絆〜反02〜



数日後の朝議に、勝真の姿があった。普段ならば殿上人ではない勝真は出席など許されないが、龍神の神子、斎王に関する重大な要望の為、特別に許可されたのだった。


「神子は長らく続いた病の為、大変弱っておいでです。星の一族の屋敷に戻り、療養したいとお望みで御座います。斎王の任を解いて頂きたく、お願いに参上致しました。」
ざわつく。そう簡単に望みを叶える訳にはいかない。回復してしまえば、また争いの種となり得る存在なのだから。
「今までそんな話は一度もありませんでしたな。にわかには信じられないのですが。」
大臣の一人が疑いの眼差しを向け、勝真の心の内を探る。
「申し訳ありません。周りの者に心配掛けないように、と口止めされていたのです。」眼を伏せ俯いた。しかしすぐ顔を上げて説明を続ける。「神子は龍神をお呼びした後、体調を崩されておりました。それが完全に回復する前に斎王としての生活に変わりましたので、そう簡単には慣れず、伏せられる日も多かったのです。」
「そんなにお加減は悪いのですか?」
「ここ数ヶ月は意識が遠のく事も多くなり、祈りを捧げる事も満足に出来ないようで御座います。」
「京は今、平和ですから祈りを捧げなくても大丈夫です。その屋敷の内でゆっくり休めば宜しいのではありませんか?」
「それは難しいと存じます。」首を振った。「神子は元々白龍の神子で御座います。白龍は前に進む龍。その神子にとって屋敷の奥深くに籠もる生活は辛すぎるのです。光を浴び、風を感じ、そして大地を踏み締めて歩く事が必要なのです。」
ざわざわざわ。この神子が外を歩く事以上に危険な事は無い。
「庭に降りられる程度ならば問題無いのではありませんか?」中納言の一人が言った。「しかし、斎王を辞められるほどの事では無い気が致しますが。」
「いや、庭に降りられるのも問題がありますぞ。」中将の一人が口を挟んだ。「警護の者や下働きの者も大勢おります。清らかな斎王に男の穢れた想いが纏わり付く恐れがありますぞ?」
「そうですな。それは危険です。」
やはり籠の鳥からは抜け出せそうに無い。そろそろ出家を提案しようかと勝真が考え始めた、その時。
「療養ならば尼寺ですれば問題無いのでは?」関白左大臣の娘婿である少納言が提案した。「そこならば邪な想いを抱く男はおりません。それで回復出来なければ、そのまま出家させて来世を祈らせれば。」
あまりの露骨な言い方に、勝真の頭に血が上った。
「来世を祈らせるって何だ!?」怒鳴った。「神子が体調を崩したのは京を救ったからだ。そのあいつの身になって考えてやる事は出来ないのか!」
「ぶ、無礼な!」
「か、勝真殿・・・。」
貴族達の顔は怒りに紅く染まり、八葉達は青冷めた。
「そうだな。私達は神子に感謝し、労わりの心でもって接しなければならない。」
怒鳴り合いの喧嘩になるのを、帝が立ち上がる事によって静めた。御簾から出て勝真を見、そして他の八葉を一人一人見回した。
「帝・・・。」
何を言い出すのかと落ち着かなく、貴族達は身動ぎしつつ次の言葉を待つ。
「しかしながら神子の身を案じる八葉には申し訳ないが、斎王の任を解く事は出来ない。そして自由に外出させてやる事も出来ない。」
周りの貴族を見回し、そして察してくれと言わんばかりに勝真に頷いて見せた。
「・・・・・・・・・。」
「静かな尼寺で療養してくれないか?八葉のみ面会を許そう。今の所はそれで様子を見て、で。」
「分かりました。」
渋々頷いた。
「しかし勝真、君は責任者の役目を降りて京職に戻れ。」
「なっ!?」
「八葉だから神子の身を案じるのは当然だと思うが、政(まつりごと)はそれだけで済まないのだ。」
「・・・・・・はい。」
さすがに帝の胸の内が分かり、複雑な表情で頷いた。
帝はそんな勝真から勝真を嘲笑うかのような瞳で見つめている貴族に視線を移した。
「突然で悪いが、少納言、そなたがその役目を代わってくれないか?」
「は?」
突然言われ、飛び上るように姿勢を正す。
「提案したのだから心当たりがあるのだろう?良い療養地になりそうな尼寺の選定と神子の移動の警備などを担当してくれ。」
「は、はい。お任せ下さい!」
満面の笑みを浮かべると深々と頭を下げた。
「では、今日はこれまで。」
それだけ言うとさっさと奥に引っ込んだ。


