絆〜反01〜



「はぁ・・・・・・・・・。」
気分が悪く寝込んでいた花梨は、数日振りに身体を起こした。だが、完全に起き上がる気分にはなれずに立てた膝を胸に引き寄せた。

「神子様。起きられましたか?」
御帳台の垂れ布から気配が伝わったのだろう、控えていた女房が声を掛けてきた。
「う・・・ん・・・・・・・・・。」
気の無い返事を返す。だが、その女房は垂れ布を掻き上げた。
「勝真殿が梅の花を届けて下さいましたわ。とても綺麗ですのよ。ご覧になりませんか?」
「梅の花・・・・・・?」
ざわざわと胸の奥で何かが騒いだ。操られるように御帳台から出ると、ふらふらと花瓶に生けてある花に近付いた。
「神子様!そのような御姿で出てはいけません!」
慌てて袿を花梨の肩に掛ける。だが、花梨の頭の中にはその女房はいない。
「紅梅と白梅・・・・・・。」
願いを叶えてくれるという、梅の花。それを教えてくれたのは頼忠だった。そしてその時に、何時の日にか共に生きられるように、との願いを込めて贈ってくれた。涙が零れ落ちた。
「神子様?神子様、どうなされたのです!」
騒ぎ立てる女房の声も花梨には届かない。崩れ落ちるように座り込むと、白い花びらにそっと触れた。
「忘れられない・・・。忘れられる筈が無いんだよ・・・・・。」
ずっと心の奥底に閉じ込め隠していた感情が噴き出した。次から次へと頼忠との想い出が甦る。忠直との別れが再び心を切り裂いていく。
「神子様!どうなさいましたか?」
丁度その時、紫姫が室を訪れた。慌てて花梨に走り寄る。
「頼忠さんに逢いたい・・・。忠直に逢いたいよぉ・・・・・・・・・。」
「神子様、神子様・・・・・・。」
縋り付いて泣き続ける花梨を、紫姫は抱き返して共に泣き続けた。



内裏の中の一室。二冊の書類を見比べ終わった彰紋は、顔を上げた。
「幸鷹殿。これは酷いですね。」
「はい。」
「花梨さんへの給金のほとんどを搾取しておられるとは。これは横領、はっきりとした犯罪です。」
「えぇ。」幸鷹は頷いたが、顔を曇らせた。「しかしこれをやったのは宮の大納言殿です。帝に報告をしなければなりませんが・・・・・・。」
「はい。うやむやにする訳にはいきませんが、公(おおやけ)にも出来ません。」
ため息をつき、書類を閉じた。
「私は関与致しません。帝と院とご相談なさって処置して下さい。」
「はい。ご配慮、感謝します。」
彰紋は心から感謝の言葉を述べた。
「あの・・・・・・。」
今まで黙っていた泉水が躊躇いがちに口を挟んだ。
「何でしょうか?」
「勝真殿にはご報告しないのですか?」
「しかし・・・行動に移されたら・・・・・・。」
彰紋は慎重だ。
幸鷹は考えた。正義感が強く、花梨を一番身近で見ている彼は怒り狂うだろう。しかしその考えを振り払った。「分別のある方ですから、大丈夫でしょう。」
「はい。神子にご迷惑の掛かる事をなさる筈がありません。」
「そうですね。」一瞬考えた後、彰紋が頷いた。「明日は花梨さんの物忌みです。報告はその時に。」
「はい。」
二人が頷いた。
しかしながら思い返せば思い返すほど、腹が立ってくる。表立って騒ぎ立てる事の出来ない相手の身分が恨めしい。悔しい。
「最初から、だったのですね。この方は京を救って下さった神子殿に対して感謝の気持ちは一欠片も無いのですか。」
あまりに情けない。幸鷹は頭を振った
「えぇ。だから花梨さんへの支給品も何もかも無かった訳です。」
「はぁ・・・・・・・・・。」
「はぁ・・・・・・・・・。」
「はぁ・・・・・・・・・。」
ため息しか出ない。



