絆〜反05〜 |
内裏で仕事をしていた幸鷹の元に、宮の大納言邸が火事との知らせが入った。 「分かりました。急ぎましょう。」 部下の者を引き連れ、駆け付ける。だが、燃えた痕跡は何も無い。しかし、新築の屋敷は荒らされて見る影も無い。 「一体何があったのですか?」 その場にいた者達に話を聞く。 「煙が凄かったのです。だから火事かと思って逃げたのですが・・・・・・。」 「盗賊でした。」言い澱んだ者から引き継いで、女房の一人が捲くし立てるように言った。「煙だけ出して混乱したところを金目の物を略奪して行きました。私達の衣も剥ぎ取って行きましたのよ。」 「厩の中が空っぽです。賊は馬を盗んで行きました!」 この屋敷の厩舎人(うまやとねり)が叫んだ。 「別当殿!」 たまたま祝宴に招かれていた部下が頭に蜘蛛の巣をくっ付けて走って来た。そして壷を差し出した。 「何です、これは?」 「10個ほど床下に置いてありました。紙くずを燃やして煙だけ出したようです。しかし大量の煙だったので我々は火事だと勘違いしてしまったのです。」 「そうでしたか。」頷いた。賢いやり方だ。火など点けなくても煙だけで十分混乱するだろう。その隙に金目の物を選んで盗める。「で、宮の大納言殿は?」 「は?」 「ですから、宮の大納言殿はどこにいらっしゃいますか?」 「えっと・・・・・・?」 周りの者達と顔を見合わせ、そして首を傾げた。 「宮の大納言殿を探しなさい!もしかしたら誘拐されたのかもしれない。敷地内だけでなく町中もくまなく探しなさい。」 指示すると、幸鷹は屋敷の中に入り、狭い隙間にでも押し込められていないか探す。 「宮の大納言殿は見付かりましたか?」 「いえ、敷地内にはおりません。」 「そうですか。では、やはり連れ去られたようですね。全員、外を探しなさい。」 そう指示すると、幸鷹も屋敷の外へ出た。 「帝!大変です!!」 夜も遅く、既に月は傾き始めている。そんな時間に蔵人頭が清涼殿に走り込んだ。 「何事だ。騒々しい。」 彰紋、泉水と話していた帝は顔を顰めた。 「神子様御一行が賊に襲われ、神子様は連れ去られました!」 「何ですって!」彰紋が顔色を変え、蔵人頭に詰め寄った。「どういう事です!?」 「あ、あのですね。」動揺して声が震えている。「京を出た辺りまでは順調だったようです。しかしそこを過ぎた所、河陽宮の側に賊が待ち構えていて・・・人気がいなくなった時に襲って来たのです。」 「そ、それで?」 真っ青になった泉水が急かす。 「供の者を蹴散らすと、車の中の神子様を抱えて逃げて行きました。付き従っていた女房が手引きしたようです。この女房も逃亡致しました。」 「少納言はどうした?」 「瀕死の重傷を負っているようで、近くの民家で休んでおります。無事だった者が少納言の乗っていた馬で報告しに戻って参りました。」 「もっと詳しい情報が欲しい。調べよ。」 「畏まりました!」 再び飛び出して行った。 「検非違使別当を呼べ。」 「いえ、それが宮の大納言邸が賊に襲われた模様で、既に出払っております。」 「宮の大納言殿が行方不明との報告があり、検非違使総出で捜索しております。」 騒ぎを聞きつけ駆け付けた右近衛府の者達が言った。 「では代わりに兵衛府か近衛府の者達に捜させ―――。」 「それはなりません。」入って来た男、右近衛府大将が言った。「この騒ぎの本当の目的が、帝を害する事で無いとは言い切れません。今、内裏内の警備を手薄にする事は出来ません。反対に厳重にするように命令致しました。」 「うむ、しかし―――。」 