■ 天使のいる場所 (3)



子犬はいつの間にか、銀次の腕の中で寝てしまった。
それと前後して、蛮がそばにいることに安心したのか、銀次もウトウトとし始め、今は背中を壁に預けるような形でぐっすりと眠っている。
「おー寒ぃ」
まったく銀次といると、何につきあわされる羽目になるやら、わかったもんではない。
蛮は諦めたようにため息をついて立ち上がると、少し離れた場所に止めてあるスバルに戻り、ついこの前、大型ゴミからゲットしたばかりの毛布を取り出すと、それを持ち帰って銀次の身体にかけてやり、自分もいっしょにくるまった。
飼い主が入院中のため、この犬をすぐにどうこう出来ないとわかったからといって、どのみち銀次は今夜はここから離れるとは言わないだろう。
それよりも、子犬がここで飼い主の迎えを信じて待っている限り、自分も一緒に何日でも付き合って待つといいかねない。
それでどうなるわけでもないと、わかっているとしても、だ。
ま、そこいらは犬ともども、猿マワシのヤローに説得させるとして・・・。
動物と話ができる、脳味噌が限りなく野生に近い奴がいて、これはよかったというべきか。
思いながら、首を痛めそうな形で頭を壁にくっつけて寝ている銀次をちらりと見る。
(ったく・・。んな状態で寝てたら、寝ちがえちまうだろうが)
思いつつ、頭と壁の間に手をいれて、その頭を自分の方に引き寄せる。
あっさりと重力のままに、ぽて・・と銀次の頭は蛮の肩の上に落ちてきた。
それでも、くうくうとイビキをかいて眠っている銀次に、蛮がやさしげな眼差しでそれを見る。
こんな場所でこんなに深く眠れるのは、よほど安心しきっているからなのだろう。
その安心しきっている場所が、自分の肩の上だというのが、蛮にはくすぐったいくらいに嬉しく思える。
その寝顔を見つめながら、蛮は少し複雑なため息をついた。
銀次の腕の中の子犬は、さっきよりもずっと具合が悪そうに見える。
息をする度に、痙攣のように全身をふるわせ、毛並みも艶がどんどんなくなってきている。
最初に見たときから、すでに死の匂いが漂っていた。
車にひかれた時に、すでに内蔵もヤられてしまっていたのだろう。
10日ももっているなんて、そっちの方が奇跡かもしれない。
しかし、それももう、限界だ。
だから、捨てておけといったのに。
最後の最後で人の温もりを思い出させられてから、また同じ寒空に放り出され、命を終わりを一人でむかえるのはあまりにも残酷だ。
それ以上に、そのことを知った銀次の悲しむ顔を見たくはなかった。
「んぁ・・・」
「・・・・起きたか?」
「蛮ちゃん・・・? オレ、寝てた?」
「ああ」
蛮の肩からゆっくりと身を起こし、ちょっと照れくさそうに鼻の下を指でこすって、それから腕の中の子犬を見下ろし、銀次がはっと顔色を変えた。
「・・・! 蛮ちゃん・・・? ねえ、子犬の様子が変だよ・・?」
「・・・ああ」
「おいっ、おまえ・・! しっかりしろよ、なんでそんなに震えて・・! ば、蛮ちゃん、お、お医者さんにつれてってやらなきゃ、コイツ、なん
だかすごく具合が悪そうだよ・・!! あ、ここまっすぐ行ったとこにたしか動物病院が・・!」
「銀次」
慌てて子犬を抱いて立ち上がろうとした腕を、蛮の手が強く掴んで引き戻す。
「・・・ば、蛮・・ちゃん・・!?」
「わかってんだろ? おまえも」
「・・・・・・!」
「わかってたんだろ?」
「・・・・」
「もう、助からねぇよ・・」
低く言ったその言葉に、銀次は悲痛な顔で腕の中の子犬を見下ろし、切れるほど強く唇を噛み締めた。



「なんとなく・・・・わかってたんだ・・・・。最初見た時から・・・。そんな目、してたんだよ。ここを、死に場所に選んでるって・・・・。蛮ちゃんがあんなに強く駄目だって言わなかったら、もしかしたら気づかなかったかもしれないけど・・。でも、さ。こんなに急に悪くなるなんて思わなかった・・・。明日、本気でオレ、飼い主の人、探すつもりだったんだ。蛮ちゃんに怒られても。だって、可哀想すぎるもん。まだこんな小さいのに、大好きな人、待つだけ待って死んでくのって・・・!」
さっき、少し血を吐いた子犬は、もう息をしているのかどうかさえわからないくらい、その呼吸はか細い。
息をする度に苦しそうに大きく上下していた腹も、今は時折ピクリ・・と動くくらいだ。
腕の中で、次第に体温が失われていくのがわかる。
次第に冷たくなっていく子犬は、自分の腕の中で命の終わりを迎えようとしている。
それを、何も出来ず、助けてやることもできず、ただ逝くのを見守ってやるしかない無力さが、やりきれなくて、たまらなく悔しい。
せめて、この腕が、おまえの一番大切な、一番大好きな人の腕だったら、どんなにかいいだろう。
そうじゃないことが、銀次にはどうしようもなくつらかった。
(オレはテメーに、そういう顔、させたくなかったんだよ、銀次・・)
蛮が心の中で呟く。
それでも。
たとえば自分が死ぬ時には、ちょっとこういうのもいいかもしれない。
この子犬のように、銀次の腕の中で自分のすべてを終えられるのなら、どんなにか幸福だろう。

