絆〜従06〜



お腹が大きくなり始めると、いくらゆったりとした衣でも目立つ。気分が優れないと言う理由で、紫姫や神子時代から花梨の世話をしている信用出来る女房数人以外は室に近付けない。
「神子様、ご気分はいかがですか?」
脇息に寄り掛かってぼんやりしている花梨に、泰継特製の薬湯を差し出しながら紫姫が尋ねた。
「吐き気はまだあるしダルいけど。」顔を顰めつつ、薬湯を飲む。「もう諦めた。」
「神子様ったら。」隅で控えている女房が小さな声を立てて笑った。「これからもっと辛くなりますよ。掛け声を掛けなければ動けなくなりますし、お腹の中で戦いが始まりますから。」
「う゛っ。脅さないでよ・・・・・・。」つい薬湯を一気飲みし、むせ返った。「げほっ!ごほっ!!」
「神子様、大丈夫ですか?」
紫姫が慌てて背中を擦る。
「げほっごほっごほっっ!」
「脅しではありませんわ。」落ち着きを取り戻して恨みがましい眼で見つめる花梨に言った。「動ける内にやりたい事は済ませて置いた方が宜しいですわ。その日が近付けば、御身体だけでなく御心にも余裕など無くなりますから。」
「やりたい事?」
「はい。」頷くと花梨の側に寄り、座った。「御子がお産まれになられたら、すぐにお別れです。」
「・・・・・・。」
顔が強張る。
「今度は何時お逢いになれるのか、分からないのですよ?母として御子の為に何が出来るのか、考えてあげませんと。」
「動揺させるような事はおっしゃらないで下さい。」
花梨の肩を抱き締めると、紫姫はキツい口調で言った。だが、その女房は反対に睨む。
「優しく接するだけが私達の役目ではありませんわ。神子様が後悔なさらないように、助言や指導をしなければいけません。神子様にとって御子と共にいられるのはほんのわずか。残された時間は少ないのですから。」
「ですが、もう少し神子様のお気持ちを―――。」
「紫姫、私は大丈夫だよ。」
「神子様・・・。」
「大丈夫だから。」紫姫の手を軽く握った。そして女房を見つめる、「うん、考えてみる。愛してるって言えないんだよね。でも絶対に伝えたいから。だから伝える方法、考えるよ。」
「それが宜しいですわ。」
にっこり微笑むと、花梨も微笑み返した。
その日から、花梨は母として何が出来るか、考え続ける。



「よう。」
勝真は某寺で花梨の安産を祈っていた頼忠に近寄った。
「・・・・・・・・・。」
祈りを済ますと静かに振り返った。
「なぁ。お前達の子、俺が引き取ろうか?」
「・・・・・・・・・。」
眉間に皺が寄る。
「密かに通っていた女が産んだ子として。それならお前は河内に帰らなければならない理由は無くなるし、御所に連れて行けば花梨だって姿を見られる。完全に離れ離れにならなくても済むんじゃないかと思うんだが。」
「―――いや。お前の厚意は嬉しいが、花梨殿が産んで下さる御子だ。やはり私が育てたい。」
忠直は二人の絆だ。どんなに遠く離れていても、子供を通して繋がっていられる。何時の日にか、忠直が二人を引き合わせてくれるのでは無いかと―――希望を抱いていたい。
「そうか。まぁ、そうだろうな。」
ふっと微笑んだ。慕う女、それも花梨が産んだ子だ。他の男に託せる筈が無い。それが分かっていながらも提案せずにはいられなかった。
「すまない。」
「いや、それが当然さ。確かめたかっただけだ。」
ぽんっと肩を叩くとその場を離れる。随分と離れてから振り返ると、再び祈っている背中が見えた。
「ふぅ。」ため息を吐くと空を見上げた。あそこに龍神はいる。「俺はあんたの神子を守る八葉だ。それを忘れるなよ。」
何時か、花梨を幸せにする機会を与えてくれ。期待通りに動くから。必ず幸せにするから・・・・・・。