「院、そうです、院にお願いを致しましょう。」俯いていた泉水がぱっと顔を上げた。「院は神子に大変な恩義を感じております。神子の為に武士団の者をお借り出来ないか、お頼みしてみます!」 そう言うが早いか、室を飛び出して行った。 「お願い致します。」 飛び出して行く泉水の背に、彰紋が声を掛けた。 「神子の無事を祈ろう。」 「はい・・・・・・・・・。」 座り込んだ彰紋を、帝はじっと見つめていた。 幸鷹を始め、検非違使の者達が全員、宮の大納言邸から出て行った。そして残された者達がこの惨状を皮肉な目つきで見ていた。すると突然、闇を切り裂くように大きな声が響き渡った。 「この巻物は私の妻の形見だ!貸してくれと言ったから貸したのに、何時まで経っても返してくれなかった物だ。」 賊が一旦盗んだのに、逃げる時に落としたのだろう。それを拾い上げると悔しそう抱き締めた。 その公達の様子を見ていた者が屋敷の中や外に散らばっている調度品、道具類を見回し、拾い上げた。そして次々と怒りの声が上がった。 「この袿は私から奪い取っていった反物から作ったのだろう。唐渡りのとても珍しい色合いだから分かるよ。」 「この囲碁の道具は妻が懐妊したお祝いに特別に作らせた物だ。宮の大納言の野郎は産まれたのが男じゃなくて姫だからいらないだろうと奪い取って行ったんだ。」 「この花瓶は私が国守をしていた頃に貰った物だ。その土地の名産品でお気に入りだったのに。」 「私の祖父が何かの宴の時に琵琶を演奏したんだ。これはその時に褒美として帝から拝領した琵琶だ。」 奪われた屈辱感、返せと言えない悔しさ。それが現実に品物を見て一気に爆発した。 「返して貰おう。」 一人がそう言うと、他の者も釣られて頷いた。 「そうだな。」 「元々は私のだし、文句は言わないだろう。」 慎重に拾うと抱えるが、持ち主が不明な物も早い者勝ちで拾い集める。貴族が地面を這いつくばっている光景はなかなかの見物だ。 その内に一人の公達が怒りに燃えた眼で見つめていた御簾を引っ張り破いた。 「どうせこの屋敷は俺達から略奪して集めた金品で建てたんだろう。」 それを見た友人の公達は、他の友人と顔を見合わせた。そしてそれぞれ石や棒切れを持ち出し、壁や戸を打ち壊し始めた。 ボキッ!! ガツッ! ガシャン!! 「なぁ・・・・・・。」 「うん・・・・・・。」 その、木が折れる音、陶器が割れる音は、その場にいる未だ酔いが覚めていない者達を異常な興奮状態にした。 「うおぉぉぉぉぉ!」 「おりゃあーーー!!」 バリバリッッ!! グシャ! ガリガリガリ!! 有り余るエネルギーを発散させるべく、邸の中を破壊し始めたのだった。 「そろそろ良いかしら。」 塀の外は走り回る人や馬の足音で騒がしい。だが、邸内はみな眠ったようで静かだ。千歳は妻戸を出た。 「綺麗だわ。」 空を見上げれば、月が輝いている。迷惑なほどに。千歳は手を胸の前で組み、眼を瞑った。そして祈る。 『黒龍様、お願い。京の外に雨を降らせて。白龍の神子を救った者達の痕跡を、洗い流して!』 シャン・・・。 シャ・・・シャン・・・・・・。 ゴロゴロゴロ。 「黒龍様、ありがとう・・・・・・。」 ゴロゴロゴロ。 遠くから微かに雷が鳴り響く音が聞こえる。 ピカッッ!! ドドーーーン!! 遠くの空が光ったのが見えた次の瞬間、地響きが伝わって来た。 「そうか。」 院の元を辞した泉水はその足で四条の屋敷を訪問した。そして報告を受けた深苑はただそう呟いただけだった。とそこに、イサトがやって来た。 「京中、大騒ぎだぜ。」 「どのような様子だ?」 