勝真がノロノロと後片付けをして立ち上がると、幸鷹達が近寄って来た。
「どうなる事かと心配しましたが、良い方向へと動いてくれましたね。」
「あぁ。助かった。」
お互いに頷く。下っ端貴族の勝真が上級貴族に刃向かう事など、しかも帝の御前で怒鳴り合うなど許される筈が無い。どんな咎を受けても反論出来ない。
「後は少納言殿がこちらの思惑通りに動いてくれるか、ですね。」
「そうだな。」
他の貴族と話している少納言の後ろ姿を心配そうに見つめた。と、視線を感じたのか、振り返った。
「・・・・・・・・・ふん。」
役目を外された勝真を小馬鹿にするように、鼻を鳴らしながら意地の悪い笑みを浮かべた。
「何だかさ。」立ち去る背中を見ながら幸鷹に囁いた。「俺、この計画を思い付いてくれた幸鷹殿に礼を言いたい気分だ。」
この少納言が花梨、龍神の神子の住まう屋敷の手入れをサボり、惨めな生活を強いるつもりだったのだ。その償いはきちんとして貰う。
「彰紋様?どうか致しましたか?」
帝が立ち去った奥の方を見つめて考え込んでいるのに気付き、泉水が尋ねた。
「・・・・・・・・・。え?あぁ、ごめんなさい。話を聞いていませんでした。何ですか?」
我に返り、泉水達を見回した。
「いえ、考え込んでいるようでしたが、何か心配事でもおありですか?」
「何でもありません。」首を振った。「何でも。」
「そうですか。」追及はしない。出口に向かって歩き出した。「では、私は眼を離さずにいますね。何かありましたらすぐに連絡致します。」
「宜しくお願い致します。」
「頼む。」
「はい、分かりました。」
幸鷹の言葉にそれぞれ頷いた。



