29.「ささやかでいいから」 (GetBackers=蛮×銀次 / 2007・銀次お誕生日SS) 2 |
汗を絞ったタオルで拭われ、額を冷やされ、何度も様子を伺ってくれる蛮の気配を感じながら。 額や頬にやさしくふれてくれる、少し冷たい指先を心地好く思いながら。 銀次は、とろとろと、浅く深く眠りを貪り――。 気がついた時には、時間は、思いのほか経っていたらしかった。 ぼんやりとした目をこすりながら開けば、夕暮れの色にカーテンが彩づいている。 汗をかいたせいか、熱は大分下がったらしい。 身体の痛みも、かなりましになっていた。 蛮は、本を読み終えたらしく、今はソファで新聞を広げている。 それを少しだけ首を上げて見つめ、ふと。 銀次は、蛮の前のテーブルに置かれた灰皿に気付いた。 「…蛮ちゃん?」 小さく呼ぶなり、蛮の視線が銀次へと動く。 立ち上がり、簡単に畳まれた新聞はテーブルの上へと無造作に置かれた。 「よう。大分マシみてぇだな」 幾分顔色が良くなっていることにほっとしたように、ベッドの傍に蛮が近づく。 見上げる銀次の口元が綻び、笑みがこぼれた。 「ん…。熱、大分下がったみたい」 「どら」 言うなり、熱を計るように銀次の額に掌が置かれる。 次いで顔が接近し、掌の代わりに額が寄せられた。 「ばばば蛮ちゃんっ」 唇と唇がくっつきそうなほどの大接近に、銀次の両頬が、ぱっと一気に真っ赤に染まる。 「あん? まだ微熱はあるな。顔も赤ぇし」 だから、それは蛮ちゃんのせいなのですっ、と心で叫んで、銀次がもぞもぞと赤い顔を布団に隠す。 「う、うん。でも、もう大丈夫そう。喉の痛いのも、大分ましだし」 「まだ大丈夫じゃねえだろが。あぁ、汗すげえな」 「うん。汗いっぱいかいちゃったから、それで熱下がったんだろうケド。うわー、ほんとだ、ぐっしょり」 「おら。コッチに着替えろ」 言って、隣のベッドに置かれた紙袋から、蛮がごそごそと新しいパジャマを取り出し、銀次に手渡す。 銀次がさも驚いたような顔で、上体を起こし、それを受け取った。 「…これも、蛮ちゃんが?」 買ってきてくれたの?という顔で瞳をまんまるにする銀次に、だから何だとでもいうように、照れ隠しに蛮が素っ気無く返す。 「いいから、とっとと着替えろや」 「う、うん」 強引に言われて、銀次がベッドの中でもそもそと汗ばんだパジャマを脱ぎ、蛮に渡された濡れタオルで身体を拭いて、新しいパジャマに袖を通す。 "身体。俺様が拭いてやろうか?"とにやりとされたが、それは"余計、熱があがるから結構ですっ"と慌てて丁重にお断りした。 汗でべっとりしていた身体もパジャマもすっきりして、銀次がまたベッドへと潜り込む。 蛮は銀次の脱いだものを、甲斐甲斐しくまた紙袋へと詰め込んだ。 「ねえ、あの」 「あ?」 その様子を眺めつつ、銀次が、やや言いにくそうに口を開く。 蛮のそんな一つ一つの動作にも、やっぱり何かが足りないと感じて、つい唇を見てしまうから。 「あのさ、蛮ちゃん」 「何だよ」 「あの…。オレ、別に、煙草の煙とか平気だから」 「……あ?」 銀次の言葉に蛮の手がぴくりと止まり、横目で睨むようにベッドを見る。 「だ、だって、蛮ちゃん。朝からほとんど煙草吸ってないし。この部屋でも、全然吸ってないじゃん。オレに気をつかってくれてるのなら、そんなの全然大丈夫だし…!」 睨まれたままで、焦って早口にまくしたてる銀次に、蛮が、何だよお見通しかよ、と言いたげなバツの悪そうな顔で瞳を眇める。 「テメエが寝てる間に、ロビーで吸ってきたっての」 言って、これじゃあ、肯定してるみてえじゃねえかよ、と内心でぼやく。 「え。わざわざ? いいよ、そんな。