絆〜歩08〜



あの嵐の中を出歩いたせいで、忠直は高熱を出してしまった。無理に動かさない方が良いという事で、忠直はそのまま花梨の室の中に留まる事になった。当然、花梨が付きっきりの看病をしている。



「気分はどう?」
花梨は褥に寝ている忠直の額に片手を置き、もう片方の手を自分の額に置き、体温の差を比べた。
「ちょっとだるい・・・。」
「でも熱はすっかり下がったよ。」にっこり微笑んだ。「高熱が続いたせいで消耗しているんだろうね。1日か2日、ゆっくり寝ていれば元気になれるから、もうちょっと我慢してね。」
上掛けを首元まで上げ、肩を覆う。
「うん・・・・・・。」
「食欲はある?食べられる?」
「うん。たぶん。」
額から頭を撫でると、忠直は気持ち良さそうに眼を細めて微笑んだ。
「じゃあ、今持って来るね。」
立ち上がると室を出て行った。


花梨と入れ替わるように入って来た頼忠は、忠直の枕元に座るとため息を吐いた。
「忠直。花梨殿は本当に心配しておられるのだから、仮病は駄目だ。」
「だるいのはほんとうだもん。」
「病は気から。花梨殿の側にいたいだけだろう?」
「えへへへ。」
悪戯っぽく笑った。
そう、高熱を出したのは本当だ。だが、花梨がずっと看病してくれるのが嬉しくて、元気になっても何だかんだ言って病気のフリをしている。しかしさすがに父親の眼は騙せず。
「全く困ったヤツだ。後で説教だからな。」
とは言うものの、忠直の気持ちも分かるのだ。父親である自分や頼柾、祖父母がいると言っても、みな忙しい。他の同じ年頃の子供のように、無償の愛を注いでくれる母親はいない。甘えられる相手はいなかったのだから。

「あれ?頼忠さん、来ていたんですね。」
花梨が盆を持って入って来た。
「はい。忠直の様子を見に伺いました。」一歩後ろに下がり、頭を下げた。「どうやらすっかり元気になったようです。ありがとう御座いました。」
「お礼はいりませんよ。ここに来てからずっと、私の方が忠直くんのお世話になっていたんだもん。ね?」
最後は忠直に向けて言うと、忠直は病人らしからぬ笑顔を見せた。
「―――では、私はこれから仕事ですので忠直の事、宜しくお願い致します。」
我が儘言って困らせるなよ、との脅しの視線を息子に送ると立ち上がった。
「頼忠さん、いってらっしゃいませ。お仕事、頑張って下さいね。」
「ありがとう御座います。行って参ります。」
花梨に微笑むと室を出た。花梨の優しい言葉を胸に抱き締めながら。



「で、忠直の具合、どうだった?」
頼柾が離れから出て来た頼忠に訊いた。
「仮病だ。」
苦虫を噛み潰したような顔でたった一言。
「へぇ?」
「花梨殿のお傍を離れたくないと見える。」
困った奴だ、と呟き、頭を振った。
そんな兄に、頼柾は笑いを堪えるのに必死だった。
『仮病と見抜いたんだったら、担ぎ上げてでも連れて帰って来れば良いのに。わざとしないんだろう?』
花梨の側にいたいのは頼忠だって同じだ。そしてその忠直を口実にして、花梨の側に行くのだ。もう花梨にどっぷりと嵌って抜け出せない、いい加減に認めろって。
「花梨ちゃん以外の女じゃ、忠直、母上とは呼べないだろうな。」
「・・・何が言いたい?」
じろりと睨んだ。
「んー?忠直から花梨ちゃんを奪ったら、俺、恨まれるだろうなって思っただけさ。嫁さんにするの、諦めるしかないなってな!」
言いたい事を言うと、さっさと逃げ出した。これ以上背中を蹴っ飛ばすと、こっちの生命が危ない。