とても美しい月夜。関白左大臣の屋敷の片隅で男と女が話をしていた。
「これ、本当に美味しいわぁ。」
少し年増の女は美しい小箱の中に並んでいる団子を一つ摘まむと、口に放り込んだ。
「お気に召してくれたのなら、嬉しいね。」
脇息に寄り掛かると、翡翠は眼を細めた。
「お世辞じゃないわよ。本当に美味しい。」
指を舐めながら笑みを浮かべた。
「・・・・・・・・・。」
「そうそう。で、関白殿には三人の姫君がいらっしゃるのはご存知でしょう?」団子を名残惜しそうに見るが、話の続きをしゃべろうと椀に入った白湯をごくりと飲んだ。「大君様は女御として入内なさっているわ。そして中の君様は左近衛府大将様とご結婚されて。」
「そして末の姫君は少納言殿と。他の方とは随分と身分の差がおありだね。」
「関白様は最初、東宮様のところに入内させたいと考えていらしたのよ。それが東宮様には、帝に男皇子がお生まれになられたら東宮の地位を譲るつもりだという噂があるでしょう?帝になるつもりが無いんだったら最初から有望な公達とご結婚させた方が良いと考え直したの。」
「しかし、少納言殿が優秀な若者だとは聞いた事は無いね。」
「えぇ、そうね。」皮肉っぽい口調の翡翠に大きく頷いて見せた。「関白様は右大臣様の弟君とのご結婚を考えていらしたのよ。」
「中納言、検非違使別当の?」
片方の眉がほんの少し上がった
「そう。上がつかえているから昇進が止まっていらっしゃるけど、今の若い公達の中では一番でしょう?それが中納言様は忙しすぎて打診する事が出来なくて。」
「それが何でまた少納言殿に?」
「ここだけの話なんだけどね。」声を潜めた。「あなたなら知っているでしょうけど、少納言様は中納言様と従兄弟でしょ?それも一つ年上なのに出世が遅れているから敵視なさっているのよ。まぁ、人間の出来が違うから当然なんだけどね。だから中納言様が関白様の姫君を娶ればますます差が広がってしまうから横取りしたと言う訳。」
「ふぅ〜ん。」艶やかな流し目で見る。「裏がありそうだね。」
「当然。あの男が結婚したいと申し出て関白様が承諾なさる訳無いものね。」顔が険しくなる。怒りのあまり、礼儀も何もかも忘れた。「4年、いえ5年前の事だったかしら?あいつ、姫様の乳母子を捕まえたのよ。目茶苦茶に殴りつけて殺すと脅して。それを聞いてしまった姫様が乳母子を助けようと妻戸を開けてしまわれたの。・・・・・・・・・噂を広められてしまったからどうしようもないわ。」
「それはまた酷い事を・・・。」
さすがの翡翠も顔を顰めた。
「家柄だけは良いから認めるしかなかったのよ。」団子を一つ摘まむと握り潰した。それを口の中に放り込んで乱暴に噛み締める。「だけどどんなに関白様に力があると言っても、バカ男を出世させるのは無理ってものよ。まぁ、最初からする気も無かったんだけど。さすがに関白様に嫌われているって、これ以上の出世は望めないと気付いたんでしょうね。だから今度は龍神の神子様を狙ったのよ。帝も院も、そして東宮様も一目置いていらっしゃるから。それにほら、中納言様がお側にいらっしゃるから結婚させないように。」
「ほう?」
翡翠の瞳がキラリと冷たく光った。
「あの屋敷には私の友人がいるのよ。だから気をつけてって文を出しておいたわ。」
「それはそれは優しいね。」
女の手を取ると、甲に口付けた。女は翡翠の行動に驚き苦笑したが、すぐに顔を曇らせため息を吐いた。
「それが良かったのか悪かったのか。警備が厳しくて近付けないからって、中納言様とのご結婚も阻止したいと無い頭を振り絞っちゃったのよね。どうせ誰かの入れ知恵でしょうけど。」
「あれは少納言殿のお考えだったのか。」
苛立たしそうに顔を歪めて髪を掻き上げた。
「えぇ。でも、たかが少納言の身分では意見なんてまともに聞いては貰えないわ。だから左大臣様に進言したの。あいつが何でこんな意見をしたのか分かったんでしょうね。震え上がったわよ。中納言様だったら神子様を利用しようだなんて思わないでしょうけど、少納言じゃ何をするか分からないもの。政的に利用ならまだしも、気に入らない、の思い一つでこの京を害する事も躊躇わない男だから。」
「・・・・・・・・・。」
「二度とこんな危険な状態に陥らないように、必死になって根回ししたらしいわ。中納言様とは別に想い合う相手がいたらしいのに斎王だなんてお可哀想に・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「ねぇ、あなた。」擦り寄った。「ただの人ではないでしょう?あなたのような素敵な殿方が、単なる興味でこんなオバさんの所にまで忍び込んで来るとは信じられないわ。」
「うん?何の事だい?」
「とぼけなくても良いのよ。」
「私は賢い女人が好きなのだよ。」
「褒め言葉として喜んで受け取っておくわ。」身体を離す。そして翡翠の瞳を真っ直ぐに見つめた。「数日前、少納言は龍神の神子様の警備責任者の役を任ぜられたのよね。神子様には八人の従者がいると聞いた事があるわ。とても強くて賢い男が。」全く表情を変えない男の腕に触れた。「あなたがその内の一人なら、何時か神子様を救ってあげて。想い合う男と幸せにしてあげて。こちらの姫様のように泣いてやつれていくなんて嫌だわ。」
「あなたは・・・優しいのだね。」
ふっと微笑んだ。
「そんなんじゃないわ。」横を向いて視線を逸らす。「姫様を・・・その乳母子を守れなかったのが悔しいのよ。」
「その乳母子は・・・・・・・・・?」
「顔に醜い痣が残ってしまったわ。姫様は話し相手としてお側に呼び寄せたいと思っていらっしゃるけど、少納言が何時来るかも分からないんだもの、それも出来なくて。今は里に籠もりっきり。」
16歳の明るく可愛い娘だったのに、と暗い表情で呟いた。
「・・・・・・・・・。」
「それに神子様はこの京に住む全員の恩人よ。幸せになるべき御方だわ。」
顔を上げると翡翠の眼を見てきっぱりと言い切った。
「そう、だね。」
「何か私に手助け出来るような事があれば良いのだけど。」
「少納言殿の事で他に知っている事はないかい?」
「多くの人に恨まれているっていうのは誰もが知っている事よ。」眉を顰める。「自分よりも身分の低い者に対しては酷い扱いをするから。道の真ん中で殴る蹴る、だもの。それに確か以前、同じような事をして右近衛府大将様の姫君と結婚したわ。大将様のお力で少納言にして頂いたのよ。でも大将様がお亡くなりになるとさっさと捨ててしまったわ。兄君には嫌われていたらしいから、もう利用出来ないと思ったんでしょうよ。それと。」声を潜める。「昨夜盗み聞きした事なんだけど。」
「うん?」
「はっきりした相手は分からないんだけど、また同じ事を計画しているみたいなの。姫君のお側にいる者を調べるように命令していたから。」
「そうか。また同じ事を・・・・・・。」
「どこの姫君かは分からないんだけど。」
「いや、これで十分だ。」腰を上げると女に覆い被さるように身体を倒して頬に口付けた。「ありがとう。」
「どう致しまして。また何かあったらいらっしゃい。」団子の入った小箱を手で指し示しながら付け加えた。「お土産を持って、ね。」
「はははは。」
豪快な笑い声を立てると、翡翠はその場を静かに立ち去った。
「あなた、必ず助けてあげて。」
月を見上げると、女の瞳から一滴の涙が零れ落ちた。