頼忠が紙を手渡してくれた数日後から、みんなが寝静まると、花梨は毎夜こっそりと文字の練習をしていた。
「源忠直、この文字だけは上手くなったような気がする・・・・・・。」
書き上げた紙を見ながら呟いた。昼間も文字の練習はしている。だが、心の籠もりようが違うのか、密かに練習しているこの文字の方が上達は早い、気がする。
コトリ。筆を置いた。
「手紙って・・・やっぱり駄目、だよね。」
母として忠直にしてあげられる事、ずっと考え続けているが、これが案外難しい。
一番簡単なのは手紙だ。花梨の、母としての気持ちを伝える方法としてこれ以上分かり易いものは無い。だが、筆跡も一番の証拠だ。危険すぎる。
「高倉花梨の物も証拠として分かり易いよなぁ。」
花梨の世界の物、これも駄目。反対に誰もが簡単に手に入れられる物では気持ちは伝わらない。だが、愛情の籠もった何かを贈りたい。形として残る物を。ある程度、物が分かるようになった時に忠直の眼に映る物を。幸せを祈っている事が、何時か逢いたいと願っている事が伝わるように。
「本当なら産着とか縫えれば良いんだろうけど・・・・・・。」
裁縫は女房の誰かに手伝って貰わねば出来ない。布の手配とかも。赤ん坊用では怪しむ者もいるだろう。
「母子の絆として残したいのにな・・・・・・。」
そう呟いた時、ふと、思い出した。これは祈り、願掛けだ。
「そうだ、あれがあった筈。」
塗籠の戸を開けると燈台を入り口に移動させて中を明るく照らす。そして隅に重ねてある箱を開け始めた。
「あった。」
お目当ての物を探し出した花梨は、それの一つを手に取った。カラカラに乾いた梅の花。花梨が頼忠から贈られた花で作った押し花だ。頼忠ならこれの意味が分かる。花梨の願いも伝わるだろう。
「うん。これを贈ろう。」
微笑むと唇を寄せた。



ある日、頼忠は大豊神社に立ち寄った。
花梨はここにある狛ねずみがお気に入りだった。神子だった頃、時間がある時にはわざわざ遠回りしてまでお参りしに来ていたほどだ。

『狛ねずみ〜〜〜。』
狛ねずみに駆け寄った。
『何時見ても可愛いよねぇ、この子。』
お参りというよりもこの狛ねずみに会いに来ている、という方が正しいか。楽しげに頭を撫でたり話し掛けたりしている。
『この子が持っているのは巻き物だから学問を表しているんだよね?じゃあ、こっちのこれは何?』
左の狛ねずみが抱えている丸い物を指差して頼忠に訊いた。
『それは水玉、酒の器です。豊穣、薬効を表しております。』
『豊穣って五穀豊穣の事?』
『はい。』
頼忠が頷くと、花梨はふ〜んと言いながらその狛ねずみに近寄った。
『つまり、豊かな実りを表しているんだね。じゃあ、今の京にはこっちの方が必要かな?』そう言って水玉を撫でる。『この京を絶対に平和にします。だからずっとずっと宜しくお願いしますね。』

「・・・・・・・・・。」
あの時、自分の主が京の未来を祈る優しい方だと心から感動した。頼忠が花梨に惹かれ始めたきっかけだ。
その水玉を撫でた。
あの時は説明する必要性を感じず言わなかったが、この水玉には子宝の意味も含んでいる。
「・・・本当に良かったのだろうか?」
あの夜、花梨との絆が欲しいと思った。産んでほしいと願った。だが、孕ませ産ませた瞬間、その子を取り上げるのだ。それがどんなに残酷な事か、辛い別れか、痛いほど分かる。いや、母の思いとは男に理解出来るようなそんな単純なものではない。男の、頼忠の勝手な思いで苦しめている。
「・・・・・・・・・。」
しかし、罪悪感で一杯になりながらも、それでも二人の間に確かな絆が結ばれたと喜んでいるという矛盾。
「花梨殿・・・・・・・・・。」
眼を瞑った。
どうか何時の日にか、花梨と忠直が出逢えますように。忠直の存在が花梨に幸せをもたらしますように。忠直を産んだ事を花梨が喜べる日が来る事を・・・・・・・・・。



一日ごとに身体が不自由になっていく。順調に育っていると喜ぶべき事だが、別れが近付いて来ているという事でもある。忠直と―――頼忠と。
誤魔化そうにも涙が零れ落ちるのは止められない。花梨は御帳台に籠もる日が多くなった。沈み込んで伏せっている花梨に、紫姫がずっと付き添っている。
伝え聞く八葉や深苑はそんな花梨を心配するが、目立つ行動は慎むしかない。四条の屋敷に自然と足が向く。そこでお互いに不安を吐き出し、励まし合う。
そんな彼らの気持ちを代表して、斎王が病気との理由にかこつけて勝真がずっと御所に詰めている。泰継と泉水が御所を清める為に毎日のように訪れる。そして千歳が頻繁に訪れては頼忠達の思いを花梨に伝え、花梨の様子を伝えに戻る。