「嫁、か・・・・・・・・・。」
頼忠は考え込んだ。
花梨はすっかりこの源家に馴染んだ。武家の者としての役割も理解し始めている。頼忠の方からは、これ以上の関係を望んではいけない理由は無くなった。それどころか、そういう関係になった方が頼忠は花梨の手助けをしやすくなる。
「いや、しかし・・・・・・。」
花梨の方はどうなのだろう?
何の悩みも無かった頃、花梨は頼忠のお嫁さんになりたいと言った。言ってくれた。しかし、それは昔の事だ。同じ気持ちでいるには難しいほどの長い年月が過ぎてしまっている。何時までも頼忠の事を想っていて下さいと願うには、おこがましい。だが。
「私では無理でも・・・・・・忠直ならば?」
母子の縁は、繋がりは、絶えるものではない。頼忠の妻という立場は、忠直の母親との立場でもある。花梨は忠直の事を可愛がっている。愛しいと、傍にいたいと、そう思っているのが伝わって来る。そう、忠直の母親になる、それならば・・・・・・・・・。
「・・・・・・・・・。」
申し込む口実を、花梨が拒絶出来ない理由を、必死で考えるのであった。



「少し眠る?」
粥を食べ終えた忠直は、再び褥に横になった。上掛けを首元まで上げて肩を覆うと、花梨は訊いた。
「ううん。ねむくない。」
「じゃあ、何かお話でもしようか。」
額を撫でながら訊くと、忠直は真面目な顔をして花梨に尋ねた。
「てんにょしゃまって、にんげんとけっこんできるの?」
「天女様?」確か、天女の羽衣という話では人間と結婚していたっけ。「うん、出来るよ。」
「じゃあ、かりんしゃま、ちちうえのおよめしゃんになってくれませんか?」
「―――え?」
手が止まった。
「てんにょしゃまがにんげんのおよめしゃんになれるんだったら、かりんしゃまもちちうえのおよめしゃんになれるってことでしょう?てんていしゃまだって、ふうふとなったふたりをひきしゃくことはしないよね?かりんしゃま、ずっとここにいられるよね?」
「えっと・・・・・・。」
言っている事は物凄く賢い。だけど内容は、歳相応に幼い。こんな可愛いお強請りは叶えてあげたい。だが、そんな簡単に承諾出来るものでは無い。いや、そもそも花梨は天女では無い。どこから説明しようかと悩む。
言葉を探している間に忠直は言葉を続けた。
「それにね、よりましゃおじうえがね、まえにいっていたの。ちちうえのおよめしゃんになるひとが、ぼくのははうえになるって。ぼく、かりんしゃまがいい。」
「忠直くんは・・・母上が欲しいの?・・・・・・私に、なって欲しいの?」
「うん。かりんしゃまじゃなきゃ、いらない。」
幼子特有の一途な瞳に、きっぱりした物言いに、胸がいっぱいになる。涙が零れ落ちそうになるのを紛らわすように、花梨は軽い調子で言った。
「う〜ん、でも結婚って私が一人で勝手に決められるものでは無いからなぁ。ほら、頼忠さん、父上の方が嫌がると思うよ。」
「だいじょうぶだよ。」がばりと布団を跳ね上げ、起き上がった。花梨の真正面に座り、手を握って力強く頷く。「ちちうえはかりんしゃまのことがだいしゅきだから!」
「えっ!?」
驚きの余り、眼を見開いたまま固まった。
「おとこはしゅきなおんなのひとにだきちゅくものなんだって。ちちうえがだきちゅいたおんなのひとはかりんしゃまだけだから。だからだいじょうぶ、よろこんでしょうだくしてくれるよ!」
「私、だけ・・・・・・・・・?」
忠直が口にしていた口説き文句は、頼忠から聞いたものではなかったのだろうか?確かに花梨がここに来てから頼忠の周りで女性の姿は影も噂も見聞きしていないが。
記憶から期待と不安が胸を駆け巡る。
「うん。それとも、かりんしゃまはいやなの?ちちうえのおよめしゃんになるの、ぼくのははうえになるの、いや?」
「嫌じゃない、嬉しいよ!!」
うるうる涙眼で訴えられ、花梨は思わず正直に答えた。
「ほんとう?じゃあ、かりんしゃま、ぼくのははうえになってくれるんだね!わぁ〜〜〜い!」
「―――あっ!」
勢いで答えてしまったが、次の瞬間、花梨は自分がとんでもない事を言った事に気付いた。しかし忠直は顔を輝かせて大はしゃぎ。
「ちちうえにほうこくしてこよう!」
そう言って立ち上がり掛けた忠直を、花梨は慌てて腕を引っ張り座らせた。
「ちょっと待って!ちょっと。」
「え?なに?」
「あっとその・・・・・・・・・あぅ〜〜〜!」
しかし、今更違うとは言えない。いや、嘘を吐いた訳ではないが、そんな花梨の感情一つで決められるような簡単な事ではない。七転八倒ばりにのた打ち回りたい心境だ。
「かりんしゃま、どうかしたの?」
「あ、あのね。こういう事は本人同士の話し合いが必要なの。少し、時間をくれる?私が頼忠さん、忠直くんの父上様と話し合うから。だからしばらくの間、誰にも言わないで秘密にしていてくれるかな?」
時間稼ぎ、とはこの事を言うのだろう。必死に頼み込む。
「そうなの?・・・うん、わかった。」
不思議そうに首を傾げたが、こっくりと頷いた。
「ありがとう。」
そう言って密かに安堵のため息を漏らした。だが、どうしたら良いのか全く分からない花梨は泣き喚きたい気分だった。


