絆〜従05〜



深苑から緊急連絡があり、八葉が四条の屋敷に集まった。
「紫から文が届いた。」一瞬の間を空けると言葉を続けた。「神子は懐妊しておる。」
「「「「「「「え?」」」」」」」
一斉に頼忠を見つめる。頼忠は手を胸に当てて俯いたが、すぐに顔を上げた。
「当然公表する訳にはいかぬ。あそこには信頼出来る経験豊富な女房がおるから、このまま任せよう。」
「・・・・・・・・・。頼忠、お前は心の準備をしていたんだな。」
動揺の色を見せない頼忠に、勝真が言った。
「そうなれば良いと・・・願っていた。」
「ちょっと待てよ!それじゃ花梨が大変な目に遭うじゃないか。そんな勝手な―――。」
「分かっている。それでも、だ。」
「まぁ・・・気持ちは分からなくも無いがな。」
暗い、淋しそうな笑みを浮かべる頼忠に、勝真は同情の深いため息を吐いた。
「で、どうするのだね?姫君が手元に置いて育てる訳にはいかないのだろう?」
宥めるようにイサトに何事か言っている泉水から頼忠に視線を移し翡翠が訊いた。
「私が・・・・・・引き取りたい。」
「花梨さんと頼忠の仲は一応秘密でしたが、それは危険ではありませんか?母親は誰かと詮索する者は必ずいますよ。」
彰紋に言われ、頼忠は苦しげに顔を歪めた。
「河内に、河内に戻ります。あそこならば噂は噂で終わりましょうから。」
「分かった。紫にそう伝える。それから神子から頼忠に。」頼忠の眼を見つめる。「御子は男子だそうだ。名前を付けて欲しいと。」
「―――分かりました。」



八葉でも警備責任者の勝真と陰陽師の泰継、そして呪いの手助けをする泉水の3人しか、花梨が住む御所に立ち入る事は出来ない。しかし花梨の物忌み、その日は特別な日だ。この世界の者ではない花梨は、そして龍神の神子である花梨は五行の力に敏感で影響を強く受ける。八葉が側にいて守らなければならない。
「ただ敷地内にいれば良いというものではない。なるべく近くにいなければならぬ。」
星の一族の説明で、八葉は全員、特別に建物内に足を踏み入れる許可を得た。ただし、廂まで。御簾無しで会う事は許されない。


「泉水。」
「はい。」
泰継は到着するなりそこにいた泉水に笛を吹くように要求した。笛を膝の上に置き既に準備万端の泉水は頷くと早速笛を吹き出す。八葉が集まる前に呪いを施すのだ。

『どう?』
泉水の笛の音が響き始めると、局からぞろぞろと女房が出て来た。神子の室の前の様子を探ろうと、几帳の陰から覗き見。
『今日は泉水殿が一番乗りだったわね。』
『翡翠殿はまだいらっしゃらないわ。』
普段勝真がいて、泰継と泉水がよく訪れているとは言え、容姿の優れた八葉が集まる日なのだから大騒ぎだ。
『この方達に囲まれていたんだから、神子様は幸せだったわよねぇ。』
『ほんとほんと。』
頷く。
『怨霊退治が幾ら大変でも、辛くなんか無いわ。』
『うんうん。』
『私が神子になりたかったわ。』
『そう言ったら私だって。彰紋様や幸鷹殿が守って下さるんでしょう?だったら怨霊と戦うのだって怖くは無いものね。』
花梨の置かれた状況がどんなものだったのか知らない者達は好き勝手に言う。近寄る事の出来ない上級貴族と知り合う絶好の機会だったとしか考えていないのだ。もしかしたら玉の輿に乗れたんじゃないか、としか。

