■ 天使のいる場所 (2)



「それにしても、おまえの飼い主って、どんな人なのかなあ・・。オンナの人かな、オトコの人かな? きっとやさしい人なんだろうなー。おまえ、すごい“人好き”だもんねー。いっぱい可愛いがられてた証拠だよなー」
言いながら、ふうっと、かじかんできた指先に息をふきかける。
子犬を抱いている腹のあたりは暖かいにしても、夜もどんどんふけてくるにつれ、さすがに頬や肩口が冷え切ってきた。
それは、かつて経験したことのある、身を切られるような寒さにどこか似ている。
肌で感じる寒さではなく、それは胸の奥にいつもあった。
胸の空洞にはいつも冷たい風が吹き荒れ、体内にある氷の塊のせいで、心はいつもかじかんでいた。
手に息を吹きかけるように、自分の腕で胸を抱いて温めても、その冷たいしこりと痛みはずっとそこにあって・・。
淋しくて、ただ、つらくて。
でも、どうしようもなくて。
けれども、それは。
今は、もうない。
蛮ちゃんが、全部、一つ残らず溶かしてくれたから。
どんなに寒くても、もう凍えることはない。
そう思い、銀次がふっと微笑む。
蛮のそばは、いつ危険が飛び込んでくるかもしれないというのに、銀次にとっては、世界中のどこよりも安心できるあたたかい場所だ。
「蛮ちゃん・・。何も言ってこなかったけど、心配してるかな・・? なんて、ことないか。今頃、てんとう虫くんの中でぐっすり眠ってるん
だろうなあ」
ちょっと不安げにクゥンと鳴く子犬に、銀次がにっこりと微笑む。
「でもさー。蛮ちゃんはさ、本当はすごくやさしいんだ。あんな風に口は悪いし、いつもオレ、怒られたり殴られたりばっかだけど、でも、いつも一番、ちゃんとオレのこと見ててくれんだよなー。オレさ、蛮ちゃんのそばにいるだけで、なんかすっごく安心してられるんだ。素のままの自分でいていいっていうかさー・・」
「テメー・・。犬相手に、何ヘビ野郎のこと、ノロケてやがんだ?」
「へ?」
いきなり頭上から声がかけられて、思い切り驚いた顔で銀次がばっと顔を上げる。
「おう」
「士度?!」
「こんなとこで何やってんだぁ?銀次。ヘビ野郎に追い出されでもしたのかよ?」
「あー・・。っと、そういうわけじゃないんだけど・・・。それより、なんでこんな夜中に士度こそ」
「オレはこいつらの散歩」
見ると士度の後ろにぞろぞろと、まるでサーカスの移動のように獣たちがついて歩いてきている。
「昼じゃ、目立つからな」
「夜でも十分目立ってる気がするけど」
「そうか?」
飄々と言ってのける士度に、銀次が笑う。
「で、何やってる?」
「あー。実は、子犬拾っちゃってさ。でもオレ、今クルマ暮らしだし、世話できないから。でも捨てて行っちゃうのもなんだか可愛そうでできなくて・・さ。明日まで待って、コイツの飼い主探してやろうと思って・・」
「だからと言って、こんな寒空の下にぼけっと野宿してなくてもいいだろうに・・。あの冷血ヘビ野郎はあてになんないにしても、オレんとことか、ホンキートンクにでも転がりこみゃあいいじゃねえか」
士度の言葉に、ちょっと嬉しそうにしながらも、銀次が首を横に振る。
「うん・・。でもさ、コイツ、どうしてもここから離れたくないみたいなんだ。スバルに連れてった時もすごく怯えてたみたいだったし、動物の言
葉はわかんないけど、なんかここから離れられない理由でもあんのかなって、そう思えて」
銀次の言葉にやれやれ・・という、少しあきれた顔をしながら士度が言う。
「ったく、おめえはよー。人間以外の相手にも、相も変わらずお人好しだな」
ま、そこがいいとこだけどよーと言いつつ、どら?としゃがみこみ、銀次の腕の中で体を丸めている子犬の額にふれて、士度がはっとなる。
「・・・どした?士度?」
「あ・・いや」
「何かわかる? 飼い主のこととか」
「ああ・・」
子犬から目をそらさずに答えて、士度が子犬の頭を撫でて、そっと体をひく。
ちょっと考えて、答えを待っている銀次に言った。
「10日ほど前に、ここで交通事故があったろう? 知ってるか?」
「あー、なんかおばあさんがひき逃げされたとかってやつ? 軽トラだっけ。犯人は逃走したけどすぐ捕まったって」
「それがコイツの飼い主だ。ばあさんは重体」
「あ・・」
「コイツの散歩途中で、一緒にコイツもひかれたらしい。けど、担架に乗せられてくばあさんが、道の端っこで倒れてるコイツに気づいて、かならず迎えにくるからここで待ってろ。って、虫の息でそう言ったんだと・・・・」
 
