「オイシイ生活」


なーんかよ。
視線が、うるせえ。
だから、ジト目で見るんじゃねえっての。


畳の上に投げ出した足を組んで、壁に背中を預けて文庫本を広げるオレの前で、テーブルに頬杖をついた銀次が、じーっとコッチを伺ってやがる。

やれやれ。
んな、いかにも構って欲しそうなツラすんなって。
こちとら、食後の読書中だぞ。

活字を追って理解するのとはまた別の脳が、銀次の気配を敏感に察する。



いつもはまぁ、てんとう虫の運転席でオレがこんな風に新聞や本に集中していようと、銀次があまりそれを五月蠅く言うことはねえ。
余程退屈を持て余している時ならまだしも、大抵は、そうしたのんびりした時間の流れをオレの隣で楽しんでいる。そんな風だ。
そういう穏やかな、ゆったりした時間の過ごし方を今まで知らずに育ってきたから余計に。
それが、貴重だと感じられるんだろう。
そしてオレもまた、そういう銀次の傍らで、活字の世界に身を浸しているのはやたらと心地よかった。




しかし、ま。
今日は違えな。
オレらにとっちゃ、やたらと広いこの空間に(そりゃ、てんとう虫の車内に比べりゃあよ)、一人置いてけぼりを食らって、どうにも戸惑っている。
そんな顔をしてやがる。


さて、どうしたもんか。
そのうち、まあ、慣れもするだろうが。
こりゃ、早々にテレビでも買ってやるべきか?
お子サマにゃ、やっぱり必要なもんかもしれねえしな。
教育番組でも見せておきゃあ、軽い脳みそもちったぁ重みが増すかもしれねえ。


そんなことを考えながらも指先がページを捲れば、銀次が何やら四つ足になって、ゆっくりとこちらに近づいてくるのが視界の隅に映った。



あ?
何だ?
何の真似だよ。
犬のフリでもして構ってもらおうってか?



思うオレのそばに、四つん這いでそろそろと近づいてきた銀次は、オレの投げ出した脚の膝の横あたりにちょこんと坐ると、やおらコロンとその身を反転させた。





「は? ぎーんじ、テメー何やっ…。おわああっ!!」





その瞬間。
オレがどれほど本気でギョッとしたかなんざ、テメーみてえな鈍感にゃ、絶対わかりっこねえことだがよ。
冗談じゃなくマジで。
驚きのあまり。心臓が口から飛び出しそうになっちまった。



「おわあって、失礼だなあ。そんなにびっくりすっことないじゃん!」
「ってな! いきなりそんなとこから顔が出たら、普通びっくりするだろが!!」
「だーって、蛮ちゃん。オレの方、全然見てくんないし! ここだったら、蛮ちゃん。本読みながらでも、オレのコトも見えっかなーって」
「そりゃ、見えるがよ! だからってなあ…!」


んな体勢で、落ち着いて本なんぞ読んでられるかっての。


つまり、今どういうことになってるかといえば。

いきなりオレの傍らで、まるで猫や犬が飼い主に腹を見せるように身を返して仰向けになった銀次は、そのまま、その後頭部をオレの腿の上へと置きにきやがったため。
銀次に、膝枕をしてやっている。労せずして、そういう格好になっちまってるワケなのだ。

だから、本を読もうと視線を下げれば、自然とオレの太腿を枕にしてやがる銀次の顔が目に入ってしまう。
しかも、手に持ってるのが新聞てぇのならまだしも、ちっせえ文庫本だからよ。
いやでも、見えるっての。
その『構ってオーラ』出してやがる、でっけえ瞳が。




オレは、やれやれと心中で深く溜息をつく。
とにかくよ、平常心だ。平常心。

もっとも銀次と出会う前までは、苦労してそんなものをひっぱり出さずとも、常に冷静でいられたものを、よ。


で?
どうして欲しいんだ?
ああ? 何して遊んでくれって?


「オメー、暇なら風呂でも入ってくりゃあどーよ」
「うーん。オレもそうしようかなーって思ったんだけど。なんか今、すごく眠くて」
「だからオメーは、ビールは風呂あがりにしろって言ったんだよ」
「だって、せっかくの引っ越し祝いのごはんだったし。飲みたかったんだもん」
「つっても。350を一個きりじゃねえかよ。弱すぎっぞ、オメー」
「だってお店で飲むのと違って、ここで寝ちゃっていいんだって思ったら、なんか安心しちゃって。酔い回るのいつもよか早かった気が…。ふわぁ〜…」
「ヒトの足の上で大欠伸してんじゃねえ。ま、風呂で居眠りした挙げ句、溺死されちゃかなわねえからな。ちょっと一眠りしてから入れや」
「うん。あ。…ねえ、ここで、このまま寝ちゃっていい?」
「え? まあ…別に。構わねーけどよ」
「本当? 重くない?」
「テメーの軽いおつむなんざ、重いワケがねぇだろが?」
「わ、ひっどいなー、それ」


思わず口を尖らせる仕草がやたらガキっぽくて、オレが思わず低く笑うと、銀次もまたすぐ笑顔になる。
無垢な笑顔。
ガラにもなく、しかもヤロー相手に『護ってやりてえ』などとまで思うのは、たぶん、この笑みのせいだろう。
愛おしいとさえ、思う。

そして、しばし上と下で見つめ合った後。
一呼吸おいて、こぼれるような笑顔とともに、甘えた口調で銀次が切り出した。



「ねえ、蛮ちゃん?」
「あ?」
「お願いがあるんだけど」
「何だよ、改まって。らしくねぇ」
「あのね、ええっと」
「ん?」







「…ちゅー、して? オレに」








「………は?」


その途端。
自分のイメージの中で、『理性』という2文字にピシッと亀裂が入り、ガラガラと崩れていくのがはっきりと見てとれた。












威張っていうことじゃねえけどよ。
オレは、銀次に対して、相棒以上の気持ちを持っている。
それはもう確かすぎて。どうしたって否めねえ。






だがよ。
それを銀次のバカにゃ絶対悟られてねえという、確固たる自信があったのだ。






そう、今の今まで。

この瞬間までは、な――。









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