絆〜歩07〜



「うっ、重い・・・・・・・・・。」
玄関口に穀物の入った袋を取りに行った花梨は、一気に持って行く事を断念して途中で床に置いた。腰を伸ばし、腕を背中に回して腰をトントンと叩く。ため息を一回吐くと、覚悟を決めて再び持とうと腰を曲げた。
「花梨殿、いけません!」
頼忠が顔色を変えて走って来た。
「頼まれた仕事をしているだけです。」
ツンとそっぽを向くと再び腕を伸ばす。だが、頼忠がその腕を掴んだ。
「重い荷物を持たれる時は、腰を少々落としてお持ち下さい。そうでなければ腰に負担が集中し、痛めてしまわれます。」
「え?」
驚いて頼忠の顔を見た。
「そして身体を反るような姿勢もいけません。これも腰を痛める原因になります。」
「あ、そうなんですか。」
「はい。しかしこれは重そうです。頼忠がお運び致します。代わりに。」口を開きかけた花梨に、持っていた袋を差し出した。「こちらをお願い致します。」
「何ですか、これ。」
咄嗟に受け取ってしまい、後悔しながら尋ねた。
「栗です。若棟梁に頂きました。」
さっと軽々と担ぐ。
「でも、それは私が頼まれた仕事だから私が運びます。」
困ったように言うが、頼忠は首を振った。
「郷に入れば郷に従えと、貴女はそうおっしゃいました。我々の一族は助け合い、協力し合います。それぞれ得意な事を請け負うのです。」
「・・・・・・・・・。」
「力仕事ならこの頼忠にお任せ下さい。その代わり、花梨殿に出来る仕事は貴女にお任せ致しますから。」
「・・・・・・はい。分かりました。」
花梨がここにいる事を認めてくれた、そういう事だろうか?頼忠の変化に戸惑いつつも、密かに安堵のため息を漏らした。


厨所の中央にある台に置く。
「ありがとう御座いました。」
「いいえ、どうぞお気になさらずに。」
「・・・・・・・・・。」
言いたい事はあるのにどう言って良いのか分からず、花梨は栗の入った袋の中に手を突っ込んだ。
「あの、申し訳ありませんでした。」
「え?何がですか?」
いきなりの謝罪、何事かと驚き、栗を掴んでいる事を忘れて袋から勢いよく手を出した。栗はそのまま吹っ飛んでいった。頼忠が栗を拾い、台の上に置いた。
「先日の事、いえ、貴女がここにいらしてから今までの事を、です。貴女の御心に反する事ばかりしていました。この土地に馴染もうとする努力を邪魔しておりました。申し訳ありません。」
「でもそれって私の為、でもあったんですよね?苦労させたくないって、そう思っていたんでしょう?」
一瞬考えてから訊いた。今でも従者気分が抜けないのだろう。主の為に生きる、それが頼忠だから。
「はい。」
「それなら頼忠さんの優しさでもあるから気にしなくて良いです。こっちこそ我が儘ばかり言って困らせてごめんなさい。」
ぺこりと頭を下げると、頼忠は慌てた。
「貴女は謝らないで下さい。私が悪いのです。花梨殿の事は全てこの頼忠がお守りしたいと、お世話したいと、そう勝手に願っているだけですから。」
花梨はその言葉の意味を考えた。頼忠は、仲間から幼い子供を預かったとでも思っているのだろうか?
抗議をしようと口を開こうとした時、どこからか話し声が聞こえた。言葉が喉元で止まる。

「くり?くりをもらったの?」
「そう。兄上が持って帰った筈だ。花梨ちゃん、栗は好きかな?」
「うん。まえね、ぼくがくりがしゅきっていったら、かりんしゃま、わたしもだいしゅきっていっていたもん。」
「そうか。じゃあ、何か美味いもん作るか。」
「うん。ぼくもてちゅだう!」

