絆〜歩04〜



「掃除をしよう!」
体調が回復して体力も戻り始めた花梨は、自分に出来る事をしようと決めた。掃除なら叩きをかけて埃を落とし、箒で床のゴミを掃き出し、床や棚を拭くだけ。掃除機やモップの類が無くても簡単に出来る。
満足気に雲一つない空を見上げた。
「う〜ん、良い天気。掃除日和だね。」
戸を全開。母屋で掃除道具を借りる。こちらの衣は袖が邪魔だ。紐でたすきがけ。髪も紐で結んだ。これで準備万端、バタバタと始める。
「なにをやっているの?」
何時の間にかやって来た忠直が、大きな眼で不思議そうに花梨を眺めていた。
「掃除。適度な運動になるし、綺麗になると気持ち良いでしょう?」
「ふ〜ん。じゃあ、ぼくもやる。」
ちょこちょこと近付いて来て、ゴミ箱を持った。
「ありがとう!」
と言っても、幼い子供に手伝って貰うのは大変だ。やって欲しい事を説明するのに時間が掛かり、失敗も多くて余計な仕事を増やす。それでも褒めれば、お礼を言えば、喜び、そして更に一生懸命に働く。忠直と一緒にやるのは、何でも楽しい。

再び様子を窺いにやって来た若者が数人やって来た。
『ありゃ?花梨ちゃん、掃除しているぜ?』
先に覗いた男が、花梨に対して抱いていた幻想が崩れ、感心とも落胆とも取れる複雑な声音で、後ろで良く見える場所を探している仲間に言った。
『ん?花梨ちゃんってお姫様じゃなかったのか?』
『それにしては手際が良いぜ?慣れているって感じだな。』
『もしかしてさ、お姫様だけど継母に苛められて女房仕事をやらされていたのかもな。ほら、落窪物語のお姫様みたいに。それに同情した頼忠の友人が救い出したとか。』
『それだー!!』
一番遠い所にいた若い男が勢い良く意見を言った男を指差した。
『あぁ、なるほど。』
『そうだよ、きっと!』
他の男達も大きく頷いた。お前は頭が良いな、凄いよ、と大袈裟に褒める。
穏やかで退屈な日々。そんな中で突如現れた一輪の花。そんな花梨に対して、憧れや夢を抱いているようだ。どうしてもお姫様にしたいらしい。

「花梨殿!何をなさっているのですか!?」
走り寄って来た頼忠が花梨から雑巾を取り上げた。
「ちょっと、何をするんですか!」
「貴女がこのような真似をなさる必要はありません。翡翠が纏まった金を置いていきましたから―――。」
「そんなの関係ありません!」奪い返す。「頼忠さんのお母様に私の世話をさせる気ですか?朝から晩まで働きづめのお母様の横で、昼寝をしていろとでも言うの?」
「いえ、ですから私が―――。」
「頼忠さんだってお母様と同じく一日中働いているでしょう?」
「私の事はお気になさらずに―――。」
花梨は頼忠の胸にドンと驚かす程度に両手で強く突き、言葉を遮った。最後まで聞いているなんて時間の無駄だ。
「郷に入っては郷に従え。こんな小さな忠直だって仕事を手伝っているんです。半人前にもならない私に出来る事は少ないんだから、これ位やらせて下さい。」
「・・・・・・・・・。」
言葉はお願いだが、文句は言わせないとの瞳で睨まれ、口を閉じた。

『へぇ。花梨ちゃんって意外に気が強いんだ。』
一人が感心したように言った。
『そうだな。この頼忠と言い合うなんて度胸あるぜ。しかも勝ってしまうなんて只者じゃない。』
生真面目で厳しい頼忠は、若い者達の間では恐れる存在だ。そんな頼忠に歯向かうなど、考えられない。二人の関係を知らない者達は、呆然と花梨を見つめた。
『大人しくて可愛いだけのお姫様じゃないんだな。』
『我が儘言っている訳じゃないし、案外しっかりしたお嫁さんになるかも。』
『うんうん。』
花梨という存在が、只の憧れから身近な一人の女人へ変わって行く。
『なぁ。花梨ちゃんって顔色良くなって可愛くなったよな。元々可愛かったけど、笑顔が暖かくてお日様みたいだ。見ているだけでも元気になる。』
『言われてみればそうかも。前は病人みたいだったし、今の方が断然良いな。』
『こんな娘がお嫁さんになってくれたら幸せだよなぁ。』
『うん、そうだな。なってくれないかな?』