『かならず迎えにくるからね・・。ここで待っておいで・・・。コロや・・・。待って・・て・・・・・・』

「そう、なんだ・・・」
「飼い主探すっつっても、重体のばあさんにゃ会えねーだろ。それに・・・・。それにな、銀次・・」
子犬を自分の体で包み込むようにしてぎゅっと抱きしめる銀次に、士度が少し迷いながら言いかけて、はっと思わず駐車場のクルマの後ろにのびる影に気づいた。
“言うな”と怒鳴るような眼で、こちらを見ている。
(ってことは、テメーもわかってるってことか・・・。まさか、それで銀次に捨ててこいなどと言ったのか? 悲しませたくねーから?)
同じように睨み付けるように見返すと、『消えな、オラ。とっとと嬢ちゃんとこに帰れ、猿マワシ!』とでも言いたげに邸のある方向を今度は顎でくいっと示され、ムッとなる。
しかし、まあ、あんなヘビでも銀次の心配をしてるのならば、こっちは退散するしかないだろう。
そう考えて、士度は銀次の頭にポンと手を置くと、じゃ、オレ行くからよーと声をかけた。
「え・・?士度、もう帰っちゃうの?」
「帰りが遅いと、マドカが心配するからよ、んじゃな。ま、何かあったら、相談にきな」
「あ。うん! ありがとう、士度・・!」
士度に元気に手を振って見送って、その姿が通りの向こうに消えるのを認めると、銀次はふう・・・と重いため息をつきながら、一人凍りつく夜空を見上げた。



「おい? どうしたの?」
士度の言葉を思い出しながら、銀次はちょっと元気のなくなってきた子犬を、心配げに見下ろした。
なんだか、小さくぶるぶると震えているようだ。
目も、気のせいかとろんとしてきて、光が弱い。
「眠いのかー。寝ていいよー、置いてったりしないから。けど、おまえ、えらいね・・・。ちゃんとおばあちゃんとの約束、守って待ってたんだね・・?」
銀次の言葉に、クゥ・・とか細い声で子犬が答える。
「心細かっただろうに・・」
ひとりぽっちになって、寒くて、痛くて、怖くて。
淋しくて悲しくて、淋しくて、淋しくて、淋しくて・・・。
それでも。
待っていた。
確か、自分もそうだった。
誰を待っていたのかなんて、もう記憶にはないけれど、幼い頃、確かに自分もそうやって誰かが迎えに来てくれるのを待っていた。
そんな気がする。
かならず迎えにくると、そう言ってくれたかどうかは、わからないけれど・・・。
どこかで、信じて待っていた。
寒さと孤独と恐怖に震えながら、あの無限城で、自分を置き去りにいていった誰かを。
ぶるっと体がその日の微かな記憶に震え、銀次はあわてて自分の身体を自分の腕で抱くようにした。
「寒・・・っ」
「ったくよー。寒けりゃ、とっとと犬置いて帰ってきやがれってんだよ、テメーはよ」
「え・・・?」
声とともに、あたたかい缶コーヒーが頬にぴたっと寄せられた。
「うわ、あちちち!」
缶の熱さに驚いて、いつのまにか目の前にあった人影を銀次がばっと見上げ、思わず満面の笑みを浮かべる。
「蛮ちゃん!」
露骨に嬉しそうな顔をされるなり、蛮がゴキッ!とその頭を殴りつけた。
「いたーい、何すんだよ、蛮ちゃあん」
「何すんだよ、じゃねえ! んな時間まで何やってんだ、このアホが!」
「だって、蛮ちゃんが〜」
「だって、何だ!」
「だって・・・・。でも、あれ? もしかして、心配して探してくれた?」
「バッカ言え。煙草買いに来たら、てめーがこんなとこでへたりこんでやがるから!」
「でも、蛮ちゃん。だって煙草は?」
「こ、これから買うんだよ! 悪ぃか!」
「ふーん。じゃあ、煙草より先に、オレにコーヒー買ってくれたんだあ・・・」
いかにも嬉しげな銀次に、さすがにうっと声をつまらせつつ、照れ隠しにまたゴン!と一発殴り倒した。
最近、こいつの頭悪ぃのはもしかしてオレのこの拳固のせいか?と思ったりもしているのだが、まあ愛情表現がこれしか思いつかないので、いたしかたない。
それでも、無邪気にコーヒーを開けて嬉しそうにしている銀次を見ると、ついつられて微笑んでしまいそうになる。
その隣にどかっと腰を下ろすと、銀次が少し意外そうな顔をした。
「蛮ちゃん?」
「あ?」
「蛮ちゃんも、ここにいてくれんの?」
「一人でスバルにいても、しゃーねーだろ」
「でもクルマの中の方が、あったかいよ?」
「助手席が空だと、外と大して変わりゃしねーよ」
さりげない一言に、銀次の顔がぱあっと明るくなる。
「・・・・・・それって、オレがいないと、淋しくて寒いってこと?」
「あ゛あ゛?! 誰がそんなこと言った!?」
「だって、蛮ちゃん、今さあ」
「うるせー。おい、オレにもコーヒーよこせ、オラ!」
「うあ、こぼれるよ蛮ちゃん! でも蛮ちゃん、砂糖入りのって飲まないじゃない! あああ〜〜! オレまだちょっとしか飲んでないんだよお、オレにも飲ませてー! 返してよ、ねえったら蛮ちゃんっ!!」





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