数日後の花梨の物忌み、何時もと同じように八葉が集まった。翡翠と頼忠は京にはいないから来なかったが。
「花梨さん、大丈夫ですか?」
「神子、ご気分はいかがですか?」
室の中には何時も花梨の側にいる紫姫と神子時代から花梨の世話をしている女房が一人いるだけ。彰紋と泉水が心配そうに御簾の側にいる紫姫に尋ねた。最近、また花梨の具合が悪いと聞いていた。だから少しでも負担にならないようにほとんどの女房を遠ざけているのだと。
「うん、大丈夫。久しぶりに気分は良いの。」
花梨が几帳の後ろから出て来て御簾の側に座った。
「っ!?」
この斎王の役目を受けてから花梨が自分から姿を見せ会話らしい言葉を話すのは初めてだ。八葉はみな、驚きのあまり声を失った。
「お元気ならば宜しいのですが。しかしどうなさったのですか?何か問題でもあるのでしょうか?」
幸鷹がいち早く落ち着きを取り戻し、尋ねた。
「じゃあ、何で人払いしたんだ?何か秘密に話し合いたい事でもあるのか?」
イサトがきょろきょろと周りを見回し、花梨に尋ねた。本当に信用出来る数少ない女房が遠くのあちらこちらから見守っている。どうも盗み聞き出来ないように見張りをしているようだ。
「うん、相談したい事があるの。」一呼吸、間が開く。「この斎王の役目を辞めるにはどうしたら良いか、一緒に考えて欲しいの。」
沈黙が流れる。
「運命を変えたいか。」
「うん。」泰継のその言葉に頷いた。「もう泣き暮らすのは飽きたよ。諦めなかったから龍神の神子の役目を果たせたんだもん。この運命も諦めたくない。」
「そうだな。それでこそ俺達の神子、花梨だな。」
勝真が笑みを浮かべると、彰紋も元気良く頷いた。
「そうですね。僕達はあなたの八葉、願いを叶えましょう。」

しかしこの問題はそう簡単には解けない。

「力の無いただの女と言っても駄目ですよね?」
幸鷹が額に手を置き考えてから首を振った。
「そうですね。龍神の神子の力は形として見えるものではありませんから、納得させるのは難しいでしょう。」
「神子は存在自体が影響力を持つ。」
「そうですね。」泰継の言葉に彰紋が頷いた。「帝も院も、花梨さんの意見は尊重致しますから。それは力が無くなったとしても変わりません。」
「はい。斎王を辞められたら、今度は理想の結婚相手として大変な騒ぎとなる事が予想されます。」
泉水も顔を曇らせたまま頷いた。
「だから辞めさせる訳にはいかない。」
「う〜ん、難しいな。」
「そうだな。まぁ、簡単に辞められるものなら最初から斎王にはならなかっただろう?」
「そりゃあそうだけど・・・。」

何かを提案しても、同じ結果が予想され、すぐに否定される。唸りながら考え続ける。

「だったら、出家する、でも駄目か?」
突然イサトが口を開いた。
「え?」
「貴族ではよくあるだろ?病気が長引いて死期が近付いたから来世を祈りたいと出家するヤツ。」
「そういう方も確かにおりますが。」
泉水が何時も持っている数珠を見つめながら頷いた。
「龍神は別に宗教上の神様じゃないしさ、神子が仏道を信仰しても構わないんじゃないかって思うんだけど、違うか?」
「それは・・・・・・そうなのか?」
本来、斎王は仏事から避けた生活を送る。だが、龍神は特別な存在だ。勝真は首を捻るが、はっきりと否定する者はいない。
「出家って、私が尼さんになるの?」
「あぁ。経の勉強とか修行は辛いけどさ、庭の中なら自由に歩き回れるし、室内に籠もりきりの今の生活よりはまだマシだと思うぜ。それに真面目に従っているヤツなんていないしな。」
「・・・・・・・・・。」
考え込む。頼忠以外の男と結婚なんかしたくない。綺麗な衣を着られなくなるだろうが、そんな事は大した問題では無い。食事も花梨の世界とは比べ物にならないほど貧しいものだが、慣れたのだ。色々と辛い事はあるだろうが、今よりも酷い生活になるとは思えない。それに、何時か頼忠や忠直が京を訪れた時には、陰からこっそりと姿を見るぐらいは出来るかもしれない。そんな小さな夢でも抱いて生きられるなら、尼僧になるのを嫌がる理由はどこにある?―――無い。
「出家する。この生活を変える為なら、何でも構わない。」
顔を上げてきっぱりと言い切った。
「おい、花梨!それは駄目だ。」
「花梨さん!イサト、何て提案をするんですか!」
「神子殿。それでは今の生活と変わりません。」
「神子!」
出家と言えば、人生の終わりとの印象がある。尼僧ではあまりに花梨が気の毒だ。慌てて止めるが。
「同じでも大きく違うよ。他人が押し付けた運命に従うだけの生活は嫌なの。もう、耐えられない。」
「「「「「・・・・・・・・・。」」」」」
静かな声音が反対に決意の固さを伝える。こうなったらもう、誰の意見でも花梨の意思を変えられる力はない。
「我らは神子の八葉。お前に従おう。」
「泰継殿・・・・・・。」
幸鷹が諦めたようにため息を吐いた。
「ごめんなさい。どんなに小さい夢でも、希望を抱いて生きたいの。」
「神子・・・・・・。」
「「「「「・・・・・・・・・。」」」」」



