←50title/index
novel


29.「ささやかでいいから」  
(GetBackers=蛮×銀次 / 2007・銀次お誕生日SS)



何というか。
冬の寒い間。
まるで冷蔵庫みたいになっちゃう、てんとう虫くんの中で寝てても。
(この冬は暖冬とかで、ちょっとあったかかったケドね)
インフルエンザが大流行して、夏実ちゃんとレナちゃんと波児さんまでが寝込んじゃっても。
風邪の菌は、オレを避けてるみたいに素通りしてったのに。


冬が去って、桜が咲いて、ぽかぽかとお日様の光があったかくなってきて。
うわあ、もう春だなあって日が続いた後。
ちょっぴり気温が下がって、ちょっぴり冬に逆戻りしちゃう、そんな春も半ば。
つまり、オレのお誕生日の頃。


毎年そうなんだけど。
そのころになってやっと風邪の神サマは、オレの存在に気付くらしい。
"あぁ、そういやキミ! まだだったねえ"
…みたいに。












「んあ〜。39.3分…?」
信じられないとばかりに驚愕の表情になる銀次に、かしてみろと蛮がデジタルの体温計を取り上げ、数字を確認して、また苦々しい顔でケースに戻す。
朝起きた時よりもさらに上がってしまった熱に、銀次がはあ…と重い溜息を落とせば、こりゃ医者に診せるしかねえなと蛮の呟きが漏れ、銀次の顔も苦々しくなった。
「…い、いいよ、俺。お金かかるし、それに」
「それに、何だよ」
「お医者さん。…こわい」
「ガキか、テメエは」
呆れたように思いきり溜息を落とす蛮に、唇を尖らせて銀次が反論する。
「だってさ、本当に怖いんだもん。波児さんのお知り合いの、あの髭のおじいちゃん。お薬も、すんごく苦いし」
「赤髭ジジイが嫌だってのなら、仕方ねえな。クソ屍にするか?」
「う゛。…………いえ、おじいちゃんでいいです…」
まさに究極の選択を突き付けられ、くすん、蛮ちゃんいじわるだ…と、普段の元気いっぱいな声とはまるで別人の掠れた声でぼそぼそと呟いて、銀次が派手にごほごほと咳込む。
かなり苦しげなそれに蛮の顔が顰められ、倒したサイドシートの上で毛布を引き上げて丸くなる銀次を見つめる。
掌を汗ばんだ額に置けば、それは体温計が示す以上に恐ろしく熱かった。
発熱のせいで全身が痛むらしく、咳込んだ後には小さく呻き声が漏らされる。
硬いスバルのシートでは、横たわっていることさえつらいのかもしれない。

蛮は、おもむろに携帯を開くと、銀次が苦手だという老医師に診察の予約を入れ(ちなみに裏新宿では有名な腕の良い無免許医である)、時計を確認した。
「そっか…。わかった。じゃあ、今からすぐ連れてくからよ。あぁ、無理言ってすまねえな」
短く告げて電話を切り、携帯を畳む。
そして、サイドシートの銀次を見遣った。
「つうわけだ。まぁ、ジジイの薬飲みゃ、ちったあマシになんだろ」
「うん…」
力弱く肯いて、また咳込む銀次の頭をいたわるようにふわりと撫で、蛮がスバルのエンジンをかける。
熱のせいで次第に虚ろになっていく瞳でそんな蛮を見ながら、確かに風邪のせいでとっても苦しいし、つらいのだけど、と銀次が思う。

ただ、そんな銀次を見つめる蛮の眼差しの方が、よっぽど苦しそうに見えて。
自分のことなら、蛮ちゃん、絶対こんな顔はしないのになぁと荒い息をつきながら考えて、銀次はちょっと切なかった。










まだ朦朧としている意識のまま、目覚めれば。
そこは、どうやらホテルの一室のようだった。
白い壁。ふかふかのベッド。清潔そうなシーツの匂いに、うっすらと力のない瞳を開く。
音のないあまりに静かな室内に、ふいに不安を覚えて重い瞼を押し上げるようにして瞳を開くと、銀次はぼんやりとしたまま辺りを見回した。
ふと。窓際のソファに腰かけて、本を読む蛮の姿が目に入る。
それを認めるなり、ほっと安心したように銀次の身体から力が抜けた。