ここで吸ってよ」 懇願のように、眉間を寄せて言う銀次に、苦々しい顔で蛮が返す。 「テメエ、喉痛えんだろが」 「平気だってば、それくらい! 蛮ちゃんの煙草の煙なんて慣れてるし! てんとう虫くんの中が、蛮ちゃんの煙でもくもく真っ白になってても、オレ、全然気になんかなんないもん!」 「…嫌味か、そいつはよ」 「そ、そうじゃなくて、ですね! だいたい、ほら! 煙草吸ってない蛮ちゃんって、何か変だし!」 「―はあ?」 必死の形相で言われて、思わず蛮の口元に薄く苦笑が浮かぶ。 まったく。大人しく寝てりゃいいものを。 なんだって、そんなことまでいちいち気がつきやがるんだか。 胸で愚痴りつつも、よくよく思い返せば。 実は一度、銀次が眠っている間に、つい習慣で煙草に火を付けてしまったのだが。 一息つくなり、薄く窓を開いていたにも関わらず、銀次に猛烈に咳込まれ、大慌てで火を消したのだ。 しかも、あまりにも慌てていたらしく、飲みかけのコーヒーの缶に咄嗟に吸殻を突っ込んでしまい、当然の如くコーヒーも飲めず。 我ながら、己のその失態に、苦笑を漏らすしかなかった。 まったく。 どれだけ大事なんだか。 こいつのことが。 心で呟いて、その呟きに、さらに舌打った。 今も本当ならそうしたいところだが、銀次が機嫌を損ねたと誤解しそうなため、それはやめたが。 「つーかよ、つまらねえ事に気ぃ回してねえで。病人は、身体治すことだけ考えてりゃいいんだ、バーカ」 努めて軽く言って、見上げてくる琥珀から目を反らしたまま、その髪をくしゃくしゃとやる。 そして、銀次がまだ何か言おうとしたのを遮るように、とっとと話の矛先を変えた。 「さて。問題は洗濯だな。しゃあねえ、Honky Tonkまで運んで洗濯機借りるとすっか」 「え…」 洗濯物の入った紙袋を下げ、蛮が、やっと銀次に目を向けると訊ねる。 「洗濯ついでに、何か食いてえモンあるなら買ってきてやるけどよ?」 「って。い、今から行くの?」 どこか不安げな物言いに、蛮がやや不審そうな顔になる。 何か問題でもあるかよ?と問われれば、無論、そんな理由もないのだけれど。 思い、気を取り直すようににっこりとして、銀次が言った。 「ええっと。 じゃあ、アイスが食べたい。バニラの」 「へいへい。つうか、他に食うモンとかいいのかよ。アイスじゃ、腹は膨れねえぞ」 言われて、ううんと考える。 しゃがれた声は大分元に戻ってきたものの、喉の痛みはまだ続いているし、食欲も無い。 お金がない時に、おなかがすいて、きゅるきゅる鳴るのも切ないけれど。 まったくおなかがすかないというのは、何かもっと根本的にかなしい気がする。 だけど、実際そうなのだから仕方がない。 「うーん。まだ、あんま食べられそうにないから」 「そっか。なら仕方ねえな。まぁ、また夜にでも食えそうだったら、近くにコンビニがあるからよ。いくらでも、買いに出てやるけどな」 「うん、ありがと。蛮ちゃん」 こくんと頷く銀次を見て、蛮がもう一度、銀次の額の熱を掌で確かめる。 顔色も随分良くなったとはいえ、頷くその瞳がえらく頼りなげに見えたから。 「すぐ戻るがよ」 「うん」 「テメエ、平気か」 「…え。な、何?」 「一人で大丈夫か?っての」 「え? う、うん…」 心配そうに改めて蛮に問われ、銀次がますます頼りなげな瞳になった。 確かに熱は、もう大分下がっているけれど。 ホテルの部屋で一人で留守番することも、仕事の時などは別段めずらしいことじゃないし。 でも。 今は。 少し、心細い。 一人になるのが。 何だか、こわい。 「じゃあよ。なんかあったら、携帯に」 「蛮ちゃん」 言葉を遮るように名を呼ばれ、蛮が少々面食らった顔で、どうしたと銀次を見下ろす。 