「お頭。」
翡翠が門を出ると一人の男が近寄って来た。
「ちょっと調べてくれないか?」
そう言うと、手下の男の耳元で二言三言囁いた。
「分かりやんした。」
頷くと小走りに立ち去り、闇の中に消えた。
「さてと。上手い具合に見付かると良いんだが。」
呟くと星の輝く空を見上げた。



イサトと泰継があちこちの知り合いに宮の大納言についての噂を尋ね回っていた。が、どこでも物凄い勢いで愚痴を聞かされてしまった。
「宮の大納言か、酷いってなもんじゃないよ!いきなり従者を引き連れてやって来たと思ったら、見事な花を咲かせている桜の木を掘り返して持って行きやがったんだ!」
「こっちでは庭石を持っていかれたよ!」
「ちょっと貸して、と珍しい巻物を奪い取って行ったわ。もう4、5年経つけど、当然返って来てないわよ。」
「俺が働いている屋敷の立派な馬が盗まれたんだ。そしたらあの野郎の屋敷の厩にいたぜ。」
「ほら、この前の火事で寺の門が崩れただろう?その門を支える礎石を持って行ったんだぜ。信じられるか?再建しようにも出来ないんだ。」
「デカい岩を運ぶのに邪魔って何だよ?いきなりオレの家を壊しやがった!」
「俺の家もだ。しかも柱や壁板もみんな略奪して行きやがった。」
「へぇ・・・。」
次々と明らかになる事実に、そのセコさに、呆れて開いた口が塞がらない。
「そうだ、思い出した。」一人がイサトの腕を掴んだ。「あいつは若い頃、どこか地方の国守をしていたんだ。賄賂を貰って便宜を図ったり過酷な徴税を取ったりしていたって噂があるぜ。」
「それなら誰でもやっている事だろ?」
「いや、それが限度を超えていたんだ。払えずに飢え死にした者が大勢いたらしい。しかも有力な家の者に濡れ衣を被せて財産没収、だ。それで山賊になったやつがいると聞いた事がある。」
「調べる。」
泰継がいきなり懐から紙を取り出すと空中に放った。それは鳥へと姿を変え、勢い良く飛んで行く。
「間に合うか?」
「無論。間に合わせる。」
陰陽師の術を見た事の無かった者達が驚き騒ぎ立てている横で、イサトは空を見上げて祈っていた。






それぞれ動き始めました。

勝真の代わりに神子斎王御所の警備責任者となった少納言は、『絆〜従03〜』で神子斎王御所の修繕を担当していた左大臣の娘婿である貴族です。