まったく我ながら。
甘え過ぎだと思うけれど。

小さくついた息に気付いて、紙面に落とされていた紫紺が動く。
「おう、起きたか?」
「…蛮ちゃん」
「具合はどうよ」
立ち上がり、声と共にベッドの脇まで来て、蛮がベッドの端に腰掛け、銀次の顔を覗き込む。
「ちったあ、ましか?」
「うん…。大分まし…」
がらがらの声で答えて、降りてきた手に軽く髪を撫でられて小さく笑む。
「お薬、効いてきたみたい」
「…そっか」
短く答えて、蛮が目を細めた。
返事は素っ気ないが、見下ろしてくる瞳はありありと安堵を映している。
「ま。ああ見えても、腕は確かだからな。あのジジイ」
銀次はうん…と頷くと、蛮の手の甲にそっと、未だ熱いままの掌を重ねた。
「…やっぱ、怖かったケドね」
眉を下げて言う銀次に、蛮が低く苦笑を漏らす。
「ありゃあ、テメエを気に入ってるんだぜ」
「そ、そうかなぁ」

"赤髭"という通り名をもつ眼光鋭いその偏屈な老医師は、仙人みたいに赤茶の髭を長く伸ばしていて、見かけだけでも本当に怖そうで。
医者慣れしていない銀次が、身体の向きを変える時などにもたつく度、"お前さんは、ほんに阿呆じゃの!"と大声で叱られ、杖でぽこぽこと頭をこづかれた。(蛮曰く、これが気に入りの証拠らしい)
そして、出された薬は涙が出るほど苦かった。


それでも、喉の痛さは相変わらずだけれど。
身体の痛みは、大分楽になった気がする。
朝方はもう身体中痛くて、スバルのシートで寝返りを打つのも、呼吸するのさえもつらかったから。

それはそうと。
薬を飲んで、すぐに眠くなってきて。
そのままスバルのシートで眠りこけてしまった後は、どうやら記憶がない。
いつホテルに入ったのかもまったく知らなくて、でも、蛮の背中に凭れてひどく安心していたことだけは、何となく感覚として覚えている。

蛮ちゃんが、ここまで運んでくれたのかな…?

ホテルの駐車場から部屋までおぶさられてきたのかと想像すれば、かなり恥ずかしい格好だった気がするのだけど。
ロビーとかで、大注目だったんじゃないかな。
考えて、頭がくらくらしてきてしまう。

しかも、いつのまにかパジャマ着てるし。
これ、蛮ちゃんが買ってきてくれたのかなあ。
それで、着替えさせてくれた?
うわ、そんでも寝てるって、どういう神経なのっ、オレ!


「熱もちっとは下がったか。その割りにゃ、顔がえれぇ赤いがよ」
それは蛮ちゃんのせいなのです。
…と、心の中で呟いて、銀次が顔を隠すように、もそもそと布団を引き上げる。
物言いたげに上目使いで見上げていると、伸びてきたやさしい指先に、汗で額に張りついた前髪を梳かれ、ふっとまた瞳を伏せた。

「熱、計るか?」
「…ううん。いい。もっと、下がってから計る」
「は? 下がってから計っても意味ねえだろうがよ?」
「だって、計ってみてさ。また朝みたく、すんごい数字だったら…。オレ、そんだけで頭くらくらしちゃうから…」
「そういやテメエ。朝も"大したことない"とかカラッと言ってた割にゃ、体温計見るなり、唐突に重病人のツラになってたからな」
「笑いごとじゃないよ、もー」
低く笑って言う蛮に、唇を少々尖らせて反論しながら、銀次が目をごしごしとやる。


薬が効いているせいだろうか。
蛮の声が、少し遠くに聞こえる。
ふれられている感覚も、どこか遠くて。
瞼が重たくなってくる。


「まだ眠てえんだろ? 水分摂って、ゆっくり寝てろ」
「うん」
「何か、飲むか?」
「うん。飲む」
銀次の答えにベッドを離れ、蛮が冷蔵庫から、銀次にリクエストされたスポーツドリンクの500のペットボトルを取り出す。
いつものように投げ渡しかけ、腕を出すのすらつらそうな銀次に気付くと、蛮はそれを手にしたまま、ベッドの脇に戻り、銀次の上体に腕を回してゆっくりと起こさせた。
「わ」
ベッドに腰かける自分に凭れ掛からせ、蓋を開けてペットボトルを銀次に手渡す。
「あ、ありがと」
いたれり尽くせりな気遣いに、銀次がはにかむように微笑しながら、それに口をつけ、こくこくと呑む。
喉に少しばかり染みたけれど、熱のある身体にはその冷たさが心地良くて。
そして、身体を支えてくれる蛮の腕は、もっと心地好かった。


