絆〜反06〜



翌日、緊急会議が開かれた。
「賊の一人も捕らえられないとは、検非違使は一体何をやっていたのだ!?」
宮の大納言が喚いた。
「賊は京に住む輩ではありません。」幸鷹は落ち着いた声で答えた。「それは遭遇した方々の、耳慣れない言葉、方言を使っていたとの証言から判明致しました。賊は宮の大納言邸を襲う計画を立て、念入りに調査、準備し、逃走手段も考えた上で、地方から京にやって来たのです。しかも祝宴が開かれて大勢の人が集まっていたのに変更する事無く襲いました。これは明らかに個人的な恨みによる犯行です。心当たりはありませんか?」
「なっ、己の責を私に負わせるつもりか!?」
「しかしながら、他の屋敷には目もくれなかったのでしょう?」宮の大納言とは仲の悪い大納言が意地の悪い笑みを浮かべながら言った。「とても鮮やかな犯行で、怪我人は一人も出なかったそうですね。そんな優秀な、申し訳ありません、それしか言いようがありませんから。その優秀な賊が、折角京にまで出て来たのに他の屋敷も襲わずに帰るとはおかしいではありませんか。」
「そうそう。」宮の一人がくすくすと笑いながら言った。「大納言殿、賊に連れ去られたそうですね。真っ裸に引ん剥かれて道端に捨てられて。しかし風邪は召されなかったようですね。良かったですね。」
室全体に低い笑い声が広がった。
「っ!」
顔が怒りと恥ずかしさで真っ赤に染まる。
「兎に角。」幸鷹が怒鳴り散らそうとした宮の大納言を遮って言った。「賊はもう逃げていて、京にはいないのです。京を出た辺りでは激しい雷雨があり、足跡は残っておりません。何処に逃げたのか分からなければ。」肩を竦めた。「調べようがありません。」
宮の大納言は多くの貴族に恨まれ、嫌われている。味方をする者はおらず、その議題はすぐに終わりを告げた。


「脅しの文が届いております。」再び幸鷹が報告をする。「龍神の神子を無事に返して欲しくば、10000石分の米を用意せよ、と。」
「「「おぉ〜〜〜!」」」
どよめきが上がった。
「しかし、用意したところで神子が無事に戻って来られるのか、保証は無いのですよね?」
大臣の一人が尋ねた。
「はい。この文には神子を手に入れたという確かな証拠は添えられておりません。そして具体的な方法なども一切書いてありませんから、断定出来ません。」
「ならば用意する事は出来んな。」
先ほどの事を根に持っている宮の大納言が突き放すように言い放った。
「な、大納言殿!?」彰紋が悲鳴を上げるように叫んだ。「京をお救い下さった神子をお見捨てになるのですか!」
「向こうの要求は10000石の米、今の財政ではそんな余裕はありません。」
「しかし―――。」
「感謝の念は十分持っているつもりだ。」横から右近衛府大将が言った。「だが、神子を連れ去った賊と、この文を書いた者が同じとは限りません。神子が誘拐されたとの噂を聞いた不届き者がこの混乱に乗じて、との疑いは拭いきれない。」
「そ、それは確かに・・・・・・。しかし―――っ!」
「建物も橋も、あちこちが壊れているのですよ?今の財政状況では、神子を救えるのかも分からぬこの出費は難しい。」
「・・・・・・・・・。」
武人だが賢いと評判の高いこの大将の説明では、反論は難しい。みんなが沈黙した中、控え目にだが縋るような瞳で泉水が口を挟んだ。
「あの・・・、少納言殿が襲われたのです。賊を捕らえて―――。」
「それも。」パチリと扇を打ち鳴らし、左近衛府大将が泉水の言葉を止めた。「先ほどの別当殿の言葉、ですよ。この神子を誘拐した賊も地方へと逃げたそうですね。しかもばらばらに。京に舞い戻っていないとも限りませんが。」肩を竦めた。「そちらでも雷雨で賊の痕跡は流されてしまったと聞きました。何処へ逃げたのか見当が付かなければ調べようが無いのではありませんか?」
「少納言殿は重傷を負っております。犯人を捕えなければなりません。」
「しかし責任者は少納言殿でしょう?」右近衛府大将が幸鷹の眼を見据えた。「武士さえも排除したのは少納言殿です。満足な警護も付けずに出発したのは彼の責任ですよ。しかも京職や別当殿の護衛の提供を拒んだそうではありませんか。これはもう、ご自分で責を負うべき事です。」
「・・・・・・・・・。」
さすがの幸鷹も黙ってしまった。守るべき少納言の父である大納言は急病を理由に欠席していた。そして舅である関白殿、従兄弟である右大臣、そして帝さえも沈黙したままでは他の者も何も言わない。神子の行方を捜す命令も出せぬまま、この議題も終わりを告げたのだった。



