絆〜反03〜



四条の屋敷には、定期的に八葉が集まっていた。経過報告や相談など、話し合う事は多い。
「翡翠は来ないのか?」
八葉の一人が欠けている。全員の顔を見回した後、深苑が訊いた。
「部下の者を何人か呼び寄せるようです。その手配をするのに忙しいと言っておりました。」
幸鷹が答えた。
「そうか。」
八葉だけでは手が足りない。顔の知られていない余所者の協力も必要だ。それには翡翠の海賊の頭との立場は役に立つ。小さく頷くと、話を始めるように促した。


この日の報告は幸鷹だ。
「神子殿が静養なさる尼寺が決まりました。伊勢国の端にある尼寺です。厳密に言えば尼寺ではなく、あるお方のご領地ですが。」口籠もるようにぼそぼそと話す。「少納言殿が京内の寺を選ぶとは思っておりませんでしたが、まさか此処とは・・・・・・。」
「伊勢って言えば、あそこにも斎王がいたよな。まさかあそこじゃないだろうな?」
幸鷹だけでなく彰紋、泉水までが厳しい顔付きだ。イサトが訊いた。
「えぇ、勿論そこではありません。そこから更に奥、海の近くにあります。」
「海の側か?ちょっと遠いな。」
「はい。気軽に訪問出来るような距離ではありません。どんなに急いでも日帰りは無理でしょう。」
「下っ端貴族の俺では京を離れる事自体が難しいな。」
「オレだってそんな余裕は無い。」
勝真が言えば、イサトも顔を顰めた。働かなければ喰えない。いくら花梨に会いたいからって生活の保障が無ければ無理だ。
「いえ、問題は距離ではないのです。」持っていた書類の束を膝の上に置いた。「そこでは先先帝の妃だった方が出家なさって修行を続けておられるのです。」
「何が問題なのだ?」
泰継が訊いた。
「その妃だった方と言うのは、実は、不祥事を起こして失脚したある貴族の姫君なのです。失意の内に出家され、俗世間と離れた生活を送っている御方ですから、いくら帝の許可を得たからと言って我々が訪問する事など出来ません。」
「兄弟に当たる方のご訪問もご承知なさらないと聞いた事があります。僕達では尚更その方の許可は頂けないと思います。」
彰紋が補足する。
「隔離する場所が変わっただけか。」
勝真がため息を吐いた。
「はい、今度は僕達からも完全に。」
「龍神の神子に相応しく格式のある寺だと、少納言殿はおっしゃっております。しかし我々八葉を近付けない事が目的だという事は明白です。」
満悦の表情で説明する顔が、自画自賛するような話し方が憎らしい。八葉を見る眼つきが勝ち誇っているのが。
「少納言殿には、どんな手を使おうとも神子を自由にするつもりはありません。神子の望みを叶える方法は、最初から幸鷹殿の案以外になかったと言う事です。」
彰紋、幸鷹が怒りの籠もった口調で言うと、泉水は胸に手を押し当て哀しげに俯いた。
「そうか。そこまで神子を蔑ろにするなら、良心を痛める必要など何処にも無いな。」
「「あぁ。」」
「「はい。」」
「そうですね。」
「そうだな。」
深苑がみんなを見回すと、全員決意に満ちた表情で頷いた。



「お頭。」
翡翠が世話になっている屋敷に調べ物を頼んだ部下の男が戻って来た。
「で?」
「亡くなった大将てのは、素行の悪い婿の尻拭いに追われての心労で亡くなったみたいですね。で、姫君も後を追うようにすぐ。右近衛府大将の位は息子が継いでいます。姫君の兄ですな。歳は離れていやすが、仲はかなり良かったようで、少納言がこの役目を果たせば大出世するとの噂を聞いて激怒していますよ。」
「ふ〜ん・・・。」
「で、関白殿の末姫ですが、父親には内緒で将来を約束していた相手がいました。内大臣の子息でこちらは大納言ですな。」
「ほう?」
「承諾を得ようとした矢先の出来事だったようです。今も文を贈り続けているようですが、返事は貰えていません。」
「そうか。」
一言呟くと天を仰いだ。関白殿の末姫は、神子殿と同じ状況だったのか。一つ間違えば、花梨が同じ立場に陥っていた。だが、花梨には危険を知らせてくれる優しい人がいて、守ってくれる八葉がいた。
「ちょっと出掛けてくるよ。」
「あっと、もう一つ。」
立ち上がった翡翠の背に、慌てて声を掛ける。
「ん?」
「狙っている姫君が分かりやんした。平家の姫君です。家柄は大した事ありませんが、院のお気に入りとの事。あ、念の為言っておきますが、愛人ではありません。そして兄は少納言がなる前の神子斎王の警備責任者でした。」
「ほう?」
瞳がきらりと光った。
「この姫の周りでは怪異がよく起こるらしく、調べ物ははかどらず、少納言は苛立って部下の者を怒鳴り散らしていますよ。」
「そうか、分かった。」
残忍な笑みを浮かべると部下の男を労うように頷いて見せた。そして、髪を靡かせ優雅に歩き出した。



