龍神です。龍神は京に住まう我々の為に、神子となる少女を他の世界から連れて来て下さいました。役目を果たし終えた今、京は神子を必要としていないのですから元の世界にお帰ししたとしてもおかしくはありません。」
「・・・・・・・・・。」
「それに、はっきり申しまして我々は神子を蔑ろにしておりました。正当な扱いをしておりませんでした。龍神は愛し子である神子が不幸になっておられるのを見過ごせる筈がありません。」
「・・・・・・・・・。」
「神子が帰りたいと願ったとしたら、龍神はその願いを叶えるのではないでしょうか?」
「少納言殿のお怪我は、どう説明するのですか?」
「襲った賊は、陰陽師の式神のようなものでは無いでしょうか?実は神子が斎王となられた経緯を調べて分かったのですが、龍神の神子を斎王にするという案を考えたのは左大臣ではなく、少納言殿だったようです。それも、龍神の神子との結婚を企んだのに失敗した為に嫌がらせ、というのが理由のようで。こう言っては何ですが、神子の不幸の始まりはこの少納言殿の提案からです。龍神の怒りを買ったとしてもおかしくはない、いえ、当然でしょう。」
「・・・・・・・・・。」
「それならば、これほど完璧に何の手掛かりが残されていない事も納得出来るのです。」
「京に、いや、この世界に龍神の神子はもういないと・・・・・・?」
「はい。」
「・・・・・・・・・。そう、ですね。龍神が神子の願いを叶えたと・・・・・・。」
額に手を当て、眼を瞑った。
「・・・・・・・・・。失礼致します。」
しばらく見つめていたが、感慨に耽る幸鷹を一人残して少将は静かに室を出て行った。神子がご自分の世界で幸せに暮らしている事を願いながら。八葉や星の一族の嘆きが少しでも緩和される事を祈りながら。






心配の種は最後の一粒まで拾います。

2007/02/07 02:45:50 BY銀竜草

最後までお付き合い下さいまして、本当に有難う御座いました!

2009/03/05 00:11:53 BY銀竜草

創作過程