絆〜歩05〜



「手加減してくれよ〜!」
庭で座り込んだ頼柾が喚いていた。
「それでは稽古にならん。立て。」
頼忠が木刀を弟の胸元に突きつける。
「殺す気かぁ?」
「・・・・・・・・・。」
『否定しないのかよ!?』
黙ったままの兄に、青冷めた。頼忠が意味も無く、いや、あったとしても誰かに嫌がらせをする筈が無い。しかしこれは間違いなく八つ当たりだ。頼柾が花梨と仲が良いのを不愉快に思っているのだ。
―――嫉妬―――


『雨漏りを修理する時に梯子を支えて貰ったのがマズかったか?』
―――あの日は風が強くて梯子が揺れてたじゃないか。
『煮込み料理を作っている時に火の番を一緒にやらせたのが許せないのか?』
―――ただ火を眺めているのは退屈なんだよ。
『味見して貰った時、凄い眼で睨んでいたっけ。』
―――兄上は美味しい不味いをはっきり言ってくれないじゃないか。
『草笛の吹き方を教えた時に手を握ったからか?』
―――手を触れないで教えるなんて出来るか。
『芋掘りを一緒にやったのを見ていたんだろうか?』
―――忠直が誘ったんだぜ?
『花をあげたのを誤解したんだろうか?』
―――花梨ちゃんの好きな花だから贈りたいと言ったのは忠直だ。
『市に一緒に買い物に行ったのを、逢瀬と勘違いしているのか?』
―――荷物が多くて花梨ちゃん一人じゃ持ちきれなかったんだ。
『近所の若い娘達を紹介したのがいけなかったのか?』
―――女友達の一人や二人いなけりゃ可哀想じゃないか。
『若棟梁が訪ねて来た時に応対させたのを怒っているのか?』
―――俺は忙しかったんだ。


ワザとではないのだ。決して焼き餅を焼かせようとしているのではない。
棟梁の館に仕えている頼忠とは違って、頼柾は比較的自由な時間が取れる。それで今まで家の雑用をこなしていたのだ。花梨も家にいるのだから、何かあれば花梨に頼む事になるし、花梨だって頼柾に尋ねるし、お願いする。
『だったらもっと優しくしてやれば良いじゃないか。』
内心愚痴る。頼忠が花梨に頼み事をする事は無い。そんな態度だから花梨も遠慮して頼柾を頼るのだから。

「立て。」
木刀の先端が胸元から喉元に移動する。
『うげぇ、眼がマジだよ・・・・・・?』
木刀を杖にしてノロノロと立ち上がる。
「来い。」
木刀を握り直した。
『うぅぅぅ。殺意を抱いちゃってるよ・・・・・・。』
逃げ出したい衝動を必死に押さえ込むと、木刀を振り上げ兄に向かって行った。
「うりゃあぁぁぁ!」