ベッドを離れようとした途端、いきなり、ぎゅっと服の袖を掴まれたのだ。 縋るような眼差しに、蛮が紫紺をすっとやさしげに細めた。 「…どうしたよ?」 「…ごめん」 「あ?」 「やっぱ、いい」 「…何がだよ」 「やっぱ、何もいらない」 「…銀次?」 「洗濯とか、元気になったらオレ、自分ですっから」 ぼそりと言って、蛮の手を両手に包んで、ぎゅっと握る。 「…おい?」 「ここにいて」 「銀次…」 「そばにいてよ」 消え入りそうに告げて、銀次がほんのりと涙ぐむ。 「ね…? 蛮ちゃん」 「…んだよ。甘ったれ」 眦をこぼれそうになる涙を指先で拭ってやりながら、蛮が笑んで、くしゃくしゃと髪を撫でてやる。 「どうしたよ? らしくねぇ」 「だって」 「普段元気なヤツほど、ちょっと具合が悪くなると、気弱になりやがるっていうけどよ」 まさにそいつか?とからかうように、指先でちょんと鼻頭を突っつかれて、銀次が拗ねたようにむっと唇を尖らせて結んだ。 「んな顔、すんなっての」 「む、だってさ」 子供のような顔にフ…と笑みを漏らして、蛮がその身体を引き寄せる。 あたたかな腕の中に宥めるように抱き寄せられて、銀次が驚いて瞳を見開いた。 「ば、蛮ちゃん」 「わかった。どっこも行きゃしねえって」 「蛮ちゃん…」 「此処にいてやるからよ、大人しく寝てろ。まだ身体熱いじゃねえか」 「……うん」 後頭部を掌に包むようにされて、銀次がこくんと素直に頷く。 そして、腕に支えられるまま横になろうとして、そのままベッドに乗り上げてきた蛮に、えっという顔でそれを見上げた。 「え? ば、ば、蛮…」 「おら。もうちょい、詰めろ」 「え、ええっ! て、まさか、この体勢は! そ、そそそそ添い…!」 「ここにいろっつったの、テメエじゃねえかよ」 「えええ!? い、いや、そうですけどもっ…! ち、ちか、近すぎるっていうか」 「贅沢抜かすな。俺も眠くなってきたんだっての」 だったら、隣のベッドがまるまる空いてるんですけどもっ!と、内心で(いや実際も)汗をかきかき銀次が思う。 …そりゃあ、勿論。 構わないケド。 というより。 嬉しくないわけはないケド。 というか。 嬉しいに決まってるケド。 …でも絶対、熱は返って上がると思う…。 それでも心の呟きとは裏腹に、腕の中にすっぽり包まれて、安心したように目を閉じる。 そういえば、明け方。 発熱のための悪寒にぶるぶる身体を震わせていた時も、蛮は、こんな風にあたためるみたいに腕の中に抱いてくれた。 多分、深夜から既に具合が良くなくて、何度も寝返りをうったりしていたから、運転席の蛮もろくに眠れなかっただろうと思う。 「あぁ、テメエな」 「…うん?」 「ついでに、して欲しいこととかあったらよ。何でも言え。今日のうちなら聞いてやるからよ」 「今日のうち? あ。お誕生日だから?」 「まぁな。誕生日祝いってやつだ」 照れ臭そうに耳元で告げられ、"わーい!"と大喜びしながらも、でももう充分にいろいろしてもらってるんだけどなあと銀次が思う。 でも、滅多にない機会だから。 普段の蛮ちゃんなら、絶対無理!ってことをお願いしちゃおうかなー。 何がいいかなあ。 "うーん、何にしよう?"と考えているうち、温もりに包まれて、睡魔がじんわりと押し寄せてくる。 どうしても即答は勿体なくて、"今すぐ思いつかないから、ほんとに今日中有効ってことにしてね?"と確認をとれば、蛮は目を細めて、「へいへい」と肯いてくれた。 それに安心して、銀次が甘えるように蛮の腕に潜り込む。 そして、ぴったりと身を寄せ合って目を閉じれば、心地好い眠りへと落ちるまでには、十秒とかからなかった。 3へ |