「神子様、今日も気分が悪いようね。」
「えぇ。ほとんど残してしまわれて。これでは治るものも治らないわ。」
下げられた朝餉の御膳を見ながら一人の女房が顔を曇らせた。
「それにしても長いわね。ご病気になられてからもう半年になるのかしら?」
「そろそろ元気になられても良いのに・・・。」
優しかった神子の病気、みんな心配している。
だが。
「陰陽師の方、相変わらず美しいわぁ。神子様も伏せっておられないで御簾越しにでもご覧になられれば良いのに。」
「そうよね。眼の保養じゃないけど、気分転換になるのにね。」
「泉水殿の笛の音、今日は一段と素晴らしかったわ。」
「鬱鬱とした気分が晴れていくようだわ。こんな音色を聴いていたら、ご病気なんて吹っ飛んで行くわよ。」
「千歳姫、今日もお越しになられたわね。」
「えぇ。相変わらずお綺麗で。」
「そうそう、今日のお召し物も素敵な色合いだったわね。」
「こんな方々に大切に想われているなんて、神子様ったら羨ましいわ!」
どんなに好印象を抱いていようと、神子に仕えるようになってからまだそう月日は経っていない。それも最初の2〜3ヶ月だけでその後は室に近寄る事さえ出来なかったのだ。花梨に対してそれほど親しみを抱いてはいない。事情を知らない者達は、深刻な事とは考えていなかった。それどころか、仕事などほとんど無くて退屈している。その為、容姿の美しい殿方や姫君が神子の側に侍っているのを、遠くから眺めては噂話に花を咲かせていた。
お陰でおかしいと騒ぎ立てる者もいなくて余計な心配事が増えずに済んでいるが。



そして今冬初めての雪が降った寒い朝、予定日から数日遅れたが、龍神の加護のお陰か、予想外にそれほど苦しまずに元気な男の赤ん坊を出産した。
「おめでとう御座います、花梨様。」
紫姫が涙混じりに言った。
「抱かせて・・・・・・。」
消耗し切っているが、二度と機会は無い。女房に支えられたまま花梨は腕を伸ばした。
「はい、頼忠殿との御子ですわ。」
「忠直・・・・・・。」
名前を呟くと、抱き締めた。
「花梨様・・・・・・。」
「神子様・・・・・・。」
周りの女房達も花梨の心境がどんなものだか分かっている。母子共々元気だというのに、この場にいる全員が泣きじゃくり、葬式のような雰囲気だ。廂では泰継の呪いの声と泉水の笛の音が室の中から漏れてくる泣き声を掻き消していた。


陽が落ちた夕刻、退出する千歳を見送る風を装いながら花梨付きの女房が抱き上げて外に連れ出した。そして車の中で託された千歳が四条の屋敷に向かった。



「千歳殿。」
神子斎王の御所に入れなかった八葉が待っていた。
「頼忠殿。」
腕の中の赤ん坊を手渡す。
「ありがとう御座います。あの、花梨殿は・・・・・・?」
挨拶、お礼の言葉もそこそこに、一番の関心事を尋ねる。
「花梨は元気よ。その子を手放し難くて辛そうだったけど。」
「そう・・・ですか・・・・・・・・・。」
「それにこの子も花梨から離されるとグズって泣き出して大変だったわ。やっぱり母親が好きなのね。」
永遠の別れとなるかもしれない事が分かっていたのだろうか?花梨以外の者に抱かれるのを嫌がっていた。泣き疲れて寝てしまった隙に連れ出したのだ。
「・・・・・・・・・。」
「それで、花梨がこれを忠直にって。」
預かった物を手渡した。厚ぼったい紙の中央に花梨の筆跡で、だが何処となく頼忠の筆跡に似ている字で『源忠直』との名前が書いてあり、その周りに乾いた花、紅と白の梅の花が散りばめるように貼ってある。そしてそれを保護する為か、その紙は薄い板に貼ってあり、無色透明に近い薄様の紙で全体を覆ってあった。
「これは・・・押し花、ですね。」
「えぇ。花梨は梅が一番好きな花なんですって。」
「・・・・・・・・・。」
「出産は大変だったか?」
「花梨さん、どんなご様子でしょう?」
八葉は千歳を取り囲み、事細かに尋ねる。千歳はその質問一つ一つに答えていたが、頼忠は何も聞いてはいなかった。ただその紙を見つめ、泣いていた。
「ありがとう御座います、ありがとう御座います・・・・・・、花梨。」



朝日が昇る直前、頼忠は八葉が見守る中、静かに四条の屋敷を出発した。



数日後、頼忠と忠直の二人が無事に河内に到着したとの知らせが花梨の元に届いた。しかし肝心の花梨は、魂の入っていない人形のようにぼんやりとしているか、御帳台の中で泣いているかの日々を過ごしていた――――――。






注意・・・10〜11月頃。

次、『―――絆〜反〜―――』はこれの数年後の話です。

2007/01/28 02:13:06 BY銀竜草