「兄から聞いたわ。」
見舞いと称して花梨の元を訪れた千歳は、ただそれだけ言った。
「うん。」頷いたが、すぐに首を傾げた。「反対するなり心配するなり、何か言わないの?」
「私は貴女の対だもの。」あっさり言った。「でもそうね、言いたい事があったわ。」花梨の両手を取った。「遅かったわね。もっと早く決断すると思っていたのに。」
「え?分かっていたの?」
驚きのあまり声が翻(ひるがえ)った。
「もう。貴女が諦めの悪い人だって事、私が一番良く知っているのよ?こんな所に閉じ込められて泣いて暮らしているなんて、その方が信じられないわ。」
優しく抱き寄せると、花梨は素直に身体を預けた。
「うん・・・・・・。」
「貴女は白龍の神子。自分を信じて、八葉を信じて前に進みなさい。」
「うん・・・・・・。ありがとう・・・・・・。」
ぽろぽろと涙を流す花梨を何時までも優しく抱き締めていた。


「ところで。」泣き止んだ花梨の顔をじっくりと眺める。「貴女、元気そうね。」
「うん。絶対に自由になってやるって思っただけで気分が違うの。病は気からって言うのは本当なのね。」
「それは良い事だけど、でも困るわ。」
「何で?」
「病気療養の為、で、ここから出るのでしょう?こんな元気な病人はいないわ。」
「あっ!」しまった、とも思ったが。「でも、誰に会う訳でもないし、大丈夫じゃない?」
「気配で分かってしまうわよ。」呆れて花梨の手を軽く叩いた。「それに神子斎王の外出なんだから警備やお供で多くの者が集まるのだし、何処の誰が垣間見するかも分からないでしょうに。」
「泰継さんに大人しくなるような呪いを掛けて貰おうか?」
「駄目ね。」あっさり否定。「殿方には会えないわ。」
「じゃあ、薬草か何かで一時的に気分を悪くなろうか?」
「貴女が困るでしょうに。苦い薬湯は駄々を捏ねて飲んでくれないって紫姫が泣いていたわよ?」
「うっ!」
側で聞いている紫姫が控えめに微笑んだのに気付き、頬を紅くして俯いた。
「そうね。黒龍様に頼んでみようかしら。」
しばらく考えた後、言った。
「どうするの?」
「貴女の気を静めて貰うの。生気の無い、ぼんやりとした状態に見えるわよ。私は怨霊達と会話をしていたのだけど。」
「そんな事出来るの?」
「貴女の気は私と似ているから受け入れられるわ。一時的でそれほど持たないけど、でも移動する間だけだから十分でしょう。」
「ふぅ〜〜〜ん・・・・・・・・・。」
あまり良く分からないが、まぁ千歳が言うのだから大丈夫だろう。
「2、3日前に紫姫に合図の文を送るわ。気が付いたら全てが終わっているわよ。」
紫姫に眼で確認すると、紫姫が分かりましたと言いながら頷いた。
「うん、分かった。でも私の事なのに、私は何もやらなくて良いの?」
落ち着かなさそうに、申し訳なさそうに言うが、千歳は首を振った。
「気にする事は無いわ。迷惑を掛けているのは勝手な都合で閉じ込めた私達の方なんだから。これぐらい貴女の為にやらせて頂戴な。」
「そう?じゃあ、そうさせて貰うね。のんびりしているよ。」
「そうそう。自由になってからの予定でも立てていなさい。」
苦笑する花梨に微笑んだ。だが。
『幸せになってね。花梨、私の親友・・・・・・。』
こっそり呟いたその言葉は、花梨の耳には入らなかった。



四条の屋敷では、再び八葉が集まっていた。
「翡翠は今日も来ないのか?」
八葉の一人が欠けている。深苑が訊いた。
「部下の者が京に着いたんだ。指示するのが忙しいと言っていた。」
勝真が言った。
「もう京に着いたのか?まさか飛んで来たんじゃないだろうな!?」
伊予は遠い。正直、間に合わないと思っていたイサトは驚き、叫んだ。
「さすがに空は飛べないさ。代わりに不眠不休で船を飛ばしたんだと。」
「翡翠殿の船よりも早い船は恐らく無いでしょう。」
と、幸鷹が付け足した。
「翡翠殿が海賊なのは存じておりますが、そこまでとは知りませんでした。凄いのですね。」
泉水が眼を丸くして言った。