「少将殿。」幸鷹は会議が終わるとすぐに検非違使の部下、少将の側に寄った。「これは非公式です。表立って動く事は出来ませんが、調べては頂けませんか?」
「神子様を連れ去った賊の方ですね?」
幸鷹は八葉だった。神子への忠誠は、半端ではない。放って置く事など出来やしないのは理解出来る。険しい顔の幸鷹に尋ねる。
「えぇ、そうです。京をお救い下さった神子です。このまま見捨てる事など、出来ません。」
「何か手掛かりでもあるのですか?」
「女房の一人が誘拐の手助けをしたようです。その女房を調べて下さい。」
「分かりました。」
手渡された書類をパラパラと捲り、何処から調べるべきか考える。そして頷くと、その場を立ち去った。



右近衛府大将は会議が終わるとすぐに退出した。屋敷に到着すると、足早に自分の室に駆け込む。
「上手くいったようだな。」
室の中にいた男に声を掛けると、男は笑みを浮かべた。神子一行に従者として付き添っていた男、賊に襲われて神子が連れ去られたとの報告をした者だ。
「神子は無事、彼の者の手に渡りました。」
「で、少納言は?」
「賊に襲われた時の混乱で重傷を負って御座います。特に顔の傷は深く、残るでしょう。それら以外にも酷い怪我を負っておりますから、生命は助かると思いますが、そう簡単に京には戻って来られないと思われます。」
「他の者は?」
「誰一人として掠り傷一つ負ってはおりません。いえ、一人だけ。少納言を蹴り倒した者の足に痣が一つ。」
にやり。
「そうか。ご苦労であった。」
眼が細まり、安らいだ表情に変わった。
「あの、賊の探索は・・・・・・?」
「賊を捕えたら少納言の落ち度も問う事になる。舅の関白殿の顔に泥を塗るような真似は致さん。お父上の大納言殿もお見捨てになられたから探索などしない。」
「そうですか。」こちらも安堵の表情に変わった。「これで・・・姫様も浮かばれますよね。安心して眠れますよね・・・・・・。」
「あぁ。そうだな・・・・・・。」
「良かった。本当に良かった・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
少納言に苦しんだまま亡くなった姫君の兄と乳兄弟の男は、物思いに耽りながら風で揺れる庭の花を見つめていた。



検非違使少将は、前の警備責任者で現在京職の勝真の元に話を聞きに行った。
「神子の行方は捜さないんだってな。役目は終わったから、あいつはもうどうなっても良いって言うのか!?」
勝真は苛立ちを隠さずに喧嘩腰の態度。だが、少将が検非違使別当の命で動いているのだと説明した途端、態度をがらりと変えた。
「連れ去られた時に側にいた女房?いや、俺は全員知っていた訳じゃない。だが、あいつの側にいた女房は神子時代から世話をしていた者だ。信頼出来る。その他の者は別当殿が選んで連れて来た者だ。幸鷹殿に訊いてくれ。」
「しかし別当殿はご存じ無いようですが?」
下級貴族の勝真の無礼な言葉使いにも大目に見る。この男も別当殿と同じ八葉だったのだ。神子が誘拐された事への怒りは相当なものだろう。自分が警備責任者であったならばこんな事にはならなかった、との思いは、もしかしたら別当殿よりも激しいかもしれない。
「そうなのか?」眉を顰めた。「だったら星の一族に訊いたらどうだ?神子の側に置くかどうかは星の一族が決める事だからな。」


という訳で、少将は勝真に殴り掛かられずに済んだ事に安堵しながら次は四条の屋敷、神子の一番近くにいた紫姫の元を訪れた。
「その女房は、紹介状を持っていたのです。」
「誰のですか?」
「あの、少納言殿ですわ。」
御簾の奥にいる紫姫は袖で口元を隠しながら困ったように言った。そして側にいた女房に頷いた。
「え?」
「ですから、新しく神子様の警備責任者となった少納言殿の紹介状です。神子様をお守り下さる少納言殿が推薦して下さったのですから、私共は安心していたのです。神子様もそうお思いだったようで、すぐにお側に召して色々とお話ししておりました。」
先ほど紫姫の側にいた女房が一通の文を御簾の下から少将の眼の前に滑らせ押し出した。
「確かにこれは少納言殿の筆跡ですね。」
「まさか、まさか少納言殿が神子様に害を為す者を寄越すとは思ってもいなかったのですっ。」
袖で顔を覆うと、突っ伏して泣き始めた。
「姫様・・・、大丈夫ですわ。神子様は龍神様の御加護がおありの方です。絶対にご無事ですわ。」
慰める女房の方も大泣きである。
「神子様、神子様・・・神子様ぁ!!」
「姫様・・・・・・っ!!」
「・・・・・・・・・。」