頼忠は頭を振って言葉を続けた。
「どうも頼忠以外の男が貴女のお世話をするのが、貴女が頼忠以外の男の為に何かなさるのが嫌なだけのようです。」
不機嫌そうに言うと、ぷいっとソッポを向いてそのまま出て行ってしまった。

「・・・・・・・・・・・・あれ?」
頼忠の言葉を二度三度、頭の中で反芻する。と、胸がドクドクと激しく打ち始めた。
「あぁ、花梨ちゃん。ここにいたんだ。」
頼柾が忠直と一緒に入って来た。が、花梨はそんな事に気付かず独り言をぶつぶつと呟いていた。
「まさか、まさか本当?あ・・・でも、深い意味は無いんじゃ・・・・・・・・・?」
「かりんしゃま、どうしたの?」
「じゃあ、どういう意味なのよ?」
ウロウロウロ。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「あう〜、でも、勘違いじゃなかったら・・・。」
立ち止まるが、すぐに目的も無いままに右へ左へと歩き回る。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「でも、訊けないし・・・・・・・・・。」
片手を髪の毛の中に突っ込み、がしがしと掻く。
「何だか考え事に没頭しているようだし・・・邪魔しない方が良いか。」
「うん、そうだね。」
二人は顔を見合わせると頷き、花梨を残してそっと出て行った。
「もう、どうしたら良いのよ!?」
台をバンバンと叩く音が響いた。



あの後、何度も顔を会わせたが、常に他の誰かしらがいた。頼忠は何も言わず、花梨も訊けないままに時が過ぎていく。



ビュゥーーー。
バシバシバシッッ。
ゴゴゥーーー。
ビシバシバシッッ。

「全く・・・・・・。」
「何をしている?」
夜遅く、戸の側で頼柾が四つん這いになって床を拭いている。頼忠は不思議そうに訊いた。
「あん?あぁ、戸が開けっ放しになっていたんだ。床がびしょ濡れさ。」
手を止めて顔を上げた。胡坐をかくと桶の上で雑巾を捻り、水を絞り落とす。
「開けっ放し?―――まさか。」
眉を顰めた。外は霙(みぞれ)混じりの雨が降っている。しかも風は唸り、戸に小石をぶつけているような、物凄い音がしている。そんな日に戸を開けっ放しにする奴はいない。―――大人なら。
「兄上?」
頼忠は踝(くびす)を返して大股で行ってしまった。頼柾は肩を竦めると、もう一枚の乾いた雑巾で床を拭き、水気を取る。
と、頼忠が戻って来た。
「忠直がいない。抜け出したようだ。」
「え?この嵐の中をか?」
「花梨殿の所に行ったのかも知れん。離れを見て来る。」
飛び出して行った。


ビュゥーーー。
バシバシバシッッ。
ゴゴゥーーー。
ビシバシバシッッ。

「あ〜〜〜、煩い!眠れないじゃない!!」
褥に膝を立てて座り込んでいた花梨は、すっぽりと足を包んでいた上掛けを苛立たし気に叩いた。膝に顔を埋める。だが、眠れない原因がこの嵐では無い事は自分が一番よく知っている。
―――頼忠以外の男が貴女のお世話をするのが、貴女が頼忠以外の男の為に何かなさるのが嫌なだけ―――
考えれば考えるほどに、花梨を悩ます。頼忠が口にしたのだから、これは頼忠の本心だ。だが、花梨が望むような感情だろうか?それとも、八葉としての義務感だろうか?
訊きたい。だが、否定されたらここに居辛くなる。
「訊けない、よね・・・・・・・・・。」
あの頃は確かにお互いが恋愛感情を抱いていた。だがそれは、もう何年も前の事だ。音信不通の長距離恋愛、何時までも同じ気持ちのままいるのは難しい。相手にそれを期待してはいけない。