「それで。」幸鷹が内裏の中で手に入れた情報を報告し始めた。「宮の大納言殿は完成した屋敷に移る日取りを占うようにと安部家に依頼致しました。しかし、少納言殿は安部家ではなく、賀茂家に神子の出発の日を占うようにと依頼したようです。」
「肝心の泰継殿はどこにいるのだ?」
今頃になって姿が見えない事に気付いた深苑が泉水に訊いた。
「泰継殿は京を離れております。何でも、宮の大納言殿を恨む者が見付かったので話をするとおっしゃっておりました。」
「そりゃあマズいんじゃないか?泰継が両方とも占って同じ日にする予定だったんだろう?」
イサトが心配そうに幸鷹を見た。
「いえ、それはもう既に泰継殿が対策を取って下さいました。」泉水が口を挟んだ。「何でも、占う道具に細工をなさったとか。」
「賀茂家の方も心配要らない。」勝真が言った。「占う事になった陰陽師は俺の知り合いだ。泰継殿が指示した日にする事を承諾してくれたよ。」
「占いは失敗した事になるのですが、良いのですか?」
占いの結果は陰陽師としての能力を表す。勝真の知り合いに迷惑が掛かるのではと心配し、彰紋が訊いた。
「あぁ。花梨が龍神の神子だった頃、その陰陽師が怨霊を調伏しに行ったら、調伏するどころか反対に襲われたんだ。その時に花梨と俺が助けたからな。だから花梨、神子の為なら喜んですると言ってくれたよ。それにな、彼はかなり年配の方で、元々これを最後に引退するつもりだったそうだ。」
「そうでしたか。」
怨霊に襲われる陰陽師、情けなや。彰紋は横を向いた肩が揺れている。だが、いきなり振り向いた。
「それよりも泰継殿は今、京を離れて大丈夫なのですか?泰継殿が設定した日にちはそれほど遠くありません。万が一間に合わなかったら・・・。」
「泰継殿ですから。」全面的な信頼を寄せている泉水は微笑んだ。「泰継殿が間に合わせるとおっしゃったのです。ご心配は要りません。」
「え?」戸惑う。だが、一瞬考えると妙に納得して頷いた。「そうですね。彼は泰継殿でしたね。」
「あぁ、そうだな。泰継殿だな。」
他の者も頷いた。

パタパタパタ。
突然、一羽の鳥が飛び込んで来た。
「何だ?」
パタパタパタ。
鳥は泉水の膝の上に咥えていた紙を落とす。
「これは泰継殿の式神です。」はらりと広げ、読む。「目的の方に協力を承諾して頂けたそうです。」
「そうか。」
深苑がほっとため息を漏らした。
「しかし準備期間が足りません。内部に一人、協力してくれる者が必要だとおっしゃっております。手引きしてくれる者が。」
「何をするのですか?」
「邸内、そして建物の内部の見取り図が欲しいそうです。そして当日、厩から厩舎人(うまやとねり)を引き離して欲しいとおっしゃっております。」
「それはオレに任せてくれ。」ドンとイサトが自分の胸を叩いた。「オレの友達が宮の大納言邸に勤めているんだ。野郎を嫌っているから喜んでやってくれるさ。」
「分かりました。お願いします。」
「おう!」
そのまま飛び出して行った。


「他に何かやる事はあるのか?」
勝真が幸鷹に訊いた。
「少納言殿の方に、こちらの息の掛かった者が欲しいのですが。しかし私達に繋がりのある者だとは少納言殿に知られたくありません。」
幸鷹は困ったように額に手を当てた。宮の大納言邸と同じ、こちらにも協力者が欲しい。だが、八葉と関わりのある者では、八葉の仕業だと疑う者が出て来てしまう恐れがある。幾ら作戦が成功しても、それでは困る。
「ん?それは翡翠がどうにかするんじゃないか?少納言を調べていたが、役に立ちそうな事が幾つか見付かったと言っていたからな。」
「そうですか。後で確認してみましょう。そうすると他は今のところ、大丈夫なようです。」
期待の籠もった眼で勝真を見ると、幸鷹は頷いた。
「あの。」控え目な口調で泉水が口を挟んだ。「神子には何もご相談しておりません。驚かれるでしょうから文を書いた方が宜しいのではありませんか?」
「頼忠にも説明なしに決めたのだから、必要だろう。」
「そうだな。二通とも私が書こう。」
深苑が頷いた。
「では、深苑殿。お願いします。」


会話が途切れ、沈黙が流れる。
「じゃあ、その日が来るまでやる事は無いんだな。」
切ない空気を破るように、勝真がポツリと呟いた。
「花梨さんと色々お話したい事があったのですが、叶わないまま終わりそうです。」
彰紋が寂しそうに言った。
「えぇ。目立つ訳にはいけませんから。」
泉水も遠くを見るような眼で呟いた。しかし幸鷹だけは無理して微笑んだ。
「そうですね。しかしそれで神子殿が幸せになられるのでしたら、私は喜んで受け入れましょう。」
「あ。」
「え?」
他の者達ははっと驚きの表情を浮かべた。だが、すぐに幸鷹と同じように微笑んだ。
「そうだな。俺達には見られないが、あいつは笑えるようになるんだからな。」
「そうですね。花梨さんの願いが叶うのですから、寂しいなんて言ってはいけませんね。」
「はい・・・・・・。」
もう二度と見る事の叶わぬ花梨の笑顔を思い出していた。



月日が流れ、花梨の元に千歳から合図の文が届いた。






注意・・・伊勢国、一応調べたのですが、銀竜草は地理が苦手でよく分かりませんでした。間違っている箇所がありましたら、どうか教えて下さいませ。

千歳ちゃんには八葉はいませんが、代わりに守ってくれる「お友達」がおりました。良かった良かった♪