「ふぅ・・・・・・。」
幸鷹は纏わり付く視線を振るい落とすように身動ぎした。
「早いね、幸鷹殿。」
「翡翠殿。」
到着した翡翠が隣に座ると、幸鷹と同じような表情で顔を見合わせた。折角八葉が神子の側にいられる数少ない機会だと言うのに、これでは親密な会話は望めない。
「よう。」
イサトも到着した。二人のすぐ後ろの間にしゃがみ込むと、身を乗り出して耳元で囁き尋ねた。
「あいつら、どっかに行けって蹴散らしちゃ駄目か?」
「駄目ですよ、イサト。我慢して下さい。」
注意したのは彰紋。だがその表情は、出来るんだったら僕がやりますと語っている。
「円座も出さずに申し訳ありません。」
一人の女房が几帳の陰から歩み出た。御簾に近寄って八葉に円座を配って歩く。それに釣られるように他の女房もわらわらと出て行った。
「白湯をどうぞ。」
「それともお酒の方が宜しいでしょうか?」
「粥は召し上がりますか?」
話し掛けよう、近付こうとする邪な考えが見え見えで見苦しい。

「よう。」
勝真が逃がさないとばかりに頼忠の腕を掴んでやって来た。
「遅くなりまして申し訳ありません。」
「こちらにどうぞ。」
幸鷹が尻を動かし、御簾の正面の場所を譲った。
「すまない。」
勝真が頼忠を強引に座らせると、自分はイサトの横に腰を下ろした。
「やっと来たかい。」
逃げ隠れするように、頼忠は花梨の物忌みでも来た事は無かった。翡翠が覚悟を決めろとでも言うように頼忠の肩に手を乗せた。

シュルシュルシュル。
ガタガタガタ。
頼忠が現れた事で、花梨は気分が悪いのに無理して褥から起き上がった。袿を何枚も重ね着する。女房が御簾の側に几帳を置くと、その陰に隠れるように座った。脇には事情の知っている古参の女房が座り、花梨を支える。

「神子殿。体調が悪いと伺いましたが、ご気分はいかがでしょうか?」
頼忠が尋ねた。
「朝方はあまり宜しくありませんでしたが、泰継殿の薬湯のお陰か、今は顔色も良くなっております。」
御簾ににじり寄った紫姫が代わりに答えた。
「そうでしたか。それは良う御座いました。」
懐から小さな物を取り出し、御簾の中に滑り込ませた。
「まぁ、お守りですか?」紫姫は手に取ると、古参の女房に手渡した。「ありがとう御座います。」
「ここのお寺は病気平癒祈願に効果あると言われておりますわ。」
それと、安産祈願の。女房が花梨の耳元で囁くと、お守りを掌に乗せた。

女房に囲まれていては他愛も無い話しか出来ない。それぞれの近況報告をする。
「幸鷹殿はご自分のお屋敷を造営し始めたそうですね。」
紫姫が確認するように訊いた。
「はい。検非違使庁は別当の私邸が当てられる事になっておりますから、手狭なのです。兄の右大臣にこれ以上のご迷惑をお掛けする訳にはいきませんから。」
「オレは鍛冶師のところに見習いに入ったんだ。まだ本格的にじゃないけどな。」
「才能はありそうか?」
勝真が訊いた。
「当然さ!」ドンっと胸を叩いた。「オレを誰だと思っているんだ?」
「勿論、イサトですよ。」
彰紋がにこやかに答えると、イサトは嬉しそうに彰紋の肩を抱いた。
「母が縁故のある寺に出家致しました。」
「まだ訪問を許して頂けないのですか?」
翡翠が尋ねると、泉水は寂しそうに、だがほんの少し嬉しそうな笑みを浮かべた。
「はい。ですが、文を受け取って下さるようになりました。」
お返事はまだ頂けませんが、と小さな声で付け足した。
「少しずつ、ですわね。」
「はい。」
「俺の事は言わなくてももう分かっているだろう。泰継殿は何かありますか?」
「無い。」
勝真が折角訊いたのに、たった一言で終わった。
「僕も今のところ、お話出来るような事は何もありません。」彰紋は頼忠に顔を向けた。「頼忠はどうですか?何か変わった事でもありますか?」
「私は河内に戻る事が正式に決まりました。」
花梨の肩がピクリと動いた。
「すぐに帰ってしまうのですか?」
紫姫が尋ねた。
「いいえ。」首を振った。「私の代わりに私の弟が武士団に入ります。その準備がありますのですぐに、とはいきません。そうですね、冬の終わり頃でしょうか。年が明ける前には向こうに戻っていると思います。」
「寂しくなりますね。」
彰紋が呟くと、他の者もしんみりと頷いた。
「私は時々だが、伊予に戻るつもりだ。部下の者が煩くてね。お前が河内にいるなら寄らせて貰おうかな。」
「分かった。宿の心配はするな。」
「じゃあ、文を託したら届けてくれるか?」
勝真が期待を込めて訊くと、翡翠は頷いた。
「勿論。離れていても仲間は仲間だからね。互いに様子を知りたいだろう。」
「良かった。完全に縁が切れてしまう訳では無いんだな。」
イサトが元気良く言った。
「すまない。」
「ありがとう御座います。」
頼忠と紫姫が礼を言うと、翡翠は御簾の向こうにいる者に微笑んで見せた。