半刻後、頼柾は兄に肩を借りながら屋敷に戻った。
「お帰りなさい!」
花梨が出迎えた。
「只今戻りました。」
「おう。」
丁寧に挨拶する兄とは対照的に、疲れすぎて返事をする気にもなれない。片手を上げただけで床に座り込んだ。
「随分汚れましたね。後で洗いますから出して下さいね。」
「おう、あんがと。」
「花梨殿、それは―――。」
「何っ!?」
強い口調で言いながら振り向いた。
「あの―――。」
「あ。ここ、解(ほつ)れていますよ。」頼忠の袖を持って言った。「縫いますからこれも出して置いて下さいね。」
「ん?花梨ちゃん、裁縫出来るの?」
「うん。」
「凄いじゃん。」
「解れを繕(つくろ)うぐらいで褒められても。」
苦笑した。
「裁縫は苦手だとおっしゃっていませんでしたか?」
神子時代、裁縫は苦手を通り越して大嫌いだと聞いた事があった。驚いて尋ねる。すると、花梨は肩を竦めた。
「向こうにいる時に女の嗜みだって言われたの。自分で着る物は自分で縫うものだって。だから暇な時に教わったの。」
「そうでしたか。ですが、貴女に私の衣を縫わせる事など出来ません。」
首を横に振り、花梨の手から袖を引き抜いた。
「そうは言うけどねぇ。」
「ん?花梨ちゃん、どうした?」
花梨が妙な笑みを浮かべると、頼柾が興味を示した。
「この前新調した夜着は私が縫った物だよ。頼忠さん、それを着て寝ているんじゃないの?」
「え?!」
「もしかして、俺のも花梨ちゃんが縫ってくれたの?」
「うん。お母様が忙しくて縫う時間が無いと言っていたから。」頼忠の右頬がピクリと動いた。「袿とか直衣とかの大物は無理だけど、夜着、単なら人並みに縫えるの。」
「人並みどころじゃないよ。凄く着心地良いよ。なぁ、兄上?」
「はい。」
にやにやと笑みを浮かべる弟を目の端で見ながら複雑な表情で頷いた。
「ありがとう。だったら、今更その解れを繕うぐらいどうって事無いでしょう?」
有無言わせない脅しを含んだ笑顔で睨んだ。
「・・・・・・・・・。」
「ふっ!」
眉間に皺を寄せて悩んでいる兄に、頼柾は我慢出来ずに噴き出した。



「今日は忠直くんの室を掃除しようか?」
離れの掃除を手伝ってくれた忠直に訊いた。
「うん。」
こっくりと頷くと、花梨の手を引っ張り自分の室に連れて行く。
「あれ?綺麗じゃない。」
小さな物が色々あるが、机や家具の上にごちゃごちゃと置いてあるだけ。頼柾の室とは比べものにならないぐらい綺麗だ。
「ちちうえがね、ものをゆかにおいておくとおこるの。ふだんはあまりおこらないんだけど、おこるとこわいの。」
顔を顰めた。
「そうなんだ。」
まぁ、頼忠はしつけには厳しそうだ。特に忠直は嫡男、跡取りだからそうなのだろう。
「物を置き直すぐらいしかやる事は無いけど。うん、とっとと片付けちゃおう。」
「うん。」
軽く床を掃いて拭いた後、棚や机の上の物を床に置く。雑巾で拭き、一つ一つ綺麗に並べて行く。
「綺麗な箱だね。」
小さな箱を手に取り、忠直に言った。蓋に珍しい細工が施してある。幼子に与えるにしては高価すぎて勿体無いような気がする。
「ちちうえがね、くれたの。」
花梨から受け取ると、その箱をじっと見つめた。


春から夏へと変わるある日、仕事で忙しい大人達に放っておかれて退屈した忠直とその年頃の友達数人で、子供だけでは行ってはいけないと言われていた山に遊びに行った。最初は山の麓(ふもと)付近で遊んでいたのだが、虫や小動物を追っている内に何時の間にか奥へと入り込んでしまった。
『あれ?』
一人が立ち止まり、キョロキョロと周りを見回した。他の子供達はその友達を不思議そうに見つめた。
『どうしたの?』
『ねぇ。ここ、どこ?』
『え?』
慌てて周りを見回す。しかし、右を向いても左を向いても鬱蒼と生い茂る木や草ばかり。足元は落ち葉や朽ちた枝で覆われ、道は無い。
焦って走り出し、立ち止まった場所でも周りを見回す。石や木に登り、遠くを見渡す。しかし、見える景色は変わらない。
『えっと・・・・・・。』
『やだ。なにもみえない。』
『もしかしてぼくたち、まいご?』
『おうちどこ?』
『・・・・・・わかんない。』
心細くなって友達に訊くが、友達だって分からない。不安が増していくと、その心に合わせるように陽が落ち、暗くなっていく。
『うわぁあああん!!』
一人が泣きだせば、それで我慢していた心が切れ、みんなが泣き叫び始めた。
『うえぇ〜〜〜ん!』
『ははうえしゃまぁ!』
『ちちうえしゃま〜。』
『かえりたいよ〜〜〜!』
『うわぁあああん!!』