オイ、犬。
テメー、ぜーたくなんだよ。
犬の分際で、よ。
そいつはよー。
オレんだから、テメーはさっさと自分のバーさんとこに帰んな。

「クゥン・・・」
「え・・? おまえ、どうし・・・・? 蛮ちゃん?」
いきなり甘えたような声を出した子犬に、銀次が驚いた顔をして蛮を見る。
えっ?と思った次の瞬間。
子犬は「ワンワン!」とさも嬉しげに鳴いて、銀次の腕からぴょこん!と飛び出ると、まっしぐらに走り出していた。
「え?おい・・!」
「コロ!」
クウゥウウン・・・!!
「コロ、おいで・・!待たせたね・・!」
「あ・・・」
通りの向こうからやってきたやさしげな初老の女が、子犬に向かって腕をひろげ、涙に顔をぐちゃぐちゃにして子犬を抱き上げる。
「寂しがらせたね・・・。よく待てたねー。えらかった・・・えらかったよー。コロ・・。もう大丈夫だよ、おばあちゃんが一緒だからねー。ほー
ら、おいで、いい子だいい子だ・・・・」
子犬はその腕の中で、嬉しくて嬉しくてたまらないというように、尻尾をちぎれんばかりに振って、皺だらけの顔を一生懸命になめていた。
(そか・・・。おまえ、おばあちゃんに会えたんだ・・・。よかったね。よかった・・・・・・)


次の朝。銀次の腕の中で、子犬は冷たくなって死んでいた。
けれども、その顔は満ち足りていてとても幸福そうに見えた。
「邪眼・・・。使ってくれたんだ。蛮ちゃん・・・」
それを見下ろして、それから銀次がゆっくりと蛮を見つめる。
「・・・・・・・っ!」
涙がみるみるまに瞳を溢れてぽろぽろとこぼれ、毛布にくるんだ子犬をそっとおいて、銀次が蛮の首に腕を回して縋り付く。
「蛮ちゃん・・・! 蛮ちゃん・・・・」
苦しそうに泣く銀次の涙が、蛮の胸に痛い。
「蛮ちゃん・・・・・ありが・・・と・・・・!」
「銀次・・」
「オレ・・・・何もしてやれなかった・・・!」
抱きついてくる身体を抱き寄せて、子供にするように頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
「んなこと、ねーだろ?」
「だって・・・」
「おまえ、ずっとコイツといてやったじゃねーか。オレが捨ててこいつっても」
「だって、それは・・」
「充分じゃねえか、それで・・・・。それに、おまえのあったかい腕の中で、いいユメ見れてよ・・・」
「・・・・蛮ちゃ・・ん」
朝焼けの中、やさしく自分を見つめてくれる蛮の目は、昇ってくる陽の光よりもずっとあたたかい、と銀次は思った。
まるで、心の中のすべての傷を癒してくれるかのように。




『そしてオレたちは、その日の夕刊で、あの子犬のおばあちゃんがその朝早くに亡くなってたことを知った。
時間的にいやぁ、蛮ちゃんが邪眼でおばあちゃんが迎えにくるユメを見せていた、あの時間にぴったり合う。
て、ことは・・・・。
あれはもしかすると、ユメなんかじゃなくて、本当に、あの子のおばあちゃんが、約束通り天国に逝く前に子犬を迎えにきたのかも・・・・?
なあんてことあるわけねーじゃねえか!と笑い飛ばす蛮ちゃんの、その顔はやっぱりオレ同様ひきつっていた。

そして、オレらはばあちゃんの家族に逢って事情を話し、コロの亡骸もばあちゃんといっしょに葬ってもらえることになったんだ。
めでたし、めでたし。
そのうえ、今度のことで、蛮ちゃんのオレに対するヤサシサを再確認できて、オレ、かーなり嬉しかったんだよね!
と言ったら、顔の形がもとに戻らなくなるくらい、めいっぱい殴られたんだけど。
蛮ちゃんの愛って・・・・時々、ちょっと痛すぎるのです・・』






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初書きの蛮銀ですv
なんかあんまりラブラブになんなかったかな? 
でも蛮ちゃんは、本当に銀ちゃんのことをいつも大切に想っているのですよね。
そういうのが少しでも出てたら、いいなあ。
初書きというので、ちょっと緊張しました。
話し方とかこれで合ってるかなー。





  
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