絆〜歩02〜



花梨が簀子に座って庭を眺めていると、忠直がちょこちょことやって来て隣に座った。
「てんにょしゃま、ごきぶんはいかがですか?」
「気分はとっても良いよ。」にっこり微笑むと、忠直は嬉しそうに笑った。「でも私、天女じゃないの。忠直くんと同じ人間だよ?」
「そうなの?」
「うん。」
花梨が頷くと、忠直は信じられないというような驚き顔で花梨を見上げた。大真面目に訊く。
「でも、ものがたりにでてくるてんにょしゃまよりもずっときれいだし、かわいいよ?」
「ぐっ!」一瞬詰まる。こんな幼い子供に褒められるとは。しかしこんな口説き文句、頼忠が普段言っているのだろうか?「でも本当、人間なの。花梨って呼んで?」
「かりん・・・・・・しゃま。」
「花梨『しゃま』?―――ぶっ!」噴き出した。「まぁ良いや。好きに呼んでね。」
「なんでかりんしゃまはわらっているの?」
不思議そうに首を傾げた。

『こっちこっち!』
『おい、見えるか?』
『あぁ、ここからならばっちりだ。』
若い男が数人、庭に植えてある花や木の陰から屋敷の中、簀子にいる女を覗き見していた。
『あれが、頼忠が一目惚れした女だろう?』
『華奢だなぁ。あんな細っこい女、見たこたねぇ。』
『肌が白いというより、真っ青ってな感じだな。病人みたいだ。』
武家の娘は健康が一番。そして外を走り回って育つのだ。何年も屋敷に閉じ込められていた花梨とは違う。
『でもさ、繊細な感じで守ってあげたくなるな。』
『あぁ。ほら、笑顔が可愛いし。』
『動きに気品があるよ。都会の女は皆こんなんなのかな?』
『どこかのお姫様なんじゃねぇーの?』
『え?頼忠の友人が誘拐して来たって事か?』

「ところで私、ここにいて良いの?」
「うん。ぼくがてんていしゃまのおちゅかいのひとにもらったんだもん。」
「はぁ・・・・・・。」
正気に戻った頼忠が、翡翠が花梨をここに連れて来たのだと教えてくれた。忠直への贈り物として置いて行ったのだと。だからと言って、このまま居着いて良いのだろうか?他に行く宛てなどどこにも無いが。
「てんていしゃまのおくりものだもん、たいせつにしなきゃおこられちゃうよ。それにちちうえがね、かりんしゃまはおちゅかれのようだから、げんきになられるようにおせわしなしゃいって。だからしんぱいしなくていいよ?」
「ありがとう・・・・・・。」
そう言われても、みんな一生懸命働いているのに、ただ一人のんびりしているのは落ち着かない。しかし閉じ篭った生活をしていたから体力が無い。この状態では足手纏いにしかならないだろう。元気になる方が先か。
「じゃあ、お散歩に行かない?」
「おしゃんぽ?」
「うん。わたしね、外を歩くのが大好きなの。それに忠直くんの好きな場所、知りたいな。」
「うん!ぼくのおきにいりのばしょ、おしえてあげる!!!」

『お?出掛けるみたいだな。』
『なぁ、付いて行くか?付いて行くか?』
『勿論!』
と、その時。
「誰の後を付いて行くって?」
「「「うわっ!!」」」
後ろから声を掛けられ、驚いた拍子に尻もちを付いた。
『何だ・・・頼柾か。脅かすなよ。』
頼忠の弟の登場に、慌てながらも言い包めようと頭を働かせる。
『ほら、出掛けるんだってさ。でも忠直と二人きりじゃ危ないだろう?お供に付こうかと―――。』
「必要無い。」あっさりと言った。「どうせこの辺りをうろつくだけだろう?危険なんて何も無いさ。それよりも棟梁に言い付けられた仕事は終わったのか?」
「うげっ!まだだ。」
突然思い出し、顔を顰めた。
「じゃあ、怒られない内に終わらせた方が良いんじゃないか?」
「ちぇっ!」毒付く。「お前な、頼忠に似るなよな!」
捨て台詞を残すとバタバタと走り去る。
「全く・・・・・・。」
簀子を見ると、もう二人はいなかった。