その泣き声が町まで響き、大人達総出で探しに来てくれた。

『何やってんだ!』
『バカタレが!』
家に帰れたが、大人達に凄く怒られた。
『山に行ってはいけないとあれほど言ったでしょうがっ!』
『全く武士の子が情けない!』
そんな中、一番怒っていたのは迷子になった子供の母親だ。
『あんたは何やっているの!』
『どれほどみんなに迷惑をかけたか分かっているの!?』
口調は激しく厳しい。
『ごめんなしゃい。ごめんなしゃい!』
だが、自分の怪我など気にする余裕もなく必死で探し回っていたのだろう、母親の手足には切り傷がいっぱいあった。その腕で泣きじゃくりながら謝る子供を抱き締めた。


「だいじなものだからおまえがもっていなしゃいって。」
その友達と母親の姿を見ている内に忠直も涙が零れた。普段なら泣くと怒る父が、その時は泣き止むまで黙って抱き締めてくれた。
その日の夜にくれたのだ。
「大事な物?」
「うん。」パカっと蓋を開けた。「おまもり。」
「これって・・・・・・。」
一枚の小さな紙が入っていた。花梨が忠直と別れる時に渡した物、押し花だ。中央に花梨の筆跡で『源忠直』と書いてある。そして押し花にした花は色褪せてはいるが、あの時と変わりなく、繊細で可愛らしいままだ。
「かみしゃまにあいしゃれたてんにょしゃまが、ぼくがうまれたおいわいにくれたんだって。」
忠直は天女様に愛されていると教えてくれたのだ。だから母上が傍にいなくとも寂しがる事は無いと。哀しむ事は無いと。天女様は何時も見守ってくれているのだから。
「・・・・・・・・・。」
「このはな、うめのはななの。でね、このはなにおねがいするとねがいをかなえてくれるといわれているの。これに、ぼくがしあわせになるようにってねがいがこめられているんだって。てんにょしゃまがかけてくれたの。」
「忠直くんは・・・今、幸せ?」
「わかんない・・・・・・。ちちうえも、おじうえもそふぼしゃま(祖父母さま)もいるけど・・・・・・でも・・・・・・・・・。」
何か物足りない。天女様が祝福してくれようが、母上はいない。やはり寂しい事に変わりはないのだ。
「私も・・・忠直が幸せになる事を願っているよ。」
下を向いて寂しそうに押し花を見つめている忠直を抱き締めた。ごめんね。傍にいられなくてごめんね・・・・・。
「かりんしゃま・・・・・・?」
「忠直・・・大好きだよ・・・・・・・・・。」
『なんで・・・・・・・・・?』
忠直は忠直の為にポロポロと涙を流す花梨を奇妙な事だと感じていた。だが。
『あったかい・・・。かりんしゃま、あったかい・・・・・・・・・。』
抱き締めてくれる身体の温もりが嬉しい。眼を瞑ると、身体の全てを預けた。
優しくて可愛い天女様。
『このかりんしゃまがははうえしゃまなら・・・しあわせなのにな・・・・・・・・・。』



夜中、忠直は眠れないまま起き上がった。
「かりんしゃま・・・・・・。」
抱き締めてくれた身体の温かさが忘れられない。褥から這い出ると文机まで歩いて行った。小箱を開け、お守りをじっと見つめる。
梅の花は願いを叶えてくれる。
「ボクのねがいも・・・かなえてくれるのかな?」
このお守りには、忠直が幸せになるように、との願いが込められている。だったら、忠直の願いを叶えてくれないだろうか?
「ボク、ははうえしゃまがほしいです。かりんしゃまがボクのははうえしゃまになってくれますように。」
小さな手を合わせ、心を込めて熱心に祈った。