絆〜歩03〜



ゴロゴロゴロ。
「あれ?頼柾さん、何をしているんですか?」
花梨が妙な音がする方を見ると、頼柾が深い鉢のような物の中で先の丸い棒で草を擂り潰している。近寄って側に座り込んだ。
「薬作ってんの。」
「薬?薬って、自分で作るの?作れるものなの?」
驚き尋ねる。
「擦り傷切り傷は年がら年中こしらえているからね。薬師もいるけど、小さな怪我だったらいちいち診てもらわないよ。」
「へぇ、そうなんだ。」
興味津々、草を取り上げては眺め回す。頼柾は一つ一つ丁寧に説明してくれるが、花梨の眼では、これのどこにそんな大層な効能があるのか、そこらに生えている草と何が違うのか、全く分からない。しかしハーブの葉だって、お茶にして飲めると知らなければただの雑草だ。
「武士は武術だけ訓練してりゃ良いってものでは無いんだ。薬の調合とか応急手当の仕方は誰だって学ぶし、出来なかったら一人前とは言えない。何時なん時何があるか分からないから、作った薬は必ず携帯してんだよ。」
「そうだったんだ・・・・・・。」
小枝を引っ掛けた時や転んで足首を捻った時、頼忠が治療してくれた。あれは頼忠が自分で作った薬だったのか。ずっと傍にいたのに、花梨は武士というものを何も知らない。
カタン。
頼柾は入って来た兄の顔を見、内心にやりと笑みを浮かべた。無表情を装っているが、花梨が頼柾の側にいるのが気に食わないらしい。眉間に微かな皺が寄っている。
「なぁ、興味あるなら教えてあげようか?普段の生活でも役に立つから覚えておいた方が絶対に良いよ。冬が来たら枯れちゃうから今の内に集めに行こうと思っていたんだ。明日は晴れそうだし、一緒に行く?」
兄の眉間の皺が深くなるのを知っていてわざと訊いた。
「良いの?邪魔じゃないなら行きたいな。」
「貴女はまだ体調が戻っておりません。それに山の中は危のう御座います。お止め下さい。」
「体調はもう大丈夫だよ。体力は無いけど、だからって動かなければ何時までも駄目だし。」
「大丈夫さ。俺がずっと側にいるから。そんなに心配だったら兄上も一緒に行くか?」
「いや、私は良い。気を付けて行ってらっしゃいませ。」
唇の端をぎゅっと引き伸ばすと不機嫌そうに出て行った。
「私の事、頼忠さんは邪魔だと思っているみたいね。」
姿が見えなくなると花梨はぽつりと呟いた。
「ただ過保護なだけだろう?気にしない気にしない。」
軽い調子で言うが、花梨の顔は冴えない。
『全く。焼きもち焼くのも良いけど、女の子を泣かすなよ・・・・・・・・・。』
頼柾は密かにため息を吐くと、花梨の瞳が潤んでいるのに気付かないふりして薬作りを再開した