「あのねあのね、いまね、きれいなおはながしゃいているの。みにいこう!」
門を抜け、花梨の手を引っ張るように歩く忠直のはしゃいだ声が響いた。

「花梨ちゃんって・・・忠直の本当のお母さんなんじゃないの?」
仲良く歩いて行く二人を見送りながら呟いた。
頼忠、兄が河内に戻って来た時には驚いた。赤子を連れて来たのに妻はいなかったのだから。
「惚れていたんだろうなぁ・・・・・・。」
忠直を可愛がる様子からそれは分かる。瞳の優しさから、その女の面影を見つめているのだという事も。そんな女を兄が無理矢理襲うとも思えず、だったら両想いだったのだろうと推察していた。事情があって引き裂かれたのだろうと。
「折角再開出来たんだからさっさと結婚しちゃえば良いのに。何をモタモタしてんだろう?じれったいなぁ。」
頼忠は再婚話には興味が無かったのだから、今もその女に焦がれているのだろう。一度惚れた女をそう簡単に忘れる事など出来ない不器用な頼忠の性格を、友人が知らない筈が無い。女をあてがわれて喜ぶ筈の無い頼忠に預けたのだから、そんな頼忠が大切な息子を預けたのだから、花梨が忠直の母親だと想像出来る。確かに花梨は忠直の母親とは名乗っていない。名乗れない事情があるのだろう。だがここに置いていった以上、躊躇う理由が何処にあるのか?
生真面目、堅物、誠実。頼忠を表す言葉はたくさんあるが、恋愛に関しては押しが弱い。何時か、誰かが背中を蹴っ飛ばさなきゃいけなくなるかもしれない。
「良い歳して情けないよ、兄上。」
ため息を吐くと、頼柾は己の仕事に戻った。


「うわぁ。ここって一面お花畑だね。綺麗だわ。」
「うん!ぼく、てんにょしゃまがおすみになっているのはこんなところじゃないかっておもうんだ。だからかりんしゃまをつれてきたかったの。にあうとおもって。」
にこにこと嬉しそうに言う。
ありがとう、とお礼を言ったが、花梨は複雑な気分だった。この口説き文句、頼忠が普段言っているのだろうか。女性に。

「おい、頼忠。あそこにいるのは忠直か?」
頼忠の隣を歩いている男が眼の上に手をかざして遠くを見ながら訊いた。
「はい。」
「じゃあ、一緒にいるのがお前の友人が連れて来たという娘か。」
噂を聞いているのだろう、頼忠を見るとにやりと笑った。
「―――はい。」
落ち着かない気分でそっぽを向く。
「へぇ、珍しい。人見知りする忠直が随分と懐いているんだな。娘さんも忠直の事、気に入っているみたいじゃないか。本当の親子に見えるぞ。」
「若棟梁、剣の稽古をするのではなかったのですか?」
太刀を持ち直すと大股で道場の方に歩いて行く。慌てて棟梁の息子も後を追った。

「かりんしゃま、なにをしているの?」
花を摘んでは他の花と絡ませている。不思議そうに花梨の手元を覗き込んだ。
「お花を編み込んでいくとね、冠とか首飾りが作れるの。」
「ねぇねぇ、ぼくにもおしえて。つくりたい!」
瞳を輝かせると花を一輪摘んだ。
「はい、こういう風に持って。」自分が作っている花冠を忠直に手渡す。「そしてこれをこうして、ここにそれを絡ませて。」
忠直が持っている花を編み込む指の動きを手助けする。
「うんっと・・・こう?」
「そうそう。それを繰り返してごらん?」
「うん!」
花梨は小さな手がもそもそと不器用に動くのを微笑みながら見つめていた。

「お前さ、気に入っているなら行動した方が良いぞ?」頼忠の隣に追い付くと話し掛けた。「若いもんが大騒ぎしているの、知っているだろう?可愛い娘が来たってな。」
「・・・・・・・・・。」
「一生の内に恋は一度とは限らないんだからな。何も言わなくても忠直だって母親を欲しいと思っているぞ。甘えられる母親がな。」
「・・・・・・・・・。」
「―――全く、何をそんなに強情張っているのか。」返事もせずに厳しい顔付きの頼忠に挑むように言った。「それとも本当に興味が無いのか?それだったら俺が奪い取るからな。親が結婚しろと煩いんだ。俺だってお前と同じ歳で良い歳だし、そろそろ嫁を貰って落ち着こうかと真剣に考えているんだ。あの娘は子供好きそうだし、後継ぎを産んで育てて貰うにはぴったりだ。」
「・・・・・・・・・。」
「恋は早いもん勝ちだからな。動いたもん勝ち。」
言いたい事を言うと、男は頼忠を置き去りにして走り去って行った。
「若・・・・・・・・・。」

「もう花は摘まなくて良いよ。」
ある程度の長さになった時、花梨は忠直に言った。
「これであとはどうするの?」
「端と端の花を編み込むの。ちょっと難しいけど、やってごらん?」
「うん。」
頷くと、俯いて花を編み込んでいく。力加減が上手くいかずにもたもたと時間が掛かるが、それでも最後の一本が編み込まれた。
「かんせい!」
両手で大事そうに掲げる。
「どれどれ、見せて。」
手に取り、じっくりと調べる。ちょっと歪んで不恰好だが、それでも丁寧に作られたのは伝わる。花が全て外側を向いていてとても綺麗だ。
「凄い綺麗。」忠直に返しながら褒め称える。「うん、物凄く綺麗。」
「やったぁ♪」
はしゃいで喜ぶ忠直の頭を撫でる。
「こういうのは、女の子に贈るんだよ。」
「おんなのこ?」
「うん、女の子。好きな子とか気になる子、可愛い子にね。」
「じゃあ、かりんしゃまにあげる!ぼくのいちばんしゅきなおんなのこはかりんしゃまだから。」
ぱさりと花梨の頭に乗せた。
「・・・・・・・・・。」
「うん、にあう。かりんしゃま、かわいい♪」
満面の笑みで叫んだ。