「神子様、いかがなされましたか?ご気分が悪いのですか?」
室の隅に控えていた女房が声を掛けた。花梨が女房の肩に顔を埋めるように寄り掛かっていた。
「神子。気が乱れている。物忌みの影響が出たか。」泰継が御簾の側に寄った。「こちらに来い。」
ざわざわざわ。女房達がざわめく。
「神子様。」
紫姫が花梨に近付いた。
『良いの?』
「神子様、陰陽師の方の言葉に従いましょう。」
女房は花梨に頷くと、紫姫と支えながら立たせる。そしてゆっくりと御簾に歩み寄って座らせた。
「神子。」
「あっ!」
いきなり御簾の中に腕を突っ込むと花梨の手を引き出した。思わず声が上がる。
「「「神子殿。」」」
「「花梨。」」
「花梨さん。」
「神子。」
御簾越しでも、数ヶ月ぶりに花梨の姿が見えた。八葉が御簾の側に集まる。
「・・・・・・・・・。」
泰継が呪いの言葉を紡ぐ。すかさず泉水が笛を奏で始めた。
『神子殿。』
カサリ。
「っ!」
「楽になったか?」
呪いを施し終えた泰継が訊いた。
「はい、気分が落ち着きました。ありがとう御座います。」
手の中の小さな紙を握り潰すようにして隠した。
『まぁ。神子様がお話しになられたわ。』
『良いの?会話しちゃいけないんじゃなかったの?』
『陰陽師の方の呪いだから仕方が無いんじゃない?』
『神子様が他の世界の方だからかしら?』
花梨が直接声を掛けた事に驚き、女房達がざわめいている。しかし八葉の何人かの瞳は喜びと悲しみで濡れている。
「次に苦しいと思ったら我慢せずに言え。」
「分かりました。」
花梨が頷くと、紫姫と先ほどの女房が花梨を立たせ、御帳台の中へと連れて行ってしまう。
「もう陽が暮れ始めておりますわ。今日はありがとう御座いました。」
紫姫が御簾の側に戻って来て八葉に挨拶をした。
「分かりました。ではこれで失礼致します。」
「ゆっくり休んで下さいね。」
「花梨、無理は禁物だからな。」
口々に挨拶すると帰って行った。警護する勝真一人を残して。



寝たフリをしていた花梨は、女房の全員が退出すると起き上がり、室の隅に灯し続けている明かりに近付いた。
「頼忠さん・・・・・・・・・。」
頼忠が手渡してくれた紙を広げる。そして長い時間眺めていた。―――源忠直、という3つの漢字を。