「はい、兄上の負け〜!」
言いこめられて沈黙した頼忠の後ろから頼柾が声を掛けた。
「頼柾・・・・・・・・・。」
睨むが、怯む様子は無い。
「花梨ちゃん、俺の室も掃除してくれないかな?俺、掃除は苦手なんだ。その代わり、力仕事や高い所の何やからは手伝うから遠慮せずに言いな。」
「はい、分かりました。」
「頼柾!お前、無礼な―――。」
「そうそう。また美味い魚料理が食いたくなったら釣って来なよ。作ってあげるから。」
頼忠の脅しにも気にする事無く花梨に次々と話し掛ける。そして花梨も頼忠の事などお構いなしに頼柾に笑いかけた。
「本当?やったあ!あのお料理、美味しかったよね。忠直くん、また一緒に釣り、頑張ろう?」
「うん!」
忠直までがにこっと笑う。
「じゃあ、ここは終わったから、次は頼柾さんの室を掃除しようか。」
「うん。ぼくもてつだう。」
「ありがとう!」
掃除道具を抱えると、手を繋いで離れから出て行った。

『あれ?』
花梨の側にいるのは頼忠だけではない。今頃その存在に気付いた。
『頼柾と花梨ちゃん、仲が良いんだな。』
『話し易いんだろう。愛想が良いからな、頼柾は頼忠と違って。』
『歳も近いし、どっちかって言うと頼柾の方が似合うかも。』
まさかと動揺しつつ、成り行きを見守る。

「兄上。」睨んでいる頼忠を真っ直ぐに見返す。「花梨ちゃんは可愛いから綺麗に着飾らせて飾っておきたい気持ちは分かるよ。だけどあの娘は可愛いだけの人形じゃない。分かっているんだろう?この地に馴染もうと頑張っている彼女の気持ちを踏み躙(にじ)るつもりか?」
「・・・・・・・・・。」
「良い機会だから訊くけどさ、兄上は花梨ちゃんをどうするつもりだ?」
「・・・・・・・・・。」
「父上も母上も、花梨ちゃんの事、気に入っているぜ。素直で明るくて、そして忠直の世話もよくやってくれて助かっているし。兄上が嫁さんにするつもりが無いんだったら俺にどうだと訊いて来たぜ。」
「なっ!?駄目だ。そんな事許さん!」
顔色が変わった。しかし頼柾は腰に手を当てて胸を反らし、兄の意見には従うつもりがない事を伝えた。
「花梨ちゃんを連れて来たのは確かに兄上の友人だけどさ、あの娘は品物じゃないんだ。兄上にそんな事を言う資格なんて無いだろう?それにあんな若いのに、一生独り身のまま生きろとでも言うのか?」
「っ!」
「俺は花梨ちゃんの事、好きだぜ。」可愛い妹みたいで、とは言わない。「何にも知らないけど覚えようと努力しているし、何よりどんな事にも一生懸命だ。相談し、協力して生きて行くにはぴったりの女人だよ。」
「・・・・・・・・・。」
「兄上がいらないんだったら俺が貰うぜ。」
きっぱり言い放つと、反論出来ない頼忠を残し、立ち去った。

『うわぁぁぁぁ・・・・・・。』
気付かなかったが、盗み聞きしているこちらが緊張していたようだ。頼柾がいなくなると力が抜け、次々と地面に座り込んだ。
『頼柾、本気か?本気で花梨ちゃんの事、狙っているのか?』
『あの様子じゃ、頼忠だって惚れているのには間違いないな。』
『若棟梁も考えているようだし・・・。』
頼忠は一族の中では容姿も武士としての実力も一番だ。そして人間性も良いと評判が高い。そして他の二人は、頼忠と比べれば武士としての実力も容姿も少々劣る。だが気さくで親しみ易い分、頼柾は頼忠よりも娘達に人気がある。そして若棟梁には地位と財産がある。
『『『この三人が取り合いするようじゃあ、俺達、もう駄目じゃん。』』』
早々に敗北宣言を出したのだった。