「宮の大納言邸が盗賊に襲われたんだ。大量の煙を出して混乱させ、その隙に、てな。鮮やかなものだぜ。怪我人は一人も出なかったようだ。今、幸鷹と勝真が賊を追っているよ。だけど盗んだ馬に乗って逃げたんだ。のんきに京をウロついている筈がないさ。」ニヤリと笑った。「で、そっちは?」 「神子が賊に襲われ、連れ去られたとの報告がありました。」 訊かれた泉水が答える。 「大丈夫か?」 「そろそろ泰継殿が戻られるかと―――。」 「神子は無事だ。」 泉水の言葉が終わらない内に泰継が現れ、言った。 「そうか、良かった。」 ほっと、みんなの顔に安堵の笑みが浮かんだ。 「だが、向こうは天候が悪い。式神が壊れた。」 「え?」 「しかし翡翠殿ですから大丈夫でしょう。」 泉水が微笑んだ。 「そうだな。無事に着けば文を寄越すと言っている。問題無いだろう。」 楽観的過ぎる気もしなくは無いが、泰継同様翡翠にも失敗という言葉は想像出来ない。 松明の明かりだけで探すのは難しい。それでも走り回る。 「幸鷹殿!」 北の方角を調べていた勝真が馬に乗って駆けて来た。 「勝真殿。何か分かりましたか?」 勝真は幸鷹のすぐ側まで来ると、馬から降りた。 「お前は京職の者だな。」 検非違使の者が嘲るように呟いたが、勝真は無視した。 「賊は盗んだ馬に乗って逃げたようです。既に北から京を脱出したとの報告がありました。見て参りましたが、向こうは嵐です。足跡など痕跡全てが既に洗い流されてしまっております。」 「そうですか。で、宮の大納言殿は?」 「見付かりません。今、馬が何処を通ったのか、聞き込みをしております。」 話しながら歩いていると。 「うぅぅぅ・・・・・・。」 何処からか、微かな唸り声が聞こえた。 「何です?」 「何処からでしょうか?」 逃げ遅れて怪我を負った賊の一人かもしれない。警戒しながら見回す。 「ぁうぅぅぅ・・・。た、助けてくれ・・・・・・。」 再び声が聞こえた。 「誰です!」 鋭い声で詰問しながら崩れた門の陰を覗く。すると、影が動いた。 「べ、別当殿か?」 縮こまっていた身体を起こし、顔を上げた。 「私を知っているのですか?あなたは誰です?」 真っ裸のスッポンポン。沓も帽子も無く、髪は乱れ、全身泥で汚れていた。怒りと恥ずかしさで真っ赤になり、手で大事な部分を隠している。 「私だ。」 「私とは誰です?」そう尋ねたが、一瞬間が空いた後、気付いた。「まさか、宮の大納言殿!?」 「大声で呼ぶな。」 「そ、そのお姿は・・・・・・。」 言葉が出ない。呆気に取られ、じろじろと無遠慮に見つめてしまう。と、宮の大納言は顔を歪めた。 「何か着る物を寄越せ。早く!」 「申し訳ありません。」 勝真は一番上の衣を脱ぐと、宮の大納言に手渡した。それをもそもそと着ている間に幸鷹が部下に車を手配するよう頼んだ。 そして屋敷に送り届けたのだが。 「な、何だこりゃあ!?私の屋敷がっ!!!」 「これは・・・・・・。」 宮の大納言は喚き、幸鷹は絶句した。幸鷹達、検非違使の者達が立ち去った時、酷い有様だった。だが、まだ屋敷と呼べる状態だった。それが今は、廃墟。 「ぐわぁ〜!がるるぅぅぅぅ!!おごごごご!!」 意味を為さない言葉でただ喚いていた。 |
式神って紙ですよね。そうすると、雨に濡れると使い物にはならなくなる、という事でしょうか?―――あれ?景時の式神は水の中に潜ったんだから大丈夫なの? この時代の寝殿造は大変高価ですが、上級貴族の年収も莫大なので、精神的な事は兎も角大した被害とは言えない模様。残念・・・・・・。 |