立ち止まって考え込んでいた頼忠は、男の背中から遠くの二人に視線を移す。と、頭の上に花冠を乗せた花梨が泣いていた。そしてそんな花梨に忠直が何事か声を掛け、頭を撫でたり抱き締めたりしている。そして袖で頬を濡らしている涙を拭った。慰めているようだ。
「母親、か。花梨、貴女はこの河内で・・・・・・・・・。いや、無理だ。」
言葉を呑み込むと頭を振る。同時に想いも心の奥底に閉じ込めた。そして男の後を追って道場に急いだ。



夜、借りている離れの室に戻って来た花梨は、戸を開けて空を眺めていた。
「やっぱり、迷惑だったのかなぁ・・・・・・?」
翡翠が置いていった荷物の中に、深苑や八葉から花梨宛の文があった。それに、花梨が知らなかったあの時の状況が色々と書いてあった。出家するしないにかかわらず、花梨は自由にはなれないのだと。狙われる存在なのだと。八葉が手助けする事も叶わぬ、誰も知っている者のいない田舎に追いやられるだけだったと。だから、幸せになる事を祈って頼忠の元に送り届ける事にした、と。
「でも・・・誰も頼忠さんの都合って訊いていなかったんだね・・・・・・・・・。」
花梨が斎王を辞めたいと言ってからそんなに月日は経っていない。電話も電車、車もない無いこの世界では、相談出来る時間は無かった筈だ。そんな事情は理解出来るのだが。
身体を倒して横になった。
再開した時、頼忠は泣きながら花梨を抱き締めてくれた。力強く。だが、その後は忠直を側に来させたが、頼忠はほとんど話し掛けてこない。逃げ隠れ、はしていないが花梨を避けているのは分かる。時々考え込むような視線を感じる。
そして花梨は忠直の言葉に不安を感じていた。あんな口説き文句、3歳前後の子供が意味を知って使っている筈が無い。身近に使う人間がいるからこそ、自然と覚えたとしか思えないのだ。
「恋人がいるのかなぁ・・・・・・?」
恋人でなくても、遊び相手が。あれだけの容姿で人間性も良いのだ。女は群がるだろう。
顔だけ上を向いて月を見上げた。
「我慢して貰うしか無いか。」
昔の女、それも子供の母親が側にいるのは目障りだろう。だが、もう京に居場所は無い。行く宛てなどどこにも無い。花梨はここで生きていくしか無いのだ。頼忠が他の女と遊ぼうが、再婚しようが。
「忠直が私を慕ってくれただけでも・・・近くで成長を見守れるだけでも、うん、幸せだよね。」
瞳を閉じた。


その頃、頼忠も自室から空を眺めていた。
「綺麗に・・・なられた・・・・・・・・・。」
もう二度と逢えないと思っていた少女は、大人の女性へと成長していた。陽の光のように明るく愛らしい少女は、内面の美しさに加えて外見まで息を呑むほどの美しさを手に入れてしまった。瞳を奪われるほどの。視線を外せないほどの。
「誰も・・・花梨殿のお気持ちは訊いておられなかったのだな。」
翡翠が置いていったみんなからの文で、花梨の置かれていた状況が分かった。未だに手に入れたいと思う貴族が多い為、誰にも手出し出来ぬように八葉からも遠く離れた場所に監禁されようとしていたと。予算を搾取し、惨めな生活を強いていたとも。だからこそ、誘拐された事にして頼忠に託し、自由な生活をさせたいと。
「花梨殿の望みでは・・・無かった・・・・・・・・・。」
立てた片脚に顔を埋めた。
頼忠の一族は京と河内を行き来している。龍神の神子の噂も、多少なりとも入って来る。頼忠が八葉だった事は公にされなかったとはいえ、花梨が龍神の神子だったとバレる恐れのある話題は避けた方が良い。忠直の母親だという事は勿論、花梨が京にいたという事は。
それは兎も角。
伊予の海賊から頼忠の元に預けられた娘と、結婚してはならない理由は無い。だが。
「花梨殿に河内での生活は・・・・・・。」
武士の妻としての生活は力仕事も多い。花梨の世界では、京とは比べものにならないぐらい便利だったようだ。そして京では龍神の神子として大切に扱われていた。お姫様ではないと言っていたが、仕事に追われる生活はしていない。汗水垂らして働いた経験は無いのだ。
「花梨殿にそんな生活を強いる訳には・・・・・・。」
そう呟いた時、昼間の若棟梁の言葉が思い出された。
―――俺だってお前と同じ歳で良い歳だし、そろそろ嫁を貰って落ち着こうかと真剣に考えているんだ。―――
次期棟梁の妻なら。そう、棟梁の家ならば使用人が大勢いる。子供の世話をするだけの生活が出来る。辛い仕事で苦労する事は無い。それに、若は次期棟梁という立場に甘んじる事無く、厳しい鍛錬を己に課している。実力もあり、人望も高い。女関係は派手だったが、一人一人に対しては誠実だった。花梨の夫として、頼忠よりも相応しいのではないか。
心は拒絶するが、頭で納得すると眼を閉じた。