翌日の夕方、頼柾は摘んできた草や花を洗っていた。
「どうだったか?」
「色々と見付かった。これだけあれば来年まで充分間に合うと思うよ。」
兄が知りたい事はわざと教えない。眉間に皺が寄るのを目の端で見つめていた。
「・・・・・・・・・。」
「花梨ちゃん、中々筋が良いよ。一度教えれば覚えるし、見つけるのも上手いし。思ってたよりも沢山集まったよ。」
「・・・・・・・・・。」
「よし、と。」
ざるを持ち上げ、ざっざっと振って水を切る。
「そうそう。花梨ちゃん、怪我はしていないよ。」
「そうか。」
安心したようで、やっと眉間の皺が消えた。
トタトタトタ。
簀子を走る足音が聞こえ、自然に視線が向く。忠直が頼忠の室に飛び込んで行くのが見えた。と思うとすぐに出て来た。頼忠の袿を抱えている。
「あれ?忠直の奴、何やっているんだ?」
トタっトタっトタっ。
袿を引き摺り、足に絡ませ、転びそうになりながらも必死に走る。
「花梨ちゃん?」
「っ!」
忠直の視線の先で花梨が倒れている。頼柾が隣を見たが、頼忠は既に走って行ってしまっていた。
「花梨殿!」
「シッ!ちちうえ、しじゅかにして。」パサリと袿を花梨に掛ける。「かりんしゃま、ねてるんだから。」
「眠って・・・・・・?」
顔を覗き込むと、花梨はくぅくぅと静かな寝息をたてて眠っていた。
「なぁ、大丈夫か?」
頼柾が近付くと、頼忠が睨んだ。
「ご無理をさせたのか?」
「あ?いや、元気そのものだったぜ。見つける度に大きな声を上げてはしゃいでいたし。でも戻って来た後に疲れがどっと出てきたのかも。」
「・・・・・・・・・。」
さりげなく袿を引っ張り、寝顔が見られないように眼元まですっぽりと覆う。
「でもすぐに日が暮れる。ここままじゃ風邪を引いてしまうから離れまで運ぶよ。」
一歩近付き手を伸ばしたが、頼忠がその手を払った。
「まだ干し終わっていないのだろう?花梨殿は私がお連れする。」
「あぁ、分かった。頼む。」
素直に頷き脇に避けると、大事そうに抱え上げて歩いて行く兄の背中を見送る。
「まぁ、花梨ちゃんだって抱き締めてくれるのが俺より兄上の方が嬉しいだろうしね。」
聞こえないように小さな声で呟いた。


葉っぱや花を軽く拭いては乾いたざるに一枚一枚並べていく。一杯になると脇に置き、別のざるに同じように並べていく。
と、目の端で影が動いたのに気付いた。
「あれ?もう出て来たのか!?」
影の方を見ると、離れから頼忠が出て来たのが見えた。母屋に戻って来る。
「マジかよ・・・・・・?」
そりゃあ、頼忠では寝込み襲うような野蛮な真似は出来ないだろう。だが、寝かし付けてすぐに帰ってしまうなんて。寝顔でも眺めていりゃあ良いものを。
「こりゃあ、何かきっかけが無いと無理かも。」
余程大きなきっかけが。頼柾はどっかりと座り込むと頭を抱えた。



ある日、花梨は頼忠の家の厨所を覗いていた。まぁ、言葉は悪いが見物だ。勿論、頼柾の許可を得てから。
「ふ〜ん。武士の家も貴族の家も調理器具は大して変わらないんだね。」
そして隅にある物を発見。激しい運動はまだ無理だが、これは座っているだけ。花梨でも大丈夫だろう。
「ねぇ。この近くに川ってあるの?」
何時も側にいる忠直に訊いた。
「うん、ある。とてもきれいだよ。おしゃかながいっぱいおよいでいるの。」
「ねぇ、これから行く?」
そのある物を持って訊くと、驚いたように眼をまん丸にさせたが、すぐに頷いた。
「うん、いく!」
と言う訳で、二人は川にやって来た。
「本当だ。沢山泳いでいるね。釣れるかな?」
「かりんしゃま、こっちこっち。」腕を引っ張る。「ちちうえとおじうえはこっちでやるの。」
その場所に移動すると、花梨は忠直の助言を聞きながら釣り糸を垂らした。
「頑張ろうね♪」
「うん!」


と、その数刻後。


「ん?あれ、花梨ちゃんじゃないか?」頼柾は隣を歩いていた頼忠に言った。「今日は川に来ていたんだな。」
「そのようだな。」
と、視線を感じたのか、振り向いた忠直が二人に気付いて大きく手を振った。
「ちちうえ〜!おしゃかな、おしゃかながちゅれたよ!!」
「はぁ?何だって?」
頼柾は土手下に駆け下りて行った。
大きな石に座っていた花梨も立ち上がり、振り向いた。そして釣竿を持ち上げ、楽しそうに笑った。
「えへへへ。勝手に借りちゃってご免なさい。」
「いや、それは構わないけど。」
「ねぇねぇ、これって食べられるの?」
魚篭(びく)を持ち上げ、頼柾に見せる。
「ん、どれ?」と、覗いた瞬間叫んだ。「花梨ちゃん、すげぇ!何匹釣ったんだ?ひぃふぅみぃ・・・・・・って、6匹か!家族全員分あるじゃんか。」
「うん、今日は大漁だった。」
「良くやった!」
叫ぶと花梨に抱き付いた。
「ひゃっ!?」
「っ!」
「これ、すごく美味いんだぜ。よっしゃあ、俺が料理してやる。楽しみに待ってな!」
魚篭を取り上げると、眼をぱちくりしている花梨と険しい表情の頼忠を残してそのまま駆け出して行った。
「おじうえ〜、ぼくもてちゅだう!」
忠直まで追い駆けて行った。