「結婚かぁ・・・・・・。」
忠直が眠り、一人になった花梨は庭を眺めながら考え事をしていた。
何の悩みも無かった頃、花梨は頼忠のお嫁さんにしてと頼んだ。そして頼忠は承諾してくれた。しかし、それは昔の事だ。同じ気持ちでいるには難しいほどの長い年月が経ってしまっている。何時までも花梨の事を想っていて下さいと願うには、我が儘でしかない。
「だけど・・・私が・・・忠直のお母さんだもん・・・・・・。」
我が儘だと分かっていても、忠直が他の女を母上と呼ぶのは嫌だ。それに忠直だって花梨が良いと言っているのだ。それに何より花梨自身が、忠直のお母さんになりたい。そしてあの時の頼忠のお嫁さんになりたいとの願いは、今も変わっていない。それならば。
「よし、結婚させるぞ!」
これをきっかけにその願いを叶える決意を固めた。忠直との約束を勇気の源にして、申し込む口実を、頼忠が拒絶出来ない理由を、必死で考える。
「忠直をダシにしては・・・・・・?」
息子、忠直の為、でどうだろう?花梨が良い母親になれるかと訊かれても答えられないが、しかし血の繋がりは強い。忠直本人は知らないが、知っている頼忠には理由の一つになるかもしれない。それに忠直が言ったのだ、花梨を母上と呼びたい、と。息子の意見は影響力があるだろうか?
「泣き落とし、は駄目かな?」
忠直と約束しちゃった、は、さすがに無理がありすぎか。しかし、昔の頼忠は花梨の頼みには弱かった。あれは従者としての立場だったからだが、今でも効力はあるだろうか?
「それで駄目なら脅してやる。」
花梨の眼の前で花梨以外の女を忠直の母親にしたら許さない、と。昔の約束を果たせ、と責めようか。
「・・・・・・・・・。はぁ・・・・・・。」
長い時間考えた後、深いため息を吐いた。
結局のところ、頼忠が花梨を好きなら何の問題も無い訳だ。しかし河内に来てからというもの、頼忠の厚意を全て跳ね除け、我が儘放題で困らせている。忠直の言葉を真に受けるほど愚か者ではない。
「泣き落としと脅し、頼忠さんにはどっちが効果的だろう・・・・・・・・・?」
涙目で呟いた。






頼忠と花梨を繋ぐ絆は―――忠直。