物忌みが終わり、神子の意思を深苑に伝える為に四条の屋敷に移動した。
そして聞き終えた深苑は長い間黙って考え込んでいた。花梨に恩を感じ、幸せを願っているのは八葉だけではない。深苑だって同じだ。
「本当にそれが神子の願いか?」
沈黙を破って尋ねた。
「「「「「「・・・・・・・・・。」」」」」」
「数日前に紫から文が届いた。神子は未だ頼忠を忘れてはおらぬ。出家してしまえば、全て諦める事になる。」
「しかし・・・・・・どうしようもないのです。」
泉水が顔を曇らせる。
「だったらどうしろって言うんだ!」イサトが喚いた。「オレ達だってどうにかしたいんだ!だけど、どうやったって花梨を自由にする事が出来ないんだっ・・・・・。」
感極まり、言葉が詰まる。彰紋がイサトの肩を抱いた。
「頼忠も姫君を忘れてはいないよ。」
突然、御簾の方から声が聞こえた。
「翡翠殿!」
「やぁ。」幸鷹に近付くと、隣に座った。「頼忠は縁談の全てを断り、御子と二人で静かに暮らしているよ。」
「河内に寄って来たのか。元気だったか?」
勝真が尋ねた。
「健康上の問題は無いよ。ただ、口にはしないが、姫君の事を恋しがっているのは隠せないようだね。時折淋しそうに御子を見ているよ。」
「「「「「「「・・・・・・・・・。」」」」」」」
やはり出家などさせたくない。


良い案が浮かばない。頭の中を切り替えてすっきりさせようと、一旦話題を変えた。
「勝真殿。やはりあなたの考えが当たっていました。」
幸鷹が二冊の書類を渡した。
「そうか。」
見比べると、段々顔が険しくなっていく。
「何だ、それ?」
「帝が斎王の役職を与えたんだから、予算が割り当てられている筈だろう?だが、ほとんど回って来ないんだ。誰かが横取りしているんじゃないかと思ってな。」
「誰だ、そんな事をするヤツはっ!」
イサトが真っ赤な顔をして立ち上がった。このまま殴り込みを掛ける勢いだ。彰紋が慌ててイサトの袖を掴んだ。
「イサト。落ち着いて下さい。」
「彰紋!そんなヤロウを庇うのか?花梨に―――。」
「その花梨さんにご迷惑が掛かります。八葉は神子の命令で動くと思われています。貴族を襲う事は重罪です。花梨さんも罪を問われる恐れがあります。」
「だからって放って置くと言うのか!?」
「上級貴族だから罪には問えない。」勝真がパサリと書類を放り投げた。「上に報告したところで、その役職を解任されればびっくりってなものだ。」
「反対に勝真殿が横領したのだろうと騒ぎ立てる危険性もあります。そうなると勝真殿には反論の余地など無いままに罰を受ける事になります。」
幸鷹が書類を拾い上げながら言った。
「そ、そんなバカな!」
「そういうものさ。貴族の世界はな。」
「そうだね。上級貴族の罪は貴族では罪に問えない。」翡翠がうっすらと笑みを浮かべた。「私には関係無いがね。」
「え?」幸鷹がぱっと翡翠を見た。だが何時ものように食って掛かる事はせずに考え込んだ。「神子殿の出家の話、進めましょうか。」
「は?」
「いきなりどうなさったのです?」
突然話が戻り、一斉に幸鷹を見つめた。
「いえ、この宮の大納言殿は今、新しい屋敷を造営なさっています。この搾取した神子殿のお金で、でしょう。そして過去にも同じような噂があったのです。ですから――――――。」
生真面目一本槍だった幸鷹のとんでもない提案に、一同声も出ないほどの衝撃を受けた。だが。
「面白いじゃん。あんたの口からそんな計画を持ちかけられるとは思ってもいなかったけどな。」
イサトが瞳を輝かせて賛成し、彰紋までにこやかに頷いた。
「そうですね。お仕置きは必要でしょう。」
「え?あの・・・。」泉水は悩んでいる風だったが、最終的には納得した。「そうですね。京をお救いになられた神子を救うのですから、御仏もお許しになられるでしょう。」
「当然、龍神もな。」
勝真が付け加えた。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
楽しそうに見守る翡翠は当然、異議を唱えない泰継も賛成だ。
「一つ問題がある。」黙って聞いていた深苑が口を挟んだ。「このままでは責任者の勝真殿が責を問われてしまう。」
「それは構わない。どうせ俺は吹けば飛ぶような下っ端貴族だ。」
「駄目だ。代わりの者に取らせれば良い。」
泰継があっさり言った。
「しかし、その者が気の毒では―――?」
「いや、丁度良い相手がいるよ。」翡翠の顔に残忍な笑みが浮かんだ。「神子殿に対して無礼を働いたのは宮の大納言一人では無いからね。」
「「「「「「あ・・・・・・。」」」」」」
思い出し、全員一致で賛成した。


この後、どんな小さな可能性でも危険な問題が消えるまで話し合いを続けた。






注意・・・『―――絆〜従06〜―――』、頼忠、忠直との別れから数年後。
     春、2〜3月頃。
   ・・・神子斎王への給金を搾取していたのは、『絆〜従03〜』に出てきた財政担当、父親が院の弟宮という貴族です。