―――あの娘は可愛いだけの人形じゃない―――
―――何にも知らないけど覚えようと努力しているし、何より何事にも一生懸命だ―――
弟の声が頭に中で繰り返す。
「そんな事、お前に言われなくたって知っている。」
一人残された頼忠は呟いた。
あの京での神子時代、男だって裸足で逃げ出したくなるような重荷を背負わされたのだ。しかし逃げる事無くそれを真っ直ぐに見つめ、そして役目をきちんと果たされた。神子を守る筈の八葉を反対に守りながら。
「貴女を・・・、今度こそお守りしたいのです。」
お傍にいる事を許さなかったあの運命を、逆らおうともせずに受け入れてしまった。御心も守ると誓いながら果たさなかった。
そこから逃れた今、貴女を苦しめる全ての事からお守りしたい。
その思いが強迫観念となって頼忠を追い詰める。
「強迫・・・・・・?」
心を縛り付けていた何かが緩んだ。
この思いは、罪悪感から出たものだったのだろうか?花梨の意思を無視した、一方的な押し付けた思い。身勝手な考え。
「花梨・・・・・・。」
京にいる八葉、星の一族、そして黒龍の神子の顔が次々と思い浮かぶ。
彼らは花梨を自由にしたいと願った。幸せになって欲しいと祈った。それなのに頼忠は、貴族達と同じ事をしている。鳥のように自由な花梨を、身勝手な思いから籠の中に押し込めようとしている。
「申し訳ありません・・・・・・・・・。」
ここにはいない仲間に、そして花梨に、心からの謝罪の言葉を呟いた。



「花梨ちゃん。」
頼柾が自分の室に戻ると、花梨は入り口で呆然と立ち尽くしていた。
「どうしたらこんなに散らかす事が出来るんですか?」
衣も武器も床の上。反対に棚の上には何も置いておらず、埃が厚く積もっている。文机の上は何やら書物が山積みになっていて、手を置く場所さえない。
「あははは。」
笑って誤魔化すと、花梨はため息を吐いた。
「武器類は自分で片付けて下さいね。」横にいる忠直を見下ろした。「頑張ろうね。」
「うん!」
何が落ちているのか分からない。危険物を踏んで怪我をすると困る。花梨は忠直にゴミ箱を持たせ、自分の横にいるように指示した。
「刀を転がしていたらバチが当たりますよ。」
そう説教しながらゴミはゴミ箱へ、大切そうな物は頼柾に指示を仰ぎながら片付ける。
「うん、そうだね。父上に知られたら殺されるな。」
頼柾は床に置いてある、というよりも転がっている太刀を拾い上げ、専用の棚の上に置いた。
「そこ、埃だらけですよ?」
「うん、そうだね。」
太刀を持ち上げると、ふっと息を吹きかけて棚の上の埃を飛ばす。
「拭いて下さい。」
雑巾を手渡した。
「はいはい。」
一拭きしただけなのに、真っ黒く汚れた。それをしばらく眺めた後、畳み直して拭く。と、そこも真っ黒く汚れた。
「忠直くんは頼柾叔父さんのようになっちゃ駄目よ。」
「うん!」
「酷いな。」
傷付いたフリをすると、花梨はやんちゃな子供の悪戯を許すように優しく笑った。
そうしてかなりの時間が過ぎ、夕方になってしまった。
「これをここに置いてっと。」机の上に文箱を置くと花梨は手を叩いた。「はい、終わったぁ!」
「助かったよ、花梨ちゃん。」
足の踏み場も無かった頼柾の室で奇跡を起こした花梨に頼柾がにっこり微笑んだ。
「どう致しまして。」
花梨は苦笑交じりに答えた。
「またお願いしても良いかい?」
「勿論!でも、今度はもっと早く言って下さいね。こんなに汚す前に。」
「はい、分かりました。」
茶目っ気たっぷり大げさに頭を下げると、花梨と忠直が大きな声で笑った。