まだ幼さの残る姫を泣かせてしまった罪悪感に苛まれながら、次は少納言の屋敷を訪れた。と言っても、少納言は京にはいない。友人や従者などの取り巻き連中に話を聞く。
「あぁ、あの女ですか。」
顔を見合わせ、居心地悪そうに身動ぎした。
「神子斎王の御所で働き出す前は、この屋敷で働いていたのですか?」
「いえ・・・。」
「あの・・・。」
「はっきりとおっしゃいなさい!」
もごもごと言葉を濁す男達に苛立ち、怒鳴りつけた。
「少納言殿が神子斎王御所の警備責任者となった後です、出会ったのは。」一人が諦めて話し出した。「市で知り合ったのです。少納言殿とぶつかった拍子にその女が足首を捻ってしまって。中々の美人でしたから、少納言殿は怪我の治療をしている間に色々と話をなさっておりました。」
一人が話し出すと、他の者も口を開いた。
「少納言殿が神子斎王御所の警備責任者だと名乗ると、その女は京を救った神子様を見てみたいと、紹介してくれと、そう言ったんです。」
「そんな見ず知らずの女の紹介状を書いたのですか?」
「はぁ、まぁ、その・・・。」
少将が睨むと眼を伏せた。代わりに他の者が話し出した。
「平家の屋敷で働くのだと言っていたんです。だから。」
「それが何だと言うのです?」
周りの者と目配せして相談していたが、一人が頷くと覚悟を決めて顔を上げた。
「実は少納言殿は今、平家の姫君にご執心なのです。ですから、その・・・手引きをする約束をしてくれたので、つい、ね。」
「・・・・・・・・・。」
「ほんの数日、神子様にお会いする機会を得たらすぐに辞める予定だったのです。あんな尼寺へ一緒に行くとは知りませんでした。」
「・・・・・・・・・。」
こんな警戒心の欠片も無い男を警備責任者としたのか。正直、大怪我したのは少納言の自業自得としか思えない。だが、神子は・・・・・・・・・。
『運が悪い、で片付けられんな・・・・・・。』


神子の供をしていた者達が京に戻って来た。少将は賊に関する情報を得られるのでは無いかと期待し、話を聞きに行った。
「人気(ひとけ)が無いところからいきなり矢が飛んで来たのです。少納言殿は馬から落ちて。」
「えぇ。それで混乱してしまって。」
「乾燥していたので少納言が落ちた衝撃で砂埃が舞い上がって酷かったんです。それで咳き込んでいる時に賊が馬で突っ込んで来て。もう、眼も開けられない状態でどんな姿だったのかと訊かれても。」
「少納言殿以外、お怪我された方はいなかったのですか?」
「はい。」
「どうしてです?」
「・・・・・・・・・。」
その質問をした途端、みな視線を逸らしてしまった。賊が怖くて逃げた、と白状したようなものだ。
「分かりました。どうもありがとう御座いました。」
解放すると、それぞれ逃げるように去って行く。その後ろ姿を見ながら少将は大きなため息を漏らした。少納言は何故あんな役立たずばかり選んだのだろう?役目が終わった神子など、もう価値は無いと勝手に判断したのだろうか。襲う者などいないと。少納言がボケナスなのは知っていたが、ここまで馬鹿だったとは。
「神子誘拐は、簡単だったのだな。」



数日後、少将は検非違使別当に報告をした。
「働く予定だったという屋敷にも確認して来ましたが、そんな女は知らない、との事でした。女房にも下働きにも新しく雇う予定は無いと。」
「そうですか。」
報告書を見ながら話を聞く幸鷹の顔色が悪くなっていく。
「何処から来たのか、何処に消えたのか、全く分かりません。この女の手がかりは何もありません。」
「・・・・・・・・・。」
パサリと書類を投げ置くと、眼鏡を取り、肘を付いた片手で頭を支えた。
「この誘拐は前もって計画され、計算尽くされたものである事は明白です。しかし少納言殿の計画は会議で報告されましたから、殿上人ならばみな知っております。片棒を担ぐ事は誰でも可能ですから、これは手掛かりとなりません。」
証拠どころか疑いさえ無いのだ。これでは身分ある者達に取り調べなど出来ない。非公式なのだから尚更。
「念の為、町で聞き込みをしてくれませんか?何か気付いた事でもあるかもしれませんから。」
「分かりました。」
町内の噂も既に調べており、渡した報告書には何も無いと書いてある。しかし悪足掻きのような命令にも反論せずに承諾した。神子、及び彼女を慕う者達を気の毒に思いながら。



一人になった幸鷹は何度も報告書を読み返していた。
「さすがですね・・・・・・。」
女に関する情報は全く出て来ない。本当に存在していたのかと疑いたくなるぐらい、完璧に。この計画を立てたのは幸鷹自身だ。だが、実行したのは翡翠。そのあまりの鮮やかな手口に舌を巻いていた。
「探索はもう少しの間続けましょう。」
少将が噂を広めるまで、ほとぼりが冷めるまで、もうしばらくは。呟くとパタンと報告書を閉じた。






八葉が神子をあっさり見捨ててしまったら、その方が怪しいですものね。

さて次は『―――絆〜歩〜―――』、花梨の行方、です。

2007/01/28 02:42:46 BY銀竜草