「お持ち致します。」
「あ、ありがとう。」
残された頼忠が花梨から道具を少し強引に受け取ると、二人並んで帰る。しかし何処となく気まずい空気が流れる。沈黙を破ろうと、花梨は口を開いた。
「頼柾さんってお料理するんですね。」
「はい。幼い頃から興味を持っていたようで、母が料理をしているのを飽きもせずに眺めておりました。私が京に出る頃には刃物を握っておりましたよ。」
危なっかしい手付きを思い出したのか、ふっと笑みが零れた。
「私は食べる方に興味があったな。あれが食べたいこれが食べたいってリクエスト、お母さんに我が儘な注文をしてました。」
そう言うと、頼忠は再び小さく笑った。
『2回目・・・。』
花梨は心の中で頼忠が笑うのを数えていた。そして哀しい気分になった。別れる前はずっと微笑んでくれていた。なのに、信頼関係を築く前の頼忠に戻ってしまった。もう二度と、あんな優しく、愛しそうに見つめてくれる日は来ないのだろう。
「貴女が釣りをなさるとは知りませんでした。」
「あぁ、一度だけです。釣りをしたのは。」思考を破られ、他の事、楽しい過去を思い返す事にした。「南の明王様の課題をしている頃、喧嘩ばかりしている朱雀の二人に何とか仲良くなって欲しくて。イサトくんが釣りをするって言ったから、彰紋くんと二人で教えてって強請ったの。」
「イサトに教えを請われたのですか。」
「と言っても、あの頃は全部やって貰ったんだけどね。餌探しから付けるのから針から魚を外すのまで全部。だからこんなに釣れるとは思っていなかったよ。運が良かった。」
「あの、ご自分で餌をお付けになられたのですか?忠直にやらせたのではなく?」
花梨の言葉に違和感を覚えて尋ねた。
「教えて貰ったの。でも、うん、自分で捕まえて付けたよ。気持ち悪かったけど、でも幼い忠直にやって、とは言えないから。」
顔を顰め、身震いしながら言った。あれは何度やっても慣れない。あの感触は忘れられない。だからこそ、釣れたのが嬉しかったし、楽しかった。今までで一番、美味しい料理となるだろう。
「そうですか・・・・・・。」
「頼忠さんはお料理出来るんですか?」
「いえ。狩りや釣りをした時は捕った獲物をその場で調理する事もありますが、空腹を満たすのが目的ですから。貴女のおっしゃる意味での料理は出来ません。」
「狩りって事は、動物をさばくって事ですか?」
「はい、そうです。」
生き物を殺すという話題は、少々躊躇いを覚える。嫌悪の表情を見たくは無く、視線をわざと逸らした。だが。
「それって技術が必要ですよね。凄いなぁ・・・・・・。」
花梨はスーパーのマグロ解体ショーを思い出し、感心したように呟いた。
「え?」
驚き、まじまじと見つめてしまう。だが、その視線をどう感じたのか、花梨は居心地悪そうに下を向いてしまった。
「お腹空いちゃった。私達も早く帰ろう!」
そう言うと顔を上げて走って行く。頼忠を置き去りにして。
「・・・・・・・・・。」
左手を見つめた。以前の花梨なら、この手を握り締めてくれた筈だ。そして一緒に走るように促してくれたのに。
空っぽの手を、冷たい風が吹き当てた。






注意・・・9〜10月頃か。