ビュゥーーー。
バシバシバシッッ。
ガタガタ。
ゴゴゥーーー。
ビシバシバシッッ。
ガタガタ。ガタガタガタ。

ビクッ。
突然その『音』に気付き、花梨は恐怖で凍りついた。上掛けを握り締め、耳を澄ます。

ビュゥーーー。
バシバシバシッッ。
ガタガタ。

「変な物音がする・・・・・・。」
ここには花梨以外の人間はいない。頼れる者はいない。自分で何とかしなければ。花梨は勇気を振り絞って褥から立ち上がり、室の隅の火鉢に近寄った。火掻き棒を取り上げるとしっかりと握り締める。

ビュゥーーー。
バシバシバシッッ。
ガタガタ。ガタガタガタ。

「・・・・・・・・・。」
足音を忍ばせて物音がする戸とは離れた戸に近付き、そっと細く開けた。影が見えた瞬間、火掻き棒を放り投げて飛び出した。
「忠直!」
「かりんしゃま・・・・・・?」
駆け寄ると、忠直は花梨の腕の中に飛び込んだ。
「どうしたの?何があったの?」
「かりんしゃま・・・、どこにもいかないで・・・。」
「忠直?」
「てんかいにかえらないで・・・・・・。」
更に強くしがみ付く。そしてしゃくり上げながら言う。
「取り敢えず、室に入ろうか。」
何だか意味が分からないが、何時までも外にいる訳にもいかない。抱き上げると自分の室に戻った。
「ひっく・・・ひっく・・・・・・っ!」
頭から霙に打たれて全身びしょ濡れだ。しかしここには子供用の衣は無い。代わりに花梨は自分の単衣を取り上げた。
「はい、忠直くん。脱いでこれに着替えよう?」
「かりんしゃま・・・・・・。」
「着替えないと寒いでしょう?風邪を引いちゃうよ。」
「やだ・・・・・・・・・っ!」
しがみ付く忠直の頭に口付ける。
「ほら、大丈夫だよ。忠直くんの眼の前にいるから、ここにいるって分かるでしょう?」
「ひっく・・・ひっく・・・・・・っ!」
「じゃあ、片方の手はどこか掴んでいて良いから。それだったら安心でしょ?」
「ひっく・・・ひっく・・・・、うん・・・・・・。」
小さく頷くとやっと離れた。しかし小さな手は両手とも花梨の衣を握り締めている。宥めつつ片方ずつ離させて濡れた衣を脱がす。乾いた布で拭うと、袖に片腕ずつ通して着せる。その上から綿の入った暖かな袿で包み込み、抱き締めた。
「で、忠直くん、どうしたの?」
「かりんしゃま、てんていしゃまのおつかいのひとがちゅれてきた。あらしがしゃったあとにきたから・・・・・・このあらしがしゃったら、かりんしゃま、かえっちゃうかと・・・・・・。」涙をボロボロと零しながら抱き付く。「かえっちゃいや。どこにもいっちゃだめ。かりんしゃま、おねがい。ずっとここにいて・・・・・・・・・っ!」
翡翠は夜中に帰った。嵐が去ると同時に。忠直は、花梨もこの雨や風が止むと同時に帰ってしまうかもしれないと思ったようだ。朝、目覚めた時にはもういないかもしれないと。
「・・・・・・・・・。」忠直の心中を考えれば、切なくて哀しい。だが花梨の胸に温かな思いが広がっていく。瞳から滴が零れ落ちた。「どこにもいかないよ。私は天帝様の許可を頂いてここにいるの。忠直くんの傍以外に行く場所なんて無いの。忠直くんが嫌だと言ってもここにいるよ。」
「ほんとう・・・・・・?」
「うん。ここにいたいの。忠直くんの傍にいたいの。ずっと・・・・・・・・・。」
「かりんしゃま・・・・・・っ!!」



頼忠が忠直を捜しに離れにやって来た時、花梨は花梨にしがみ付いたまま眠ってしまった忠直をしっかりと抱き締め泣いていた。