誕生日に風邪なんて、本当にツイてないと思ったけれど。
こんな風に、蛮ちゃんに甘やかしてもらえるのなら。
むしろトクした気分だなぁ。
…と、銀次がくすくすっと嬉しげに心で笑む。


「なぁに、にやついてんだよ」
「んあっ、べ、別に何でもナイです、けど」
「もういいのか?」
「あ、うん。ごちそーさま。ふあ、おいしかったー。喉渇いてたから、すっとしちゃった」
「そりゃ、良かった。おら、寄越せ」
「うん」
「また欲しけりゃ言え。出してやるからよ」
ペットボトルの蓋を閉め、蛮の手が、静かに銀次の上体をベッドに戻して横たえ、立ち上がる。
蛮の身体が離れるなり、銀次は少々心もとない気分になった。
本当は、もっと甘えてくっついていたかったのになと思いながらも、蛮ちゃんもきっと熱いし重いだろうしと諦める。
そんな気持ちと一緒に微かに落とした吐息に気付いたらしく、蛮がベッドを振り返った。
「あ?」
「え、ううん。いや、オレってツイてないなぁって思って。せっかくのお誕生日なのに」
「あぁ、Honky Tonkのバースデー・スペシャルメニュー、食い損ねたな」
「うん。楽しみにしてたのになあ。元気になったら、お誕生日過ぎてても作ってくれるかなー、波児さん」
「そりゃ、波児のことだ。心配ねえだろ。つうか、この状態でも食う話か。テメエは」
「蛮ちゃんが話ふったんじゃんか。けど、せっかくご馳走食べられる日に食欲ないなんて、何かすんごく損した気分」
「つくづく食い意地の張ったテメエらしい思考だな、そいつは」
言って、再びベッドに戻ってきてくれた蛮に、銀次が素直に嬉しそうな顔になる。
腰かけた蛮の腿に甘えるように額を寄せた。
「でも。こういうのも、また良いけどさ」
「あぁ?」
「お天気のいい昼間に、こうして蛮ちゃんと二人きりでホテルの部屋にいて。ふかふかのベッドで、のんびり寝てるなんて。…すごい贅沢な事、だもんね?」
聞き慣れないしゃがれた声で告げられ、蛮が苦笑する。
「お手軽なこって」
それで、具合が悪くなけりゃな。
心で呟き、やわらかな金色をそっと撫でた。

こうしてふれているだけでも、その体温の高さがわかる。
確かに、幾分は下がったのだろうが。まだまだ高熱の域だ。
見下ろした蛮の瞳の先で、何でもないように話している銀次の胸が苦しげに大きく上下している。
心配をかけまいと、できるだけ元気に見せようとする銀次のいじらしさが、蛮には少々切ない。
もっと我儘でも言って、甘えれば良いものを。

「おら。いつまでもくっちゃべってねえで。寝ろ」
「…うん」
静かに言われ、髪をやさしく撫でられて、銀次がゆっくりと睫毛を下ろす。

まだもっと、話してたいのに。
もっとこうしてたいのに。

思いながらも目を閉じるなり、意識はぼんやりとなって、瞬く間に眠りへと落ちて行く。
身体がベッドに沈むように、重く怠い。


それでも。

テレビもラジオも、何の音もない静かな部屋で。
カーテンの引かれた隙間から、微かに漏れる陽の光を感じながら。
蛮の気配に包み込まれて。
やわらかく清潔なベッドの中に潜って、ゆったりと眠りにつけるのは、まさに至福のひとときで。


うん。
こういう誕生日も、やっぱり悪くないなぁと。
寝入っていきながら、銀次が思う。

薄く開いた唇からは、やがてすうすうと規則正しい寝息がこぼれ出した。